九層の影、因果の核
九層の奥へ進むにつれ、空気はさらに重くなっていった。
光が吸い込まれる。音が消える。影が、影としての形を失っていく。
「……ここ、変。……影が、勝手に動く」
ミーニャが震える声で呟く。銀色の尻尾が完全に逆立ち、影に溶けようとして――今度も溶けられない。
「……魔力が”逆流”してる。この層そのものが、何かに喰われてるみたい」
エレインが魔導書を開いて周囲を読み取る。ページが、今度は逆向きにめくれていた。
「アウモデウスの……“影”がいるのね」
フィオナが王家の法典を握りしめる。指先は白い。声だけが、平静を保っていた。
リィネが静かに頷く。
「ええ。この層は、十層の悪魔が因果を試すための庭。未来視が乱れるのも、当然ですわ」
言葉が終わらないうちに――地面が、揺れた。
ズ……ズズ……
影が液体のように盛り上がり、形を成す。黒い人型。顔のない巨影。その胸の中心で、赤い魔核が脈動していた。
【九層ボス:アウモデウスの影】
「……あれ、強い」
ミーニャが影の中へ身を沈める。
「フィオナ、前へ」とシュウが静かに言った。
「任せなさい!」
黄金の光が迸り、王威が発動する。だが――影はひれ伏さなかった。
「なっ……!」
「王威が効いてない。魔力じゃない……“因果”で動いてるわ」
エレインの声が、わずかに上擦る。
影が腕を振り下ろした。フィオナが吹き飛ばされる寸前、ミーニャが影から飛び出して受け止める。
「……フィオナ、危ない」
「……ありがとう」
フィオナが息を整える間に、リィネが扇を開く。
「未来視、発動――」
だが、視界が白く塗り潰された。
「……っ。見えない」
「因果を喰っている。だから見えない」
シュウが静かに前へ出た。
影がシュウへ向けて腕を振り下ろす。包丁で受け止めた。手の痺れを無視して押し返す。黒い液体が滴り、石床に染みを作った。
「……硬いな」
「シュウ様! その影は――あなたの”未来”を喰らおうとしています!」
リィネの声が、珍しく揺れていた。
「……だからどうした」
シュウは包丁を逆手に持ち替える。
「未来を喰われる前に、俺が喰う。それだけだ」
踏み込む。影が咆哮し、因果の波動を放つ。
「シュウ!!」
「防御結界――!」
「……シュウ、守る!」
「“勝利の糸”、固定――!」
四人の声が重なった瞬間、包丁の刃が影の胸を貫いた。
ズシャッ――
影が崩れ落ち、黒い霧になって四散する。
【捕食:アウモデウスの影の因果核を吸収】
【総合ステータス:5,350 → 5,600】
【新スキル獲得:『因果耐性・下級』】
シュウは静かに包丁を収めた。手の震えは、もう止まっていた。
しばらく誰も喋らなかった。
「……やはり」
リィネが胸に手を当てる。琥珀色の瞳が、揺れていた。
「あなたは……未来を越える者ですわ」
「十層……本当に、笑えないわね」
フィオナが低く呟く。強がりではなく、ただの事実として。
「……封印が、もう持たない」
エレインが魔力の流れを読み取り、顔を上げる。青ざめてはいたが、目は逸らさなかった。
ミーニャがシュウの腕にしがみつく。
「……嫌。……シュウ、いなくなるの嫌」
シュウは仲間たちを一度だけ見渡した。それから、十層への階段に目を向ける。
「……行くぞ。十層の悪魔を喰らって、終わらせる」
九層の奥から、巨大な鼓動が届いた。
アウモデウスが、目覚めようとしていた。




