行商人ミユの提案と、問屋街の蒼猪(あおいのしし)
「取引、というのは?」
拓実は警戒心を隠さず、しかし興味を惹かれた様子で聞き返した。
目の前の女——ミユは、ニカリと笑って指を二本立てた。
「条件は二つ。第一に、あんたたちの入域税と商業ギルドの臨時許可証の費用、合計銀貨二枚と銅貨五枚を、私が立て替える」
「……それで?」
「第二に、収穫祭の期間中、私の商品をあんたの荷車の軒先で売わせてほしい。もちろん、あんたの料理の隣でね。そして、祭りの期間の『純利益』の一割五分を、私の取り分としてもらう」
拓実は一瞬、頭の中で電卓を弾いた。
元・経営者としての感覚が、即座にその条件を査定する。
銀貨二枚のリスクをミユが背負う。
見返りは純利益の一割五分と、荷車のスペース。
彼女にとって、この荷車が「客を呼べる」確証がなければ成立しないギャンブルだ。つまり、彼女は拓実の料理の匂いや、グリムの風体、そして荷車の不思議な構造を一目見て、「これは儲かる」と踏んだのだ。
「一割五分は高いな。一割にしてくれ。その代わり、祭りの期間中の食材調達と値切りは、すべてミユさんに任せる。あんたのプロの腕、見させてもらうよ」
ミユの琥珀色の目が、見開かれた。
それから、愉快そうに声を上げて笑った。
「あははっ! やるじゃない、お兄さん。ただの田舎の料理人かと思ったら、れっきとした『商人』の目をしてる。——よし、その条件で手を打とう!」
ミユは右手を差し出した。
拓実も右手を差し出し、固く握り交わす。
こうして、相馬荘に一人目の「外部パートナー」が加わった。
* * *
ミユの手腕は、鮮やかだった。
門番との交渉、ギルドでの書類手続き、すべてを十五分で終わらせた。
彼女がギルドの受付に何枚かのコインを「心付け」として滑り込ませるのを、拓実は見逃さなかった。
(……前世の営業マンも顔負けの、現場の掌握力だな)
やがて、重厚な木製の門が内側へと開かれる。
「ようこそ、商業都市オルステンへ。——覚悟してね、田舎者たち」
ミユが振り返り、ウインクした。
門をくぐった瞬間、圧倒的な「熱」が一行を包み込んだ。
石畳の大通りには、所狭しと露店が並び、色とりどりの天幕が風にはためいている。
香辛料の刺激臭、肉を焼く煙、獣の糞の匂い、そして甘い菓子の香り。
行き交うのは、絹を纏った富裕層の商人から、異国の民族衣装をまとった旅人、そして亜人の姿まで。
「わあ……!」
リナが荷車の覆いから身を乗り出し、目を輝かせた。
ミラベルとは比べものにならない、異世界の「大都会」だった。
「リナ、落ちるな。——しかし、これだけの人手なら、客単価も上がるな」
拓実は商人の目つきで通りを見渡し、グリムは周囲の治安を測るように鋭い視線を配っている。
「ミユさん、食材はどこで仕入れるんだ? 表通りの市場じゃ、祭りの高騰で値が張るだろう」
「ええ、表通りは観光客用。私たちが行くのは、裏の『問屋街』よ。ついてきて」
* * *
問屋街は、城壁際の少し薄暗い地区にあった。
巨大な石造りの倉庫が並び、荷馬車がひっきりなしに出入りしている。
ミユは顔なじみの卸売業者たちと軽口を叩きながら、拓実たちをある倉庫の裏手へ連れて行った。
「おーい、バルド親父! 例の『売れ残り』、まだある?」
「おう、ミユじゃねえか。あるにはあるが、あれはもうゴミ同然だぜ。祭りの客には売れねえよ」
髭面の親父が、倉庫の奥から大きな木樽を転がしてきた。
蓋を開けると、中には氷詰めされた大きな肉塊が入っている。
「……蒼猪?」
グリムが眉をひそめた。
「ああ。北の森で獲れた蒼猪だ。だが、こいつは『外れ』だ。肉の繊維が太すぎて、どう焼いても靴底みたいに硬くなりやがる。祭りの屋台でステーキにしても、客に文句を言われるのがオチだ。処分価で引き取ってくれるかい?」
拓実は黙って樽に近づき、肉塊に手をかざした。
《構造的視覚》、発動。
視界に、肉の内部構造が wireframe(線画)のように浮かび上がる。
——筋肉繊維の走向。脂肪の融点。水分の含有率。
確かに、繊維は一般的な豚や牛より太い。だが——
(……いや、これは『外れ』じゃない)
拓実の脳内で、前世の旅館で扱っていた「熊肉」や「鹿肉」の知識と、スキルが与えた異世界の調理知識が結びついた。
繊維が太いのは、寒冷地で生き抜くための構造だ。
そして、この蒼猪の脂肪は、筋肉の深くに霜降り状に入り込んでいる。
常温や弱火では溶けないが、特定の温度帯で長時間加熱すれば、ゼラチン質に変化し、肉をほろほろに柔らかくする——いわゆる「トロトロの煮込み」に最適の肉だった。
「親父。この肉、全部もらう。代わりに、こっちの野菜——傷物で売れない根菜類もまとめてつけてくれ。値段はミユさんに任せる」
拓実が振り返ると、ミユはすでに親父と激しい値切り交渉を始めていた。
「親父、ゴミの処分料として銅貨五枚払ってあげるわ。代わりに根菜三箱と、香辛料の端材をサービスしなさい!」
「ば、馬鹿言うな! せめて銀貨一枚だ!」
「じゃあギルドの衛生検査官に、この倉庫のネズミの糞の話、しちゃおうかしら?」
「……わ、わかった! 銅貨十枚で手を打て!」
数分後。
拓実たちは、山のような蒼猪の肉と根菜を、破格の銅貨十枚で手に入れた。
ミユは汗を拭い、得意げに胸を張った。
「どう? 私の交渉術」
「……恐ろしいほど完璧だ。あんたとは末永く付き合えそうだ」
拓実が心からの敬意を込めて言うと、ミユは少しだけ顔を赤めて、鼻を鳴らした。
* * *
祭り前夜。
一行は、ミユが確保した「祭り広場の外れ」の区画に荷車を停めていた。
中心部ではないが、大通りから広場へ流入する「導線」の要所だ。これもおそらく、ミユのコネと目利きによるものだ。
「【宿屋創生・展開——屋台モード】」
拓実が荷車に手を触れる。
光が広がり、荷車の側面がパタリと倒れて、立派なカウンターと調理場に変貌する。
さらに、天井から伸びた骨組みに、ミユが用意した鮮やかな橙色の天幕が張られた。
グリムは黙々と薪を割り、かまどに火を起こしている。
リナは根菜の皮むきを、驚くほどのスピードでこなしていた。
そして拓実は、巨大な鉄鍋で蒼猪の肉を捌いていた。
肉をブロックのまま表面だけ焼き固め、赤ワイン代わりに買った安酒と、香辛料、そして根菜を大量に投入する。
蓋をして、とろ火でじっくりと煮込む。
「タクミ、本当にこれで柔らかくなるの? あんなに硬かったのに」
リナが不安そうに鍋を見つめる。
「大丈夫だ。肉には、それぞれ『正しい時間』があるんだ。急かしてもダメ。じっくりと、その肉が持つ本来の良さを引き出してやる。——それは人も、宿も同じだよ」
拓実の言葉に、リナはこくりと頷いた。
隣でそれを聞いていたミユは、ふっと目を細めた。
「……あんた、料理人というより、なんかお坊さんみたいね」
「元・宿屋の息子ですから」
* * *
深夜。
仕込みを終え、四人は鍋の周りを囲んでいた。
明日の試食を兼ねた、まかない飯だ。
蓋を開けると、濃厚で甘辛い、食欲をそそる香りが夜風に乗って広がった。
箸で肉をつまむと、信じられないほど柔らかく、ほろりと崩れた。
「……っ!」
ミユが一口食べ、目を丸くして言葉を失った。
硬いはずの肉が、舌の上で溶ける。
脂肪の甘みと、根菜の旨味が凝縮されたソースが、口いっぱいに広がる。
「……これは、反則ね。銅貨五枚じゃ安すぎる。銀貨一枚出してもいいわ」
「それは嬉しいが、明日は銅貨八枚で売る予定だ。蒼猪の赤ワイン煮込み、根菜添え」
「……大儲け確定ね、相馬荘」
ミユは笑い、それから空を見上げた。
オルステンの夜空には、魔法のランプの光が星のように瞬いている。
「ねえ、タクミ。あんた、なんで宿屋をやってるの? その腕なら、王都の宮廷料理人にでもなれるわよ」
不意の質問に、拓実は少し考え、それから静かに答えた。
「料理は、人を幸せにするための『手段』だからだよ。目的は、誰かに『ただいま』って言える場所を作ること。——それには、料理だけじゃ足りないんだ」
ミユはきょとんとして、それから小さく微笑んだ。
「……変わってるわね、あんた。でも、嫌いじゃないわ」
その時だった。
拓実の視界の端で、荷車の木材が微かに光った気がした。
《構造的視覚》で確認すると、荷車の骨組みの繊維が、オルステンの香辛料の香りと、祭りの熱気を「記憶」し、木材の表面にうっすらと琥珀色の光沢を帯び始めていた。
——土地の記憶。
商業都市の「活気」を、宿屋が吸い込み始めている。
「……明日は、すごいことになりそうだ」
拓実は鍋の火を落とし、明日の祭りを想った。
相馬荘、初の「大舞台」。
幕が上がるのは、もうすぐだ。
(つづく)




