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夢紡ぎの街 ―感情と日常の異世界スローライフ―  作者: たむ


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第2章 第129話:ひらく手前の息づかい

咲く前の時間は、静かでありながら、どこか落ち着かない。

もうすぐ変わるかもしれない。

でも、まだ変わっていない。

そのわずかなあいだには、待つ者の呼吸まで少しだけ揺らしてしまう、不思議な熱がある。

この日、線のそばの“くる白”は、まだ花にならないまま、それでも誰の目にも“ひらく手前”とわかるほど近くまで来ていた。

そして庭には、その小さな息づかいを聞こうとするような静けさが満ちていく。

朝のここには、昨日より少しだけ張りつめたやわらかさがあった。


線のそばの“いる白”は、今日も変わらず静かに咲いている。

その花弁はもう、この場所の空気にすっかり馴染んでいて、風が触れても慌てない。

けれど、その隣にある“くる白”は、今朝は明らかに違って見えた。


閉じている。

それでも、閉じきってはいない。

先端の合わせ目は昨日よりわずかにゆるみ、白の内側がほんの少しだけ見えている。

まるで、呼吸の浅かったものが、やっと深く息を吸い始めたみたいだった。


リオナは水差しを持つ前に、しばらくその小さな白を見つめた。


「……今日は、近いな」

「……ちかい?」

リナライがすぐ隣へ来る。

「うん。ひらくのが」

リナライはしゃがみ込み、目を凝らした。

「……ほんとだ。きのうより、もっと、ほどけてる」

「うん」

「……でも、まだ」

「そう。まだ、なんだよな」

その“まだ”は、前のつぼみの時とは少し違っていた。

遠いまだではなく、すぐそばまで来たまだ。

待っている側の胸を少しだけ急がせるような、やわらかい緊張を含んだまだだった。


シオンは二つの白を交互に見ている。

“いる白”。

“くる白”。

灯りが静かに明滅し、その視線の揺れにも少しだけ落ち着かなさが混じって見えた。


「……しろ」

「うん」

リナライが答える。

「……くる」

「うん。くる白」

少し間があく。

「……まだ」

リオナとリナライは顔を見合わせる。


「うん」

リオナがやさしく頷く。

「まだ。でも、もうすぐの“まだ”だね」

シオンの灯りが、すこし強く揺れた。


朝の最初に立ち寄ったのは、ハルだった。

今日は門の前で立ち止まるなり、すぐに“くる白”を見て、しばらく何も言わなかった。

それから小さく息を吐く。


「……今日は、待ってる感じが強い」

「待ってる感じ?」

リオナが聞くと、ハルは頷く。

「うん。昨日は“出てきてる”感じだったけど、今日は“もう出てきたいのに、まだそこにいる”感じ」

その表現に、リナライがはっとしたように目を丸くする。

「……わかる」

「だよね」

ハルは少し嬉しそうに言う。

「見てるこっちも、なんか……じっとしちゃう」


たしかにそうだった。

今朝のここには、自然と声を小さくさせるような静けさがある。

誰かが“大きなことが起きるかもしれない”と叫んでいるわけではない。

でも、何となく、あまり騒がずに見ていたい気配がある。


シオンはハルの方を見て、小さく言った。


「……まつ」

ハルが目を上げる。

「いま、“待つ”って?」

リナライが嬉しそうに頷く。

「……うん。まつ」

シオンは“くる白”を見たまま、もう一度言う。

「……まつ」


リオナはその言葉を胸の中で静かに受け止めた。

ひらく。

まだ。

そして、待つ。

その三つがつながったのだ。


「うん」

彼はやわらかく言う。

「今日は、待つ日かもしれないね」


ノルが来たのは、その少しあとだった。

彼はいつものように門の前でしゃがみ込むと、開口一番こう言った。


「まだひらいてない!」

「そうだね」

リオナが苦笑する。

「でも、悔しそうに言うなよ」

「悔しいだろ」

ノルは真顔だった。

「ここまできたら、ちょっと見たいし」

その気持ちはよくわかった。


ノルは“くる白”をじっと見つめる。

「でも、今日じゅうにひらかなくても、なんか許せる」

「許せる?」

リナライが聞く。

「うん」

ノルは少し考えてから言った。

「ここまで来たのが見えたから」

その言葉に、リオナは静かに頷く。


咲くかどうかだけではない。

そこへ向かっているのが見えるだけで、人は少し安心できる。

そういうことも、ここで何度も見てきた気がした。


シオンはノルを見て、かすかに言う。


「……くる」

「うん」

ノルがすぐ頷く。

「来てる。まだだけど、来てる」

その返しは、まるでシオンと一緒に待つことを引き受けるみたいだった。


昼前、ミレナが来た頃には、陽の光が少し強くなっていた。

“いる白”はその光をやわらかく受けている。

一方、“くる白”は昨日より確かに明るく、白の内側が見つけやすくなっている。


ミレナはしばらく見つめたあと、小さく笑った。


「今日は、息を止めたくなる白ですね」

「息を止めたくなる?」

リオナが聞く。

「ええ。大きな音を立てたら、びっくりして閉じちゃいそうな気がして」

その言い方に、リナライがすぐ頷く。

「……それ」

「わかる?」

「……うん。しずかに、みたい」

リオナも苦笑しながら頷く。

「たしかに、今日はそういう空気あるな」


シオンはその“しずかに”という空気ごと、受け取っているようだった。

灯りの揺れが、朝よりも少しだけ細い。

落ち着いているというより、集中しているみたいな静かさだ。


「……しずか」

ぽつりとシオンが言う。

「うん」

ミレナがやさしく返す。

「今日は静かな日」

「……まつ」

「うん。待つ日」


そのやり取りの中で、庭の空気はますます穏やかになっていく。

人が来ても、大きな声は出ない。

足音も、いつもよりやわらかい。

誰も決めたわけではないのに、皆が同じように“今日はそういう日だ”とわかっているみたいだった。


昼すぎにはリツカが来た。

門の前で“くる白”を見つけると、胸の前で手をそっと握る。


「……近い」

それは自分に言うみたいな、小さな声だった。

「うん」

リオナが答える。

「すごく近い」

「……でも、まだ」

「うん。まだ」

リツカはその言葉に、ゆっくり頷いた。


「この“まだ”は……嫌じゃないです」

その言い方が印象的だった。

「前の“まだ”は、遠い感じがしてたけど、今の“まだ”は……もう来るのが見えてるから」

リオナは静かに息をつく。

やはり、この場所で待つことは、ただ不安を抱えることとは少し違うのだ。

近づいてくるものが見えるから、待つことにも温度がある。


シオンはリツカを見る。

次に“くる白”を見る。


「……りつか」

「うん」

「……まだ」

リツカは少しだけ目を潤ませて、それでも微笑んだ。

「うん。まだ。でも、近いね」

その返しは、とても自然だった。


午後、エマが立ち寄った時には、“くる白”の先端はさらにわずかにゆるんで見えた。

彼女はいつものように輪郭を見つめ、低く言う。


「今日は、ほどけ目じゃなくて、ほどけ音がしそうです」

「ほどけ音?」

リナライが目を瞬かせる。

「実際に音がするわけじゃないんですけど」

エマは少し照れながら言う。

「見てると、すうっと開く気配が聞こえそうで」

その見え方は、まさに今日のここにぴったりだった。

静かなのに、何かが進んでいる。

その小さな息づかいを、皆がそれぞれ別の言葉で拾っている。


夕方近く、老婦人が通りかかった時には、今日の空気をひと目で察したらしく、門の前で立ち止まってすぐに笑った。


「今日は、みんな声が小さいねえ」

「そうかもしれない」

リオナが笑う。

「なんとなく、そういう日で」

老婦人は“くる白”を見て頷いた。

「そりゃあね。こういう日は、花の方が主役だから」


その言葉に、リオナも、リナライも、少し笑う。

たしかにそうだ。

今日は何かを届ける日というより、白が自分の時間で外を向くのを待つ日なのだろう。


夕方の水をやるころになっても、“くる白”はまだひらかなかった。

けれど、その先端は朝よりたしかに開いて見える。

何も起きなかったわけじゃない。

小さく、小さく、でも確実に今日の分だけ進んでいる。


リナライはその前にしゃがみ込み、静かに言った。


「……まだ、だけど」

「うん」

リオナが答える。

「……ちゃんと、ちかづいた」

「そうだね」

「……それで、いい」

その言葉に、シオンの灯りがやわらかく揺れる。


「……まつ」

少し間があく。

「……ちかい」

そして最後に、

「……ひらく」

その言葉は、確信というより、信じる声に聞こえた。


リオナは、夕暮れの中で二つの白を見つめる。

すでに咲いて、静かに在る白。

まだひらかないまま、でも確かに外へ向かっている白。


そのあいだにある時間は、決して空白ではなかった。

待たれて、見つめられて、小さな言葉を重ねられながら、ちゃんと今日の分だけ進んでいる。


「うん」

リオナは小さく言った。

「明日かもしれないし、もう少し先かもしれない」

「……でも、来るね」

リナライが言う。

「うん」

「来るよ」


夕暮れの庭には、今日もひらかなかった白の静かな息づかいが残っていた。

そしてそれは、不思議と物足りなさではなく、明日を少しだけ楽しみにする気持ちへと変わっていくのだった。

今回は、“くる白”がひらく直前まで近づく回でした。

まだ咲いてはいない。けれど、もう昨日までとは明らかに違う。

その“ひらく手前”の時間を、皆が声をひそめるように見守っていたのが印象的でした。


ハルの「待つ日」、ノルの「ここまで来たのが見えたから」、ミレナの「息を止めたくなる白」、リツカの「この“まだ”は嫌じゃない」、エマの「ほどけ音がしそう」。

どれも、ひらいていない今をそのまま受け取ろうとする言葉で、この庭らしいやさしさがよく表れていたと思います。


また、シオンは「まだ」「まつ」「ちかい」「ひらく」と、待つことの中にある前向きな感覚へさらに触れ始めました。

ただ先延ばしにされる“まだ”ではなく、ちゃんと近づいている“まだ”。

その違いを感じ取れるようになったことは、大きな変化かもしれません。

次は、この“くる白”が本当にひらく朝がやって来るのでしょうか。

それとも、もう一日だけこの静かな息づかいの中で待つことになるのでしょうか。

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