本当の、本当に、勇者なんですね?
聖剣、ねぇ。
国王と名乗った男を見ながら、魔王は気怠げに身体を起こした。
魔法陣の上に胡坐をかいて、赤く明滅して煩いのを叩いて黙らせる。
別の世界から召喚した勇者に、魔王を倒させる。そして呼ばれたのが俺だった。さらには勇者は聖剣を抜かねばならない。
話はおおむね理解した。
国家存続の危機よりも生命の危険を感じて小さくなっているマルセルにも、他の奴らにも、悪いことをしたなぁと思っている。
思っているだけだが。
そもそも彼らは正しく儀式を行った。正しく、勇者が来るはずだった。
ただ、その時と場合が最高に悪かっただけだ。
異世界の勇者の足下に魔法陣が現れた瞬間、彼は魔王に消し飛ばされてしまったのだから。
魔王は千年以上魔王として生きている。勝手に幹部を名乗っている女魔族が、「出会って千年目記念」と言っていた時には既に倍くらい生きていた気がするので、良くは分からない。
弱肉強食の魔族世界で売られた喧嘩を買い続けていたら魔王として人間世界からも敵視され、勇者を名乗る人間がひっきりなしにやって来るのを千切っては投げていた。
あまりにも頻繁なので時々倒された振りをして、百年くらいはやり過ごし――を繰り返した。
今回もそうしてやろうと思っていたのに、来た勇者とその仲間が、兎に角もう最悪だった。
勘違いの甚だしい自称聖女はまずいの一番に燃えカスにし、無駄に城を壊す魔法使いは風魔法で吹き飛ばしだ。勢いが付き過ぎて、城下の辺りまで飛んで行き、街も半壊した。
貧弱な筋肉と笑われたので、力自慢の斧使いは肉団子にして、今頃魔獣の玉遊びになっているか食われているか。
そして「邪悪な魔王滅ぶべし」と人の家に無断侵入して暴れる無作法な勇者を、消し飛ばした。
その足元に、白く光る魔法陣だ。召喚する相手を失って少し心細げに瞬くそれに、城が修復されるまでバカンスにでも行くか、と乗っかったのが魔王であった。
だが中々転移しないので、寝転がりながらポテチを食べつつ、魔法陣の解析をした結果。
この魔法陣の対象を勇者から魔王に書き換えて、今に至ったのである。
まあそんな事を説明してやる義理はない。
「やってやってもいいが」
食べ終わった二つの袋を一つに纏めてギルロイに、まだ半分残っている方はマルセルに渡す。
「……あの?」
「それはポテチだ」
「ポ、ポテチ? ですか?」
「そうだ。芋を薄切りにして油で揚げて、塩を掛けた美味な菓子だ。飯にもなる万能菓子だ。味には海苔塩、コンソメなどバリエーションがある」
言いながら、魔法で黒い球体を出す。その中に無造作に手を突っ込んで、そこから新たなポテチ袋を取り出した。
明らかに球体より大きな質量が出て来て慄くやつらは無視。
これは亜空間倉庫という、入れた物を入れた状態で取り出す事が出来る優れた魔法なのだ。
ちなみに命あるものも入る。仕置きで入れた幹部を百年放置していた事があった。
「これの在庫が少ない。俺の滞在中はこのポテチを切らす事のないようにしろ。それだけでいい」
「……これを、ですか」
マルセルは開いた袋の口から中を覗き込む。先程は良く分からない匂いだと思ったが、食欲をそそる香りだなと思えた。
「これを頂戴して、宜しいのですか」
「ああ。サンプルになるだろう?」
「畏まりました。すぐに取り掛からせます」
国王としての威厳はどこへ行ったやら、マルセルは傅くように深く頭を垂れた。口調すら変わってしまっている。
頭に戴く王冠よりも大事な物を手に入れた、とばかりに、両の腕でポテチ袋を抱き締めるマルセルになんとも言えない視線を送りながら、ギルロイは咳払いする。
「それでは勇者様、中央広場へ移動してくださいますかな」
「いいだろう」
承諾しながらも億劫そうに、未開封のポテチ袋を亜空間倉庫に仕舞い込む。
周囲はあからさまにほっと息をついた。ポテチを貪りながら聖剣を抜くほど非常識では無かったようだ。
しかしすぐに、表情を凍らせた。
魔王が次に手にしたのは、彼の足下に鎮座していたアレだった。
魔王は黒いマントを颯爽と羽織り、棘付きの鎧を肩に装着する。
そしてその姿は――それはもう、威風堂々たる魔王であった。
「……」
「………」
「……何だ?」
「……いえ、その。その……その格好で……」
「衆目の前で半裸というわけにはいかんだろう」
「……さようですね」
いや、変わらないんだが!? 全然露出してるんだが!? なんだったら魔王のプレッシャーも出ちゃってるんだが!!??
「……勇者様、お足元は裸足ですか?」
未来の神官長が辺りに視線を彷徨わせ、靴らしきものが無い事に気付いて問う。
「ああ」
魔王が右足を持ち上げる。漆黒の下衣から覗く美しいラインの足首からつま先――それが一瞬にして青銀の鱗に覆われ、黒真珠のような光沢の、しかし禍々しい鉤爪に変わった。
「!!!!!」
「――な?」
何がな? なのかは全く分からない。分からないが。
「ですね!」
未来の神官は全力で頷いた。
魔王からすれば、戦闘中は鉤爪スタイルになるので靴が邪魔だという話なのだが、マルセル側はあれが靴なのかと愕然とし、いつでも攻撃できるという意思表示なのかとただただ恐怖した。
魔王の足が再び人間のそれになると、あからさに安堵の溜息をついてたマルセルが、もう何も言うまいと王杖を踏み鳴らした。
話を継げば継ぐ程、胃が痛くなる。
「では、参るぞ皆の者」
「「「は!!!」」」
――最早、このまま突き進むしか無いのである。
召喚部屋を出るとすぐに階段があり、階段を上った先は玄関ホールのような場所だった。一気に視界が開け、大きな天窓からは燦々と太陽光が注いでいる。
閉鎖された空間に居た面々は、しかしそれだけではない清々しい気持ちで、大きく息を吸い込む。
玄関ホールには最上階で大鐘を鳴らして来たカールと、甲冑を着た国王の近衛騎士、神官、それから典礼官が数人いた。彼らは階下から現れたマルセル達に表情を明るくし――
「勇者だ!!」
悲鳴が上がるのを察して声を張り上げたギルロイに、目を剥いて固まった。
「勇者だ!!!!」
大事な事なので二度言う。
「見た目があれなだけなんですよ!」
未来の神官長の渾身のフォロー。
「召喚は無事に成功し、勇者様が聖剣を手にされる。安心するが良い」
マルセルが最後の一押しをする。厳かな声で、堂々と。
カールは生唾を飲み込んで、マルセルの目を見た。
「本当の、本当に、勇者なんですね?」
「そうだ」
一方で魔王は、事情は分かるものの似たような会話の繰り返しに若干苛つき始めていた。これは絶対にもう一度確実にある。このすぐ後に。
魔王が放つ圧が、黒い靄としてその身体から迸る。
「ひぃっ」
白髪の老神官は、しかし魔王の圧の意味には本能で気付いたようだ。彼は縋るように大きな外扉に飛び付き、ココココンッ! と扉を叩いた。
一拍置いて、建物の外でラッパが鳴り響く。
扉が重い音を立てながら外に開いていくと、絨毯のように、太陽光がマルセルの足下に走った。
少し待っていて下さい、と魔王に告げて、ギルロイとマルセルは建物の外に踏み出した。今回は手法を変えるらしい。
赤絨毯が真っ直ぐに引かれ、その両側に剣を捧げ持った騎士達が整然と並んでいる。その中を粛々と進んで行くと、聖剣の向こうの民衆の姿が見えて来る。
恐らく王都中の人間が集まっている。この歴史的な瞬間は、病で苦しんでる者も這ってでも拝みたい事だろう。だが今回は、重病人には家で安静にしていていただきたい。衝撃のあまりポックリ逝かれては目も当てられない。
歓声がひと際大きくなって、空気を、大地を揺らす。花弁が舞い、国旗が振られ、歌うような万歳三唱が響く――。
二人が聖剣の前に立つ。聖剣と岩の境が調度床の高さに合うように設計されたテラスは、民衆からは階段を10段登った壇上になっている。
晴天の空の下、式典用の白地の衣装を身に纏った国王陛下は、本当に光り輝くような眩しさだった。世界の祝福を全て手に入れたように、肩から斜めに掛けた黄金の飾帯、王冠、王杖、そのどれもが若き国王の威光を称えるように輝く。
マルセルの緊張など知らないままに、彼が挙げた右手に民衆は口を閉ざす。
「我が愛すべきサラマンドの民よ! 二百年の沈黙を破り、伝説の儀式は成就し、勇者は起った! この良き日、我らは大いなる奇跡の目撃者となる。讃えよ、勝利は我が手にあり!!」
この時の為に暗記した台詞である。どこで区切り、どこを強調するか、考えに考えた台詞である。
民衆は沸いた。大いに沸いた。
この台詞の滑稽さなど、知らないままに。
続いて、宰相ギルロイが口を開く。正直この高揚のまま勇者を紹介して欲しいものだが、各所に設置されたスピーカーから声が聞こえてしまえば、黙らないわけにはいかない。
「我が国はこれまでに5度勇者を召喚し、その勇者は魔王を倒して世界を救った! つまり、召喚されるのは勇者以外には有り得ない!!!」
何かを両手で大事そうに抱えているギルロイの声音は硬く、
「これから聖剣を抜きたる者は、真の救世主に他ならないのだ!!」
分かり切った事を何度も念を押す。切れ者と有名だった筈だが、耄碌したのだろうか。そろそろ引退してもらうべきかもしれない。
「良いか皆の者!! 疑うべからず!」
しかも何だか、スピーカーから聞こえる宰相の声にガチャガチャと五月蠅い音が混ざっている。
民衆は、我知らずごくりと唾を呑み込んだ。
マルセルの宣下が終わり、宰相が振り返った。
「勇者様」と戦々恐々する典礼長官カールに促され、魔王は建物から出た。
魔王の姿を目にした途端、直立不動で剣を掲げていた騎士達は動揺した。剣を取り落とす者、後退ろうとして前後の兵士に激しくぶつかる者。魔王に向かって剣を構え直せた者は少数だった。
ギルロイが必死に民衆に語り掛けているので、意識して悠々とした足取りで進む。
まあ、無駄な事だろうが。
そして、魔王は聖剣の前に立った。
一瞬の静寂。
――からの、阿鼻叫喚の大絶叫。
魔王は思った。
聖剣が抜けなかったら、この街ごと消し飛ばして無かった事にしよう、と。




