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異世界宿屋めぐり 〜一台の馬車でつくる、料理と憩いの旅日記〜  作者: 星海凡夫
商業都市オルステンの収穫祭

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4/5

街道の野営と、商業都市オルステンの門

ミラベルを出て、三日が過ぎた。


オルステンへの街道は、よく整備されていた。

とはいえ、あくまで「この世界基準」の整備だ。舗装などされているはずもなく、石や窪み、雨が運んだ砂利が点在している。


「……ぐっ、重い」


拓実は荷車の牽引棒に肩を入れ、汗を拭った。

馬はまだ買えていない。人と馬とでは、やはり馬の方が圧倒的に安いし、何より速い。だが、ミラベルでの売上がまだ馬一頭分に届かなかったため、当面は人力だ。


「タクミ、無理するな。下がれ」


後ろからグリムの声がした。

拓実が牽引棒から手を離すと、グリムが片手で難なく棒を握り、ぐいっと荷車を引く。


軋む音すら軽くなった。

百九十センチの元兵士にとって、資材と調理器具を積んだ荷車など、子供の玩具と変わらないらしい。


「……あんた、ほんとに怪物だね、グリムさん」


「戦場では、鎧を着たまま仲間を担いで走ったものだ。これくらい準備運動にもならん」


グリムは涼しい顔をしているが、拓実としてはただ漫然と引かせているわけではない。


拓実は地面に視線を落とし、【宿屋創生】に付随する《構造的視覚》を発動させていた。

地面の硬度、石の配置、車輪が沈み込む深さ。

それらを一瞬で解析し、最も抵抗の少ないルートを見極めてグリムに指示する。


「グリムさん、左へ三十センチ。そこに岩盤があります」


「了解」


車輪が石を乗り超え、スムースに転がった。

ナビゲーターとエンジンのような分担で、三人の移動速度は、一般的な歩きの旅人と変わらないほどに上がっていた。


リナは荷車の後ろから、時折声をかける。


「おじちゃん、お水!」


「おう、サンキュな」


リナが水筒を渡し、グリムが一口煽る。

道のりは長いが、不思議と苦ではなかった。


* * *


三日目の夜。

一行は街道から少し外れた、川沿いの窪地で野営することにした。


宿屋を開くのは、町や村の近くだけではない。

街道を行く旅人や商人にとって、野営中の温かい食事は、何よりの贅沢だ。


「【宿屋創生・展開】」


拓実が荷車に手を触れると、いつものように光が広がり、荷車が「宿」へと変貌する。

今日は客を取らない。従業員だけの、内輪の夕食だ。


拓実は調理場に立ち、昼間の移動中に調達した食材を並べた。


街道脇で採れた野草。

川で獲った小魚。

そして、森の入り口で見つけた、灰色の傘を持つキノコ。


「タクミ、それ、毒キノコじゃないの?」


リナが不安そうに覗き込んでくる。


「大丈夫だ。《構造的視覚》で見れば、細胞の構造と含まれる成分がわかる。これは『岩茸いわたけ』の一種で、毒はない。むしろ、いい出汁が出るんだ」


拓実は手際よくキノコの石づきを落とし、薄くスライスする。

鍋に水と小魚、キノコを入れ、弱火でじっくりと煮出す。

灰汁を取り、野草の苦味をアクセントに加える。


三十分後。


荷車の食事処に、濃厚で芳ばしい香りが漂った。


「……なんじゃこの匂いは。腹が鳴るな」


見張りを交代したグリムが、湯気を立てる鍋を覗き込む。


「岩茸と川魚のチャウダーです。パンを浸して食べてください」


木製のボウルによそわれたスープを、三人で囲む。

リナがスプーンで一口すくい、口に入れた。


「……あつっ。……んっ、おいしっ!」


岩茸の深い旨味と、川魚の淡白だが滋味豊かな出汁が、口いっぱいに広がる。

野草のほろ苦さが、全体を引き締めている。


グリムも無言でパンを浸し、頬張った。

そして、大きく息を吐く。


「……戦場の飯とは違うな。これを食えるなら、明日も歩ける気がする」


「それが宿屋の飯ですよ」


拓実も自分のボウルをすする。

スキルが与えた知識と、前世で旅館の厨房で覚えた感覚が、異世界の食材と見事に融合している。


——うまい。自分で作っておいてなんだが、本当にうまい。


* * *


食事後。


グリムは焚き火の傍らで、短剣と包丁を砥いでいる。

シュッ、シュッ、という規則的な音が、夜の静寂に響く。


その横で、リナが小さな木切れを握り、グリムの動きを真似していた。


「手首を固定しろ。力で振るんじゃねえ。刃の重みで切るんだ」


「……こう?」


「ああ。まあ、お前は包丁を研ぐ方に専念しろ。護身用なら、逃げ方を教える」


「……うん。でも、タクミを守れるようになりたいから」


リナの言葉に、グリムの砥ぐ手がふと止まった。

それから、無骨な顔つきを少しだけ緩め、リナの頭を無造作に撫でた。


「……馬鹿なことを言うな。守るのは大人の仕事だ。お前は、うまい飯を作れるようになれ」


「……おじちゃんも、うまい飯、作れるようになればいいのに」


「俺は食えればそれでいい」


拓実は少し離れた場所で、その会話を聞きながら微笑んでいた。


——いいな。こういうの。


旅館をやっていた頃、従業員同士のこんな会話を、厨房の隅で聞いたことがある。

忙しい日常のふとした瞬間にこぼれる、他愛のない会話。

それが、その場所を「家」にする。


拓実は荷車の車輪に手をあてた。


《構造的視覚》で内部を確認する。

すると、少しだけ、変化が起きていた。


——車輪の木材の繊維配列が、微細に変化している。

——この三日間、石の多い街道を走った振動を「記憶」し、衝撃を吸収しやすい構造へと、木が自らを組み替えたのだ。


これが、【宿屋創生】の隠された特性——《土地の記憶》だった。

宿屋は、止まった場所、走った道の影響を少しずつ受け、成長していく。


「……少しだけ、乗り心地が良くなるかな」


拓実は車輪を撫で、小さく呟いた。


まだまだ、この荷車は変わっていく。

どれだけ変わっていけるのか、拓実自身にもわからなかった。


* * *


五日目の昼。


視界の先に、巨大な壁が見えた。


「……でけぇな」


グリムが、牽引棒を持ったまま唸った。


商業都市オルステン。

王都に次ぐ規模を誇る、この地方最大の貿易拠点。

高さ十五メートルはあろうかという分厚い石造りの城壁が、地平線に沿って伸びている。


門の前には、馬車や荷車を引く商人たちの長蛇の列ができていた。

活気、喧騒、そして馬と香辛料と汗の入り混じった匂い。


「……すごい。人がいっぱい」


リナが荷車の覆いから顔を半分だけ出し、目を丸くしている。

ミラベルとは比べものにならない人の多さだ。


列に並び、小一時間。

やっとのことで門番の前に出た。


「通行証は? 目的は?」


鎧を着た門番が、事務的な口調で尋ねる。


「旅行者です。目的は、収穫祭の見物と、商売……いえ、食事処の開業です」


拓実がそう答えると、門番の眉根が寄った。


「食事処? 移動店舗か。なら、商業ギルドの『臨時営業許可』が必要だ。門での入域税が銅貨五枚。さらにギルドでの登録料と許可証の発行で、銀貨二枚だ」


「……銀貨、二枚?」


拓実の顔から血の気が引いた。


銀貨二枚は、銅貨二百枚だ。

ミラベルで五日間稼ぎ、増築に使い、道中で食費を差し引いた現在の所持金は、銀貨一枚と銅貨三十枚。

足りない。


「……あの、もう少し安くは……」


「はあ? 国の定めだ。文句があるならギルドに言え。次の者、前へ!」


門番に追い払われ、拓実たちは列から外れた。


城壁の陰。

拓実は財布の中身を改めて確認し、深いため息をついた。


「……参ったな。門すら入れないとは」


「タクミ……」


リナが心配そうに覗き込んでくる。

グリムは腕組みをして、城壁を見上げた。


「強行突破、という手もあるが……まあ、宿屋の看板を掲げる以上、それはなしだな」


「ええ。お天道様の下で胸を張って商売するのが、相馬荘のやり方です」


拓実は頭を掻いた。


前世でも、開業時の保健所の許可や消防法の壁に頭を抱えたものだ。

異世界でも、役所の壁は高いらしい。


どうする。

街の外で野宿しながら金を貯めるか? しかし、収穫祭は来週だ。祭りの期間を逃せば、次の大きな稼ぎ時までは数ヶ月待たねばならない。


その時だった。


「——お困りのようですね、そこのお兄さん」


不意に、艶やかな声が背後からかかった。


振り返ると、そこには一人の女性が立っていた。


二十代半ばだろうか。

鮮やかな藍色のジャケットに、動きやすい革のズボン。

腰には算盤と、小さな短剣。

何より印象的なのは、その「目」だった。

獲物を見定める鷹のように鋭く、しかし商売人特有の愛嬌をたたえた、琥珀色の瞳。


「あんたたち、门前払いを食らったんだろう? 宿なし、金なし、でも腕だけはありそうな顔をしてたから、声をかけてみたのよ」


「……あなたは?」


女性はニカリと笑い、名刺代わりに小さな木の札を差し出した。


「ミユ。しがない行商人よ。……あんたのその荷車、ちょっと面白そうだから、取引しない?」


(つづく)

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