第四十四話 「シエンの容体と都市迷宮の深奥」
シエンの容体はひどい物だった。
数々の刃鱗が身体中に突き刺さり、腕や胴には大きな紫色の痣が作られていた。
しかし李書文の攻撃を受けてなお、その鼓動は生きており、現に今でも僅かにだが呼吸音が聞こえて来る。
「治療のしようがないな…これじゃ」
「そうだな…」
シュウとルイでは手に負える物ではなかった。一先ずルイが持っていた鎮痛剤を飲ませてこうしてはいるものの、このままでは傷口が膿んで化膿してしまう。
と、思っている最中、シエンの目が唐突に開かれた。
「え!?目が覚めた!?」
「こんな傷でなんでだよ!?」
シエンは体を起こし、折れた腕を上げようとして、小さく呻いた。
閉じた瞳を苦痛のせいか開く事が出来ず、一呼吸入れて、何かに気づいて、小さく呟いた。
「おい…」
「ど、どうした?」
「シュウとルイは居るな……?なら俺の身体を触ってくれ」
「?……分かった」
二人が刃が飛び出た肩に触れて、それで漸く、彼はこくりと頷いた。
何かを納得し、口を開く。
「一方的な話になるが、もしさっき喋っていたのなら、すまない。よく聞こえなかった。鼓膜が破れているだけなら良いのだが……」
それを聞いてルイは絶句した。
もとより視覚が欠落しているシエンは、その欠陥を補填するため常人よりも聴覚が発達した。
だが、李書文との戦いで、その聴覚を失ってしまった。
思えば、先程シエンが気を失う前の会話は会話として成立しているかと言われれば怪しい物があった。
「鼓膜が破れているのなら回復はするだろうが……それでも暫くは意思疎通は無理だろうな…。あぁ、だが傷は大丈夫だ。それほど致命傷でもない」
そう言って彼は再び横になった。
よくよく見てみれば先ほどまで逆立ち、突き刺さっていた鱗が、倒れて普通の鱗に戻っていた。それでも皮膚が鱗に覆われている光景は異様ではあるが。
とは言っても骨折などはどうにかできる物でも無いはずなので、それらの処置は終わらせておいた。その後に
「致命傷じゃないわけないだろ、馬鹿が」
ルイはそう言って、部屋を後にした。
当然、シエンには届いていない。
扉を閉めて、懐にしまっていた鎮痛剤を乱雑に出し、口に放り込む。
それを水も無しに喉に無理やり流し込み、思わず咳き込んだ。
「げほっ!げほっ!………っ駄目だな、思い出したくもない」
あの時、シエンに言われて自分が女である事を認めようと、少しだけ思った。
だけれど、どうしても、どうしても。
『あの日常』がノイズの様に現れる。
その度に身体中に激痛が走って、どうしようもない。
「やっぱり俺は、あっちには戻れない」
既に壊れた身体で、どうして戻ろうというのか。
ため息を一つ、ルイは、自室へと戻っていった。
─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─
闇を走る事、体感で1時間程度。
追っ手が来ていない事を耳で確認し、その場に少し止まることにした。
「ふぅー……。さて、とこっからどうするか」
地上に出るアテがない上に迷宮と同義のこの都市でなんの計画も無しに走るのは悪手。
その内、追っ手と正面衝突もあり得るだろう。
「一先ず、もう少し走ってみる……っと」
走ってきた方向から足音が近づいて来る。
段々と息遣いも近くなり、余程疲労困憊しているような気がする。
「はぁ……はぁ……あいつ確かこっち行ったよな……でもこっちじゃ何も見えねえし…」
「…………俺を追ってきたの?よく追いついたね」
「おっ、そこに居るのか…!良かったぁ」
安堵する様に息を吐く、男。
とはいえ姿は見えないから、まだ信用が出来る訳ではないが。
レンは壁にもたれるのを辞めて、その男が居るであろう場所に言う。
「明るい場所を目指そうか、話はそれからだ」
「えっ……ちょっと待ってくれ!」
「ただでさえ俺たちは追われてる身だ、一点に留まるのは不味い」
そう言い残し、レンは走り出す。
その後ろから「くそおおおおおおおお!」って言いながら遅れて足音が聞こえ出した。
暗い中を走っているので次第に慣れて視界が明るくなって来る。
そして、同時に走っている方向から熱風や何かが焼ける匂いが漂ってきた。
「っ!!」
次第に近づく光。
速度を上げ、その光に突っ込むと、開けた空間に出た。その瞬間に身体全身に熱風が襲い、思わず顔を覆う。
覆っていた腕を離すと、そこは────。
都市迷宮から剥がれ落ちた藻屑が至る終着点と言える場所だった。
「成る程、焼却炉か」
「んはぁ…!やっと追いつい……ぁあっっつ!!」
明るい場所に出たので、その男の正体が明るみに出る。
茶髪の少年だった。年齢で言えばシエンやリーと同じくらいだろうか。
「うん、君、何か運動でもしてたのかい?」
「え……?んー、強いて言うなら配達人かな……あちこちを走り回ってた」
「なるほどね、見た感じ敵って訳じゃなさそうだし、お互い自己紹介をしとこうか。どうする?本名を聞きたい?」
「正直どっちでも良いかな……。あぁ、俺は志柄。志柄葵って言うんだ」
「志柄、ね。俺は鐘業。鐘業蓮」
そう名乗ると、志柄は何かを思い出したかの様に恐る恐る聞いてきた。
「鐘業って…あの突然廃業して消えていった鉱山の」
「そうだよ。俺はその仇を返す為に、この国に来たんだ」
志柄は彼を見て少し後退りした。
彼の顔に影が差し、何処か凄みがあったからだろうか。
それは置いといて、と話の骨を折り、レンは続ける。
「此処は少々熱いが拠点としては十分だ。焼却炉ということは、此処に奴らが来ることは無いからね」
「まぁ、たしかに……」
「そして、流れていないガラクタも結構ある。例えばそこに机があるだろう?」
レンが指さした所を見てみると確かに黒ずんではいるものの机があった。
「ある程度なら、此処で凌げるね」
「そうだな、よしっ!」
物資面と人数においては十分。
レンの計画は始まったばかりである。




