第三十八話「耐久戦」
狼は突然走りだしたリーの腕を掴もうとしたが、間に合わなかった。
そのまま彼女は人ごみの中へと紛れ、あっという間にその姿をくらましてしまった。
狼は人ごみの中で憔悴し、大きな舌打ちをした。
「あの野郎ッ!!このまだ何もわかってない街で単独行動をすることがどういう事か分からねぇのか!?」
そう言って、あてもなく走り出す。
どうにかして探し出し、身柄を確保しないと、もしなにかあったら彼女の黒い傷を広げることになる。
それだけは避けなければならない。絶対だ。
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細い路地を走り、ようやく、ようやく、白髪の女性に追いついた。
リーが彼女の細い腕を掴むと、ゆっくりと振り返り、リーの顔を見て唖然とした。
そして、なんで、と漏らし眉間を寄せる。
「お母様、リーです!分かりますよね」
「えぇ………でもなんで?どうしてここに……」
「それは…」
「!!」
急に頭を抑えられ、その場に這いつくばさせられる。
その刹那、光線が一つ、元々リーが立っていた位置に奔る。
ピチュッ!という音と共に石畳を穿ち、煙を上げるそれは、大きめの鉛色の弾丸だった。
「リー、良い?今から、私に付いてきて。なるべく壁に沿いながらね。絶対に道の中央を歩かないように」
「……分かりました」
そうして、そこからはなるべく迅速かつ慎重に進むことになった。最初の一発以降、射線を切ったからか撃ってこなくなったが、警戒を解くことは出来ない。
恐らく、この周り一帯は包囲されている。
顔を出せば瞬殺される。
それからしばらく影に身を潜めつつ、走っていると、十字路の交差する道の奥、視界の端で一人の人影を捉えた。
その陰はリー達を捉えると、居合の構えを取った。
リーの母親が咄嗟に叫ぶ。
「ゼレンさんの風斬り居合……!リー、屈んで!!」
「……!」
その叫びに反応し、屈むと丁度その上を暴風が通り過ぎ、後ろの建物を次々と斬り崩していった。
ゼレンと言われた人影が太陽によって姿を現す。
鋭い双眸、皺が刻まれ、老練の軍人たる雰囲気を醸し出す、如何にも猛者と言える男が倭刀を地面に突き刺して立っていた。
そして、リーではなく、リーの母親の方を見て、不機嫌そうに舌を鳴らし、低い声でこう言った。
「センリ、何故その小娘を庇う。シュウエンから見つけ次第殺せと言われていた筈だが?」
「そうでしたね…ですがご生憎様。この子は私の愛娘ですから、その命令には従えません」
「……」
大きなため息を吐いたゼレンは、突き刺した剣を抜き、こちらに向ける双眸を一層険しくして、
「女であるお前を前哨部隊に入れた時からあまりよくは思わなかったが………私の予感は当たっていたようだ。今ここで、母娘ごと葬ってやろう」
「…逃げるよ、リー!」
「はい!!」
ゼレンが己の刀を構えた時に、転がる様に走った。
彼の剣捌きは風斬りと言われており、斬撃によって起こる衝撃波を空気中に飛ばす事が出来る。
そういう事で事実上の剣での遠距離攻撃を可能とし、遮蔽物が無ければそのまま殺される。
ただし、一直線にしか飛ばない上、範囲も狭い為避ける事は容易である、とセンリは説明してくれた。
後ろを見ると、跳ぶように此方へと向かってくるゼレンの姿が見える。
「基本的にあの人は、無駄に建物を破壊したりするのは好まないから、確実に当てれると思える対角線上か、直線上に立たないと使ってこない。だから建物で視線を切りながら逃げれば喰らう事はない」
「なるほど…」
「でも、…っ!跳ぶよ!」
センリに言われて、その場で跳躍する。すると、足元を暴風が通り抜けていき、奥の建物が吹き飛んだ。
「よし…もうちょっとだから!」
「あの、お母様はなんで彼等の力を知ってるんですか?」
「え、あぁ…あとで言うよ。今はゼレンさんから逃げ切る事に集中して!」
「はい!」
T字路を左に曲がり、さらに複雑な道を進み、どんどん距離をあける。建物へと入った時にはゼレンの姿は見えなくなり、しばらくしても追って来なくなった。
逃げきった。
「ふぅ…。まさか欺けるとは」
「……汗だくです」
「よく頑張ったね…もう安心だよ」
センリはその場の壁によりかかる。
見てみれば、飾り気の全くない白の無地の服を着ていて、リーの記憶していた時の装いとは遠く離れていた。
「ところで、なんでリーが軍服なんて着てるの?」
「あぁ、これですか?私が私だってバレない為です。あと、人を救出するために軍に侵入するからです」
「ふーん…何処で手に入れたの?」
「…………殺しました」
「……………そう、だから腰に倭刀が携えられてるのね」
センリはどこか残念そうな顔をした。
それはそうだ。自分の娘が、手を汚してしまったんだから。暫く、彼女は頭を掻いたり、溜息を吐いたりしていたが、そうだ、と言って話を切り替えた。
「さっきの質問、言ってなかった」
「あ、そうですね。なんでなんですか?」
「さっきのゼレンさんも言ってたけど、前哨部隊に入ったの。だからあの人の戦い方も目の前で見てきたし、覚えちゃった」
「成る程、私達が死にそうになってた時、貴方は此処で軍人として暮らしてたんですね」
リーがそう言うと、センリが目を逸らして、申し訳無さそうに言った。
「本当に、申し訳ないと思ってるわ……。ここにきてから、失明したシエンとまだ育ってないリーを置いていった事をとても後悔したわ。でも、こうしてまた会えて、本当によかった」
「後悔しただけですか…。何か仕送りをしてくれたって良かったじゃないですか」
「それも考えたけど……」
そこで、建物の壁が吹き飛んだ。
瓦礫が飛び散り、砂埃が二人の顔に激しく当たってくる。
砂埃が舞い、塞いでいた目を少しだけ開けると、砂埃の中に数人の人影が見えた。
「全く……面倒な事をしてくれる。探し出すのに少しばかり時間が掛かったではないか」
「……ゼレンさん。諦めが悪いですね」
「言ったはずだ。お前達は二人もろとも殺すと」
逃げ道は塞がれた。どうにかして、彼の包囲を掻い潜らないと逃げられない。
リーとセンリは、意を決して腰の剣を抜いた。
「やる気か?」
「えぇ、どうせ逃げ道もありませんしね」
「ふむ…。だが、急いでいるんでな、速攻で終わらせる」
勝機はほぼ無い。リーは、この戦いに勝ちの目は無いと思った。しかし、生き延びれる一筋の希望はある。
センリを追ってからはぐれてしまった狼。彼が此処に来てくれたなら、きっと助かる。
どうにかして彼を呼び込まなければならない。
それまで、耐久しなければ。




