苦労してんなぁ、お前
勇者を召喚してから、二週間が過ぎた。
二週間、である。
その間、勇者は何をしていたか? 何も、だ。
国王の部屋の窓と中庭は三日で修復された。
天気を見て、従僕や兵士、メイド等がなるべく窓を開け放つ事になった。ベランダにはお洒落な寝椅子とパラソルが用意された。
時々、ベランダに全裸の勇者が見られるようになった。何故か寝起きはベランダで仁王立ちしたくなるらしい。そんな時はどこからか歓声と拍手が聞こえて来るのだが、気の所為だろう。
勇者は兎に角寝る。睡眠は必要ないと言っていたが、寝るのは好きらしい。疲れた、眠い、と言う感覚はないが、寝ている時は魔力の吸収が早いとか何とか。
魔力。魔法を使う為の力で、これは空気の中に混じっているそうだ。息を強く吸い込めば肺に入る空気が多くなる。睡眠時の魔力の吸収はそういう感覚なのだそう。
と言う事は自分達にも魔法が使えるのか、とマルセル達は期待したが、人間の人体構造上無理らしい。
勇者の世界での魔族は個体差があるが、大体20~30年は魔法が使えず、子供が大人になるのと同じような変化を遂げて成体になると魔法が使えるようになる。人間にも同じ変化が起これば使えるかもなあ、と他人事のように言っていた。まあ実際他人事なのだが。
そんな勇者は、まあ寝る。兎に角寝る。寝たくなったら寝て、起きたい時に起きて、食事をする。決まった時間に食事を摂らないので調理に困る、とぼやきながらも料理番は嬉しそうだ。
何せ毎回、「美味い」「これが好きだ」「この味がいい」「お替りくれ」と喜ぶ事を言ってくれるのだから腕が鳴る。
ポテチ試作1号で死を意識した厨房長も、今ではすっかり立ち直っている。勇者はわざわざ厨房にやって来て、ポテチの作り方を直伝してくれたのだ。
と言っても料理人でない彼の説明はふわっとしていたが、『アゲル』と言うのがどういう工程かは分かった。未だにダメ出しが続いているが、試行錯誤は中々に楽しい。
揚げ物料理も考案中だ。マルセルも大いに喜んでいるが、ギルロイなど年嵩の面々は「胃が……」と腹を押さえ、女性陣は「肌荒れが……」と嘆いていたので、献立には調整が必要そうだった。
最初は恐々としていたメイドも、今では嬉々として勇者の部屋を掃除しに来る。勇者は一日中部屋にいるような状態なので、今では彼の睡眠中でもお構いなしに活動している。勇者の寝顔を盗み見る程度だったものが、勇者の枕元で肘を突いてうっとりしている強者までいる始末。
そんな時は世話係であるケイロンの出番である。
メイドたちは良く声にならない悲鳴を上げて失神する。壁に背を預けて白目を剥いている。鼻血を出して悶えている。胸を押さえて悶絶している。
部屋の隅で倒れている事もある。
死屍累々である。
勇者の顔面や色香にやられているらしい。成程、とケイロンは思う。思うが、仕事に支障をきたしている。
「あいつら大丈夫か?」と勇者も心配と言うか不審げだったが、勇者の魅力故だと説明すると納得した。前の世界の女達もそうだったらしい。
ケイロンにとっても、勇者の世話係は控え目に言って最高だった。
勇者は何もしない。多くを希望しない。我儘も癇癪もない。むしろケイロンの方が暇過ぎてメイドの領分に手を出してしまうくらいだった。
祈祷をしてもいいかと聞くと頷かれたので、ケイロンは持ち込んだご神体を前に祈りを捧げる時間を手に入れた。
最初は手の平サイズだったご神体が今では1メートルくらいになってるが、勇者は何も言わない。
まったく良い職場であった。
今日も今日とて魔王の睡眠中にケイロンが祈祷を行っていると、疲れた顔のマルセルが「勇者、起きてる~?」と入室して来た。
この二週間でこちらも随分砕けたものである。
マルセルは扉を開けた瞬間に転がっているメイドを何食わぬ顔で跨いでから、ソファの背に縋り付いて座る。
はー、やれやれ、と嘆息しながら襟元を緩めるマルセルの前に、すかさず紅茶のカップを差し出すケイロン。自分も対面に座って、紅茶を注ぐ。
こちらも慣れたものである。もはや勇者と三人、茶飲み友達のようなものなのだ。
ほどなくして茶葉の匂いに誘われたのか、奥からのぞりと魔王がやって来る。生憎の雨なので、ベランダで仁王立ちは諦めたらしい、下履きだけ履いていた。
くあ、と欠伸をかみ殺す魔王を羨まし気に見詰めるマルセルの目元にはくっきりと黒いくま。
「勇者さーあ! そろそろちょっと、魔王倒しに行って来てくんない?」
ちょっとそこのポテチ取ってよ、程度の軽いノリだ。聖剣抜く時も同じような感じだったな、とケイロンは遠い目をする。
「気が乗らん」
「そこをなんとか!」
「しつこい」
「いーじゃんよー。だって勇者、なんか絶対ここの世界の魔王より強いし」
「それとこれに何の関係がある」
「いや、だってせっかくさ? 縁あって勇者として召喚されたわけじゃん?」
「……」
「私だって王様やりたくないのにやってんだよ? でもさ、しょうがないじゃん? やりたくなくてもやらなきゃいけない事って、あるじゃん?」
「……」
ケイロンから見てもマルセルの交渉術はぐだぐだだった。そりゃあ重臣達に鼻で笑われるわけである。
一方で魔王は軽く目を見開いた。そんな時あるのか、と言う純粋な驚きが浮かんでいる。ケイロンには分かる。この魔王はとっても分かり易い。
「大体さー、うちの親父が無能だったお陰でじいさんらがのさばってて、私、もう毎日胃が痛いのなんのって。やれ若い者は分かってない、世界を知らない、現実を見ろ、政務のなんたるかって、何言ってもダメ出しの嵐。いや、私国王だよ?」
ケイロンは知りたくなかった。そんな世知辛い王様の事情なんて。
鹿狩りで落命した先王が無能だったのは有名な話。更にその前の戦好きの国王から王位を簒奪したものの、政務は臣下に任せきりで遊び暮らしていた。
それでも威厳はあった。豪華な衣装に身を包み、王杖を掲げ、尊大に言葉を紡げば、そこに居たのは確かに唯一無二の王だった。
臣下の手腕で国は回った。妻達の献身で後継は絶えなかった。
そして、半年前。父王の急逝で第二王子だったマルセルに玉座が降って来た。
いずれその時には血筋を理由にした兄王子と同じように、何らかの理由を付けて弟王子に継承権をぶん投げようと思っていたのに下の弟はまだ10歳。
流石にそこまで鬼にはなれなかった。
「母上も、引退しちゃうし。ちょっとくらい手伝ってくれたっていいじゃん、この脆弱な王を!」
「軍姫と呼ばれたご母堂か。会ってみたいものだな」
マルセルの生母の逸話を、魔王はことのほか気に入っていた。
軍閥貴族の娘であったマルセルの母は側室の一人だったが、自身も剣を持って戦う人で、他の妃たちとは異なる羨望と信頼を受けていた人だった。
苛烈にして豪胆。マルセルを生んだ後も、髪に白髪が混ざっても、先陣切って魔族を蹴散らしに馬を駆った。
ある時魔王軍で四天王の一角を張っていた牛魔族が、「弱虫王子、悔しかったらここまで出てこーい」と子供のような挑発をしていたことがある。王子時代のマルセルが、彼の相手に出陣していた。母親も、帯同していた。
消耗を避ける為、無駄な戦端は開かない、が当時の情勢だった。
牛魔族が叫んだ。「お前の母ちゃんでーべそ!」
母親は単騎で突撃し、見事牛魔族の首を討ち取った。後にも先にも、マルセルはあれ程滾った母を見た事が無い。
次の日、新しい四天王が立った。母親は剣を置いて、引退した。
その話を聞いて爆笑した魔王は、「会いに行ってもいいか?」と魔王討伐には重い腰を簡単に上げた。
「魔王を討伐した暁には」「それとこれは別」で話は流れはしたのだが。
魔王は亜空間魔法で出したポテチを一枚、マルセルの前に置いてやる。
「苦労してんなぁ、お前」
とりあえず言ってみただけだった。同情は欠片も無い。
そろそろポテチのストックが本当にやばい、と明後日の事を考えていた。
「そう思うならせめて! せめて次の夜会には出て下さい!!」
「……」
ソファの上で土下座している。土下座。人間世界では屈辱の極みだと聞いた事がある。
「………」
「お願いお願い!!」
「…………一回だけだぞ?」
貴族から勇者のお披露目をせっつかれてるのはケイロンも知っていた。魔王討伐の時期は? 仲間は? 準備は? 実力はいかほどか? パレードは? そんな質問が飛び交っているのも。
魔王討伐の諾は貰えなかったが、夜会で貴族を黙らせる計画は進んだ。
おや? 交渉は失敗していないのかもしれないな?
ケイロンは恥も外聞もなく額を擦り付けてるマルセルを、複雑な気持ちで見た。




