街道の野営と、商業都市オルステンの門
ミラベルを出て、三日が過ぎた。
オルステンへの街道は、よく整備されていた。
とはいえ、あくまで「この世界基準」の整備だ。舗装などされているはずもなく、石や窪み、雨が運んだ砂利が点在している。
「……ぐっ、重い」
拓実は荷車の牽引棒に肩を入れ、汗を拭った。
馬はまだ買えていない。人と馬とでは、やはり馬の方が圧倒的に安いし、何より速い。だが、ミラベルでの売上がまだ馬一頭分に届かなかったため、当面は人力だ。
「タクミ、無理するな。下がれ」
後ろからグリムの声がした。
拓実が牽引棒から手を離すと、グリムが片手で難なく棒を握り、ぐいっと荷車を引く。
軋む音すら軽くなった。
百九十センチの元兵士にとって、資材と調理器具を積んだ荷車など、子供の玩具と変わらないらしい。
「……あんた、ほんとに怪物だね、グリムさん」
「戦場では、鎧を着たまま仲間を担いで走ったものだ。これくらい準備運動にもならん」
グリムは涼しい顔をしているが、拓実としてはただ漫然と引かせているわけではない。
拓実は地面に視線を落とし、【宿屋創生】に付随する《構造的視覚》を発動させていた。
地面の硬度、石の配置、車輪が沈み込む深さ。
それらを一瞬で解析し、最も抵抗の少ないルートを見極めてグリムに指示する。
「グリムさん、左へ三十センチ。そこに岩盤があります」
「了解」
車輪が石を乗り超え、スムースに転がった。
ナビゲーターとエンジンのような分担で、三人の移動速度は、一般的な歩きの旅人と変わらないほどに上がっていた。
リナは荷車の後ろから、時折声をかける。
「おじちゃん、お水!」
「おう、サンキュな」
リナが水筒を渡し、グリムが一口煽る。
道のりは長いが、不思議と苦ではなかった。
* * *
三日目の夜。
一行は街道から少し外れた、川沿いの窪地で野営することにした。
宿屋を開くのは、町や村の近くだけではない。
街道を行く旅人や商人にとって、野営中の温かい食事は、何よりの贅沢だ。
「【宿屋創生・展開】」
拓実が荷車に手を触れると、いつものように光が広がり、荷車が「宿」へと変貌する。
今日は客を取らない。従業員だけの、内輪の夕食だ。
拓実は調理場に立ち、昼間の移動中に調達した食材を並べた。
街道脇で採れた野草。
川で獲った小魚。
そして、森の入り口で見つけた、灰色の傘を持つキノコ。
「タクミ、それ、毒キノコじゃないの?」
リナが不安そうに覗き込んでくる。
「大丈夫だ。《構造的視覚》で見れば、細胞の構造と含まれる成分がわかる。これは『岩茸』の一種で、毒はない。むしろ、いい出汁が出るんだ」
拓実は手際よくキノコの石づきを落とし、薄くスライスする。
鍋に水と小魚、キノコを入れ、弱火でじっくりと煮出す。
灰汁を取り、野草の苦味をアクセントに加える。
三十分後。
荷車の食事処に、濃厚で芳ばしい香りが漂った。
「……なんじゃこの匂いは。腹が鳴るな」
見張りを交代したグリムが、湯気を立てる鍋を覗き込む。
「岩茸と川魚のチャウダーです。パンを浸して食べてください」
木製のボウルによそわれたスープを、三人で囲む。
リナがスプーンで一口すくい、口に入れた。
「……あつっ。……んっ、おいしっ!」
岩茸の深い旨味と、川魚の淡白だが滋味豊かな出汁が、口いっぱいに広がる。
野草のほろ苦さが、全体を引き締めている。
グリムも無言でパンを浸し、頬張った。
そして、大きく息を吐く。
「……戦場の飯とは違うな。これを食えるなら、明日も歩ける気がする」
「それが宿屋の飯ですよ」
拓実も自分のボウルをすする。
スキルが与えた知識と、前世で旅館の厨房で覚えた感覚が、異世界の食材と見事に融合している。
——うまい。自分で作っておいてなんだが、本当にうまい。
* * *
食事後。
グリムは焚き火の傍らで、短剣と包丁を砥いでいる。
シュッ、シュッ、という規則的な音が、夜の静寂に響く。
その横で、リナが小さな木切れを握り、グリムの動きを真似していた。
「手首を固定しろ。力で振るんじゃねえ。刃の重みで切るんだ」
「……こう?」
「ああ。まあ、お前は包丁を研ぐ方に専念しろ。護身用なら、逃げ方を教える」
「……うん。でも、タクミを守れるようになりたいから」
リナの言葉に、グリムの砥ぐ手がふと止まった。
それから、無骨な顔つきを少しだけ緩め、リナの頭を無造作に撫でた。
「……馬鹿なことを言うな。守るのは大人の仕事だ。お前は、うまい飯を作れるようになれ」
「……おじちゃんも、うまい飯、作れるようになればいいのに」
「俺は食えればそれでいい」
拓実は少し離れた場所で、その会話を聞きながら微笑んでいた。
——いいな。こういうの。
旅館をやっていた頃、従業員同士のこんな会話を、厨房の隅で聞いたことがある。
忙しい日常のふとした瞬間にこぼれる、他愛のない会話。
それが、その場所を「家」にする。
拓実は荷車の車輪に手をあてた。
《構造的視覚》で内部を確認する。
すると、少しだけ、変化が起きていた。
——車輪の木材の繊維配列が、微細に変化している。
——この三日間、石の多い街道を走った振動を「記憶」し、衝撃を吸収しやすい構造へと、木が自らを組み替えたのだ。
これが、【宿屋創生】の隠された特性——《土地の記憶》だった。
宿屋は、止まった場所、走った道の影響を少しずつ受け、成長していく。
「……少しだけ、乗り心地が良くなるかな」
拓実は車輪を撫で、小さく呟いた。
まだまだ、この荷車は変わっていく。
どれだけ変わっていけるのか、拓実自身にもわからなかった。
* * *
五日目の昼。
視界の先に、巨大な壁が見えた。
「……でけぇな」
グリムが、牽引棒を持ったまま唸った。
商業都市オルステン。
王都に次ぐ規模を誇る、この地方最大の貿易拠点。
高さ十五メートルはあろうかという分厚い石造りの城壁が、地平線に沿って伸びている。
門の前には、馬車や荷車を引く商人たちの長蛇の列ができていた。
活気、喧騒、そして馬と香辛料と汗の入り混じった匂い。
「……すごい。人がいっぱい」
リナが荷車の覆いから顔を半分だけ出し、目を丸くしている。
ミラベルとは比べものにならない人の多さだ。
列に並び、小一時間。
やっとのことで門番の前に出た。
「通行証は? 目的は?」
鎧を着た門番が、事務的な口調で尋ねる。
「旅行者です。目的は、収穫祭の見物と、商売……いえ、食事処の開業です」
拓実がそう答えると、門番の眉根が寄った。
「食事処? 移動店舗か。なら、商業ギルドの『臨時営業許可』が必要だ。門での入域税が銅貨五枚。さらにギルドでの登録料と許可証の発行で、銀貨二枚だ」
「……銀貨、二枚?」
拓実の顔から血の気が引いた。
銀貨二枚は、銅貨二百枚だ。
ミラベルで五日間稼ぎ、増築に使い、道中で食費を差し引いた現在の所持金は、銀貨一枚と銅貨三十枚。
足りない。
「……あの、もう少し安くは……」
「はあ? 国の定めだ。文句があるならギルドに言え。次の者、前へ!」
門番に追い払われ、拓実たちは列から外れた。
城壁の陰。
拓実は財布の中身を改めて確認し、深いため息をついた。
「……参ったな。門すら入れないとは」
「タクミ……」
リナが心配そうに覗き込んでくる。
グリムは腕組みをして、城壁を見上げた。
「強行突破、という手もあるが……まあ、宿屋の看板を掲げる以上、それはなしだな」
「ええ。お天道様の下で胸を張って商売するのが、相馬荘のやり方です」
拓実は頭を掻いた。
前世でも、開業時の保健所の許可や消防法の壁に頭を抱えたものだ。
異世界でも、役所の壁は高いらしい。
どうする。
街の外で野宿しながら金を貯めるか? しかし、収穫祭は来週だ。祭りの期間を逃せば、次の大きな稼ぎ時までは数ヶ月待たねばならない。
その時だった。
「——お困りのようですね、そこのお兄さん」
不意に、艶やかな声が背後からかかった。
振り返ると、そこには一人の女性が立っていた。
二十代半ばだろうか。
鮮やかな藍色のジャケットに、動きやすい革のズボン。
腰には算盤と、小さな短剣。
何より印象的なのは、その「目」だった。
獲物を見定める鷹のように鋭く、しかし商売人特有の愛嬌をたたえた、琥珀色の瞳。
「あんたたち、门前払いを食らったんだろう? 宿なし、金なし、でも腕だけはありそうな顔をしてたから、声をかけてみたのよ」
「……あなたは?」
女性はニカリと笑い、名刺代わりに小さな木の札を差し出した。
「ミユ。しがない行商人よ。……あんたのその荷車、ちょっと面白そうだから、取引しない?」
(つづく)




