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異世界宿屋めぐり 〜一台の馬車でつくる、料理と憩いの旅日記〜  作者: 星海凡夫
商業都市オルステンの収穫祭

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5/8

行商人ミユの提案と、問屋街の蒼猪(あおいのしし)

「取引、というのは?」


拓実は警戒心を隠さず、しかし興味を惹かれた様子で聞き返した。


目の前の女——ミユは、ニカリと笑って指を二本立てた。


「条件は二つ。第一に、あんたたちの入域税と商業ギルドの臨時許可証の費用、合計銀貨二枚と銅貨五枚を、私が立て替える」


「……それで?」


「第二に、収穫祭の期間中、私の商品をあんたの荷車の軒先で売わせてほしい。もちろん、あんたの料理の隣でね。そして、祭りの期間の『純利益』の一割五分を、私の取り分としてもらう」


拓実は一瞬、頭の中で電卓を弾いた。

元・経営者としての感覚が、即座にその条件を査定する。


銀貨二枚のリスクをミユが背負う。

見返りは純利益の一割五分と、荷車のスペース。

彼女にとって、この荷車が「客を呼べる」確証がなければ成立しないギャンブルだ。つまり、彼女は拓実の料理の匂いや、グリムの風体、そして荷車の不思議な構造を一目見て、「これは儲かる」と踏んだのだ。


「一割五分は高いな。一割にしてくれ。その代わり、祭りの期間中の食材調達と値切りは、すべてミユさんに任せる。あんたのプロの腕、見させてもらうよ」


ミユの琥珀色の目が、見開かれた。

それから、愉快そうに声を上げて笑った。


「あははっ! やるじゃない、お兄さん。ただの田舎の料理人かと思ったら、れっきとした『商人』の目をしてる。——よし、その条件で手を打とう!」


ミユは右手を差し出した。

拓実も右手を差し出し、固く握り交わす。


こうして、相馬荘に一人目の「外部パートナー」が加わった。


* * *


ミユの手腕は、鮮やかだった。


門番との交渉、ギルドでの書類手続き、すべてを十五分で終わらせた。

彼女がギルドの受付に何枚かのコインを「心付け」として滑り込ませるのを、拓実は見逃さなかった。

(……前世の営業マンも顔負けの、現場の掌握力だな)


やがて、重厚な木製の門が内側へと開かれる。


「ようこそ、商業都市オルステンへ。——覚悟してね、田舎者たち」


ミユが振り返り、ウインクした。


門をくぐった瞬間、圧倒的な「熱」が一行を包み込んだ。


石畳の大通りには、所狭しと露店が並び、色とりどりの天幕が風にはためいている。

香辛料の刺激臭、肉を焼く煙、獣の糞の匂い、そして甘い菓子の香り。

行き交うのは、絹を纏った富裕層の商人から、異国の民族衣装をまとった旅人、そして亜人の姿まで。


「わあ……!」


リナが荷車の覆いから身を乗り出し、目を輝かせた。

ミラベルとは比べものにならない、異世界の「大都会」だった。


「リナ、落ちるな。——しかし、これだけの人手なら、客単価も上がるな」


拓実は商人の目つきで通りを見渡し、グリムは周囲の治安を測るように鋭い視線を配っている。


「ミユさん、食材はどこで仕入れるんだ? 表通りの市場じゃ、祭りの高騰で値が張るだろう」


「ええ、表通りは観光客用。私たちが行くのは、裏の『問屋街』よ。ついてきて」


* * *


問屋街は、城壁際の少し薄暗い地区にあった。

巨大な石造りの倉庫が並び、荷馬車がひっきりなしに出入りしている。


ミユは顔なじみの卸売業者たちと軽口を叩きながら、拓実たちをある倉庫の裏手へ連れて行った。


「おーい、バルド親父! 例の『売れ残り』、まだある?」


「おう、ミユじゃねえか。あるにはあるが、あれはもうゴミ同然だぜ。祭りの客には売れねえよ」


髭面の親父が、倉庫の奥から大きな木樽を転がしてきた。

蓋を開けると、中には氷詰めされた大きな肉塊が入っている。


「……蒼猪あおいのしし?」


グリムが眉をひそめた。


「ああ。北の森で獲れた蒼猪だ。だが、こいつは『外れ』だ。肉の繊維が太すぎて、どう焼いても靴底みたいに硬くなりやがる。祭りの屋台でステーキにしても、客に文句を言われるのがオチだ。処分価で引き取ってくれるかい?」


拓実は黙って樽に近づき、肉塊に手をかざした。


《構造的視覚》、発動。


視界に、肉の内部構造が wireframe(線画)のように浮かび上がる。

——筋肉繊維の走向。脂肪の融点。水分の含有率。

確かに、繊維は一般的な豚や牛より太い。だが——


(……いや、これは『外れ』じゃない)


拓実の脳内で、前世の旅館で扱っていた「熊肉」や「鹿肉」の知識と、スキルが与えた異世界の調理知識が結びついた。


繊維が太いのは、寒冷地で生き抜くための構造だ。

そして、この蒼猪の脂肪は、筋肉の深くに霜降り状に入り込んでいる。

常温や弱火では溶けないが、特定の温度帯で長時間加熱すれば、ゼラチン質に変化し、肉をほろほろに柔らかくする——いわゆる「トロトロの煮込み」に最適の肉だった。


「親父。この肉、全部もらう。代わりに、こっちの野菜——傷物で売れない根菜類もまとめてつけてくれ。値段はミユさんに任せる」


拓実が振り返ると、ミユはすでに親父と激しい値切り交渉を始めていた。


「親父、ゴミの処分料として銅貨五枚払ってあげるわ。代わりに根菜三箱と、香辛料の端材をサービスしなさい!」

「ば、馬鹿言うな! せめて銀貨一枚だ!」

「じゃあギルドの衛生検査官に、この倉庫のネズミの糞の話、しちゃおうかしら?」

「……わ、わかった! 銅貨十枚で手を打て!」


数分後。

拓実たちは、山のような蒼猪の肉と根菜を、破格の銅貨十枚で手に入れた。


ミユは汗を拭い、得意げに胸を張った。


「どう? 私の交渉術」


「……恐ろしいほど完璧だ。あんたとは末永く付き合えそうだ」


拓実が心からの敬意を込めて言うと、ミユは少しだけ顔を赤めて、鼻を鳴らした。


* * *


祭り前夜。


一行は、ミユが確保した「祭り広場の外れ」の区画に荷車を停めていた。

中心部ではないが、大通りから広場へ流入する「導線」の要所だ。これもおそらく、ミユのコネと目利きによるものだ。


「【宿屋創生・展開——屋台モード】」


拓実が荷車に手を触れる。

光が広がり、荷車の側面がパタリと倒れて、立派なカウンターと調理場に変貌する。

さらに、天井から伸びた骨組みに、ミユが用意した鮮やかな橙色の天幕が張られた。


グリムは黙々と薪を割り、かまどに火を起こしている。

リナは根菜の皮むきを、驚くほどのスピードでこなしていた。


そして拓実は、巨大な鉄鍋で蒼猪の肉を捌いていた。


肉をブロックのまま表面だけ焼き固め、赤ワイン代わりに買った安酒と、香辛料、そして根菜を大量に投入する。

蓋をして、とろ火でじっくりと煮込む。


「タクミ、本当にこれで柔らかくなるの? あんなに硬かったのに」


リナが不安そうに鍋を見つめる。


「大丈夫だ。肉には、それぞれ『正しい時間』があるんだ。急かしてもダメ。じっくりと、その肉が持つ本来の良さを引き出してやる。——それは人も、宿も同じだよ」


拓実の言葉に、リナはこくりと頷いた。

隣でそれを聞いていたミユは、ふっと目を細めた。


「……あんた、料理人というより、なんかお坊さんみたいね」


「元・宿屋の息子ですから」


* * *


深夜。


仕込みを終え、四人は鍋の周りを囲んでいた。

明日の試食を兼ねた、まかない飯だ。


蓋を開けると、濃厚で甘辛い、食欲をそそる香りが夜風に乗って広がった。

箸で肉をつまむと、信じられないほど柔らかく、ほろりと崩れた。


「……っ!」


ミユが一口食べ、目を丸くして言葉を失った。

硬いはずの肉が、舌の上で溶ける。

脂肪の甘みと、根菜の旨味が凝縮されたソースが、口いっぱいに広がる。


「……これは、反則ね。銅貨五枚じゃ安すぎる。銀貨一枚出してもいいわ」


「それは嬉しいが、明日は銅貨八枚で売る予定だ。蒼猪の赤ワイン煮込み、根菜添え」


「……大儲け確定ね、相馬荘」


ミユは笑い、それから空を見上げた。

オルステンの夜空には、魔法のランプの光が星のように瞬いている。


「ねえ、タクミ。あんた、なんで宿屋をやってるの? その腕なら、王都の宮廷料理人にでもなれるわよ」


不意の質問に、拓実は少し考え、それから静かに答えた。


「料理は、人を幸せにするための『手段』だからだよ。目的は、誰かに『ただいま』って言える場所を作ること。——それには、料理だけじゃ足りないんだ」


ミユはきょとんとして、それから小さく微笑んだ。


「……変わってるわね、あんた。でも、嫌いじゃないわ」


その時だった。


拓実の視界の端で、荷車の木材が微かに光った気がした。


《構造的視覚》で確認すると、荷車の骨組みの繊維が、オルステンの香辛料の香りと、祭りの熱気を「記憶」し、木材の表面にうっすらと琥珀色の光沢を帯び始めていた。


——土地の記憶。

商業都市の「活気」を、宿屋が吸い込み始めている。


「……明日は、すごいことになりそうだ」


拓実は鍋の火を落とし、明日の祭りを想った。


相馬荘、初の「大舞台」。

幕が上がるのは、もうすぐだ。


(つづく)

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