ガチで死ぬかと思いました
その朝、魔王は日の出と共に目覚めた。
暗い部屋で起きる事が常であった彼にとって、その日はカーテン越しの太陽を全身に受けている。恐らくその為に目覚めたのだろう。
心地良いシーツの肌触りと言い、なんとも素晴らしい起床だった。
魔王城には窓が無かった。あってもどんより黒雲を浮かべる空と、草も生えない不毛な大地ばかりでうんざりするだけだ。
人間界は瘴気が無いお陰で空気は清々しく、世界は色鮮やか。それが魔族が人間界を目指す理由でもある。
カーテンの隙間から注ぐ光に誘われるように、半身を起こした魔王は右手を窓に伸ばした。
呪文はいらない。ただ、行使するだけ。壁一面の大窓を開け放つイメージで。
グヮガッッシャーーーーン!!!
バラバラ、ゴオオォォォォーーーー!!!
室外に向けてガラスが勢い良く砕け散った。カーテンは荒ぶるまま飛んで行った。ベランダの柵は折れ、中庭の噴水から絢爛を誇る花壇も、地面を抉るように跡形も無くなっていた。
まるで巨大なダンゴ虫が転がって行ったようだった。
――人間の作る建物は脆い。知ってた。
とは言え見晴らしの良くなった三階からの風景は、格別だった。夜闇が明けて行く見事なグラデーションと昇り行く太陽の神々しさ。吹き込んで来る空気は澄んで、香しい花の匂いが鼻腔を擽る。
朝、は何度も越えて来た。だが、こんなにも気持ちの良い朝は初めてだ。
立ち上った魔王はベランダに歩を進め、満足気に腕を組む。
素晴らしい解放感。(色んな意味で)
地上や城内が俄かに騒がしいが気にならない程だ。
扉を開けた兵士が背後で腰を抜かしている。部屋の惨状と堂々と全裸を晒している魔王に、考えが追い付かない。棚引く魔王の黒髪に、見え隠れする大臀筋もろもろ。
煌めく光が魔王の輪郭を鮮明にしている。どう言う心境で見ていれば分からない兵士は、へたり込んだまま近付いて来る足音と「敵襲ー!」「何事だー!?」と言う叫び声を聞いていた。
隣室の王妃の部屋からは、マルセルも顔を覗かせて恐る恐る兵士を見ている。とても魔王の様子を確認する気にはなれなかった。王の護衛兵達も同様である。
と言うか、いくら王妃の部屋が王の部屋に次ぐ高品質かつ安全性を持つからと言って、魔王の隣で良く安眠出来たものだった。今更ながら震えてしまう。
ガチャガチャと音を立てながら兵士が集結し始める。
「陛下、ご無事でありますか!!?」
マルセルの無事を確認し、座り込んだ兵士を見、部屋の中に目を向ける。
「…」
「………」
「……………」
ひとしきり陽光を浴びて満足した魔王は、そこでやっと振り返った。
そして、ふーっと憂い気に、それでいて満ち足りた、長い溜息を吐き出して。
「すまんな、加減を誤った」
許せ、と何とも軽々しく言ったのだった。
勇者が国王の部屋の窓と中庭の一部を吹き飛ばした。
――え? 何で? どうやって?
城内に駆け巡った早朝の出来事は、混乱と恐怖を撒き散らした。
――国王の部屋って、国王の暗殺か!? え、違う? 国王の部屋が勇者の部屋になった?
――勇者が魔法で窓を? 開けようとして? え、ま、魔法!?
――噴水が砕けて? 花壇が抉れて? 林が倒壊して?
――庭師親子が辞職した?
聞いた者はみな目を白黒させ、じわじわと脳に染み込んだ事実にぶるりと背中を震わせた。
魔法。
そんなものを使える人間はこの世界にはいない。風を巻き起こしたり、火を生んだり、水を作ったり。そう言う力を魔法と呼ぶ事は知っている。
何故なら、魔族がそれを使っているからだ。
勇者の世界では人間も魔法が使えるらしい、と言う追加情報を耳に入れても、「さすが勇者様!!」「今代の勇者様は最強だ!」とはならなかった。
マルセルの感想は、『終わった』、これに尽きた。
魔王を召喚した上に聖剣を魔剣にされ、どうやら魔法も使えるらしいその魔王は、窓を開けるつもりの風魔法で窓と中庭を破壊した。
国王マルセル、詰んだ。在位半年。なりたくなかった国王業だが、それはそれである。
いやでも、魔王に屈して玉座を明け渡してしまっても、今なら許されるかもしれない。
もそもそ、と朝食のパンを千切って食みながら、マルセルは同じテーブルに着く魔王を盗み見た。
朝食と言うには量のある豪華な食事を、あれやこれやと抓んでいる魔王は楽しそうだ。
好き嫌いはない、とは聞いていたがどんな物をどれだけ食すのか、想像が出来ない。よって大量に作った料理を少しずつ盛った皿を、所狭しとテーブルに並べる事にした。それを立食で好きなタイミングで好きに食べて貰う形だ。
ちなみにマルセルはいつも通りの朝食を摂っている。食欲は全く湧かないのだが、魔王の逆鱗に触れたくないので無理矢理飲み下している。
それは、数十分前の事だった。
食卓に並んだ料理を見て、魔王が「誰がこれを食べるのだ?」と尋ねた。マルセルの分を見て、「俺もこういうので良いぞ? まあ、量はもう2倍程多いと有り難い」と言う。
この魔王は存外謝罪や感謝を簡単に口にするものだ、と妙な感心をしながら、マルセルは意図を説明する。
「成程な。で、残った物はどうするのだ?」
「……どう、とは?」
「食べるのか?」
「……そう、ですね。後程、使用人に下げ渡します」
「……無駄にならないな?」
「……と思いますが」
「思います?」
「ひぃっ!!」
質問の意図が分からないまま答えていると、急に魔王の声が怒気を孕んだ。
ゆら、と魔王の肩から黒い靄が立ち上る。
「食べるんだな?」
「食べますとも!! そうだな、お前達!?」
マルセルは慌てて従僕に水を向ける。
「勿論でございます! 城内で供された食事は我々が頂戴いたします!」
「それならいい。いや、だが……そうだな。俺の食事は毎回こやつの2倍でいい。それで、俺が言うのもなんだが、お前達はお前達で、適量の出来たてを食うといいと思うぞ。残り物なんぞでなく。そう思わんか?」
魔王はそう言ってマルセルを見る。
「マルセル? だったな。お前もよもや食べ残しなどしないだろうな?」
何が魔王の癇に障ったのかは分からない。ただマルセルは激しく頷くのみであった。
――と言うようなやり取りをした後、朝食を残せる程マルセルは強胆では無かった。
給仕に控えている従僕やメイドが心なしか顔を綻ばせているのを見ながら、マルセルは早朝のことを思い出す。
魔王が全裸で謝罪するのを、兵士に急かされるようにして立った自室の入口で聞いた。あまりにあっけらかんとして、軽くて、「死人が出なくて良かったです」と応じる事しかできなかった。多分。出てない。
それからケイロンが駆け込んで来たのを皮切りに、兵士達は持ち場に帰って行った。護衛騎士が数人掛かりで部屋を検分して、窓とベランダの柵の補修は必要だが、土台は無事なので崩れる心配は無いだろうと結論付けた。後程専門家に調査をさせるつもりだ。
魔王は「窓はこのままでいい。風が気持ちいいし展望が良い」と言うが、「雨風が入ります」と至極当然に却下するとひどく残念そうな顔をして、「それもそうか」と肩を落としていた。
その落胆も、ケイロンが持って来た服に袖を通した瞬間、どこかへ飛んで行く。
昨夜、針子に用意させたものだ。大体のサイズと大きめに作るよう伝え、徹夜で作ったようだった。緩いようなら詰めればいいと思っていたが、腕も足も七分丈。緩いは緩いのだが不格好という事もなく……と言うか、平民が着る簡素なデザインのシャツとトラウザーズがやけに洗練されて見えた。
きっと質が良いからだ、と納得しつつも、自分が来たら同じ印象にはならないだろうなとも思ってしまう。
「これは着心地も肌触りも最高だぞ。長さはちと足りんが、悪くない。この国は平民もいいもんを着ているようだな」
「……はい?」
「ん? 平民の服なんだろ?」
「あ、いえ、確かに平民の服ではあるんですが」
あくまでもデザインは、である。ケイロンはそっとマルセルを見て、
「あ、はい。そうですそうです、平民の服です。ちょっとサイズが合ってなかったですね、申し訳ありません」
国を救う勇者の着る服をそのままの平民服で良いわけがない。昨夜の会議室で誰かが言い出した。
――平民服の生地は少しごわついてるし、肌理も荒い。勇者様のお気に召すか?
――城内を平民服の者が闊歩するのもいかがなものか。
――ならばデザインは平民のそれで、布も糸も最高級の物で作らせよう。王族の式典用の衣装に使おうと仕舞ってある、東国の絹織物はどうか。
その結果である。
だがこれは、言わない方が良いと二人は判断した。
ふう、と満たされた腹を撫でながら、魔王が椅子に腰掛けたのを合図に、厨房長が蓋の乗った盆を持って入室する。
魔王の瞳がきらりと輝く。
「美味い飯だったぞ。特に肉団子が美味だった。甘辛いタレのかかったやつだ」
「あ、有難う存じます」
「柔らかいパンもいいが、俺はあのスープに浸けるやつが好みだな」
感想を述べながらも、瞳は銀盆に固定されている。食事を終えたばかりなのに、涎が出そうだ。
何を隠そう、今日のメインディッシュ。
ポテチの試作1号である。
厨房長は望外の感想に打ち震えながら、銀盆を魔王の前に置く。
そして。
魔王の表情が凍った。
厨房長は失神した。
朝食を終えた勇者は、自室では無く別の部屋に通された。窓の修理中の仮の部屋であり、勇者の衣装を作る為に採寸をする事になったのだ。
ちなみに先程「平民服です!」と断言してしまったので、今後勇者の服は全て、最高品質の素材が使われる事になる。
採寸係に任命された二人のメイドと一人の針子は、聖剣のあれこれと早朝のあれこれで、恐ろしい勇者を前にして震えずにはいられかった。
息を殺して、必要以上に声を発さない。なるべく見ない触れない。さっさと測ってさっさと終わる。
しかし、である。
(……あら?)
一人がふと、手を止める。勇者の背後で、高台を使って勇者の髪を持ち上げた時だ。
首筋に目線が流れる。少し尖ったような耳の裏から、鎖骨の隆起、肩のライン、所々の鱗のような銀青の煌めき。
(……綺麗。それに、とっても……)
はしたない事だが、既婚者である彼女は勇者の身体を『男』のそれとして認識してしまった。こく、と喉が鳴る。
前方に居た小柄なメイドは、勇者の胸囲を測る為に上を向くしかなくなった。そして。ぼーっと虚空を眺めていた勇者の顔を目に入れた。
息が止まった。がっと、顔に熱が溜まって行くのが分かる。心臓がどくどくと五月蠅い。
(顔が! 顔が、良い!!! え、どうゆう事? 神なの? え、ゼイン様って護衛騎士一美形なんじゃなかったっけ? あれ? 美形? え? え?)
彼女が熱を上げていた護衛騎士の顔は秒で霞んだ。
「あ」
メイドの膝が崩れる。
それを咄嗟に魔王が支えると、彼女は魔王の腕の中で白目を剥いた。
「は!? おい、どうした! 大丈夫か!?」
慌てた魔王が彼女を抱き抱えると、色布を吟味していた針子の一人が、何故だか鼻血を噴いた。
後日、この日の事を思い出して、彼等は声を揃えてこう言った。
「ガチで死ぬかと思いました」
某神官「窓開けようとして、中庭の林まで削るって有り得ない」
某メイド「絶対あの顔面で数百人殺してます」
某厨房長「薄切りの芋は分かるけど、アゲルってなんなんだよおおお!!」




