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十六章 為すべきこと、未だ為せず

 パン屋であるガレイの朝は早い。その為に、ゼクディウスは午前四時には目を覚まして、朝食を作りだしていた。

「……」

 黙々と朝食を作り続けるゼクディウス。その周りには、手伝う者も、邪魔する者も、誰もいない。

「……」

 アオイは毎日の生活リズムがそうなっているためか、一度起きてきた。しかし、前日のことがあるため休ませた。自室で寝ているか、どこかで座っているかしていることだろう。

「…つっ」

 まだ眠いからだろう。彼はうっかりと指先を軽く切ってしまう。だが、その痛みが目を覚ますきっかけとなる。

 人生にもそれは言えることかもしれない。何らかの刺激がなくては目を覚ますことができず、寝ぼけた目で世界を見てしまう。

 しかし、彼の目を覚ますに足りる出来事が、昨晩起きた。彼の頭の中は、その事で満たされている。

「……はぁ」

 ため息をつきながら料理を再開するゼクディウス。

 しばらくして、彼は皆の朝食を作り終えた。皿を取り出し、盛り付けていく。そして、食堂のほうへと運んで行く。

 そこにはガレイと、意外な二人がいた。

「…おはよーございます、先生」

「おはよう、サクラ。ミウメも。今日は早いな」

「あんなことの後に熟睡できるとでも思ってたんですか?」

「いいや、かけらほども。ローザとサーシャはどうした?」

 そんな話をする三人。ガレイは昨晩起きたことを知っているため、うかつに口をはさめないといった表情でそれを眺めている。

 ラッカルッカからラ・クラディアに向かおうとした面々がどうしてまだここにいるのか。それは、ゼクディウスの記憶をたどるのが最も早いだろう。


●  ●


 時は、昨晩。

ミウメがドアノブに手をかけた時、奇妙な音が辺りに鳴り響いた。

「なに!? なんの音…!?」

 慌てて振り向くミウメ。

 そこには、ナイフを抜いたゼクディウスが立っていた。その周囲に、結界はない。

「……結界を切り裂くナイフ、ですか。厄介ですね」

「そういえば…お前たちには言っていなかったな」

 ナイフを収めながら、ゼクディウスは言葉をつづける。

「このナイフは、ク・マキナの技術、ムル・クアリアスの魔術、ルア・メクルイデスの奇跡の結集だ。物理的にも、魔術的にも、よく切れる。魔術陣のない結界くらいだったら、このとおりだ」

「鞘の装飾からして、ただの果物ナイフではないだろうと思っていたけど…ずいぶん厄介ね」

「だろう?」

 苦々しい顔で言うミウメに、皮肉めいた笑顔で返すゼクディウス。

「…ローザさん。体術ができたわよね。今、それを先生に気絶させる程度にやることはできる?」

 しかし、ミウメは即座にそう口に出す。

「ちょ、ちょっとミウメ。それはやりすぎじゃあ…」

「いい? サクラ。今の先生は、私たちの目的に達するための明確な障害。そして、それを詠唱なしの魔術では封じられない。なら、物理的に黙らせるしかない…違うかしら?」

「単純だが、あながち間違いではない。いい判断だな、ミウメ。策士にでもなるつもりか?」

「おほめにあずかり光栄です。で…ローザさん。できる? できない?」

 ゼクディウスから視線を外さずに言うミウメ。

「…任せておけ」

 そう言うと、ローザはゼクディウスのほうへと歩み寄る。

「悪く思うなよ、先公…これも、アオイのためだ」

 その言葉を言い終えるか否かというところでローザは迷いのない一撃を繰り出す。それはゼクディウスのみぞおちへと命中する。

「がっ…! 俺は、暴力は好きじゃないんだがな…!」

「……よく言うもんだ。その暴力を使えるのはどこのどいつだ。あんた、今わざとよけずに、体さばきで衝撃を弱めるだけにしただろう。素人にできることじゃない」

「何のことやら。とにかく、俺は暴力も体罰も嫌いなんだ。おとなしく、諦めてくれないか? 夜授業組の授業だってあるんだからな」

「だったら…あんたはオレたちにアオイを放っとけっつうのか? あんただって分かってるだろう? このまま放っとけば、遅かれ早かれあいつはムル・クアリアスかク・マキナに消されんだぞ?」

 頬をかくゼクディウス。

「分かっているさ…あいつのためを思えば、俺のやっている事の方が間違いで、お前たちのしようとしている事の方が正しいのかもしれない。俺のやっていることは問題を先送りにして、取り返しのつかないところまで放っておくだけのことかもしれない。それでも…アオイのためにお前たちを代わりに送りだすなんてこともしたくないんだ」

 ローザは、黙って目を閉じる。

「それは、お前たちの思いを知ればアオイが自分のせいだと思い込んで苦しむから…なんとなく、それが分かるからかもな」

「分かってるわよ、そんなこと。だからって…何もしないでいる方が、私たちにはつらいのよ」

「自己中心的な思いだって、分かってる。でもね? アオイさんがいつかきっと殺されてしまうと知ったうえでじっとしていられる? あんなに、優しくて、しっかりしようとして、私たちに逆にフォローされるような、愛すべき人が、必ず殺されてしまうのよ?」

 そっとうつむくゼクディウス。

 そんなことは、彼だって分かっている。アオイがどういう人間なのかも、分かっているつもりでいる。

「あいつは幸せ者だな…きっと、他の連中がこの事を知っても同じように何とかあいつを助けようとするんだろうな」

 ローザと同じように、ゼクディウスも目を閉じる。

「だが、俺はそれを止める。あいつの代わりに誰かが犠牲になることを、他の誰よりあいつが望まないだろうからだ」

 それを聞いて、ミウメは静かにため息をつく。

「…話し合いは、やっぱり無理そうね」

「ああ。どちらかがどちらかを力ずくで止めるしか、今の解決手段はなさそうだ」

「そうね…」

 そう言うとミウメはサクラの肩に手を置いた。

「サクラ。あのナイフ、消しなさい」

「分かったわ。でも、距離がある分コントロールが…先生の体の一部ごと消しちゃうかも…」

「構わないわ。私が作るか、ローザさんが治すから」

「分かった…それなら」

 おずおずと頷き、手で三角を作り、それを通してゼクディウスの腰の短剣を見るサクラ。それは、明らかに狙いをつける行為だ。

「大事な物だったら…ごめんなさい!」

 サクラがそう叫ぶと、その手から青白い光が放たれる。それは高速でゼクディウスに迫る。

 ナイフのみを狙ったためか、その光はいたって小さい。体をひねってそれをかわすゼクディウス。しかし、その光は紛れも無く強制消失の力。ゼクディウスの背後の柱に触れた途端、音すら立てずにその柱の一部と共に消え去る。おそらく、そこにたどり着く過程にある大気すらも消し去っていることだろう。

「オレに当てるなよ、サクラ」

「大丈夫よ、ローザさん。死なない限り私が何度でも作るから」

「そりゃ頼もしいな…」

 苦笑し、拳を構えるローザ。

「あんたがオレたちを全力で止めるってんなら、オレたちも全力で行く。一対多数ってのは好きじゃないがな…」

「奇遇だな。俺も嫌いだよ。お互いにそうなら、一対一にしないか?」

「軽口たたく余裕はあるんだな」

 言いながらゼクディウスに殴りかかるローザ。

 腕を横からたたき、力をそらす形でゼクディウスはそれをかわす。

「…いいのか? そんな避け方で」

 その勢いのままローザはゼクディウスの背後へと駆ける。

「挟撃態勢。いつまで避けられるかしら?」

 ローザを右に、サクラたちを左に見る形になる。そして、彼がそれを認識した直後、右からは拳が、左からは青白い光が迫りくる。

「くっ…!」

 避けることもできるが、それをすれば光はローザにあたる。それを判断したゼクディウスは片手で椅子を持ち上げ、その底で光を受け止め、あいているもう片方の手でローザの拳を受け止める。

 椅子の底には穴が開き、反対側が見通せる。

「重いな…! 椅子も、拳も…!」

 ゴトンと音を立てながら椅子を床におろすゼクディウス。拳を受け止めたほうの手はしびれ、感覚が若干麻痺している。

「さて、あと何回同じ手段を使えるかしら? サクラ、当たるまで撃ちなさい。魔力が足りないなら私も協力するから」

「連射できないから、もうちょっと待って!」

 手で作っている三角を大きくしながらサクラはミウメの声に応える。

「勘弁してくれ…よっ!」

 その言葉を聞いて、ゼクディウスはローザに軽い蹴りを放つ。後ろに飛び退いてそれをかわすローザ。

 青白い光が再び放たれそうになった時、ゼクディウスはとっさにサクラへ向けて椅子を投げていた。

「きゃっ!?」

 自身をかばって手を上に向けるサクラ。光は上方へと放たれ、投げられた椅子をかけらすら残さず完全に消し去った。

「構えて、サクラ!」

 ミウメの叫び声。ゼクディウスは、椅子を投げると同時に双子のほうへと駆けていた。

 しかし、その目的地はサクラではない。ミウメだ。

「ナイフっ!」

 それを察すると同時に、ミウメは再び叫ぶ。一瞬前まで何も持たれていなかった手には、小さなナイフが握られている。想像具現化だ。

「邪魔しないで! アオイさんを助けたいのは先生だって同じでしょう!」

 足を狙ってナイフを突き出すミウメ。

「そのためにお前たちを犠牲にしたくないって言ってるだろうがっ!!」

 ナイフを狙った蹴り。それは命中し、ミウメの手からナイフを弾き飛ばす。

「誰も犠牲にならない手段なんてない! それが分からないほど先生はバカじゃないでしょう!」

 ミウメは再びナイフを作り、今度はゼクディウスの腹を狙って突きをくりだす。

 ゼクディウスはとっさにその手をつかみ、突きを止める。

「分かっているさ…だが、認めたくないんだよ。誰かを死線に送らないといけないなんてことをな!」

 軽くミウメの手を捻り、その小さな手に握られていた小さなナイフを取り落させる。

「戦場に送られる人なんていくらでもいる…! 先生が言っているのはきれいごと! 自分の目の届く範囲にいる人が死んだら自分が嫌だってだけでしょう! たくさんの…ナイフっっ!!」

 ミウメとゼクディウスの頭上に、無数のナイフが浮かぶ。

「落ちろ!」

 ミウメの声に従うように、そのナイフは少しだけ上へとあがり、勢いをつけて降り注ぐ。

「くっ…!」

 とっさにその場から飛びのき、ゼクディウスはそのナイフの群れから逃げ出す。

「はぁ…はぁ…」

 無数のナイフを作りだしたのがつらいのだろう。ミウメは滝のように汗をかき、息を荒げている。

「浮かべっ!」

 それでも、ミウメは戦う意思を弱めはしない。床に突き刺さっていたナイフたちはやはりミウメの声に従い、宙へと浮かぶ。

「物を思い通りに動かすこともできるとはな…」

「…追いかけろっ!!」

 宙に浮かんだナイフの全てがゼクディウスへとその先端を向け、一斉に飛来する。

「本当に…勘弁してくれよ…」

 あまりの物量に、ゼクディウスは死を覚悟した。かわすことが不可能と分かるだけの数の暴力が、そこに存在した。

 絶望に、ゼクディウスは目を閉じる。

 しかし、彼の耳に希望が響く。

 特有の音が響き、彼の体には一本のナイフすら突き刺さらない。

「…ミウメさん。少し…やりすぎです」

 ゼクディウスの前に光の壁――結界が作りだされていたのだ。そして、ゆったりとした歩みでそれを作りだした本人もゼクディウスの前に歩み出る。

「…サーシャさん。そこどいて」

「お断りします。お兄さまにこれ以上の危害を加えるような事は…認められません」

「そう…なら、あなたごと…!」

 ミウメの瞳が見開かれ、その手に、この戦いの中で最大の魔力が溢れ出す。

「強制消失!」

 しかし、その魔力が形となる前に青白い光がその魔力をかき消していく。

「ミウメ。もう諦めよう? 私たちのしたいことは先生を、サーシャさんを傷つけることじゃないはずでしょう?」

「でも…! それじゃあ、アオイさんを守れない! アオイさんを――」

 パァン! 頬を叩く音が辺りに響く。

「…っ! サクラ…っ!」

「考えよう? アオイさんが望む事って、こんな事なのかな? 自分を守りたいと思ってくれている人たちが、その思いゆえに争う事なのかな?」

 ローザが驚きに目を開いている。それだけ、サクラがミウメの頬を叩くということが衝撃的なのだ。

「違うよね? アオイさんはそんな事を望むような人じゃないって、ミウメも知ってるよね?」

「……そうね」

 その驚きは、ミウメも感じていること。今まで、サクラがミウメに逆らうような事はないと言って良い。ましてや、手をあげるようなことはただの一度もなかった。

「だったら、もうやめよ? こんな事、だれも望んでないんだから…」

「…じゃあ、サクラはアオイさんがどうなってもいいの?」

「よくない。でも、アオイさんが望まない手段を使って…それでアオイさんは喜んでくれるのかな? 先生の言ってることに影響されちゃったのかな…私も、誰も犠牲にならない手段を探してみたくなったの」

 そっとミウメを抱き寄せ、サクラは言う。

「大丈夫よ、ミウメ。ミウメはあらゆる物を作りだし、意のままにできる。私はあらゆる物を意のままに消し去ることができる。二人合わされば、まるで神様じゃない? それなら、きっと、何だってできるわ」

 頭を優しくなで、言い聞かせるようにサクラは言う。

「なによ…これじゃ、どっちが姉かわからないじゃない」

「たまにはそんな時があったっていいじゃない」

 ミウメは、そっとサクラを抱き返す。

「一件落着…か?」

「…そのようです。申し訳ありませんでした…お兄さまを陥れるようなことをしてしまって…」

 そう言いながらサーシャは結界をとく。ガシャガシャと音を立てて無数のナイフが床に落ちる。

「気にするな。お前なりに何とかしようと思ったんだろう? それに、最後は助けてくれたじゃないか…ローザ。お前もあんまり気にするなよ?」

 ローザに話を向けるも、ローザは浮かない表情だ。

「……気にするさ。オレは何もできなかった」

「いや、あの状況、治癒術で立ち向かえって言われても無理だろう?」

「そう言う事じゃねぇ……あんたを倒すこともできなければ、サクラみたいにミウメを止めることもできなかった。オレは…無力だ」

 どうも、自分がいなくても過程がちょっと変わっただけなのでは、というところがつらいらしい。

「…結界をどうにかできるやつがやめにするといった以上、オレは何もできない。部屋に戻る」

 それだけ言うと、ローザは食堂を後にした。

「あ、おい…あいつはあいつでいろいろ考えてるんだな。ところで、このナイフの山をどうするつもりだ?」

「集めておいてもらえれば私が消しておくわ。ただ…回復を待ってほしいかな。体力も、魔力も」

「分かった。とりあえず台所のほうに押し込んでおこう」

「…私も、お手伝いを」

「助かる。一人じゃ多いからな。指とか切らないように気をつけろよ?」

「…はい。私の体を傷つけていいのはお兄さまだけ」

「傷つけないからな?」

「…大切にしていただけると」

「大切にはするがお前の言っている大切とはたぶん意味が違う」

 サーシャの本気か冗談かわからない言葉で空気がやわらぎだす。

 それと同時に、食堂の扉が開けられ、光が差し込む。

「誰かいるんですかい? …って、旦那方でしたか。どうも…何かいろいろやらかしたみたいですな」

 ガレイがそっと扉を閉め、食堂の明かりをつける。

「あー…なんというか、だな。ガレイ。とりあえず、この事は内密に…」

「わかってやす。ですが…椅子が一つ足りない上に柱も欠けて、あーあー、床も絨毯も傷だらけですな。そのナイフの傷ですかな?」

 やれやれ、といった感じで肩をすくめるガレイ。それは「こんなんで内密にできやすかね?」といっているようにも見えた。

「まあ、何があったのかはあえて聞きやせんが…とりあえず、ウブラリアの旦那を呼んできまさぁ。椅子の方は、ミウメに何とかしていただきやしょう」

 いつものように笑顔を浮かべながらガレイはその場を後にする。

「この状況を見て笑顔でいれるとは…なかなか肝のふといやつだよな」

「…ガレイさんは、マイペースなのでしょう」

 ナイフを台所のほうへと運びながら、ゼクディウスも笑うのだった。


●  ●


 その後、ガレイに呼ばれてウブラリアが駆けつけ、傷ついた床や絨毯を直していった。ただ、強制消失で一部が消えた柱はどうしようもなかったため、少し休んだミウメが椅子と一緒に作りだしていた。

それらが済んだ頃に夜授業組が集まりだし、何事もなく授業を終え、現在に至る。

「サーシャさんは部屋で本を読んでいたわ。ローザさんは…外で特訓中」

「特訓?」

 サクラが受け答えをする。ミウメは昨日の事が相当体に来ているのか、黙っている。

「ええ。先生に勝てなかったのが悔しかったというか、精神的にこたえたんだと思うわ。部屋を見に行ったら“体力作りに行ってくる”って書いた紙が置いてあったの。まあ、たまにあることだから気にしないでいいかなー、って」

「そうか…朝飯ぐらい食ってから行きゃいいものを」

「まあ、食べてすぐ動くとお腹痛くなりますし」

「それもそうか。とは言えすきっ腹じゃそう動けないだろうし…そのうち帰ってくるか」

「心配しなくても、ローザさんは私たちみたいなことはできないわ」

 ようやくミウメが口を開く。

「まあ、そうだな」

「だったら、心配することはないでしょ…この村のどっかにいるわ。それより、朝ご飯ー。しっかり魔力作るにはしっかり食事もとらないといけないのー」

「今持ってくるから、おとなしく待ってろ」

 苦笑しながらゼクディウスは台所へと戻っていく。

(サクラなしでは計画は動かせない。そして、サクラは計画に反対している。これなら、しばらくは大丈夫そうだな)

 そう思うゼクディウス。

 だが、結局、自分はアオイに何もできていないことを自覚しているため、笑みを浮かべはしない。

 なすべきこと、未だなせず。前途は多難だ。


十六章 END

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