千切れた未来と、狐の誓い
八層を突破したシュウたちは、テツクズ号を降り、九層の入口に立っていた。
そこは、迷宮とは思えないほど静かだった。
風もない。音もない。魔力の流れすら、止まっている。
「……ここ、変。……影が、動かない」
ミーニャが震える声で呟く。銀色の尻尾が、警戒するように逆立っていた。影に溶けようとして――溶けられず、珍しく戸惑いを顔に出している。
「……魔力が”凍ってる”。流れが完全に止まってるなんて、普通じゃないわ」
エレインが周囲を読み取りながら言う。魔導書のページが、今度は一枚もめくれない。それがかえって不気味だった。
「十層の悪魔……アウモデウスの影響が、ここまで……?」
フィオナが王家の法典を握りしめる。声は静かだが、指先が白くなっていた。
その時――九層の奥から、ゆらりと影が揺れた。
「……あら。やはり来ましたのね」
扇を持った狐耳の少女、リィネが姿を現した。
だが、いつもの余裕ある微笑みではない。狐耳が震え、琥珀色の瞳が揺れていた。
「……未来が、完全に乱れていますわ」
「どういうことだ」
「八層では”二重”でしたが……九層に入った瞬間、未来が千切れました」
空気が凍りつく。
「千切れた、って……」
「未来視を使うと、視界が真っ白になるのです。この先が、存在しないかのように」
エレインが低く呟いた。「……封印が……限界……?」
「違いますわ」
リィネは首を横に振り、シュウを見た。
「原因は、あなたですわ。シュウ様」
一拍の沈黙。
「……あなたの存在が、未来の因果を上書きしている。アウモデウスではなく、あなた自身が――未来を塗り替えてしまっているのです」
短く、端的に。それだけ言って、リィネは口を閉じた。
ミーニャがシュウの腕にしがみついた。
「……嫌。……シュウ、いなくなるの嫌」
シュウは無表情のまま包丁を握り直す。
「……だからどうした」
「……え?」
「未来がどうなろうと、十層の悪魔を喰らうだけだ」
リィネの瞳が、大きく揺れた。
狐耳が震え、尻尾がふわりと膨らむ。数秒、彼女は黙っていた。それから、静かに一歩前へ出た。
「……やはり、あなたは”境界を越える者”ですわ」
扇を胸に当て、深く頭を下げる。
「九層の攻略、そして十層の悪魔討伐。どうか、私も同行させてくださいませ。シュウ様」
「……ずるい」
エレインが耳を赤くして呟いた。「……そういう言い方……」
「ちょっと!? なんでそんな正式な加入の仕方なのよ! 私なんて気づいたら一緒にいたじゃない!」
フィオナが叫ぶ。頬が赤い。抗議の内容が若干ずれている。
「……ん」
ミーニャが影からひょこっと顔を出した。「……リィネ、来るなら……ちゃんと戦う。……でも、シュウの隣は私」
「まあ」
リィネが顔を上げ、くすりと笑った。いつもの余裕が、少しだけ戻っている。
「それは、皆さんで決めてくださいませ。私は――シュウ様の未来を守る側に立つと決めましたから」
「……勝手に決めてるじゃないの」
「フィオナ様も、最初からそうだったのでは?」
「っ……! そ、それは……!」
頬がさらに赤くなった。エレインが小さく咳払いをして横を向く。ミーニャの尻尾が、ぱたぱたと揺れた。
シュウは静かに頷いた。
「……行くぞ。九層の奥に”影”がいる。喰って、十層へ行く」
「はい」「……ん」「……ええ」「……わかったわよ」
四人の声が、静まり返った九層に重なった。
奥から、低い唸り声が響く。
アウモデウスの影が、目覚めようとしていた。




