ひぎゃあああああああーーーー!!!!!
サラマンド王国は、今まさに魔族の脅威に晒されていた。度々国境を侵犯し、民草を攫われる。
それもこれも魔王が誕生し、魔族が活性化したからである。魔王が生まれると、魔族が元気になる。常識だ。
魔族領に接しているサラマンド王国は、それゆえに他国から侵略されない。国境線を守る防波堤、滅ばれたら明日は我が身なのだから。
頑張って魔王軍を退けてね、応援してるよ。だけど兵は貸さないよ、軍備や食料は支援するね。
なのでサラマンド王国は、異世界から魔王を倒せる勇者を召喚するようになった。その技術がどこから来たのかは知らない。何はともあれ、勇者万歳。
そうしてまだ25歳の若王マルセルは、勇者召喚に踏み切った。
歴代勇者を呼んで来た魔法陣を床に描いた、召喚部屋。窓は無く、蝋燭の明かりを灯した暗い部屋である。神聖な儀式、と言うより悪魔でも呼び出しそうな雰囲気がある。
(いや、余計な事は考えまい。勇者様、お願いします!!)
若いマルセルにとって勇者召喚の可否は、死活問題である。権謀術数に長けた老獪な臣下達に立ち向かう為にも、勇者召喚の実績が欲しい。
鹿狩りで落馬して絶命なんて、間抜けな死に方をした父王め! 恨むぞ!!
姉妹達は他国へ嫁いで、唯一の男兄弟は母親の身分が低いからと、継承権を放棄してとんずらした。私も!! 逃げたい!!
――とは勿論言えない。今更王族以外の生き方なんて出来ないししたくない。長い物に巻かれて生きたい。
魔法陣から少し離れた五か所で、召喚士なる神官が跪いて祈りを捧げている。
その正面で、マルセルは王杖を床に突いて立っていた。
皆が目に眩しい白衣だが、蝋燭の揺らめきが陰になって踊るので、神々しさはあまり感じられない。
ともすれば思考が明後日の方向へ飛んでしまう。マルセルはひたすらに(勇者様勇者様)と唱え続けた。
暫くして、魔法陣が白く光った。床から上へ伸びるように、魔法陣が立体的に浮かび上がる。
「おおお」
と歓喜の声が、傍観者と化している重臣達から漏れた。やる事がないからって、欠伸してたの知ってるからな。厳かな顔を作ってるこっちの身になれ。
魔法陣はなおも光っている。光っている。光っている。
「成功だ!!」
「おおおおお!!!」
「サラマンド王国万歳!!」
「マルセル国王、万歳!!!」
「おおおおおお!!!」
盛り上がりは最高潮。
魔法陣はなおも光っている。光って――いや、ちょっとチカチカしてるな。気のせいかな。
「……」
魔法陣は、なんやかや十分くらい光り続けていた。目に見えて薄れてはいたが。辛うじて、なんかある、的な。そういうの。
これ、失敗したんじゃない? という何とも言えない空気が漂っている。もう一回やってみる? と目配せし合う。
召喚士が集まって、ぼそぼそやってる。一人が召喚書を開いて首を傾げている。
「……」
あれ、これ私終わりじゃ無い? 威厳消えたんじゃ無い?
「いや、見ろ!!」
魔法陣が、再び力強く光り輝いた。陣円の内側が全力で光って、もう細かい模様も見えない程だ。
直視出来ずに、目を瞑る。瞼を閉じても突き刺さる光だったが、やがて――もくもくして来た。光が純白の煙となって、床に近付くにつれ黒へのグラデーションを作って行く。
マルセルは、一歩、二歩、三歩下がった。
蝋燭の光が消えて行く。マルセルの両隣にある蝋燭台のそれだけが残った。何故だ。
言いようのない不安感に、マルセルの背中に汗が伝う。尻餅をつく際に神官が放り投げた召喚書が、空中で炎を纏って燃え落ちた。
パリパリ、と音がする。火が爆ぜる音では無い、何か、乾いたような音。
パリパリ、パリパリ。
黒い煙で覆われた魔法陣に目を凝らす。怖い者知らずの召喚士が、召喚書を扇いで煙を吹き飛ばしているので、時折ちらちらと見えるものがある。
召喚は、成功した。
煙の向こうに現れたのが、予想しなかった姿形だっただけで。
まず第一に、それは魔法陣の上に横向きに寝転がっていた。片肘をついて頭を支え、袋に入っている何かを取っては口に運んで、片足でもう片法の脹脛を掻くという随分とリラックスした様子で。
もしかしたら私室で寛いでいた所なのかもしれない。
だが――それにしてはこちらに向く顔は無だ。驚く事もなく、ただひたすらにパリパリと袋の中の、楕円に近い形で薄っぺらい何かをひたすら咀嚼している。
長い髪は艶やかな黒で瞳の色は銀だろうか、浅黒い肌をしている。美麗な顔をした男だった。何故か上裸で均整の取れた見事な体躯と強靭な筋肉を惜しげもなく晒している。所々の肌に青銀の鱗のような部分があり――頭に緩く捩れた角のような装飾を付けている。
彼の足下には黒い布の塊と、重厚で禍々しい、触れたら切り裂かれそうに鋭い棘の付いた肩鎧が鎮座していた。
「……」
パリパリ、パリ。
あの音は、咀嚼音だったらしい。
「………っ」
「あ「ひぎゃあああああああーーーー!!!!!」
誰かが言葉を発した瞬間に、マルセルは叫んでいた。叫びながら腰を抜かしていた。
柱の陰に隠れる者、壁の隅に張り付く者、我が我がと誰かの背の後ろに隠れようと団子になっている者――恐れ慄き、悲鳴を上げる彼等を前にしても、魔法陣の上のそれは一顧だにしない。
ただ彼から放たれる圧が、すごく重い。警告を発するように魔法陣の紋様が赤く点滅してるんだが!?
失禁し掛けた。いやもうちょっとはんぶ――げふんげふん!
「落ち着けぃぃっ!!」
一番最初に立て直したのは、宰相だ。語尾は掠れてたけど! すごい! 今日から、君が国王だ! ギルロイ・ヒューム!!
「召喚の術式は完璧だった! 勇者はここに、召喚されたのだ!!」
ギルロイは言い切ったが、その目は決して勇者(のはず!)を見ていない。
だが、そう。そうなのだ。
サラマンド王国は前回までに5人の勇者を召喚し、彼らは全員魔王を倒した英雄になった。魔法陣は一度も形も場所も変えていない。
召喚士の持つ召喚書は、一代目の勇者の時代に書かれたものでただそこにある文章を読んで祈るだけ。神官の中から選ばれた召喚士は毎日ひたすらにこの書を読み続けて来た。一言一句間違えないと言い切れる。
つまり、完璧な術式だった。
「その通りです。その、勇者の見た目がちょっとあれなだけで」
召喚書を扇に使っていた若い召喚士は、大きく頷いている。君は未来の神官長だ!
「うむ。見た目があれなだけで、勇者は勇者。魔王を倒してくれれば問題無いのだ」
マルセルは王杖を文字通り杖にして、立ち上がった。
咳払いを一つして、改めて勇者(の筈だ!!)を真正面から見つめる。
「ご無礼をお許し頂きたい、勇者殿。ここはサラマンド王国。余は国王マルセル・サラマンドである。貴殿には、世界を滅ぼさんとする魔王の討伐にお力添え願いたい。見事魔王を討ち果たした暁には、金銀財宝も土地も、玉座でも――好きな物を与えよう」
マルセルは堂々と、国王らしい威厳たっぷりに言い放った。
未来の神官長は思った。願望を挟む余裕まであるのだから、結構大物かもしれない。あ、国王だった。
言う事は言ったマルセルは、勇者の反応を待って口を閉ざす。
パリパリ。
「……あの、」
バリンッ。
何時の間にか袋が三つになっている。って言うか、いったいどこから出した!?
「……勇者様?」
「……宰相よ。よもや言葉が通じていないなどと言う事は」
「いえ、そのようなことは!」
「あるいは、見えていないのか?」
「無いはず、なのですが……」
何せ宰相にも自信は無い。前の勇者は二百年前に召喚されたのだ。
「あのー、もしもし?」
未来の神官長は、おずおずと勇者に近寄って行って、魔法陣に触れない辺りに手を付いて座った。
「お名前は?」
いや、幼子相手じゃ無いんだから。
しかし勇者は、何食わぬ顔で言った。
「魔王」
ただ、一言。
「ひぃぃいいいぃぃぃぃぃ――っ!!」
高速の後ろ歩きで、マルセル達は壁際まで後退った。
「誰だよ、勇者とか言ったの!」
「どこの世界に魔王を召喚する人間がいるんだぁぁ!!」
「辞職します!」
召喚士の一人が召喚書を投げ捨てた。
「いや、待て待て、待って待て、待つんだお前達!」
逃げる召喚士達の白衣を力一杯引くのは、軍務長官のセドリック・マクダレン。
勇者召喚の神聖な儀式に騎士などいらん、と豪語した、軍のトップである。彼は軍人でなければ剣を持った事も無い。あくまで軍務を処理するだけの、なのに軍のトップである。
マルセル達は魔王を前にして、完全な無防備だった。
「マオウ、というお名前の勇者で……?」
未来の神官長は魔法陣の前から動いてもいなかった。もうなんか逆に吹っ切れて、ここで死ぬのが神の決められた運命ならと、達観していた。
「いや。名前、魔王。種族、魔王。職業、魔王。希望は、ニート」
――この召喚部屋は、欲望を漏らさずにはいられない呪いでもかかってんのかな?
だがとどのつまり勇者は魔王で、ニートを希望しているのだから、どちらにしても魔王を倒してはくれないと言う事だろうか。
ワンチャン、異世界の『魔王』というのは、この世界での『勇者』だったりしないだろうか。
「……」
しないな。
パリパリ、バリバリ。
バリンバリン。
良く分からない食べ物の匂いが充満した部屋。もう自分達が食べられる絶望的な未来しか描けない。
その時だった。
ゴーン、ゴォーン……
天上の意志を伝えるような啓示的な重低音。硬質な鐘の音が、内から湧き出る歓喜を堪え切れないとばかりに、軽快に鳴り響く。
ゴーォン、ゴーン……ゴーーォンンン……ン……
それは五つ鳴って、深い余韻を残しながら止まった。
「……」
この鐘を鳴らしたのは、魔法陣が光り輝くやいなや部屋を飛び出して行った典礼長官カール・センテスだ。
召喚が成功した旨を、王都中に知らせているのだ。
「……」
王都の中央広場には、歴代勇者が魔王を倒す際に使用した、聖剣がある。大岩に突き刺さったそれは、勇者にしか抜けないと言う神秘の剣。
召喚が成功したら、広場に移動して勇者に聖剣を抜いてもらう――そこまでが儀式の一環だ。鐘の音を聞いた民衆は、今頃広場に向かって殺到している事だろう。
勇者を、見に。
勇者を。
「……あえて、勇者様とお呼びしても?」
マルセルは何とか唾を飲み込んで、魔王に尋ねた。魔王は無言で、先を促す。
「とりあえず、聖剣を、抜いていただきたい」




