ガキがなんでこんな所にいるんだ?
魔王はその日、ここ百年で一番驚いた、と思う。多分。
何時ものように惰眠を貪った魔王は、昼過ぎ、寝台からお気に入りの長椅子に移動した。目の前のテーブルには軽食の貢物が積まれ、部屋全体にもそれらが犇めいている。
今日は珍しく世話係の青年も、貢物の仕分けをしている小姓やメイドもいなかった。
深夜の襲撃者さえ、大した力を持っていなかった。だから、大分腑抜けていた。
水差しからグラスに水を注ぎ、テーブルの上の箱を物色する。今日はこれを食べよう、とその内の一つに狙いを定めて箱を開け――びくっと、大仰に肩を跳ねさせた。
「うおっ!」
何と無く流した視線の先に、ソレは居た。
山と積まれた箱の二段目、そこに腰掛けている人形。否、スピーと寝息が聞こえて来るので、生きている人間だろう。
小さい。丸い。白い顔に、幼いながらも整った目鼻口。口の端からは涎が垂れている。
「……」
仕立ての良い服。これにリボンでも掛けられていれば、貢物の一つだと勘違いしたかもしれない。いや、一瞬はした。本当に。
人食は二千年以上覚えがない。人肉は好きじゃないと伝えておいたと思ったが、王国の食事情はいよいよ人間を差し出す程切迫してしまったのだろうか。と、一瞬思った。
いや、でも。それにしたってである。
「……ガキがなんでこんな所にいるんだ?」
生贄に差し出されるのは、たいていが美人で若い女性と決まっている。それもどうかしているが、どう見たってこの頭身の短いちんまい生き物が、生贄の役割を果たせるとも思えない。
赤子は美味であると、好んでいた魔族が昔いたが信じられなかった。ただでさえ短い時間さえ生きない生き物の、生まれたばかりの存在である。悪魔の所業だ。
じろじろと観察していると、ちんちくりんの口がもごもごと動いて涎の雫が落ちて行った。
冗談はさておき、このちんちくりんは一体なんだろう。
この国では珍しくないのだろう、淡い金髪は項が長めで、マルセルと同じようにそれを後首で結っている。
年齢は――魔王には判断がつかなかった。赤子よりは大きい子供だとは分かるのだが、そこから成人に至るまでの細かい成長過程には縁が無いのだ。赤子、子供、大人、老人。それくらいの区分でしか人間を認識していない。
「……」
魔王は貢物の菓子に手を伸ばしながら、しかしすぐに答えに行き着いた。
どうでも良かった。
何か知らんが、人の部屋(厳密には魔王の部屋でもないが)で寝ているちっさいの。誰か来れば対処するだろう。
魔王の油断を誘った所で、何する力があるわけでも無し。
そう結論付けた魔王は、その存在を頭から追い出した。
寝椅子に転がり、最近はまっている文庫本を読み始める。巷で流行っている恋愛小説という物なのだが、メイドの一人がこのヒーローの騎士は絶対に勇者そっくりに違いない! と、なんと勇者本人に押し付けて来たのだ。彼自身をモデルにしたわけでは勿論無い。だが自分ソックリの見た目の主人公が出る本を嬉々として読む趣味は無かった。
だが、魔王にとって読書というのは未知の経験だった。
とりあえず開いてみて、そこからドはまりした。端的に言えば『沼』である。
今は新しいシリーズの、悪役令嬢とやらが出て来る断罪小説を読み耽っている。断罪されるまで待ってやる令嬢。無能なのか優しいのか。そして支離滅裂な事をのたまってる王子。風刺だろうか?
ゴトン
奇妙な音に、頁を捲る指が止まった。
「……」
なんか倒れたな、と思った矢先、「う……?」と自分でない声がする。
再び視線を部屋に流すと、予想通りにちんちくりんが椅子にしていた箱から落ちていた。何が起こったのか分からないと言う顔で、倒れたままの姿勢で寝惚け眼を擦っている。床は柔らかい毛足の絨毯だが、それでも良い音がした。痛みはある筈だ。
目が合う。子供は数度瞬いて、何やらうごうごと動き出した。手足をばたばたさせているが一向に起き上がれない。
短いからだろうか。力がないからだろうか。
面白いので暫く観察していると、貢物の箱を借りて起き上がる事に成功した。考える頭はあるらしかった。
床に足を投げ出して座り込み、魔王を見て――こてん、と首を傾げる。凄い勢いだった。その勢いのまま再び転がるのでは無いかと思われる程だった。
魔王も反射で同じように首を傾げてしまう。
奇妙な角度で見詰め合う二人。
ややあって。
「……ゆうしゃさま?」
澄んだ声が、そう言った。
このちっさいのとは、どうやら会話が成立するらしい。
「……そう呼ばれては、いるな」
思わず傾いだ首を元に戻す魔王とは対照的に、子供は斜めになったまま。もう一度「ゆうしゃさま」と呟いた後、両手を挙げて「ゆうしゃさま!」と叫んだ。
それから「うふふふ」と楽しそうに笑う。今度は両手で頬を包み、左右前後に身体を動かして――踊り出したのだろうか。
魔王は物理的に引いた。
立ち上った子供が魔王の元にとことこ歩いて来る。
魔王は、寝椅子から跳ね起きた。さっと立ち上がって、子供と距離を取るように寝椅子の背に回り込む。
一体何のつもりだろう。分からない。
魔王は威嚇するようにその身体に影を纏うが、その頃には子供の目は魔王には無かった。
テーブルの上の菓子に目を付けて、指を咥えて一秒。二秒後にはもう手が伸びていた。
バターたっぷりのクッキーを両手で掴み、むしゃむしゃと口に放り込んで行く。時々奇妙に揺れて「おいしいね~」と誰に言うでもなくうっとりと。
怖い。
今の今まで勇者である魔王に全意識を向けていたのに、今は全く目もくれない。
クッキーの欠片を口元に貼り付け、ぼろぼろとテーブルや床に落とす。魔王のグラスの水までごくりだ。
今日はあの紫水でなくて良かった。あれは猛獣すらイチコロの毒水だと聞いていた。間接的に人殺しになってしまう。それでは赤子を食らう鬼畜と変わりはしない。
ベランダ。部屋の入口。最悪天上。魔王は脱出ルートを確認する。
サラマンド王国はこの時、もしかしたら勇者召喚前に時間を戻す事が出来たかもしれなかった。
何時もの如くマルセルが部屋にやって来なかったのなら。
「おーい、勇者~!」
許可も無く入出したマルセルの目が、奇妙な体勢で固まる魔王を認識する。嫌いな虫でも出たのか? の疑問は一瞬。
「……息子~!!!?」
テーブルの菓子を爆食いする子供を見て、仰け反った。
「……息子?」
「え、あ、うん。え、何で? 息子? 息子だよ、な?」
動揺の仕方が尋常では無かった。
子供はまだ咀嚼の手を止めない。
その様子に既視感を感じながらも、そこを突き詰める余裕は今のマルセルには無い。
「お前、息子がいたのか」
対して魔王の方は、天の助けとばかりにマルセルの来訪を歓迎した。
良かった。未知との遭遇は魔王には向いていないらしい。
「えっと、その……ア、アシュレイ?」
マルセルは酷く緊張した面持ちであった。
父と息子の再会――何時間ぶり、あるいは何日振りかは分からないが――と言うには、温度が低い。
アシュレイと呼ばれた子供は、げふっとお行儀悪く喉を鳴らした。
「……とーさま?」
「う、うん! そうだよ、父様だ! 久し振りだな!」
マルセルの狼狽は、魔王にとりあえずで聖剣を抜かせた時よりひどかった。
足元はじりじりと後方に下がっている。
「その、あの、アシュレイ……いや、アッシュ!」
とても親子の対面とは思えない様子に、寝椅子の背凭れに掛かっていた魔王の指先に力が入る。
なんだかとっても、面白そうだぞ?
そして、魔王の予測は当たった。
「お前、いくつになったんだっけ!?」
親が子供の年齢を把握していない。そんな事もまあ、たまにはあるだろう。
子供は胸を張るようにして、片手を突き出す。五本指を開いた手の平はクッキーの欠片と涎ででろでろだったが。
「そうかそうか、大きくなったな~!!」
それだけ言ってマルセルは、脱兎の如く駆け去――りたかった。出来なかった。何時の間にか魔王が背後に居たから。




