二十三章 決断、実行
アオイ・パークウェルは、少なくとも孤児院の中では誰からも嫌われていない。その言葉に反論を唱える者は、ラッカルッカにはいない。
ただ、訂正をする者ならいるだろう。
アオイ・パークウェルは、ラッカルッカの中では誰からも嫌われていない、と。
心優しく、謙虚な稀代の天才魔術師。それが、アオイ・パークウェルなのだから。
そして、今。アオイ・パークウェルを愛する人々は、孤児院を去るべく、荷物をまとめている。
それは、先刻のゼクディウスの発言から始まった物だった。
アオイ一人で戦場に連れて行かれれば、死んでしまうかもしれない。
なら、そうならないように全員でアオイをサポートしていこう、と。
「……親父に話したいことがある」
そう言ったゼクディウス自身は、いま通信機を使い、実家、カルーレン家と連絡を取っている。
『坊ちゃま。以前お伝えした通りです。戦争に関することでは、こちらからは何もできないと』
「分かってる。覚えてる。だが、今日はそれとは違う話だ」
『……内容によっては、旦那様に取り次ぎましょう』
「ありがとう、マイルディアさん」
そして、ゼクディウスは語りだした。
ラッカルッカに来てから出来た、大切な人々。
大切な人々を守るために、あえて戦いに身を投じようとしていること。
そして、望み通り動くためには相当な額の金銭が必要であろうということ。
『……つまり、坊ちゃまと、そちらの方々だけの部隊を作りたい、そのために軍の上層部にわいろを渡せと』
「ぼかさずいうとそうなる。マイルディアさん。頼む。どうか親父と話をさせてくれ」
沈黙。通信機が壊れたのかと思うほどに、返答はない。
どこか変なところでも触ったのだろうか。ゼクディウスがそう思い通信機を耳から話そうとした時。
『久しぶりだな、我が息子よ』
男というには高く、女というには低い声。思わずその言葉に耳を傾けてしまうような魅力が、その声にはあった。
「親父!? マイルディアさんから、話はどれくらい行ってる!?」
『ああ、今回の連絡は大体聞いた。しかし、ただのボンボンとして生まれ育っていくのは問題がある、と言うから当座の生活費だけ渡して見送った息子が……ずいぶんなことに、首を突っ込むようだ』
「ああ。だけど、親父だって分かるだろう? 大切な人々を、守りたいって感情くらい!」
『損得勘定をするのが、第一。それが私という人間だよ。自分に損がないのなら、大切な人を助けることができて、恩を売ることができるという、得しかないことだから、そう導きだしたらすぐに動くだろう。だが、今回はどうだ?』
そう返され、ゼクディウスは言葉に詰まる。
息子のわがままに付き合うために、大金を腐敗した軍部に流さねばならない。そんなものは、損の塊だろう。そして、得は一つもない。
『おそらくは、お前が思ったとおりだ。今回、得する要素はない。だが、かわいい息子の頼みだ。条件付きでなら、言われたとおりにしてもいい』
「条件……? 分かった、なんでも言ってくれ」
『戦争というのは、出世のチャンスでもある。敵を多く倒せば勲章がもらえるように。そして、国に勲章を与えられるようなら、周りから一目置かれるようにはなる』
そこで、ゼクディウスの父親は一呼吸置き、次の言葉を続ける。
『この戦争は、お前の部隊のおかげで勝てた、と言えるだけの戦果をあげてきなさい。つまりは、カルーレン家を大金持ちから、貴族へと押し上げるだけの活躍をする。それが約束できるのなら、言われたとおりにしよう』
ゼクディウスは硬直する。あまりの驚きに、声すら出ない。
父親に課せられた条件は、金を使ってもらった後でないと達成できない。
その上、現段階では達成できなかった場合のペナルティへの言及もない。
それならば、ほぼ条件が無いに等しい。
「分かった。誰一人死なせず、貴族になるに十分足るだけの勲章でも、功績でも作ってやる」
『いい返事だ。とりあえず、こっちに戻ってくるのなら、軍部に行く前に家に帰ってくるといい。いろいろ、話もあるだろうからね』
そうして、通信は途切れた。
ゼクディウスは喜びから、両手を天に突き上げる。
良かった。これで、アオイだけに無理をさせることはなくなる。
心から、そう喜んでいるのだ。
「皆! 一応、親から軍の方にいろいろ交渉してもらえることになったぞ!」
孤児院は広く、その全体にこの叫びは届かない。だが、リレーのバトンを渡すように、聞こえた範囲の孤児たちが同じ内容を叫ぶ。
そうして、孤児院中にこの内容が伝わった。
「ありがとうございます、ゼクさん。本当に、なんとお礼を言ったらいいか……」
そう言うのは、すでに荷物の用意が済んでいたアオイ。その目は、泣きはらし、真っ赤だ。
その肩にゼクディウスはそっと手を置く。
「アオイ。これは俺がやりたいからやっていることだ。礼なんて言わなくていい」
「そうだとしても、嬉しいんです。ゼクさんがいなかったら、シロちゃんも部屋の外に出てこなかったでしょうし、私は誰にも何も言わずに……言えずに、ここを後にしていたでしょう。こんなに短い期間で、ゼクさんは皆の考え方を変えてきた……良い、先生だと思います」
その言葉に、ゼクディウスはどこか複雑そうな表情を浮かべて、何かを言おうとする。
「そいつには賛同しかねるねぇ」
しかし、その言葉でゼクディウスが言おうとした言葉が封じられる。
その言葉の主は、アカネ・パークウェルだ。
「アオイを助けるため、自分の策で誰一人死なせないでここに帰ってくる……美辞麗句、大言壮語は結構だがね、あんたがここの子供たちを戦争にかりだしたのは事実だよ。それは、当然人を殺す決断だってさせる必要がある。あんたは、人殺しを教えるためにここに来たのかい?」
「母さん! そんな言い方……!」
「いや、いいんだアオイ。アカネさんが言わなきゃ、俺が言ってた」
そう、ゼクディウスが複雑な表情を浮かべたのは、たった今アカネに指摘されたことが原因。
だが、自分以外から指摘されたことで、ゼクディウスは吹っ切れることができた。
「殺人を教えるなんて、教師としては最低もいいところでしょう。それは、生徒たちの命を危険にさらすことでもあるのですからね。でも、大切な人が死にに行くのをただ黙って見ていろ、と教えるよりは、幾分ましな教師だと思います」
「……あんたがそう思うなら、今のところはそういうことにしておきな。ただ、熱に酔わせたんだ。戦争が終わるまで、酔いを醒ますな。それが先導役の義務だよ」
酔いを醒ますな。その言葉は、ゼクディウスの心に重く響く。
人の心は、何かがあれば簡単に現実に引き戻される。
人を殺すことになれば。人が目の前で殺されれば。
それだけで、自分たちの行動を後悔することは、十分ありうるのだ。
「ええ。さっさと戦争を終わらせてしまえば、酔いがどうのなんて関係ありませんからね。大事な生徒たちが傷つく前に、終わらせる」
「金持ちのボンボン息子一人に何ができるのかね……」
「アカネさん、あなたは俺のことを良く調べていたようですから……ただのボンボンではないことくらいご存知なのでは?」
その答えに、アカネはニヤリと口角をあげた。アオイは何の話だろうかと二人の顔を交互に見る。
「まあ、そこまで言うんなら、ちょっとの間、あんたにうちの子たちを預けてみようかねぇ」
アカネのその言葉に、ゼクディウスは一つの違和感を覚える。
「預ける……? もしかして、アカネさんはここに残るつもりですか?」
「当たり前じゃないか。子供たちはみんなそろってアオイを守るために一緒に戦いたいと言っている。あたしまでここを出ていっちまったら、子供たちが帰ってくる場所は誰が守るんだい?」
問いかけた時はゼクディウスの表情は硬いものだった。しかし、アカネの返答を聞いて、その表情は緩む。
「親ってのは、なにも近くにいて守るだけが能じゃない。家を守っておくのも親の役割さ」
「それもそうですね……誰も死なずに済んでも、帰る場所がないんじゃ、何をどうすればいいのかわからない」
その言葉に、アカネは満足げに頷く。
「そういうことさね。だから、ここからはあんたの役目。任せたよ」
アカネはそう言い残すと、食堂を後にする。それと入れ替わるように、食堂へと入る人物がいた。
「お兄さま、お姉さま……私は、準備が終わりました……皆さんも、もう少しかと」
「サーシャか、分かった。しかし、早かったな」
「……私は、自分の持ち物が多くはないので。着替えを用意した程度です」
「そうか。まあ、都市に行けば欲しい物ができたりもするだろう。案外、帰りの方が大変だったりしてな」
「……そうですね。そうしたいところです……」
そう答える言葉と赤い瞳には、不安がにじんでいる。
ここに帰ってくる時は、戦争が終わった時。その時、自分は居るのだろうか。
「そうしたいじゃなくて、そうするんだよ。何としても」
優しい声音で、その不安を消し去ろうとするゼクディウス。
自分もそう感じているとはいえ、それを感じさせて不安を増大させてはならない。指示を出す者は、自信満々に見えなくてはならないのだから。
そうでなくては、誰もついてくることはない。
「何か欲しい物ができたら、すぐに言うんだぞ。なんでも……というわけにはいかないが、予算の範囲内だったら買うからな」
「……はい」
ゼクディウスの言葉に、サーシャはかすかに笑みを浮かべる。
「……お兄さまとの幸せな未来のために、私も頑張ります」
「そうだな……みんなで幸せな日を迎えよう」
「……主にお兄さまとの幸せな未来のために、頑張ります」
「大事なことなのか? それは」
「当然です……私に未来を作ってくださったのは、お兄さまです……最後まで添い遂げさせてください」
そのサーシャの口調は、かなり強い物だった。
それは“サーシャとしては”であったために、ようやく常人の普通の話声になった程度の物。しかし、サーシャの強い意志を感じるには、十分なものであった。
「サーシャ。正直に言うなら、俺はお前のことをかわいいと思う。だが、それは妹のようなものとしてだからな?」
「……妹と見てくださっているのなら、女と見てくださるまでも……そう遠くはないでしょう」
「これ……会話が成り立ってるのか? どう思う? アオイ」
「えー……続行していただければ、もうちょっとわかりやすくなると思います」
「放り投げたな?」
ゼクディウスのその言葉に、アオイはそっと笑った。その笑みは、どう考えても肯定の笑みだった。
その笑みに対して何かを言おうとした時、近づいてくる多くの足音が三人の耳に響いた。
みな、準備は終わったということなのだろう。
ゼクディウスは、一つ深呼吸をして、足音の主たちにかける言葉を組み立て始めた。
二十三章 END




