仕方がないな
マルセルには5歳の息子がいる。
王子時代、今は亡き王子妃との間に産まれたアシュレイは、産後間も無く儚くなった娘の忘れ形見として、祖父母に愛されて育った。
第二王子だったマルセルは、侯爵家に婿入りした身だったのだ。まだ爵位は譲られてはいなかったが、領主代行として忙しなくしていた。
侯爵邸では尊重されてはいたが何と無く肩身も狭く、自然と家族の輪とは疎遠になっていた。
王子として厳しく育てられたマルセル自身、両親と過ごした時間は少なかった。幼少期は乳母と侍女に世話を受け、教育係や侍従が増え、時々夏の休暇期に母方の田舎へ遊びに行って親類と交流する。両親とは短い茶会や夕食を共にする。
宴や夜会に出るようになれば顔を合わせる機会は増えたものの、そこに家族としての会話は無い。
つまり、親子というのはそういうものだと思っていた。
アシュレイの存在を忘れた事は無いが、しかしそれはそれとして、日々に忙殺されて気付けば時は過ぎた。
やがてマルセルに王位が巡って来た。
慌ただしく王都へ帰還したマルセルを追うようにして、アシュレイもまた王城へと居を移された。
――そして、今に至るのである。
数度顔を合わせた、お互いを親子だと認識した、元気かと調子を尋ねた。
マルセルはアシュレイの顔をまともに見る事も出来ず、落ち着きなく共に過ごしては率先して仕事に戻っていた。つまり、息子から逃げていたのである。
そんなマルセルを、関係上「父親」とは理解していても、アシュレイも時々やって来るおじさんくらいにしか思っていない。ただ言われるがままに「とーさま」と呼んでいる。
そんな二人の親子関係に、王城の使用人は密かにやきもきしていた。
尊き王家の親子である。私達とは違うのだろうけれど、と前置きながら、アシュレイの侍女達は嘆き合った。
何せ、アシュレイは愛くるしい幼子である。
肥満とは言わないが丸い顔にふくよかな身体。頬も手も、半ズボンから覗く膝小僧も、白くて柔らかそう。くりんとした大きな瞳に、頬にはいつも赤みが差していて、表情豊か。
会う人会う人に愛嬌を振り撒き、下働きにも挨拶をし、周囲の心を和ませる癒しの存在だ。
そんな幼子が、早くに母を失くし、慣れ親しんだ土地や祖父母と離され、父親とは疎遠。王城には他に子供もいない、大人ばかりに囲まれた生活。
それなのに何時も楽しそうに笑顔で日々を過ごすアシュレイの好感度は、高い。
そんなマルセル国王とアシュレイ王子が、食事や休憩を共にするようになった。
――何故か、勇者を囲んで。
「ね、ね、ゆうしゃさま、ご本! ご本、よんで!」
昼寝を終えて元気一杯のアシュレイが、今日も今日とてゴロ寝していた勇者の部屋を訪れて強請る。
ドラゴンを倒す勇者の絵本は、ここ最近のアシュレイのお気に入りだ。
「……」
魔王は無言で絵本を受け取る。断ったら暴れながら泣かれた経験を経ている。
アシュレイは魔王に抱き上げられてその膝の上に収まった。寝椅子によじ登ろうとして転びテーブルに頭を打ったり、背中に纏わりつかれたり、髪を踏まれたりを経験した結果である。
「昨日の続きだな?」
「うん!」
こほん、と咳払いを一つ。
魔王の口から、地を這うような野太い声が出る。
「『我が眠りを妨げるは、何者か』」
普段は耳障りの良いハスキーボイスで話す魔王のそれは、しゃがれておどろおどろしく響く。
「『悪しき邪竜よ、お前を倒しにやって来た!』」
続いて、清流の如く済んだ青年の声。
――魔王は、声色を使い分けて臨場感たっぷりに絵本を読む。泣き喚くアシュレイに嫌気を差して渋々承諾したはずなのに、最初からずっとサービス精神が旺盛だった。
「きゃあ」とアシュレイは楽し気に両手を叩く。
マルセルはそれを対面のソファで眺めている。
空気である。置物である。
「父」として何らかの要求をされても困るが、何でいるの? みたいな顔で見られると寂しい。
ケイロンがマルセルを見る視線は氷点下だった。
親に捨てられて孤児院で育ったケイロン。同じような子供達を長年見続け、親の役目を果たさない大人を心底軽蔑していた。
そんなケイロンはアシュレイとの初遭遇の際、完璧な対応を見せて勇者とマルセルの尊敬を攫って行った。脈絡の無い会話に相槌を打ち、話の主旨を言い当て、こちらの要求を伝え聞かせる、その手腕たるや。
勇者召喚の儀式からこっち、まさに八面六臂の活躍ぶりである。
それでもまあ、四人は奇妙な時間をおおむね平和に過ごしていた。
勇者はいつ、魔王を倒しに旅立つのだろう?
そんな空気が城下に漂っている事など露知らず、王城の人々にとって勇者のニート生活が日常になりつつあったある日。
魔王は日課である厨房訪問をする事にした。ポテチ製作の進捗の確認に行くのだ。
王子教育を終えて勇者の部屋でお絵描きをしていたアシュレイ(勇者の部屋に行く為に王子教育を大人しく受けるので、教育係は万々歳)は、のそりと起き上がった勇者を不思議そうに見た。
そのまま部屋を出て行く彼の後をとことこと付いて行く。
廊下に立っていた兵士(監視役)と小姓(雑用係)が、無言で更に後に続く。
何せこの勇者、部屋を一日二回しか出ないのだ。浴場と、厨房。何所に行くかは聞くまでも無かった。
ただ今日は、三人の間にアシュレイを挟んでいる。
成人男性の中でも足の長い魔王。兵士は大股で、小姓は早足で続く。
当然、アシュレイの短い足では距離はどんどんと広がった。
魔王の耳に、とことこ、とたとた、とたたたた、と不規則な足音が聞こえて来る。「ふう、はぁ、ふぅ」と言う、可愛らしい息継ぎも。
兵士と小姓と違って、その気配は鬱陶しかった。
一体何が目的でついて来るのだろう、と思う。思うのだが、何時も疑問を投げ掛けても頓珍漢な返答しか返るのみだ。最悪泣かれる。翻訳家のケイロンがいないと、話し掛けるのに躊躇してしまう。
しかしこのちんまいのの言動や行動は、見ていて面白いのだ。
メイド達は「尊い」だの「癒し」だの言っているが、それは魔王には良く分からない。
兎に角、面白い。だから側に置いている。
そんなアシュレイの様子を肩越しに覗ってみれば、短い足を必死に動かしている様子が珍妙だった。何故そんなに体が揺れるのか理解出来ない。骨まで柔軟性があるのだろうか。
転びそうで転ばない足運び。重心を持って行かれそうなぐらぐらな頭。
「ふぅ、はぁ、ふひゅっ、ひゃぁ、ふぃ、はぅ、ふぅ」と、息継ぎが度々変わる。
その背後の兵士と小姓は中腰で、いつアシュレイが転んでもいいように、と両手を前にして身構えている。その様子もまた可笑しい。
魔王は「仕方ないな。この調子ではいつまでも進まない」と誰にともなく心中で弁明して、振り返った。
そして、己の胸にアシュレイを抱え上げた。
突然視界が高くなったアシュレイは悲鳴を上げたものの、それはすぐに「きゃーあ!」と言う喜びの響きに変わる。
擦れ違う者の視線に居心地の悪い物を感じながら、魔王は厨房へ急ぐ。
そして、この日、ついにポテチに及第点が点いたのだった。




