二十五章 その言葉は 四
コツ、コツと足音が響くも、それはゼクディウスの物だけ。普段ならばメイドたちの足音の一つも聞こえるものだが、やはり戦争が始まったということもあり、しばらくの暇を出しでもしたのだろうか。
さすがに広い屋敷だけあり、自室への少し長い道のりを歩きながらゼクディウスは分析した。
そして、自室にたどり着く。中からは物音一つ聞こえない。さすがにこの短時間で長旅の疲れをいやすのは無理があったようだと、ゼクディウスはノックなしで扉を開けた。もちろん、自室なのだからそれは当然の権利だ。
「……この部屋、変わらなすぎだろ。俺が家出てからも毎日マイルディアさんとかが掃除してくれてたのかな……」
そこにはゼクディウスにとっては懐かしい光景が広がっていた。
最高級の赤い布地を惜しげもなく使用された天蓋付きのベッド。一人で寝るには広すぎるそこにゼクディウスは飛び込んで、横たわる。
ベッドのサイドテーブルの上を見れば、魔術を用いて作られた道具の一つ、双子の呼び鈴が置かれている。二つ一組で、一つを鳴らせば対の鈴も鳴るために、このような広い屋敷のどこにいても使用人、執事を呼び出せる便利なものだ。
寝返りを打ち、反対側を見れば本棚。そこにはク・マキナの本が多数並べられている。魔術が使えないゼクディウスにしてみれば、魔術書よりもよほど実用的な書物だ。
生徒たちが疲れをいやすまでその本でも読んでいよう。特に、これから必要となる技術――戦闘術の本を。
ゼクディウスは、いたって普通の人間だ。魔術が使えない以上、自衛手段としていくつかの武術を身に着けていた。ミウメ、サクラ、ローザを止める際、何とか止めることができたのは自衛手段が一定以上の腕前となっていたからとしか言いようがない。
そうしてしばし寝転んで読書をしていると、ノックの音が部屋に響いた。敬意を示す回数とリズム。どうやら生徒たちではないらしい。
「どうぞ」
「失礼いたします」
扉を開けて入ってきたのは、ムクゲだった。
「生徒たちはどうしてる?」
「ご入浴は終わりましたので、魔力回復の効能があるハーブティーをお飲みいただいているところにございます」
「そうか。何から何まで、悪いな、ムクゲさん」
「滅相もございません。家令たるもの当然のことをしたまでにございます……さて、坊ちゃま。このたびは出兵なさるということですので、このような品をご用意いたしました。どうかお役立てください」
そうムクゲが差し出したのは、一見何の変哲もないステッキだ。
「旦那様より、戦場にあれど、紳士たれとのお言葉がありました。となれば、自然な贈り物かと」
「なるほど……ありがとう、ムクゲさん。しかし、驚きはしないけど随分高価そうな魔術具だな。えーと……魔力秘匿に、言語反応の文字術式ってところか。魔力も満たされているし、俺にでも使えるな」
起き上がり、ステッキを受け取るゼクディウス。
「さすがは坊ちゃまです。触れずしてそこまでお分かりになるとは。わたくしは説明を受けてなお、魔力が込められているとは信じがたかったというのに……」
「んー……なんだろうな。自分に魔力がないからか、敏感なんだよ」
「とはいえ、魔術が使える人間でなければ魔力の有無にすら気づけない。まことに、不可思議なお体でございます」
「本当だよ。わかるってことは使えるはずなんだが……ん? おいおい……よく見たらこの術式、危険にもほどがあるだろ……地形が変わったりしないだろうな?」
「振るいようによるかと思われます」
「そうは言うが……表面にうっすらとびっしり刻まれてるこれ、神代文字じゃないか。一級魔術師が普通に詠唱したら街一つくらいならあるいは……でも一応振るい手への保護と魔力保有者への保護も刻まれてる……これ、驚いた方がいいくらいの値段がしただろ?」
「そのような話は野暮というものです。ですが、あえてお答えするなら、それは坊ちゃまの人徳により作られた魔術具にございます」
ムクゲの言葉の意味を理解しかね、ゼクディウスは首をかしげた。
「すでにお気づきのことかと思いますが、この屋敷の使用人はその大半に暇を出しております。ですが、坊ちゃまが出陣されると聞いて、何もせず帰るわけにはいかないと考えた者が数多く。その結果、ただのステッキがそのようになったのです」
「……本当に? 神代文字の刻印なんて魔力も技術も要求される作業、いくら何でも……そんなことされるほど慕われるようなことした覚えないぞ」
「何をおっしゃいます。坊ちゃまは従僕一人一人に至るまでの顔と名前はおろか、その者の家族親戚……少なく数えても百をゆうに超えるだけの人物を把握し、まるで友のように接しておられました。普通の主従ではありえないことです。それに喜びを感じた者たちがそれを作り上げたのです」
「……そうか。それを聞かされたからには、大事に扱わないとな。使いどころ、よく考えさせてもらう」
しっかりとステッキを握りしめるゼクディウス。
閉じられたまぶたの裏には、神代文字を刻印していったであろう大勢の人物の姿がはっきりと映っていた。
「……しかし、これステッキにしては重くないか?」
「ええ。仕込みですゆえ、当然のことかと」
「仕込み……ってことは……」
恐る恐るといった雰囲気でステッキの握りと柄をつかみ、そっと腕を広げるゼクディウス。
シャァン……鋭い金属音とともに、ステッキの中から直剣が姿を現した。
「……なあ、この部分にはこの部分で神代文字が刻印されてるんだが。これも俺の人徳とやらのおかげなのか?」
「ええ。口惜しいことに、ク・マキナほど良質な金属が手に入らなかったために、刀身の強度増加などの術式も刻まざるを得ませんでしたが……紛れもなく、現在のムル・クアリアスでは最上級の刀剣かと」
「……神代魔術具並みの物作るなよ……どんだけだよ、俺の人徳……」
そう言いつつも、ゼクディウスは表面に刻まれた神代文字を眺めていく。
「……この部分ならここで使っても大丈夫そうだな。抜剣」
そうゼクディウスが呟くと、刀身に刻まれた神代文字の一部が輝き、直剣の形状を変化させていく。
輝きが収まると、しょせん仕込みとしか言えなかった細い直剣が、兵士が腰に帯びていても違和感のない鍔までついた立派な直剣となっていた。
「……戦争が終わったら、みんなに礼言わないとな。納刀」
元の形状に戻し、直剣をステッキに収めるゼクディウス。
「これだけの形状変化をさせてもそれほど魔力減衰はなしか……」
「みな精魂込めておりました。その程度では問題など起きようはずもございません」
「頑張ってくれたんだな……それにこたえないとな」
もう一度改めてステッキを眺め、ゼクディウスは決意を改める。
「生徒たちの様子を確認しておきたい。みんなどこにいるんだ?」
「大広間に。ご案内は必要ですか?」
「はは……さすがに忘れちゃいないさ。ムクゲさんは忙しいんだから、自分の仕事に戻ってくれよ」
「それでは、失礼いたしました」
退室するムクゲ。それを確認したゼクディウスは本を元の場所に戻し、ステッキを携えて自室を出た。




