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夢紡ぎの街 ―感情と日常の異世界スローライフ―  作者: たむ


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第2章 第152話:まだ知らない人にもやわらかく

やさしさが本当に根づいたかどうかは、思いがけない相手に向いた時にわかるのかもしれない。

いつもの人に、いつものやり方で返すだけなら、そこにはまだ慣れもある。

けれど、まだ距離の測り方がわからない相手に、急がず、押しつけず、でもちゃんと余白をあけられたなら――

それはきっと、その場所のやさしさが人の中へ移っている証なのだろう。

この日、二つの白の前では、ここをまだよく知らない誰かへ向けて、静かな待ち方が自然に差し出される。

それは大きな歓迎ではない。

けれど、“ここにいてもいい”を言葉より先に伝える、小さく確かな受け入れ方だった。

朝のここには、少しだけひんやりした風があった。


季節がほんのわずか進んだみたいに、空気の底が澄んでいる。

二つの白は今日も変わらず並んでいて、先に咲いた白は落ち着き、後から咲いた白もその隣で静かな輪郭を保っていた。

石の縁と木の腰掛けも、朝の光の中で控えめに色を返している。

いつもの景色。

けれど、今日はその“いつも”が少し誰かを迎えそうな気がした。


リオナは小さな水差しで二つの白へ順に水をやる。

水を吸った土の色が深くなるのを見ながら、なんとなく思う。

今日は“慣れていない足音”が来る日かもしれない、と。


「……今日は、はじめてにやさしい日かも」

そう呟くと、リナライが首をかしげる。

「……はじめて?」

「うん。ここをまだよく知らない人」

「……でも、くる?」

「たぶんね」

リオナは二つの白を見る。

「こういう朝、なんとなくそういう気がする」

リナライは少し考えてから頷く。

「……きょうのしろ、ちょっと、しずかにまってる」

「うん」

「たぶん、そういうことかも」

シオンもまた、二つの白とその前の居場所たちを見ていた。


「……ここ」

ぽつりと言う。

「うん」

「……まつ」

「うん」

少し間があいて、

「……はじめて」

リオナは静かに目を細めた。

「うん。今日は、はじめての人にもそうかもね」


午前の早い時間、門の前に足音が止まる。


知らない顔だった。


年のころは三十前後だろうか。

旅人というほど身軽ではないが、村の人間らしい馴染み方もしていない。

背負った袋は実用本位で、靴には乾いた土が薄くついている。

近くの村か、行商の途中か。

とにかく、この“夢紡ぎの街”の空気にはまだ慣れていない人の立ち方だった。


彼は門の前で二つの白を見て、それから石の縁と木の腰掛けを見る。

でも近づき方がわからないらしく、足を止めたまま動かない。


「おはよう」

リオナがやわらかく声をかけると、男は少し驚いたように顔を上げた。

「……おはようございます」

声には警戒というほどではないが、まだ距離を測っている硬さがある。


「通りがかりですか?」

「ええ、まあ」

彼は二つの白を見たまま答える。

「荷を届けに来て、その帰りで」

「うん」

「道で“白い花の前で人が休んでる場所がある”って聞いて」

その言い方に、リオナは少し笑いそうになる。

いつの間にかこの場所は、そういうふうに言われるようになっているのだ。


「それで?」

「……少しだけ、見てみたくて」

彼はそこで言葉を切った。

“来ていいのか”が、その先に続いているのがわかった。


その時、木の腰掛けに座っていたサラが、ほんの少しだけ端へ寄った。

昨日トウマにしたのと同じ動き。

でも今日は、もっとさりげない。

知らない相手に向けるぶん、言葉の代わりにする余白が少し慎重だった。


男はその動きに気づいて、一瞬迷う。

サラは白を見たままで何も言わない。

けれど、“ここにいてもいい”は十分伝わったらしい。


「……少しだけ」

男が言う。

「うん」

サラは短く返す。


それだけで、彼は木の腰掛けの空いた端へ腰を下ろした。

二人のあいだには、きちんと距離がある。

でも、その距離は拒絶ではなく、まだ知らない者同士のやわらかい間合いだった。


リツカが少し遅れてやって来て、その景色を見てすぐに石の縁へ腰を下ろす。

誰がどこへ座るか。

それをもう皆、言葉にしなくても少しずつ整えられるようになっていた。


しばらく二つの白を見る静かな時間が流れる。

男はその沈黙に居心地の悪さを感じるかと思ったが、むしろ少しずつ肩の力を抜いていった。


やがて、ぽつりと言う。


「……変わった場所ですね」

「うん」

リオナが答える。

「そうかも」

「もっと、こう……」

男は言葉を探す。

「不思議なものを見せる場所かと思ってました」

サラがそこで初めて少しだけ笑う。

「それも、たぶん合ってます」

男もつられて少し笑った。

「でも、思ったより静かだ」

「うん」

リツカが頷く。

「静かな方です」


男は二つの白を見る。

「みんな、あまりしゃべらないんですね」

今度はユアンが、ちょうど門の脇の小道から現れた。

その言葉を聞いて、すぐには答えず、門のそばに立って白を見る。


「しゃべる日もあります」

やがてユアンが言う。

「でも、今日はまだ少ない方かも」

その返し方がちょうどよかった。

説明しすぎず、でも置き去りにもしない。


男はそちらを見て、小さく頷く。

「なるほど」


少し間があいてから、彼はまた言う。


「……変なこと言うかもしれないんですが」

「うん」

リオナがやわらかく返す。

「座ったら、帰りたくなくなる感じがしますね」

そのひとことに、サラもリツカも、ユアンも、少しだけ表情をやわらげる。

誰も笑わない。

その言葉が、この場所では少しも変じゃないと知っているからだ。


「うん」

サラが短く言う。

「わかります」

それだけだった。

でも、その短さがいちばんよく馴染んだ。


男は少し驚いたように彼女を見た。

「……そうなんですか」

「うん」

「私も最初、そうでした」

男はその返しをしばらく受け止めるように黙っていた。

そしてまた二つの白を見た。


「なんだろうな」

彼は自分に言うみたいに呟く。

「急がなくていい場所って、座るとわかるんですね」

その言葉に、リオナは胸の奥で小さく頷く。

ここへ来る人たちが何度も別の言葉で言ってきたことを、この人は初めての朝に自分の言葉で見つけている。


シオンは二つの白と、木の腰掛けに座る男とサラを見ていた。

灯りが揺れる。


「……すわる」

ぽつりと。

「……しずか」

少し間があいて、

「……わかる」

男が、驚いたようにシオンを見る。

「……いまの、俺にですか?」

リナライが嬉しそうに頷く。

「……たぶん」

サラが小さく笑う。

「たぶん、そう」

男は少し戸惑いながら、それでもどこか嬉しそうだった。

「……そうか」


午前の終わり頃、ミレナが立ち寄った時には、その見慣れない男が木の腰掛けに座っているのを見て、少し目を丸くした。

けれどすぐに状況を察し、今日はパンの話も店の話もせず、門のそばで二つの白を見るだけにとどまる。


「今日は、初めての方ですか」

「うん」

リオナが答える。

「でも、ちゃんと座れた」

ミレナはやわらかく笑う。

「それなら、もうだいぶここですね」

その言い方に、男が少し笑った。

「ここ、なんですかね」

「うん」

リツカが頷く。

「たぶん、座ったら少し」


その返し方にも、押しつけがなかった。

“もう仲間ですよ”とも、“ようこそ”とも言わない。

でも、ここにいていいことは伝わる。

それがこの場所らしい迎え方だった。


しばらくして、男は自分から名を名乗った。


「……アサヒって言います」

「アサヒさん」

リオナが繰り返す。

「うん」

「俺、こういうところ苦手な方だと思ってたんですけど」

二つの白を見る。

「ここは、そうでもないみたいです」

そのひとことに、サラが少しだけ目を細める。

昨日まで守られる側だった彼女が、今日は何も大きく言わず、それでもちゃんとこの人がその言葉にたどり着くまで席をあけていた。


ユアンも、門脇から短く言う。


「合う場所ってありますよね」

アサヒは頷いた。

「……たぶん」

「ここは、そうかもしれない」


午後、アサヒは帰る前に立ち上がり、二つの白を見てから少し迷って言った。


「また寄っても、いいですか」

その問いに、リオナが答えるより先に、サラがやわらかく言う。


「うん」

それは昨日のトウマへの返し方とよく似ていた。

でも今日は、もっと自然だった。


リオナも笑う。

「もちろん」

リツカも頷く。

「またで、いい」

アサヒはほっとしたように息をついた。

「……ありがとうございます」

その声は、来た時よりずっとやわらかかった。


彼が去ったあと、ミレナがぽつりと言う。


「サラさん、すっかり“待てる人”になってきましたね」

サラは少し驚いたように目を瞬いた。

「……そう見えました?」

「ええ」

ミレナは笑う。

「今日は、ほとんど何も足していないのに、ちゃんとあの人が座って、自分の言葉を見つけるまでそこにいてくれたから」

その言葉に、サラは少し照れながら白を見る。

「……そうだったら、いいな」

リツカがやわらかく言う。

「たぶん、そう」

ユアンも頷いた。

「うん」

「前より、ずっと自然でした」


シオンは、そのやり取りを聞きながら、二つの白と、その前に残る今日の静かな気配を見ていた。

灯りが穏やかに揺れる。


「……まつ」

ぽつりと。

「……わかる」

少し間があいて、

「……かえす」

リオナは静かに目を細める。

「うん」

「今日は、ちゃんと返っていったね」


夕方、二つの白はやわらかな影の中で静かに並んでいる。

石の縁と木の腰掛けも、今日も小さなやりとりをいくつか受け止めたあとで、少しだけあたたかく見えた。


リナライは二つの白の前にしゃがみ込み、ぽつりと言う。


「……しってるやさしさ、ふえたね」

「うん」

リオナが答える。

「前は、自分が助かるだけだった」

「……うん」

「でも、いまは、あげられる」

「そうだね」

「それって、すごい」

リオナは静かに頷く。

「うん」

「やさしさが、その人のものになったってことかも」

「……うん」

「それで、またここがやさしくなる」

「そうだね」


シオンは二つの白と、その前の小さな居場所たちを見る。

灯りがやわらかく明滅する。


「……わかる」

少し間があく。

「……かえす」

さらに、

「……まつ」

そして最後に、

「……やさしい」


夕方の風が、二つの白と、そのあいだと、その前に残る今日の静かな受け渡しを撫でていく。

その光景を見ながら、リオナは胸の中でそっと思った。

ここで育っているものは、もう庭の中だけのものではない。

人の中に少しずつ残り、その人の待ち方や返し方になって、また別の誰かへ静かに渡っていくのだと。

今回は、“守られた言葉”を持っていた人が、今度はまだここを知らない相手へ、そのやさしさを自然に返していく回でした。

サラがアサヒにしたことは、特別な助言でも歓迎の言葉でもなく、少し席をあけて、少し急がず、少しだけわかる場所を残しておくことでした。

それは、これまでこの場所で受け取ってきたやさしさが、もう彼女の中にちゃんと根づいているからこそできたことなのだと思います。


また、“初めての人にもやわらかくできる”というのは、この庭の空気が本当に人の中へ移ってきた証でもあるのでしょう。

慣れた相手だけでなく、まだ距離の測れない相手にも、押しつけずに余白をあけられる。

それはとても静かですが、確かな成熟に見えます。


そしてシオンは、「わかる」「かえす」「まつ」と、その受け渡しの流れをまた一歩深く受け取っていました。

次は、この“返されるやさしさ”が、また別の形――言葉ではなく、手つきや習慣や、もっと暮らしに近いところへ広がっていくのかもしれません。

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