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二十一章 たくらみの一つの形

 今日も授業をするゼクディウス。しかし、そこには二つの変化があった。一つは、ゼクディウスの目の下に薄いクマができていること。そして、もう一つ。


「――で、あるからして、この式は正しいと証明される。次に、こっちの式だが…」


 それは、授業の内容のレベルだった。今までが基礎の基礎、難しくてもその確認程度だった物が、今はそれよりはるかに難しい物。高度な応用問題になっているのだ。

 今まで学校で習うような勉強をしてこなかった孤児院の生徒にするのは、あまりにも難しい問題に、皆が困惑している。


「あの、先生」

「…どうかしたか? アオイ」

「ちょっと、問題が難しすぎないかな、と…」


 そして、それが分からないようなアオイではない。


「できる限りゆっくり授業を進めたかったんだが…戦時中だ。少し授業を進めるペースを上げようと思ってな。難しすぎたか? だとしても、今回の授業は我慢してくれ。今から別のプリントを用意するのは時間がかかりすぎる」


 しかし、ゼクディウスとてアオイがそのような疑問すら持たない、愚かな相手ではないと知っている。

 だが、賢い者の考えることは、一定の理論に基づいていることが多い。そして、今回はその多いパターンの方だ。そのため、ゼクディウスはあらかじめ考えておいた返答でその場をごまかした。


「…分かりました。次はもう少し簡単にしてくださいね、先生」


 アオイは、ゼクディウスの本心を見ぬけないような人の感情に鈍感な人間ではない。これは自分を少しでも長くラッカルッカにとどめるための布石だ。全ては分からずとも、その程度のことは感じた。

 これは、武器を使わない、拳をかわさない戦い。まさに、舌戦である。少しでも早くラッカルッカを後にしようとするアオイと、少しでもその出発を遅れさせようとするゼクディウスの静かな舌戦なのだ。

 相手が何を考えているのか、そこからどのような言葉が発せられるのか。自分はそれにどう返せば自分の望む答えを得られるのか。それを一瞬でも早く察することができたほうが、この戦いに勝利することができる。


(まったく…気が気じゃないな)


 少し抜けているところはある。それでもアオイはかなり賢いほうだ。一つ年下の相手に、ここまで緊張を強いられるとは。ゼクディウスは、内心そう感じていた。

 しかし、その緊張はアオイも感じているであろうものなのだ。そう考えると、ゼクディウスは自分には味方が大勢いる分安心できた。

 あとは、その安心を油断に変えないだけだ。自分に言い聞かせ、彼は次の手に打って出る。


「しかし、少し難しくしすぎたか…そんなに難しいなら、少し授業時間を伸ばして説明するかな」


 その言葉に、アオイは表情こそ変えないものの、動揺する。授業時間を伸ばす、それは当然サーシャに結界術を教える時間が奪われるということなのだから。


「これは今の私たちに理解できる内容なのでしょうか…今日はいったんやめて、これにつながる基礎を明日の授業でやるべきでは?」

「そうするとしても、多少授業時間を伸ばして説明しないとだめだろうな。通してやったほうが覚えやすいだろうし…」


 その言葉にアオイは勝利に近づいたと心の中でつぶやく。

 彼女には、あまり使いたいものではないが、切り札と呼べる手段がある。それさえ使うことができたのなら、一晩のうちに結界術の全てをサーシャに教えることさえできるだろう。

 もっとも、それをしたときのサーシャの負担が大きいため、アオイは積極的に使いたいとは思わないのだが。


「とにかく、理解できない内容をやっているのは時間がもったいないと思います」


 ゼクディウスはその言葉に対する反論ができない。もっともな正論だからだ。

 だが、対抗ができないわけではない。アオイを含めた全員の顔を見る。


「そうだな。すまん、焦りすぎた。今回の授業はここまでにしよう。あとは各自自由にしてくれ」


 その言葉を聞いて、アオイはサーシャの方を見る。今すぐにでも結界術を教えるためだ。

 しかし、それが思い通りに行くことはない。


「「アオイさん、遊びに行こー!」」


 即座に双子がそう声をかけたからだ。


「え? えーと…ごめんね、二人とも。私、ちょっと用があって…」

「私たちだって何の意味もなく遊びに行くって言ってるわけじゃないですよ?」

「そうそう。ウブラリアさんが、用があるから仕事場まで来てほしいって言ってたの。たぶん、この間言ってた事だと思うから、すぐ行くべきよ!」


 そう言って双子がアオイを止めているすきに、サーシャはローザに声をかける。


「…ローザさん。体力作りに協力していただきたいのですが」

「ん? あー、この前言ってたあれか。良い暇つぶしになりそうだし、いいぞ」


 それを見たアオイは慌てる。当然、このままではサーシャに結界術を教えられなくなるからだ。


「あ、待って、シロちゃん!」


 そう声を出すものの、双子に引っ張られてアオイは食堂を出ることになる。

 その間際に、ゼクディウスを責めるような目で見ながら。


「…やれやれ。これで何時間か稼げるな。あんな目をしたってことは、俺の差し金だってことは思いっきりばれているようだが」

「…同じような手段は、もう使えないでしょうね」

「そういうことだな。はぁ…やっぱり、俺たちも全員で兵役につくって言ったほうが早いか?」


 そう言いながら右手を頭に当てるゼクディウス。サーシャ、ローザはともに黙っている。


「なんだい、しけたツラそろえて。何か悪いことでも起きたのかい?」


 そこに一人の声が響く。


「アカネさん…!」


 その声の方をゼクディウスは若干の怒りを込めた瞳でにらむ。


「なんだい、怖い目で見て…あたしが何かしたかい?」

「…アオイに、迷惑だって言ったそうですね。ここにとどまれば、ここが滅ぼされると!」

「ああ、言ったよ? あたしだって心苦しいけれど、仕方ないじゃあないか。この状況で国の指示に背けば、国は即こっちも敵とみなしてくれるだろうからね」


 その言葉に、ゼクディウスは怒りをあらわにし、アカネに詰め寄る。


「その内容は事実だ。だが…言い方というものがあると思いませんか」

「もっと優しい言い方をしろ、って言いたいのかい?」


 そう目つきを鋭くするアカネ。ゼクディウスは一瞬たじろぐものの、戦意を失いはしない。


「ええ、そうなるかもしれません。俺には、あなたはアオイが傷つくような言い方をしたようにしか思えない」

「…そうだね。そうかもしれない。だけどね、あたしにはそれくらいしかできないのさ。あの子に嫌われて、ここへの未練を少しでも減らしてやるくらいしか、ね…」


 思っていたより大人しい反応に、ゼクディウスは紡ぐ言葉を失う。


「分かっておくれよ…あたしとアオイは、血はつながっちゃいない。だけどね、こんなところで孤児院をやるような人間が、血のつながり云々だけで大切にするかどうかを決めると思うかい? あたしはここにいる人間全員を同じように思っているよ。ただ…今回は、あの子が小で、それ以外の人間が大。そうなってしまったのさ…」

「小を殺し、大を生かすというわけですか…」

「…悔しいけど、そういうことさね。ここにいる人間は大半が特定の魔術に関しては一級魔術師認定されるレベルだ。だが、全ての魔術においてそれを名乗れるのは、アオイただ一人…アオイの代わりの戦力を出すなら、ここにいるアオイ以外の人間全員差し出すしかないのさ。それをして、あの子が喜ぶわけがない」


 目の端に涙をためながら、アカネはゼクディウスを見る。分かるだろう? と問いかけるように。


「…あなたの言うことはもっともだし、理解もできる。それでも、俺は大も、小も、両方生かす手段はないかを熟考したい」

「…理想を追うのは若さの特権さね。ただ、時間制限があることだけは覚えておくんだね。それを過ぎれば、大も小も関係ない…全部死ぬ」


 そう言い残し、アカネは食堂を後にした。


「…認めたくないもんだ、己の無力さってやつは…アカネさんの言っていることは全部正しい。それに対抗できるだけの別の正しさも用意できやしない」


 ゼクディウスは己の理想を追うつもりでいる。

 だが、アカネの言葉と瞳に揺さぶられてもいる。


「アカネさんも、俺が考えることの大半もう考えたんじゃないか、って思う…その上で、全員を生かすのは無理だって判断したんじゃないか、ってな…」:


 今朝決めたはずの意志が、グラグラと揺らぐ。

 どうする?

 どうすればだれも死なせずに済む?

 そう思った時、ゼクディウスの頭に一つの疑問が浮かんだ。

 なぜ、俺は戦場に行くイコール死だと考えている?

 たしかに、戦場は危険だ。死ぬこともあるだろう。だが、それは百パーセントではなく、万全で臨めばその可能性を下げることはできる。


「…ああ、くそっ。これ以外に何か思いつかないのか、俺の頭は!」


 ゼクディウスの頭に思い浮かんだのは、要は全員で戦場に行く。というだけのこと。

 しかし、“万全”で挑むために、少しばかりそこに手を加える。


「…お兄さま?」

「…何を思いついたんだ?」


 そう尋ねる生徒たちに、ゼクディウスは申し訳なさそうに、思いついたことを口にした。


二十一章 END

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