十一章 変わってしまった空の下で 上
朝。それは、新しい一日の始まり。そして、古い一日が終わったのだと人間にいやでも思い知らせる時。
そして、この朝は、ほとんどの人間が望んでいない朝だろう。
古い一日。それは平和。新しい一日。それは戦争。それが分かっていて、この新しい朝を喜んで迎えることができる人間が、この世に何人いることだろう。
仮にいたとしても、それはここ、ラッカルッカの住人でないことだけは確かだ。
「……はぁ」
事実、パークウェル孤児院に住んでいる人間の大半が、ため息とともに新しい朝を迎えた。
作戦会議の疲れが残っている者。膨大な魔力を使い、巨大な結界をはった者。超常魔術を使った疲労がまだ残っている者。物質強化の魔術を使いすぎて、疲れ果てたもの。
疲れがある者が多かったが、その疲れは問題ではないほど、戦争という事実は大きかった。
昨日までの、何の心配もなく過ごせていた、何もない、退屈とすら呼べる日々。それがいかに大切で、愛おしく、守るべきものだったか――たった一晩で、少なくともゼクディウスは痛感していた。
「とりあえず…アオイの手伝いをしに行くか…朝食、作ってるだろうしな…」
寝不足の頭でそう考え、枕元のナイフを腰に帯びながら口にするゼクディウス。
寝不足の原因は、当然、昨日行われた作戦会議が長引いたこと。時間が経つにつれ、孤児院を強化していたクフェアとカンパニュラが、村の建物を強化していたロベリアとビスカリアが、そして村の各地に結界をはるための魔術陣をえがいていたアオイとガレイが戻ってきた。人が増えるたびに白熱していく議論は、アオイたちから十数分ほど遅れてアカネが帰ってくるまで続いた。
「戦術に関する話なんて…授業の中のお話だと思っていたんだがな…」
廊下を歩き、食堂へ向かうゼクディウス。
一歩歩くたびに、足音がする。
息をするたびに、呼吸音がする。
呼吸音がするたびに、ラ・クラディアとは違う空気の味がする。
どれも、昨日までと同じもの。
だが、ゼクディウスはそれらすべてが変わってしまったように感じた。
気の持ちよう、というやつだろう。戦争が始まったことを告げられてしまったが故に、音の一つ、清らかな空気の味。変わっていないはずのそれすらも変わったように感じてしまう。
「…戦火が迫れば、今以上の緊張感…やれやれ…耐えきれるか…微妙だな」
ぼそりと呟き、食堂の中に入るゼクディウス。
「おはよう、皆」
そこには、朝から仕事がある面々がそろっていた。
「旦那…おはようごぜぇます」
「どうした、ガレイ。元気がなさそうだが」
「魔力の大半を結界に回してるもんですからなぁ。普段と違う感じで、どうにも…」
「なるほど…クフェアたちもか?」
「はぁい。そのとおりなんですよ。ちょっと調子に乗りすぎた? というか、守るためにやりすぎた? というか」
「疲れました…そして、眠い…」
食堂に集まっている面々は一様に疲れた様子だ。それだけ無茶な魔力の使い方をしたのだから、当然だろう。
「ん…皆、朝食は済んだのか? 皿が汚れているようだが…」
一通りの面々と話し終えたところで、それに気が付くゼクディウス。
「あっしが起きた時にはアオイの姉御がもう朝食の準備を終えていましたぜ。そのあと村中の陣の確認に行っていやしたが、アオイの姉御、たぶん寝てないんじゃないですかねぇ…」
「本当か? アオイのやつ、また無理してるのか…」
ガレイが務めているパン屋はかなり早くから店を開いている。その準備をするにはさらに早くから働かなくてはならないというのは言うまでもない。当然、それよりさらに前に起きていなくては準備などできない。
それほど早くに起きるガレイが起きるより早くに朝食の準備をしていた、それも前日夜遅くまで起きていたとなると、少なくともまともには寝ていないことはうかがえる。
「おっと、そろそろ仕事に戻らなくては…まあ、そう言う事ですから、アオイの姉御が帰ってきたら眠るように旦那からも言ってやってくだせぇ」
「ああ。そうするよ。お前も疲れてるだろうが、仕事、頑張れよ」
「もちろんでさぁ! では、あっしは失礼いたしやす!」
そう言うとガレイは食堂を後にした。
「むふふ~」
一方で、クフェアはどこか嬉しそうな笑みを浮かべてゼクディウスを眺めている。
「…どうかしたか?」
「いえいえ~。あって期間がないのに、“また”と言える程度にはアオイさんのことを分かっているんだなぁ~、と思いますと感慨深いといいますか~」
「まあ…その程度にはアオイの本音を見せてもらったりしているからな…」
「確かに、アオイさん分かりやすいですもんねぇ。しっかり者のお姉さんという立ち位置でいたいことは伝わるのですが、どちらかというと、こちらが心配するというか~…」
しっかり者のお姉さん。そうありたいことは、ゼクディウスも昨日の言葉で察しがついていた。
昨日…昨日といえば、ゼクディウスがアオイに抱き付かれ、そっと抱き返したのも、昨日だ。
それを思いだし、顔が熱くなってくるゼクディウス。昼授業組にその一部始終を見られ、聞かれていたことまで思い返すと、自分で赤面していることが分かるほどにまでその熱は高まった。
「…先生? あ…ひょっとしてぇ、アオイさんとなにかありました? 私、聞いちゃまずいこと聞きましたぁ~?」
「別に…なんでもない…気にするな」
クフェアのからかいの言葉に、つっかえながら返すゼクディウス。
「むふふ~」
それを見てクフェアは満足げな笑みを浮かべた。
「ったく…フードはぎとってやろうか、お前は」
「どうせなら服をはぎ取ってくださいよ~。フードに触られるくらいならおっぱい触られる方がマシですし~…あ、先生相手だから、ですよ?」
「…そこまでフードとられるの嫌か」
「というか、頭を見られるのが嫌なんですよね~。ちょっと、人に見られたくないところがあるので」
そう言って笑うクフェア。
「先生、クフェアは子供のころ頭に傷を受けたんです。魔術的な、ローザでも治せないようなものを…それを見られたくなくて、いつも頭を隠しているんです」
カークスがそう付け足す。
「そうだったのか…すまん、それも知らずに…」
「あー、いえいえ。お気になさらず。いつもフードかぶってれば、その下が気になったりもしますし」
クフェアはぴらぴらと手を振ると、自分の食器をもって台所のほうへと姿を消した。
「いつもかぶっているのだから、何か隠したいのかもしれないと俺なりに考えてはいたが…そうか…魔術的な傷を…」
「ええ。ですから、あまり触れないでやってください」
カークスの言葉にうなずくゼクディウス。
「そういえば、朝食の準備を終えて、とガレイが言っていたな…全員分あるのか?」
「はい、台所にガレイのところのスコーン、簡単なサラダ、それとスープが全員分用意されています。飲み物は、紅茶ですね。茶葉や茶器などが用意されていたので、各自で湯を沸かして淹れました」
「そうか。それじゃあ、俺も朝食にするかな…」
そういったところにクフェアが戻ってくる。
「それでは、私はお仕事に行ってきますね~」
「ああ、頑張れよ」
「はいな~」
手を振って食堂を後にするクフェア。それと入れ替わるように、ビスカリア、ロベリアが入ってくる。
「お、二人も起きてきたか。カークス、ちょっと時間あるか? できれば朝食の準備を手伝ってほしいんだが」
「はい、構いませんよ」
ウブラリアを連れ、ゼクディウスは台所に入る。
「えーと、炉の具合は…やっぱり空になってるな。カークス、頼めるか?」
「任せてください。先生は水の準備をお願いします」
そう言うと、ウブラリアは炉に取り付けられた暗血色の宝石に手をかざし、魔力を流し込む。
その間にゼクディウスは台所の中に設けられた小さめの井戸から、手動ポンプで水をくみ、ケトルの中に溜めていく。
「先生、炉のほうの魔力充填完了です。念のため最大まで入れておきました」
そう言うウブラリア。その手元の宝石は、鮮やかな赤へと色を変えていた。
「ご苦労さん。魔力炉は魔力が充填されていないと、俺じゃあどうしようもないからな…ラ・クラディアじゃあガスも普及しだしていたから何とかなったんだが」
魔力炉とは、火の力を持つ魔力的な宝石にあらかじめためておいた魔力を用いて熱を生み出すことができる魔術陣のことだ。魔力さえためられていれば火の魔術が使えなくても熱が生み出せるという、便利な物のためかすれた陣を書きなおしてもらう金やヒビの入った宝石を買いかえる金のない家庭だとか、よっぽど事情のある家庭でなければこれを用いている。
「ガスですか。採掘技術も発達しだしていますし、そろそろガスの時代が来るのかもしれませんね」
「そんなことはないだろう。魔力を持たない人間なんて、俺か他国の人間くらいだし、ガスは有限のもの。それに対して、魔力は人が生きている限り限度こそあれど、魔力炉を動かすのに困らない程度には作りだせる。無限に無料で使えるものの代わりに有限で有料のものを使うなんて、物好きな金持ちくらいのものさ」
「大都市にはその他国の人間や、物好きな金持ちがいるのでしょう? でしたら、一部ならはやりますよ」
話しながら宝石を押し込むウブラリア。それと同時に魔術陣が光と熱を放ちだす。
「お疲れ。サービング用の食器も用意されているようだし、あとは沸くのを待つだけだな」
「ビスカとロベリアの分を入れても水の量、多くないですか?」
「俺は紅茶が好きでな。たくさん飲みたいんだよ。純粋に喉が渇いているというのもあるが」
「そうなのですか。淹れ方にこだわりなどはあるのですか?」
「そうだな…少し濃く淹れて、淹れだしてから少ししたら全体をかき混ぜてやって…」
そのように紅茶談義をしている間に、水は沸騰し、熱湯となった。
「こうやって沸騰した湯を使うのも大事なんだ。温度が低いと茶葉が開かず、茶葉本来の持ち味、香りが出てこないからな。ちなみに、じっくり旨みを抽出するような茶…そうだな、玉露なら六十度程度がいい」
そう言いながらティースプーンで茶葉をすくい、ティーポットの中に入れていくゼクディウス。
「玉露ですか…一度飲んでみたいものですね。俺も、茶の類は嫌いではありませんし」
「あれはうまかったぞ。ラ・クラディアに茶師が来たことがあってな。紅茶の感覚で沸騰した湯で淹れようとして慌てて止められたな…あれはいい経験だった」
高い位置から茶葉にケトルの熱湯を注ぐ。湯の温度が下がるため、やらないほうがいいという声もあるが、ゼクディウスは空気を湯に含ませるのと、見栄えがするのとで高めの位置からそそぐことにしている。
「茶師…小国の東乃国のほうで正式に認められた、東茶のエキスパートのことですね」
「よく知っているな。東茶は紅茶と違って発酵させないものから、途中で発酵を止めるもの、様々な種類の植物を発酵させたものまで多種多様だ。興味は尽きないな」
「ラ・クラディアでは流通している物ですか?」
「専門店に行けば少しはあるぞ。量、種類共に少ない癖に値段だけはやたら高いがな…」
先ほどのティースプーンで色づきだした茶葉入りの湯をかき混ぜる。それは非常に手馴れている動きだった。
「さて、これであとはもう数分待って…全体を均一にするためにもう一度かき混ぜて、サービング用の器に注いでやって、完成だな。茶こしはどこだ?」
「洗い場にそのままにしてあったかもしれません…ああ、ありました」
水気をふるって落としながらゼクディウスのもとに茶こしを持っていくウブラリア。
「ありがとう。さて、ただ待っているのも時間がもったいない。スコーンとかの準備をしておこう」
腕時計を見て時間を確認するゼクディウス。茶葉の抽出時間に相当こだわりがあるようだ。
「三分だ。その間に他の物の準備をするぞ」
「二人でやれば十分間に合います。ホテルのように何十人、何百人の配膳をするわけではないのですからね」
言いながらすでにウブラリアはスープを皿に注いでいる。
「もっともだ」
そう笑うと、ゼクディウスはスコーンを皿に並べ、サラダを盛り付ける。サラダはドレッシングがすでにかけられていたため、改めてからめるために一旦混ぜてから皿に盛っていく。
「…二分三十秒。まあ、こんなものか」
スープも盆に載せると、ゼクディウスは再び腕時計を見て呟いた。
「これは俺が運んでおきます。先生は紅茶をお願いします」
「分かった。悪いな」
盆を持っていくウブラリアの背にそう言葉をかけ、ケトルの前で腕時計をにらみつけるゼクディウス。
「頃合いだ」
そう呟くと、茶こしを通してサービング用容器に紅茶を移していく。
「さて…持っていくか」
どこか嬉しそうな表情で紅茶をはこぶゼクディウス。自分なりのこだわりで味の変化を感じてもらえるかが楽しみなのだろう。
「二人とも、紅茶淹れたぞー。ん…カークスはどこ行った?」
「仕事先です。昨日いくつか依頼が入ったとかで」
そう答えを返すロベリア。
「そうだったのか…それなのに朝食の準備を手伝わせるとは、悪いことをしたな」
「気にしてる様子はなかったっすよ。ウブラリアさん、仕事早いっすからこれくらいならどうってことないと思うっす」
「ならいいんだが…ところで、二人は熱いものは平気か?」
脈絡のないゼクディウスの発言に首をかしげる二人。
「まあ、熱いものは熱いうちに、冷たいものは冷たいうちに食べるべきって思ってるんで…平気っすよ?」
「私は、少し猫舌かもしれません…」
「そうか。分かった」
そう言って笑うと、ゼクディウスはいたって普通にカップに紅茶を注いだ。
「まず、ビスカの分。そして、これが…」
そこまで言うと言葉をいったん切り、サービング容器を高く持ち上げる。
「ロベリアの分だ」
そのまま紅茶を注ぐゼクディウス。
「おおー! 先生、マンガみたいでかっこいいっす!」
「高い位置から注いでいるのに、周りに飛び散っていない…」
「まあ、そのへんは慣れってやつさ…ちなみに、この方法はマナー違反だと言われているが、ほんの少しでも冷ますために必要だという声もあるし、別の地方ではこうして注ぐのが普通というところもある。だから、ケースバイケースで注ぎ方を変えるように」
「なるほど…勉強になるっす」
少しでもまねられるように、とばかりに食い入るようにゼクディウスの注ぎ方を眺めるビスカリア。
「しかし…戦争が始まったって言うのに、よく俺の紅茶の講釈に付き合っていられるな、ビスカ」
「まあ、昨日の時点でできることはしたっすから。それでだめならその時っすよ。それに、本当に恐れるべきは外部ではなく、内部っす。アオイさんとガレイの結界を破れるような規模でここに攻め入るバカはいなくても、そのバカを恐れて恐慌状態に陥る人はいるかもっすから」
「そのためのあなたでしょう? ビスカ。何のための危害拒絶結界なのかしら?」
「自分はまだ魔術陣を書いただけ。迫る危害に対する反応が遅れれば、アウトっすよ。常に魔術陣からの気配に集中しないとっす…というわけだから、仕事はロベリアメインになるかもしれないっす。村の人たちを守るためのどうしようもないことっす」
「…まあ、そうね。一回かければそれでしばらく安心できる物質強化術とはわけが違うもの。協力は惜しまないわ。もっとも、できる範囲での、だけれど」
二人の会話を聞いていて、自分の無力さを改めて思い知るゼクディウス。
(俺は教師と呼ばれておきながら、何もできていない…そもそも、魔術すら使えない俺にできることとは何だ?)
できる限り内心を表情に出さないようにしながら、ゼクディウスはそう悩む。
「さて、とりあえずは朝食にするか。他はカークスが支度してくれたことだし」
「そうですね。では、いただきます」
「いただきま―っす!」
朝食をとるゼクディウス、ビスカリア、ロベリアの三人。
「スコーンうまいっすね。やっぱり朝食はスコーンっすよ」
「ビスカはスコーンが好きなのか?」
「うす。なんというか、密度がそれなりにありながらほろほろほどけるような食感が気にいってるんすよ。これで密度があるだけなら苦手っすけど…まあ、レシピで食感変わるっぽいっすけどね。自分でスコーン作ったらサクサク系になったんで」
そんな雑談をしながら十数分程度。三人は朝食を終えた。
「じゃ、自分たちは仕事行ってくるっす!」
「その前に片付けでしょう」
「分かってるっすよー」
笑いあいながら皿を台所の方に持っていく二人。その二人を見ていて、ゼクディウスは一つの思いを感じた。
それは、自分の生徒たちは自分が思っているより強いらしい、というものだ。
そこには、常人を超えた魔術の腕、という裏打ちがあるのかもしれない。いざとなったら、自分の使える魔術をこういう形で生かしてやれば助かる、といったように。
(それに対し、俺はどうだ?)
魔術など、何一つ使えない。武器は両親から送られたナイフと、昨日ミウメが想像具現化で造りだしたフリントロック式の銃くらいのもの。
アオイのように、何でも使えるようになりたいとは言わない。たった一つでいい、戦うための魔術の才がほしかった。
「それでは、行って参ります」
ゼクディウスがそう考えているところに、ロベリアがそう声をかけた。
「ん…ああ。気をつけてな」
それに生返事を返すゼクディウス。
「先生も、片付けしなきゃ駄目っすよ? それじゃ、行ってきまーす!」
ビスカリアもそういって駆け出していく。
(己の無力を嘆いても、仕方ない…か。今できることをやっておこう)
アオイが寝ていないのではないか。そう言っていたガレイを思い出し、とりあえず食器洗いをやってアオイの負担を少しでも減らしておこうと思いながら、ゼクディウスは食器を片付けだすのだった。




