第四十二話 「行こう」
気が付くと、リーは白黒の世界に一人で立っていた。空は白く、黒い雲が漂っている。そして、奥に見えるのは海だろうか、黒い池の様な物が見える。
きょろきょろと目を巡らせていると、後ろからひさしぶりに聞いた声音が聞こえて来た。
「こんにちは。こちらに来るのは初めてですよね」
「は、はい…えっと、ここは?」
貘耶。リーの命の危機に反応して表に出てくる頼れはするが厄介な人物だ。
「貴方の心の中。と言えば分かってもらえますか?」
「こんなに白と黒色に染まった世界がですか?」
「まぁ…それは私が悪いんですけど」
「え?」
貘耶はゆっくりと話し始めた。
狼、もとい廉迂遥が何故あそこまでリーの身体の保身を気にするのか。
自分の身に現れ始めた黒い痣はなんなのか。
それら全て。
「まぁ、なんとなく察しがついてると思いますが、貴方に発現している黒い痣は私です」
「えぇ…でしょうね」
「私はどうやら気に入った身体を奪おうとしてしまう性分らしく…その内、貴方を貰ってしまうかもしれません」
「……はい?」
痣は傷を修復したり、貘耶に成り代わる際に、代償として現れる。それは消える事なく残り続け、じきに完全に黒に染まりきり乗っ取られる。簡単にまとめればこんな物だった。リーはそれに対して取り乱しながら、大きく声を張り上げた。
「なんで?なんで、それを言ってくれなかったんですか!?それを知ってれば私だって安易に貴方に変わろうなんてしなかったですよ!」
「知れば貴方は段々死へと近づいていく恐怖で動けなくなるでしょう?この場面で、それだけは避けたかったんです…大変申し訳ありません。ですが、どうか私の気持ちも汲み取ってくれませんか。あの場で成り代わっていなければ数で押し切られていた」
「…………そうですね。貘耶さんでもセンリさんの危機察知が無ければ無傷であそこを切り抜ける事が出来なかった所を見ると、私では到底及びませんでした。………それで、この先、また私から奪うんですか?」
「………命に危機が訪れれば。たとえ母体を奪うことになろうとも」
彼女は申し訳無さそうにそう言った。
保身の権化。
自身の命が尽きそうになるなら宿主の体さえ奪い取るか。
リーはため息を一つ。最後にこう言った。
「私は奪われる前に身体を蝕まれようとも、貴方を引き剥がします。貴方の好きにはさせません」
そこで彼女の意識は完全に覚醒した。
身を起こすと、廉迂がリーの足元近くに腰掛け、眠っていた。
窓から漏れる月明かりで、既にもう夜中である事を理解した。奥から廉迂とは違う別の寝息が聞こえて来ていた為、センリももう眠っているだろう。
リーは自分の手のひらを見る。
だが、直ぐに視線はその下へと移る。
白い袖から少し見える手首の黒い痣。たしかに前まで無かった痣だ。
着実に貘耶に侵食されていっている。
それを明確に理解し、リーは歯を食い縛り、右手で左手首を強く握った。
「………貘耶さんの好きにはさせない!私は、私だけなんだから!」
小さくそう叫んだつもりだったが、廉迂がそれで目覚めてしまった。
うめく様な声でリーがハッとした後直ぐに自分の手を裏に引っ込めた。
「リー。起きたか。調子はどうだ…?」
「え、大丈夫です。あの、すいません。起こしてしまいましたね」
「良い。それよりも…さっき腕を抑えていたが………っ!もしかして痣が…!」
「大丈夫です!心配しないでください。大丈夫ですから」
「そうか…」
廉迂は安心した様に目を細めた。
リーは不思議で堪らなかった。何故他人である自分をこうまで親身になって見てくれるのか。
「なんで私をそうまでして気に掛けてくれるんですか?」
「シエンからの指示だからだ。傷を付けるなとな。大事にされてるな…少々過剰だが」
「全くですね、ははは…。ですが、構いませんよ。私は受けるべき傷なら幾らでも受けます」
「リー?」
月光に照らされるリーの顔には何処か決意の様な物が見て取れた。
どうやら、自分の身の異変を知ったようだ。
廉迂はただ一言こう言った。
「死ぬなよ」
「分かってますよ」
「そうか…明日にでも歩きで戻る。大丈夫か?」
「はい」
短い会話で終わる。二人の間に御託は必要無い。二人はまた静かに眠りへとついた。
───翌朝。
センリが作ってくれた簡単な朝食を済ませ、二人は玄関へと立った。
センリはさっぱりとした表情をして、
「行くの?」
と一言声を掛けた。
二人は頷く。それを見て、センリは「そっか…」とどこか寂しそうに言った。
そんな様子のセンリを見てリーがムッとして
「なんで寂しそうなんですか?」
と聞いた。
そう聞くと、センリは後ろを向いて、手を振った。深入りするなと言いたいようだ。
「また何処かで会った時には、全てが終わってるといいわね…」
「私は会いたくありませんけどね」
ぴしゃりとリーが言い放ち、そこで別れた。
街の大通りに出る途中廉迂は流石に嫌いだとはいえ母親相手にあの態度は無いだろうと思ったが、言わなかった。
それよりも……彼は彼女のその異常なまでの体力回復速度が気になった。
陰剣侵食にそのような効力があるとするなら、恐らく見てないところまで貘耶の手が進んでいるという事だ。
「私は…」
なんて事を思っているとリーが口を開いた。
「貘耶さんに奪われそうになろうとも前に出ます。この黒い痣の所為で貴方が保守的になっているというのならやめてください。私の事は私がやりますから」
「………お前、何を見た」
「貘耶さんの世界ですよ。そこで痣の事も聞きました」
「お前がしようとしている事は死にに行くようなものだ。それでもいいのか?」
「当然です。私は私ですからね…奪われずに死ぬのであれば本望です」
「そうか…」
全てを理解したリーはさっぱりとしていた。
彼女はこう言っているが、シエンはどう言うだろうか。彼は死ぬ気で止めるだろうか。
止めるだろうなぁ。
廉迂は口角が吊り上がった。
「面白いな…。面食らう兄貴を観れるだろうなぁ」
「まぁ、でしょうね。でも守られてばっかりって結構癪なんですよね。結局貘耶さんは出てきちゃいますし」
「そうだな。じゃあ、道すがらでも少し打ち合おう。勿論真剣でだ」
「良いですね」
そんな会話をしながら大通りを歩く二人。
どうせこの帰路が最後の練習場になるのだ。
少しばかり無理しても文句は言われないだろう。




