十層の門、黒に染まる英雄
九層の影が霧となって消えた後、シュウたちは足を止めていた。
目の前に、巨大な石門がある。
脈動している。まるで心臓のように。赤黒い魔力が表面を滲み出し、空気そのものを震わせていた。
「……ここが十層。古の悪魔アウモデウスが封印されている場所」
エレインが魔導書を胸に抱え、声を落とす。ページは一枚もめくれない。
「この圧……王族の私でも、膝が震える」
フィオナが王家の法典を握りしめる。声は静かだったが、指先が白くなっていた。
ミーニャは影の中で耳を伏せ、尻尾を丸めていた。
「……嫌な匂い。血と、腐った魔力」
「十層は”因果の底”。ここから先は、未来視も完全に無効ですわ」
リィネが扇を閉じ、静かに言う。その声に、珍しく迷いがなかった。見えないからこそ、腹を括ったのかもしれない。
「ガハハ! どんな地獄でも突っ込むだけだろ!」
ガストンがテツクズ号の外装を叩く。その音だけが、妙に明るく響いた。
その時だった。
ギィ……ギギギ……
石門が、勝手に開いた。
誰も触れていない。鍵もない。ただ、内側から押し開けられるように、ゆっくりと。
「……誰かが先に入った」
フィオナが息を呑む。エレインが魔力の残滓を読み取り、顔を上げた。
「……この魔力……アルトリウスよ」
全員が凍りついた。
「アルトリウスが……十層に……?」
「彼は”選ばれた聖剣士”。本来なら、十層の封印を監視する役目があるはずですわ」
リィネが扇をわずかに開き、また閉じる。
「ですが――未来視で最後に見えた彼の姿は……黒かった」
それきり、誰も喋らなかった。
シュウが包丁を握り直す。
「……行くぞ」
十層へ足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。
重い。冷たい。そして何より、歪んでいる。空間そのものが、何かに侵食されているような感覚だった。
「……ここ、全部……影」
ミーニャが震える声で呟く。影に溶けようとして、また溶けられない。それが今は恐怖ではなく、警戒の証だった。
十層は巨大な空洞だった。天井が見えない。壁が見えない。ただ中央に黒い祭壇があり、その上に――一人の男が立っていた。
金髪。白銀の鎧。かつて”英雄候補”と呼ばれた男。
アルトリウス。
だが、鎧はひび割れ、黒い瘴気を吐き出している。腰の聖剣は赤黒く脈動し、まるで生き物のように蠢いていた。その目だけが、まだ人間のものかどうか、判然としなかった。
「アルトリウス! どうして――」
フィオナが叫ぶ。アルトリウスがゆっくりと振り返る。
「……フィオナ王女。君は知らないだろう。“選ばれた者”が、どれほど重いかを」
声は低く、濁っていた。だが、怒りというより――疲弊に近かった。
「俺はずっと見てきた。平民のくせに、誰よりも強くなる”怪物”を」
視線がシュウに向く。
「お前だよ、シュウ。お前が……俺の未来を奪った」
「……勝手に奪われたと思ってるだけだ」
シュウは無表情のまま言う。煽るつもりはない。ただ、事実だった。
アルトリウスの顔が歪む。
「黙れ……黙れ黙れ黙れ!! 俺は選ばれた英雄だ!! なのになぜ、お前が――」
その瞬間。
祭壇の奥から、低い囁き声が響いた。
――喰ラエ……
声の主が誰に向けて言ったのか、この場の誰にも分からなかった。




