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夢紡ぎの街 ―感情と日常の異世界スローライフ―  作者: たむ


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第2章 第135話:ほどけるまでいていい白

迷いは、置いたからといってすぐ消えるものではない。

ため息のように、一度吐けば軽くなるものばかりではなく、胸の奥に長く残り、少しずつ形を変えながらほどけていくものもある。

だからこそ、人は“答えを出す場所”より先に、“答えが出るまでいてもいい場所”を必要とするのかもしれない。

二つの白が並ぶ線のそばは、この日、そんなやわらかな許しを静かに深めていく。

急がなくてもいい。

決めきれなくてもいい。

ただ、少し戻ってきて、また息を整えていける。

そんな場所の輪郭が、曇りと光のあいだで少しずつ見えてくる。

朝のここは、昨日より少しだけ明るかった。


雲はまだある。

けれど、ところどころ薄くなっていて、陽の光が二つの白へやわらかく落ちている。

先に咲いた白は落ち着いていて、後から咲いた白はまだ少しだけ新しい開き方をしている。

そのあいだの空気も、昨日と変わらず細くやさしい。


石の縁は、今日も静かにそこにあった。

誰かが座るかもしれないし、座らないかもしれない。

でも、“座ってもいい”という気配だけは、もうすっかりこの場所に根づいている。


リオナは水差しを持って二つの白の前に立つ。

今日は何を感じるだろう、と見る前から少し考えてしまうのは、この場所がもうただの庭ではなくなっているからだろう。


「……今日は、ほどけやすそうだな」

そう呟くと、リナライが白のあいだを見て首をかしげる。

「……なにが?」

「気持ちが、かな」

「……きもち」

「うん。昨日みたいに、胸の中が絡まってる人が来ても、今日は少しだけやわらかくなれそうな感じ」

リナライは少し考えてから頷く。

「……ひかり、あるから?」

「たぶんね」

シオンもまた、二つの白と、その前の石の縁を見ていた。


「……ここ」

ぽつりと言う。

「うん」

「……やさしい」

「うん。今日もやさしい」

少し間があいて、

「……まよう」

リナライが静かにそちらを見る。

「……うん。まよっても、だいじょうぶ」

シオンの灯りがやわらかく明滅した。


午前のうち、最初に来たのは――昨日のサラだった。


門の前に立つその姿を見て、リオナは内心で少し驚いた。

けれど、表には出さない。

サラ自身も、来るかどうか迷って、それでも足を向けたのだろうとわかったからだ。


「おはよう」

やわらかく声をかけると、サラは少しだけほっとしたように会釈した。

「……おはようございます」

昨日より顔色は悪くない。

でも、“もう大丈夫です”という顔でもない。

迷いは消えていない。ただ、昨日より少し持ち方が変わったのだろう。


「来たんだね」

「……はい」

サラは二つの白を見る。

「今日も、少しだけ」

その言い方が、この場所にとても似合っていた。


「座っていく?」

リオナが聞くと、サラは一瞬ためらったが、昨日ほど長くは迷わず、石の縁へ腰を下ろした。

それだけで、リオナは小さく胸をなで下ろす。

“戻ってこられる”ことは、それだけで一つの大きな変化だからだ。


しばらく二つの白を見ていたサラが、やがてぽつりと口を開く。


「まだ、決まってません」

「うん」

「でも……昨日みたいに、決めなきゃっていう感じではないです」

その言葉に、リナライが嬉しそうに目を細める。

「……よかった」

サラは少し笑った。

「はい。よかった、のかもしれません」

「何か変わった?」

リオナが聞くと、彼女は二つの白を見ながら答える。


「昨日帰ってから、すぐ答えを出そうとするの、やめたんです」

「うん」

「“迷ってる”って思ったまま寝ました」

それはとても小さなことだ。

でも、きっと大きなことでもあった。

「そしたら朝、まだ迷ってるんですけど」

サラは少しだけ肩をすくめる。

「昨日ほど苦しくなかった」


リツカが、少し遅れてやって来た。

門の前でサラを見ると、小さく会釈して、今日は少し離れた位置に立った。

同じ縁に座るのではなく、相手の呼吸を邪魔しない場所を選ぶ。

そういう距離の取り方も、この庭では少しずつ育ってきていた。


サラはその気配に気づき、でも構えない。

ただ二つの白を見ながら、ぽつりと続ける。


「昨日、ここで……“違ってても並んでいていい”って思ったんです」

リオナは静かに頷く。

「うん」

「たぶん、今の私は、決めるか決めないかの二つじゃなくて」

彼女は言葉を探す。

「まだ迷ってる私と、少し考え始めた私が、並んでる感じなんだと思います」

その言葉に、庭の空気が少しだけ深くなる。


二つの白。

違う白。

でも、同じ場所に並んでいる白。

その景色が、彼女の中のものにも重なったのだ。


リナライが、小さく言う。


「……ふたつ、いていい」

サラはその言葉に、少し驚いたように顔を上げる。

「……うん」

「それ、いま、すごくわかる」


シオンは二つの白とサラを交互に見ていた。

灯りが揺れる。

昨日覚えた“まよう”という言葉。

その迷いが、今日は昨日より少しやわらかく見えることまで、感じ取っているようだった。


「……まよう」

ぽつりと、シオンが言う。

サラがそちらを見る。

「うん」

「……ここ」

「うん」

少し間があく。

「……いていい」

リオナも、リツカも、リナライも、すぐには言葉を返せなかった。


今のは、誰かの言葉をそのまま繋いだだけではない。

ここで迷っているままでも、少し座っていていい。

そういう空気そのものへ触れた声だったからだ。


サラは目を見開いたあと、ゆっくり息を吐いた。

昨日のため息とは違う。

今日は、胸の中の固さが少しほどけた後の息だった。


「……ありがとう」

その声は、小さかった。

けれど、昨日よりずっと深いところから出ていた。


リツカが、そっと言う。


「決める前でも、戻ってきていいんだと思います」

サラは頷く。

「うん」

「それ、すごく助かる」

二つの白は、変わらずそこにある。

すぐ答えをくれはしない。

でも、答えが出るまでいていいと思わせてくれる。

それが、この場所のやさしさなのだろう。


昼前、サラは立ち上がる前にもう一度二つの白を見た。


「今日、決めに来たわけじゃなかったんです」

「うん」

「でも、来てよかった」

「うん」

「……戻ってきてよかった、の方が近いかもしれません」

その言葉に、リオナは静かに笑った。

「それ、いい言い方だね」

サラも、少しだけ笑う。

「はい。たぶん、そうです」


彼女は去っていった。

昨日より歩幅はずっと自然だった。

迷いがなくなったわけではない。

けれど、それを抱えたまま戻ってこられる場所があると知った人の歩き方だった。


午後、ミレナが立ち寄った時、サラのことを聞いてこう言った。


「ここ、答えを出す場所じゃないのがいいんですね」

「うん」

リオナが頷く。

「たぶん、出ないままでも少し置いておけるのが大事なんだと思う」

「……ほどけるまで?」

リナライがぽつりと呟く。

リオナはその言葉を聞いて、少しだけ目を細める。


「うん」

「たぶん、ほどけるまで」


その言葉は、そのまま今日のここを言い表していた。

すぐにはほどけない。

でも、固いまま抱えているよりは、ここで少しだけ息を当てておける。

二つの白と、そのあいだの空気は、そういう時間を静かに許してくれている。


夕方近く、白い花は朝より少しだけ影を深くし、そのあいだの空気は柔らかく傾いていた。

石の縁にはもう誰も座っていない。

けれど、そこに残った“少し戻ってきてよかった”という気配は、まだ薄く残っているように見えた。


リナライは二つの白の前にしゃがみ込む。


「……ここ、なおす場所じゃないね」

「うん」

リオナが答える。

「すぐに何かを直す場所じゃない」

「……でも」

「うん」

「……やわらかくなる」

その言葉に、リオナは静かに頷いた。

「そうだね」

「固いままだと苦しいものも、ここだと少しだけやわらかくなるのかも」


シオンは二つの白と、その前の石の縁を見つめていた。

灯りがゆっくり揺れる。


「……ここ」

少し間があく。

「……まよう」

さらに小さく、

「……いていい」

そして最後に、

「……ほどける」


夕方の光が、二つの白とそのあいだをやわらかく照らす。

その光景を見ながら、リオナは思う。

この庭は、答えを出すための場所ではない。

でも、答えが出るまでのあいだ、少しだけ人をやわらかくしてくれる場所にはなれるのかもしれない、と。

今回は、“迷い”を抱えたまま一度帰ったサラが、もう一度ここへ戻ってくる回でした。

大きな答えは出ていない。

けれど、「戻ってきてよかった」と思えること自体が、すでにこの場所の持つ力なのだと思います。

すぐに解決しなくても、迷っているままいていい、ほどけるまでここに少し置いていい。

そんなやわらかい許しが、二つの白の前には少しずつ育っています。


また、シオンが「いていい」「ほどける」という流れへ触れたのも印象的でした。

花や場所だけではなく、人の中で起きる“固さがやわらかくなる時間”にまで感覚が届き始めているのだとしたら、それはとても深い変化です。

シオン自身もまた、この庭のやさしさの一部になりながら、そこで起きる小さな回復を見ているのかもしれません。


次は、この“戻ってきていい場所”に、また別の気持ちが戻ってくるのかもしれません。

静かな庭の二つの白は、まだ少しずつ人の心の置き場所を増やしていきそうです。

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