第四十三話 「動き」
暗い、鬱屈とした牢の中。その広さを感じさせない窮屈さ。大量の倭人が現状を理解出来ず、喚いたり、叫んだりしてる。
レンはその光景をぼんやりと眺めていた。
すると、一人の老人がレンに話しかけてきた。
「兄ちゃん…シャントンの管轄者だよな」
「あ?んー、まぁそうだね。僕を知ってるって事は、シャントンの人かな?」
「まぁね…。ところで、あの女の子は元気か?」
「女の子?」
そう聞き返すと、老人は『白い髪を一つ結びにした女の子だよ』と付け加えてくれた。
そう聞いて合点が入った。
だがレンは言葉を濁す。
「さて、どうだろうね…。なんせ僕はあの子達を迷宮に送ってから此処に連れてこられたからね」
「迷宮か…。だから金札なんて大層な物を持っていたんだな」
「おっ、って事は攻略に成功したのか。やるじゃないか…ふふ」
自分の育てた二人だ。そんな二人が迷宮を攻略した、ってなると気分も弾む。
そんな時に、重い扉が開く音が聞こえた。
シン…と今までのうるささが嘘の様に消える。
弾んだ気分が一気に叩き落とされる。
「おはよう諸君。静かで何よりだ」
低い声音。それを発したのは此処にいる者達が見慣れた装束を身に纏った男であった。
先に掛けて蒼く染まった黒髪、蛇の様に鋭い目。
倭国に少なからず居た人物であればその男が誰なのか直ぐに分かる。
「糸御景利…。追放されたって話だったけどこっちで相当偉くなったようだね」
「折り紙を使う術式を組み立てたっていう天才か。あの国じゃ相性が悪かったもんな」
「まぁ、今は彼の話を聞いてあげよう」
糸御景利の話は簡単にまとめれば、捕らえられた倭人の処遇についてだった。
どうやら、役職、身分問わず強制退去されるそうだ。てっきり、銃殺だのなんだの理不尽な殺され方をされるのだと思っていたのだが、優しい方だった。
だが、一部の人間がそれを否定した。
「退去しろだと!?ふざけるな!何のためにこっちに渡ってきたと思ってる!?」
「そうだ!渡航費だって馬鹿にならねえんだぞ!」
「あっちは稼ぎにくいから妻と子供を置いてこっちで働いてたっていうのにそれは理不尽にも程がある!」
至極真っ当。出稼ぎに来てるのに帰れというのはあまりにも酷い。帰って死ねと言っているようなものである。
こうなるのは当然だ。
だが、やはりというべきか。こういう状況はあまりにもよろしくない。
あっちに分がある状況でそういうのは、よくない。
ビッ、という音が鳴った。
薄暗い天井に黒いシミのような物が飛び散った。声がしていた周りの人間が喚き出す。
「黙れ、国の金を貪る愚か者どもめ」
紙の剣だ。無数の剣が浮いている。
あれを使ってさっきの人々を殺したのか。
「折り紙を操る術っていうのも、嘘ではないようだね…」
「死体は其方でどうにかしておけ」
そう言って糸御景利は消えていった。
場が完全に響めき、半ばパニック状態になっている。
そこでレンは立ち上がった。
「よいしょっと」
「どうした?」
「ん、ちょっとね」
徐に壁の方へと歩き、一二度軽く小突く。
分厚い石造りの壁のようで響く感触は無い。そのまま、ほんの少し離れて、見知った構えを取る。
『八方の極遠にまで達する威力で門を打ち破る』そう言った理念から生まれた八極拳。
彼はそれを心得ているのだ。
石の壁なら容易い。壊せる。
レンが動いた。
「……っっ!!!ハァッッ!!!!」
強い踏み込みから放たれる、全ての威力が乗った肘が壁にぶつかる。
彼を中心に瞬く間に亀裂が走り、爆音と共に岩の瓦礫が飛び散った。
真黒の空にぼやぼやと見える様々な色彩の光が今この瞬間に役目を終えた牢の中を照らす。
久しぶりに岩を割った為に痺れる右手を見て、少し衰えている事を悟った。
後ろを振り返ると、皆が皆、唖然としている。その光景に、ついつい笑みが溢れる。
「さぁ、倭人としての意地を見せつけてやろうか!」
そう言って、レンは誰よりも先に黒い空に飛び込んだ。
この機会を待っていたのだ。
上の存在、つまりは倭人を排斥しようと目論む人間の特定。または相手の戦力。それが明らかになるのをひたすら待っていた。
そして、今日明らかになった。
ならばもう此処に用はない。
地面に着地し、辺りを見渡して、頬が緩む。
彼の視界を覆うは無数の摩天楼が建ち並ぶ『都市迷宮』なる、地下世界。
「成る程な…!まるで迷宮じゃないか…腕が鳴るねえ、ハハッ!!」
壁を割った事で鳴り響くサイレンの音。
レンは、光すらも届かぬ建物の影へと消えていった。
─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─
草原を歩く事、5日。
花香岳を通るという話だったが、またあの霧の中を歩くのは二人とも嫌だったので、迂回して行く事にした。
リーには、体の至る所に包帯が巻かれていて、黒い痣も首や、太もも辺りまで侵食が拡がっている。
「ふぅ。少し休憩しましょう」
「そうだな」
そう言って、小さな小岩に二人で腰掛けて、一息付いた。
廉迂も痣の事を気にするのをやめた。
リーが決めた事だから、容赦無く鍛錬で傷を作らせる。遠慮が無くなったからむしろ効果的だ。シエンや干将が怒るのが手にとる様に分かるがそれはリーから説明してくれるだろう。
なんて考えていると、リーが四つん這いでのそっと歩き、近くの水面を覗いては、気難しく唸っていた。
「それにしても…顔にまで拡がりそうですね、痣」
「そうだな、鍛錬で容赦なくするのは辞めるか?」
「いえいえ、私が決めたことですから」
「とはいっても、黒い痣が顔まで拡がるっていうのは女としてあまり良くないんじゃないか?」
そう言うと、リーは露骨に嫌そうな顔をした。
「私は別に良いんですよ…。私は外見より内面を見てほしい人間なんです」
「内面なんか二の次だよ」
「黙ってください。あくまで私の理想です」
「ふん…いつまでそんな理想を抱いてられるかね?」
ただ、完全に気にしていない訳では無いのだ。こうやって悪態を吐いてやればもう少し自分を大事にしてくれるだろう、と思っているのだがその様子がない。この作戦はやめたほうがいいだろうと、廉迂は溜息を吐いた。
「しかし、この女の頑固さはどうにかならんのかね……」
「何ですか?」
「なんでもない」
ぼそりと呟いたものの、話が拗れそうになりそうだからやめておいた。
廉迂はため息を吐きながら、立ち上がり、再び草原を進み出した。
「あっ、ちょっと!」
「さっさと行くぞ、早めに帰った方がいいんだ」
地上と地下。その両方で、確かな物が少しだけ動き出した。




