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夢紡ぎの街 ―感情と日常の異世界スローライフ―  作者: たむ


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202/215

第2章 第151話:守られた言葉の返し方

やさしさは、受け取るだけでは終わらない。

自分の言葉を守ってもらった人は、ある日ふと、別の誰かの言葉を守る側へ回ることがある。

大きな決意ではない。

ただ、前に自分がしてもらったことを、今度は少しだけ別の誰かへ返してみる。

言葉を急がせないこと。

場を整えること。

その人のひとことが、その人のまま出てこられるように待つこと。

この日、二つの白の前では、そんな静かな受け渡しが、ようやくはっきり見える形になり始めていた。

朝のここは、少しだけ白く明るかった。


空は晴れているが、朝の空気にはまだやわらかな薄さが残っている。

二つの白は今日も並び、先に咲いた白は落ち着いて、後から咲いた白もその隣でずいぶん自然な表情をしていた。

その前には石の縁と木の腰掛け。

どちらももう、人が少しだけ言葉や気持ちを置いていくための場所として、すっかり馴染んでいる。


リオナは水差しで二つの白へ順に水をやる。

土に落ちた水の音を聞きながら、昨日のサラの言葉を思い出していた。

“しるしを付けた”。

“私これ嫌いじゃないんだって思えた”。

その小さな言葉たちが、今日はどんなふうに返っていくのか、なんとなく気になっていた。


「……今日は、返す日かもな」

そう呟くと、リナライが首をかしげる。

「……かえす?」

「うん。言葉とか、やさしさとか」

「……もらったの、こんどは、だれかに?」

「たぶんね」

リナライは少し考えてから頷く。

「……うん。そんなあさ」

シオンもまた、二つの白とその前の居場所たちを見ていた。


「……ここ」

ぽつりと言う。

「うん」

「……まもる」

「うん」

少し間があいて、

「……かえす」

リオナは静かに目を細めた。

「うん。今日は、それかもしれないね」


午前の早い時間、最初に来たのはサラだった。


門の前で二つの白を見て、小さく息をつく。

今日は迷いより先に、少し落ち着いた顔がある。

石の縁と木の腰掛けを見比べて、それから自然に木の腰掛けへ腰を下ろした。


「おはようございます」

「おはよう」

リオナが返す。

サラは少し笑った。

「……また来ました」

「うん」

「今日は、報告というより……」

彼女は少し考える。

「なんだろう」

「そのままでもいいよ」

リオナが言うと、サラは頷いた。

「……うん」


少し遅れて、見慣れない若い男が門の前に立ち止まった。


村の顔ではあるが、ここへ来るのは初めてらしい。

年はサラと同じくらいか、少し下。

肩幅はあるのに、立ち方が妙に落ち着かない。

手は空いているが、何も持ってこなかったことを気にしているようにも見えた。


「おはよう」

リオナが声をかけると、その青年は少し驚いて会釈する。

「……おはようございます」

「初めてかな」

「はい」

彼は二つの白を見て、それから石の縁と木の腰掛けを見る。

でも、どちらにも近づけない。


「何か、あった?」

リオナがやわらかく聞くと、青年はすぐには答えなかった。

視線だけが二つの白のあいだを行ったり来たりする。


その時、サラがほんの少しだけ木の腰掛けの端へ寄った。

「座りますか」とは言わない。

手で示しもしない。

ただ、半歩ぶんの余白をつくる。


青年はその動きに気づいて、一瞬だけ目を上げた。

サラは白を見たまま、何も言わない。

けれど、その無言の余白は、昨日ユアンが場を整えたやさしさとよく似ていた。


「……少しだけ」

青年が小さく言う。

「うん」

サラはようやく短く返した。

それだけで十分だった。


青年は木の腰掛けの空いた端へ、遠慮がちに腰を下ろす。

二人で座るにはやや狭いが、無理ではない距離。

石の縁にはまだ誰もいない。

でも今日は、サラがわざわざそこを選ばなかった理由が、ようやく見えた気がした。


「名前、聞いてもいい?」

リオナが聞くと、青年は少しだけ息を整えてから答えた。

「……トウマです」

「トウマ」

「はい」

それきり、また言葉が途切れる。


前なら、ここで誰かが続きを引き出そうとしたかもしれない。

でも今日は違った。

サラが、二つの白を見たまま静かに言う。


「初めてだと、何から言えばいいかわからないですよね」

トウマがそちらを見る。

サラは笑わない。

でも、声はやわらかい。

「私も、そうでした」

その一言は、代わりに言ってしまうのではなく、相手が立てる足場をひとつ置くような言い方だった。


トウマの肩から、ほんの少しだけ力が抜ける。


「……はい」

「なんか」

少し迷ってから、彼は続けた。

「来ようと思ったの、昨日じゃなくて一昨日で」

「うん」

リオナが短く返す。

「でも、来る理由がうまく言えなくて」

「うん」

「今日になりました」

そこでまた止まる。

けれど、今度の沈黙は、最初のものより少しだけ落ち着いていた。


サラは何も足さない。

ただ、少し空けたままの距離で、隣にいる。


リツカが少し遅れてやって来て、その景色をひと目見たあと、今日は石の縁へ静かに腰を下ろした。

事情を聞かず、空気を崩さないその入り方も、もうこの場所では自然になっていた。


トウマはしばらくして、ようやく言った。


「家の手伝いを、このままずっとやるのか」

「うん」

「それとも、町の方へ行って働くのか」

二つの白を見る。

「最近ずっと、それで考えてて」

その言い方に、リオナは内心で少し驚く。

迷いの形は違っても、サラがここへ運んできたものとどこか響き合っていたからだ。


トウマは続ける。

「でも、誰に話しても、“若いなら町もいい”とか、“家を手伝えるならそれが一番だ”とか」

少しだけ苦い顔になる。

「すぐ、答えみたいなのが返ってくるんです」

その言葉に、サラの指先が膝の上でわずかに動いた。

以前の自分も、きっとそうだったのだろう。


「……うん」

リオナは短く返す。

それ以上の“わかる”は、今日はサラの方が持っている気がした。


しばらくの沈黙のあと、サラがぽつりと言う。


「答え、いらない時ありますよね」

トウマが顔を上げる。

サラは二つの白を見たまま続けた。

「まだ、自分が何で迷ってるのかも、ちゃんとわかってない時」

その言葉に、トウマの表情が少しだけほどけた。


「……はい」

「それです」

「それなのに、答えだけ先に来ると」

「うん」

「自分がどこにいるのか、余計わからなくなる」

サラのその返しは、まるで自分の言葉でもあるように自然だった。

守ってもらった言葉を、今度は別の誰かのために使っている。

でも、奪ってはいない。

あくまで“わかる”の形で隣へ置いているだけだ。


リツカも、石の縁から小さく言った。


「ここ、答え急がれないから」

トウマはその言葉を聞いて、二つの白を見た。

「……そうなんですね」

「うん」

「たぶん、今の私にはそうだった」

その静かな添え方も、よかった。


シオンは、二つの白と、木の腰掛けに座るサラとトウマを見ていた。

灯りがやわらかく揺れる。


「……わかる」

ぽつりと。

「……まもる」

少し間があいて、

「……いう」

リナライが嬉しそうに目を細める。

「……うん」

「わかって、まもって、それで、いえる」

トウマは少し驚いたようにそちらを見ていたが、やがて小さく息を吐いた。


「……たぶん」

彼は言う。

「今の、そうです」

「うん」

サラが頷く。

「たぶん、そういう感じ」

それだけで、トウマの中の言葉はもう少しだけ出やすくなったらしい。


「俺」

少し迷いながら続ける。

「町に行きたいのか、家を嫌なのか、ずっとその二つで考えてたんです」

「うん」

「でも今、話してて」

白を見る。

「どっちかっていうより、“自分で選びたい”のかもしれないって思いました」

その一言に、空気が静かに変わる。


リオナはすぐには何も言わない。

リツカも、サラも、言葉を足さない。

その小さな気づきが、潰れずにそこへ置かれるのを待つ。


やがてサラが、ほんの少しだけ笑った。


「それ、たぶん大事」

トウマも、少しだけ笑う。

「……うん」

「今まで、それ、言ってなかった」

「うん」

「言えてよかったです」

その“よかった”は、誰に対してでもなく、ただ今出てきた自分の言葉へ向いているように聞こえた。


午前の終わり頃、ユアンがやって来た時には、その景色を見てすぐに場の流れを察したらしい。

今日は門の脇の柵に軽く寄りかかるだけにして、何も急いで聞かなかった。


「おはよう」

「……おはようございます」

トウマが返す。

サラもリツカも短く挨拶する。


しばらくして、ユアンが二つの白を見たまま言う。


「ここ、誰かが先に“答えいらない時ある”って言ってくれると、だいぶ違いますよね」

トウマがそちらを見る。

「……はい」

「たぶん、それです」

ユアンも少しだけ笑う。

「俺も前、そうでした」

その短い共有が、トウマの肩をさらに少し軽くする。


ミレナが昼前に立ち寄った時には、木の腰掛けに座る二人と、少し離れて見守る人たちの形を見て、やわらかく笑った。


「今日は、受け取ったやさしさが、ちゃんと渡ってますね」

「うん」

リオナが頷く。

「そうだね」

「自分がしてもらった待ち方を、今度は誰かに返してる感じ」

その言葉は、まさに今日のサラを言い表していた。


サラは少し照れたように目を伏せる。

「……そんなつもりはなかったんですけど」

「でも、そう見えます」

ミレナが言うと、サラは小さく笑う。

「なら、よかったです」

その言い方もまた、前より自然だった。


午後、トウマは帰る前に二つの白を見て言った。


「答えはまだ出てないです」

「うん」

リオナが答える。

「でも、今日は“どっちか”じゃない言葉が出た」

「うん」

「それだけでも、来てよかった」

サラがやわらかく頷く。

「うん」

「それで十分な日、あります」

トウマは少し驚いたように彼女を見て、それから小さく笑った。

「……そうですね」

「たぶん、今日はそうです」


そのあと、彼は少し迷ってから続けた。


「また来ても、いいですか」

リオナが答える前に、サラが先に言った。

「うん」

それは強すぎない、でもちゃんとそこに置かれた返事だった。


リオナも笑う。

「もちろん」

トウマはほっとしたように息をついた。

「……ありがとうございます」

その背中は、来た時より少しまっすぐだった。


夕方、二つの白はやわらかな影の中で静かに並んでいる。

その前の石の縁と木の腰掛けにも、今日は少し違う温度が残っていた。

受け取ったやさしさが、誰かの中に留まるだけでなく、ちゃんと別の誰かへ渡っていった日の温度だった。


リナライは二つの白の前にしゃがみ込み、ぽつりと言う。


「……もらったの、あげてたね」

「うん」

リオナが答える。

「そのまま返したわけじゃないけど」

「……でも、にてた」

「うん」

「待ってもらった人が、待てるようになるのかも」

「……うん」

「それって、すごいね」

リオナは静かに頷いた。

「そうだね」

「やさしさって、そういうふうに増えるのかも」


シオンは二つの白と、その前の小さな居場所たちを見る。

灯りが穏やかに明滅する。


「……わかる」

少し間があく。

「……まもる」

さらに、

「……かえす」

そして最後に、

「……やさしい」


夕方の風が、二つの白と、そのあいだと、その前に残る今日の静かなやりとりを撫でていく。

その光景を見ながら、リオナは胸の中でそっと思った。

ここで守られた言葉は、消えない。

やがて別の誰かを守るための言葉や、待ち方や、返し方になって、また静かに誰かへ渡っていくのだと。

今回は、“守られた言葉”を持っていた人が、今度は別の誰かを守る側へ回り始める回でした。

サラがトウマにしたことは、大げさな助言でも、代わりに説明することでもなく、「答え、いらない時ありますよね」と、自分が通ってきた場所に小さな足場を置くことでした。

それはまさに、この庭で受け取ってきたやさしさの返し方だったように思います。


また、ミレナの「受け取ったやさしさが、ちゃんと渡ってますね」という言葉も印象的でした。

やさしさは同じ形で返らなくてもいい。

でも、待ってもらった人が待てるようになり、守ってもらった人が守れるようになるなら、それはたしかに受け渡されているのだと思います。


そしてシオンは、「わかる」「まもる」「かえす」という流れに触れました。

それはもう、この庭で起きることをただ見ているだけではなく、やさしさがどう巡り、どう育っていくのかを感じ取り始めている証なのかもしれません。

次は、この“返されるやさしさ”が、さらに思いがけない相手や、別の形へ広がっていくのかもしれません。

二つの白の前の時間は、今日もまた静かに、人のあいだを巡り始めています。

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