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夢紡ぎの街 ―感情と日常の異世界スローライフ―  作者: たむ


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第2章 第134話:白の前に置かれる迷い

ため息は、一度外へ出せば少し軽くなる。

けれど、迷いはそう簡単ではない。

言葉にしようとしてもまとまらず、飲み込もうとしても胸の中に残る。

進みたいのか、止まりたいのか、自分でもわからないまま抱えてしまうこともある。

そんな曖昧な重さを、すぐに答えへ変えることはできない。

けれど、ただ少しのあいだそこに置いておける場所があるだけで、人はわずかに呼吸を取り戻せることがある。

この日、二つの白の前には、ため息よりも長く胸に残る“迷い”が、静かに運ばれてくる。

朝のここは、昨日より少しだけ光があった。


曇りは薄く、雲の切れ間からやわらかな陽が落ちている。

二つの白は、今日も並んで咲いていた。

先にひらいた白は落ち着きのある開き方で、後からひらいた白はまだ少し若い形を残している。

そのあいだには、昨日と変わらず、細くやさしい空気があった。


石の縁も、もうただの石には見えない。

ここに少し座っていけることを、庭そのものが覚え始めたみたいだった。


リオナは小さな水差しで二つの白へ順に水をやる。

落ちる水の音を聞きながら、ふと思う。

この場所は、少しずつ「見る場所」から「いてもいい場所」へ変わっているのだと。


「……きょうは、ひかりのやさしさだな」

そう呟くと、リナライが白のあいだを見て頷く。

「……うん。しずかいけど、くらくない」

「うん。そういう朝だね」

シオンもまた、二つの白と、その前の石の縁を見ていた。


「……ここ」

ぽつりと言う。

「うん」

「……やさしい」

「うん。今日もやさしいね」

その短い言葉が、もうこの庭の朝のリズムになっていた。


午前の少し遅い時間、門の前に足音が止まった。


控えめで、でも迷っている足音だった。

来ると決めて来たのに、最後の一歩だけ重くなるような止まり方。

リオナが顔を上げると、そこにいたのは若い女性だった。


見覚えはある。

市場の布屋で時々手伝いをしている、サラ。

年はエマより少し下くらい。

普段はもっときびきびした印象だが、今日は肩が少しだけ硬く見えた。


「おはよう」

リオナが声をかけると、サラははっとしたように会釈する。

「……おはようございます」

それきり、すぐには続かなかった。

視線は二つの白へ向く。

でも、花を見に来たというより、花の前に立つ理由を探しているような顔だった。


「初めてだよね」

「……はい」

「見に来た?」

サラは少し考えてから、曖昧に頷く。

「たぶん」

「たぶん?」

リナライが小さく繰り返す。


サラは困ったように笑った。

その笑い方だけで、今日は“見たいものがはっきりして来た人”ではないのだとわかった。


「来たかった、んだと思います」

「うん」

「でも、何を見たいのかは、来るまでよくわからなくて」

その言葉に、リオナはやわらかく頷く。

「そういう日もあるよ」

サラはその返事に、少しだけ肩の力を抜いたようだった。


彼女の視線が、石の縁へ落ちる。

だが、座らない。

昨日のユアンと同じだった。

ここにいていいか、自分でまだ決めきれていない顔。


リナライが、小さく言う。


「……すわっても、いいよ」

サラが顔を上げる。

「……でも」

「……ちょっとなら」

リナライは二つの白と、その前の縁を見る。

「……ここ、すわれる」

サラはしばらく迷っていたが、やがて静かに息を吐いて、石の縁にそっと腰を下ろした。


深くではない。

すぐに立てるような座り方。

それでも、門の前に立っていた時より、ほんの少しだけ“ここにいる”形になる。


二つの白を前に、サラはしばらく黙っていた。

リオナも、リナライも、急かさない。

シオンもまた、花と、座ったサラを交互に見ている。


やがてサラが、ぽつりと呟く。


「……決められなくて」

その一言は、朝の空気の中に落ちても、すぐには意味を持たなかった。

だからこそ、誰も急いで聞き返さない。


少し間を置いてから、彼女は続ける。


「布屋の手伝い、このまま続けるかどうか」

リオナは静かに頷く。

「うん」

「嫌いじゃないんです」

「うん」

「でも、ずっとやりたいのかって聞かれると、わからなくて」

サラは二つの白を見たまま話す。

「なのに、最近“そろそろ決めないと”って言われることが増えて」

その声には、疲れというより、長く抱えていた迷いがにじんでいた。


リツカが、ちょうどその時やって来た。

門の前でサラの姿を見ると少し驚いたが、何も聞かず、反対側の縁にそっと腰を下ろす。

サラは一瞬そちらを見るが、リツカがただ二つの白を見ているだけだとわかると、少しだけ表情をやわらげた。


「決めないと、って言われると」

サラがまた言う。

「余計わからなくなるんです」

「……うん」

リオナは短く返す。

「こっちを選んだら、もう一方はなくなる気がして」

その言葉に、リツカが小さく息を吸った。

きっと彼女にも、わかる重さなのだろう。


二つの白は、今日も並んでいる。

同じ白。

でも違う白。

その光景は、サラの迷いとどこか遠くで重なるようにも見えた。


リナライが、小さく言う。


「……ふたつ、ある」

サラが少し驚いたようにそちらを見る。

「え?」

「……しろ」

リナライは二つの白を見る。

「……おなじじゃ、ない」

サラはしばらく黙っていた。

そして、かすかに笑う。

「うん」

「……でも、ならんでる」

その言葉に、サラの目が、ほんの少しだけほどける。


「……そうか」

彼女は二つの白を見る。

「違ってても、並んでいていいんだ」


それはすぐに答えになる言葉ではない。

けれど、迷いの形を少し変えるくらいのやわらかさはあった。


シオンは、そのやり取りを見ていた。

灯りが揺れる。

二つの白。

座る人。

迷っている声。

“決められない”という、ため息より長く胸に残るもの。


「……すわる」

ぽつりとシオンが言う。

サラが目を上げる。

「うん」

「……ここ」

「うん」

「……まよう」

庭の空気が、静かに止まる。


リオナは息を呑んだ。

今のは、ただ聞いた言葉を真似したのではない。

白の前に座った人の中にある、かたちの決まらない重さへ触れた言葉だった。


サラは目を見開いたまま、しばらく動かなかった。

それから、ほんの少しだけ笑う。

泣きそうでも、困ったようでもない、ただ見つけてもらった人の顔だった。


「……迷ってる」

彼女は、自分でその言葉をゆっくり繰り返した。

「そうか。私、迷ってるんだ」

それは当たり前の確認のようでいて、いちばん大事な一歩にも見えた。


リツカが、静かに言う。


「決めなくても、迷ってるってわかるだけで、ちょっと違う時あるよ」

サラはその言葉に頷く。

「うん」

「たぶん、そう」

二つの白は、変わらずそこにある。

どちらかがどちらかを消してはいない。

違う形のまま、同じ場所で風を受けている。


サラはその光景を、長いあいだ見ていた。

やがて、小さく息を吐く。

ため息とは少し違う。

胸の中で絡まっていたものが、少しだけ名前を持った後の、静かな息だった。


「……今日は、決めなくていい気がします」

リオナは、やわらかく頷く。

「うん」

「まだ、迷ってるでいいんだ」

「うん」

その返事は、とても小さかった。

でも、十分だった。


昼前、サラは立ち上がる前にもう一度二つの白を見た。


「ありがとうございました」

その言葉は、誰かひとりに向けられている感じではなかった。

ここにあるもの全部へ向けたような声だった。


「少しだけ、持ち帰れそうです」

「何を?」

リオナが聞くと、彼女は少し考えてから言う。

「……決めないままでも、ここにいていい感じ」

その言葉に、リナライが嬉しそうに笑う。

「……うん」

「それ、いい」


サラは小さく会釈して去っていった。

来た時より少しだけ、歩幅がやわらかい。

答えを持って帰ったわけではない。

でも、迷いを抱えたまま歩けるくらいには軽くなっているように見えた。


午後、ミレナが静かに言う。


「ここ、ため息の次は迷いも置いていけるんですね」

「うん」

リオナは二つの白を見る。

「たぶん、置いていくっていうより……少し並べて見られるのかも」

「並べる?」

「うん。自分の中だと絡まってるものでも、ここに来ると少しだけ、白みたいに並んで見える時があるのかもしれない」

その言葉に、リツカが静かに頷いていた。


夕方、二つの白は曇り空のやわらかな光を受けている。

並んでいる。

違っている。

でも、どちらもここにいていい。

その光景は、今日サラが持ってきた迷いに対する、いちばん静かな返事のようにも見えた。


リナライは白のそばにしゃがみ込み、ぽつりと言う。


「……まよう、って」

「うん」

「……こわいけど」

「うん」

「……ここだと、ちょっとだけ、やさしい」

リオナはその言葉に、静かに頷く。

「そうだね」

「決める前でも、いられる場所ってことかも」

「……うん」


シオンは二つの白と、その前の石の縁を見る。

灯りがやわらかく揺れる。


「……ここ」

少し間があく。

「……まよう」

さらに小さく、

「……やさしい」


曇り空の下、二つの白は今日も静かに並んでいた。

どちらかひとつを選ばなくても、しばらくはそのまま見ていていい。

そんなやわらかさが、白の前の空気にはたしかに生まれていた。

今回は、ため息よりもう少し長く胸に残る“迷い”が、白の前へ運ばれてくる回でした。

サラが「決められないままここへ来た」こと、そして二つの白を見て「違っていても並んでいていいんだ」と少しだけ受け取れたことは、この場所がただ気持ちを軽くするだけではなく、迷いそのものを少し見やすくしてくれる場所にもなり始めていることを表していたように思います。


また、シオンが「まよう」という言葉に触れたのも印象的でした。

花や時間、ため息に続いて、今度は“決められなさ”というもっと曖昧なものへも触れ始めている。

それは、シオンがこの場所に来る人たちの内側を、ますます深いところで受け取り始めている証なのかもしれません。


次は、この“迷いを置いていける場所”に、また別の気持ちがやって来るのかもしれません。

答えの出ないものを、そのまま少し置いておけるやわらかさは、まだ静かに広がっていきそうです。

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