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異世界宿屋めぐり 〜一台の馬車でつくる、料理と憩いの旅日記〜  作者: 星海凡夫
ガラクタ通りの荷車と、最初の仲間たち

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2/5

ガラクタ通りの荷車と、最初の客

ガラクタ通りは、町の外れにあった。


城壁のすぐ内側、日陰になる狭い通り。

壊れた家具、割れた壺、錆びた農具、そして——

使い物にならなくなった車両たちが、無造作に積み上げられている。


「……ここか」


拓実は呟き、通りの入り口を見渡した。


店はあった。と言っても、露天に近い。

日焼けした老人が、壊れた車輪を膝に載せて修理している。

周囲には荷車や馬車が十台ほど並んでいるが、どれも傾ぎ、車輪が外れ、板が腐りかけていた。


少女——まだ名前も知らない——が、拓実の服の裾を引っ張った。


「おじい、あそこ」


老人が顔を上げた。

皺だらけの顔に、片眼鏡。手には油の染みた布。


「……客か? こんなところに来るような物好きは久しぶりだ」


「荷車を探してるんだが」


「荷車?」


老人は拓実をじろじろと見た。

服装で判断されたのだろう。この世界の人間の体に入った拓実は、粗い麻のシャツに革のズボンという、どこにでもいる若者の姿をしている。金持ちには見えない。


「金はあるのか?」


「銅貨十枚」


果物に二枚使った。残り十枚。


老人は鼻で笑った。


「銅貨十枚で買える荷車は、ここにはない。……と言いたいところだが」


老人は立ち上がり、通りの奥を指差した。


「あれなら、くれてやる」


* * *


「……これは、ひどいな」


拓実は目の前の荷車を見て、率直に言った。


車輪は片方が割れている。

荷台の板は三枚が抜け、残りの板も虫食いだらけ。

覆い布は破れ、骨組みの木材は苔むしている。

牽引用の棒は一本折れ、もう一本もひびが入っている。


荷車というより、荷車の亡骸だった。


「二十年ほど前に農家で使われてたもんだ。持ち主が死んで、引き取り手がいなくなった。処分に困ってたところさ」


老人は腕組みして、面白そうに拓実を見ている。


「銅貨十枚で買えるのはこれだけだ。文句あるか?」


拓実は荷車に手をあてた。


情報が、流れ込む。


——車輪:左後輪、軸受け破損。右後輪、摩耗進行中だが使用可能。車軸は鉄製、錆びているが強度は十分。

——荷台:板の腐食は表面のみ。内部の木繊維は生きている。接合部の釘が緩んでいるが、打ち直せば固定可能。

——骨組み:主材はオークに似た広葉樹。乾燥しきっているが、むしろ強度は増している。苔は表面のみ。

——牽引棒:折損部分は継ぎ木で修復可能。ひびは樹脂充填で対応可能。


——総合判定:修復可能。所要工数、約二日。必要資材、板三枚、釘二十本、車輪一つ、樹脂少量。推定費用、銅貨八枚。


拓実は心の中で息を吐いた。


——いける。


この老人は知らないだろう。

この荷車の骨組みが、どれほど丈夫な木材でできているかを。

表面の腐食の下に、まだ二十年は持つ構造が残っていることを。


「……もらう」


「ほう、本当にいいのか? 動かすだけでも大変だぞ」


「構わない」


拓実は銅貨十枚を老人に渡した。

老人は銅貨を受け取り、首を傾げながら言った。


「……あんた、妙な自信だな。目利きか何かか?」


「元・宿屋の息子です」


「宿屋?」


老人は怪訝な顔をしたが、それ以上は聞かなかった。


* * *


荷車の修理は、想像以上に大変だった。


まず、市場で資材を買う。

板三枚、釘二十本、中古の車輪一つ。

銅貨八枚が、瞬く間に消えた。


残りは二枚。


「……資金繰りの厳しさは、異世界でも変わらないな」


苦笑いしながら、拓実は荷車の傍らに腰を下ろした。


日は傾き始めている。

今日はもう、宿屋を開くのは無理だろう。

まず荷車を直して、明日から営業だ。


「お兄ちゃん、なにすんの?」


少女が、荷車の向こうから顔を覗かせた。


まだ名前も聞いていない。

拓実は手を止め、少女を見た。


「直す」


「……これ?」


「ああ」


「……無理じゃない?」


少女は率直に言った。

子供らしい、飾りのない正直さだった。


「無理じゃない。時間はかかるが」


「……なんで直すの? もっとましなの、買えばいいのに」


「金がない」


「……」


少女は呆れたようにため息をつき、それからぽつりと言った。


「……手伝おうか」


「いいのか?」


「ジャム、美味しかったから」


拓実の目元が、少し緩んだ。


「……礼を言う。じゃあ、あの板を持ってくれ」


* * *


修理は、二日かかった。


一日目。

割れた車輪を外し、中古の車輪に取り替える。

荷台の抜けた板を新しく入れ、緩んだ釘を打ち直す。

牽引棒の折れた部分を、市場で拾った端材で継ぎ木する。


少女は、意外に器用だった。

釘を押さえる、板を支える、工具を渡す——言われなくても、次に何が必要か察して動く。


「お前、手先が器用だな」


「……昔、大工のところで遊んでたから」


「遊んでた?」


少女は答えなかった。

拓実も、それ以上聞かなかった。


二日目。

樹脂でひびを埋め、接合部を補強する。

荷台の表面を磨き、苔を落とす。

覆い布は——仕方ないので、古い毛布で代用した。


夕暮れ時。

荷車は、見違えるほどになっていた。


新しいとは言えない。

だが、しっかりとしている。

車輪はまっすぐ回り、荷台は水平で、牽引棒はしっかりと固定されている。


拓実は荷車に手をあて、構造を確認した。


——修復完了。推定耐久、あと五年。定期メンテナンスで十年以上使用可能。


「……できたな」


少女が、誇らしげに荷車を撫でた。


「……すごい」


「お前も手伝っただろ。二人で作ったんだ」


少女は少し恥ずかしそうに、俯いた。


拓実は荷車の荷台に手をあて、深呼吸した。


これからだ。


* * *


「——【宿屋創生】」


拓実が呟くと、荷車が光に包まれた。


少女が「あっ」と声を上げた。


光は数秒で収まり、荷車は——変貌していた。


外見は、ほぼ変わらない。

古い荷車が、そこにある。


だが、荷台の覆い布をめくると——


「……うわ」


少女が、目を見開いた。


荷台の内部は、外見からは想像できない広さになっていた。


奥行き三メートル、幅二メートル。

壁は木張りで、小さな窓が二つ。

床は磨かれた板で、中央に折りたたみ式のテーブルと、簡素な椅子が四つ。


そして奥には——


「調理場……?」


スキルが与えた知識によれば、これは【宿屋創生】の最小構成だった。


——調理場:簡素な炉、調理台、包丁三本、鍋二つ、皿六枚。

——食事処:テーブル一つ、椅子四つ。

——客室:なし(規模不足)。

——浴場:なし(規模不足)。


拓実は苦笑した。


「……宿屋と言うには、まだ足りないな」


客室も浴場もない。

これでは「移動調理場」だ。


だが——


「……でも、ここから始めればいい」


祖父の宿も、最初は小屋だった。

戦争で焼け出された祖父が、廃材を集めて建てた小さな小屋。

そこから、三代かけて旅館にした。


最初から完璧である必要はない。

一つずつ、足していけばいい。


少女が、調理場の包丁を手に取った。


「……これ、いい包丁」


「スキルがくれたものだ。切れ味は保証する」


「……へえ」


少女は包丁を構え、調理台の上にあった果物——昨日の残り——を器用に切り始めた。


手際がいい。

昨日のジャム作りを見て、覚えただけでこの手際か。


「お前、才能あるな」


「……ほんと?」


少女の目が、少し輝いた。


拓実はその目を見て、決めた。


「なあ」


「ん?」


「お前、名前はあるのか?」


少女は手を止め、少し迷ってから答えた。


「……リナ」


「リナ、か。いい名前だな」


「……お兄ちゃんは?」


「タクミだ」


「タクミ」


リナは名前を咀嚼するように呟き、それから小さく笑った。


「……よろしく、タクミ」


「ああ、よろしく」


* * *


その夜、拓実は荷車の中で料理を作った。


材料は少ない。

市場で買った穀物粉、干し肉、野草、そして果物。


だが、スキルが与えた知識は、限られた材料で最善の料理を作る方法を教えてくれる。


穀物粉を練り、薄く伸ばし、炉で焼く。

干し肉を細かく刻み、野草と炒めて餡を作る。

果物を薄く切り、蜂蜜——これは市場で安く手に入った——で和える。


三十分後、テーブルの上には簡素だが、香りのよい料理が並んでいた。


リナは椅子に座り、目を輝かせている。


「……食べていいの?」


「ああ。最初の客だ」


「……最初の客?」


「この宿屋の、最初の客はお前だ」


リナはきょとんとして、それから小さく笑った。


「……いただきます」


一口食べて、目を閉じた。


「……おいしい」


その言葉は、小さかった。

だが、拓実の胸に、じんと響いた。


——これでいい。

——これが、宿屋だ。


建物はなくとも、客室はなくとも、浴場はなくとも。

美味しい料理と、安らげる場所と、「おいしい」と言ってくれる人がいれば、そこは宿屋だ。


拓実も椅子に座り、自分の分を食べた。


美味しかった。

自分で作っておかしいが、本当に美味しかった。


——スキルのおかげか。それとも、誰かと食べるからか。


窓の外には、異世界の夜空が広がっている。

見知らぬ星座。見知らぬ月。


だが、この荷車の中は——暖かかった。


* * *


翌朝。


拓実は荷車の前で、簡素な看板を立てた。


宿屋の看板——というより、木片に炭で書いた張り紙だ。


【旅の宿 相馬荘】

お食事 銅貨三枚

お飲み物 銅貨一枚


宿屋、と書いておきながら客室はない。

食事処、と書くべきだろう。


だが、拓実には譲れないものがあった。


——相馬荘。


祖父が名付けた宿の名前。

自分が潰した宿の名前。


今度こそ、この名前に恥じない宿を作る。

それが、拓実の誓いだった。


リナが、看板の横に花を飾った。

道端に咲いていた野花を、摘んできたらしい。


「……なにこれ」


「飾り。花があると、人は寄ってくるの」


「……どこで覚えた?」


「……昔、お母さんがやってた」


リナはそれ以上言わなかった。

拓実も、聞かなかった。


* * *


最初の客は、昼前に来た。


荷馬車を引く商人だった。

ミラベルを通過する隊商の一員で、隊列から少し遅れて、腹が減っていたらしい。


「……なんだ、ここは? こんなところに店があったか?」


「昨日開いたばかりだ。食事を出している」


「……銅貨三枚? 安いな。本当に食えるのか?」


「保証する」


商人は怪訝そうだったが、腹が減っていたのか、椅子に座った。


拓実は調理場に入り、昨日と同じ料理を作った。

穀物のパン、干し肉の餡かけ、果物の蜂蜜和え。


商人は一口食べて、眉を上げた。


「……これは」


それから黙々と食べ続けた。


完食して、商人は言った。


「……銅貨三枚でこれは安すぎる。もう一枚出すから、あの餡の作り方、教えてくれんか?」


「……レシピは企業秘密です」


「企業? なんだそれは」


拓実は笑って誤魔化した。


商人は満足そうに去り、リナが目を輝かせて言った。


「タクミ、お金もらえた!」


「ああ。最初の売上だ」


銅貨四枚。

微々たる額だが、確かな第一歩だった。


* * *


午後、三人の客が来た。


夕方には、五人。


噂は、意外と早く広がる。


「あの荷車の料理が美味いらしい」

「銅貨三枚で腹いっぱい食えるだと」

「子供が花を飾ってる、変な宿屋がある」


夕暮れ時、拓実は調理場で汗を流しながら、十人目の客の料理を作っていた。


リナは皿を運び、空いた皿を下げ、客に水を配る。

十歳の子供とは思えない働きぶりだった。


「リナ、無理するな。休め」


「……大丈夫。楽しいから」


リナは笑い、また走っていった。


拓実はその背中を見て、少しだけ胸が痛んだ。


——この子は、今までこんな風に働いたことがなかったのかもしれない。

——あるいは、働かざるを得なかったのかもしれない。


わからないことだらけだ。


だが、一つだけわかることがある。


——この子は、ここにいるべき子だ。


* * *


夜。


客が去り、荷車の覆いを下ろし、拓実とリナはテーブルに向き合っていた。


今日の売上は、銅貨三十二枚。


材料費を引いても、二十枚近くが残る。


「……儲かったな」


「うん!」


リナは目を輝かせて、銅貨の山を見ている。


拓実は銅貨を数えながら、考えた。


この調子なら、数日で客室を増設できるかもしれない。

荷車の拡張には、材料と金と時間が必要だが——


「タクミ」


「ん?」


「……明日も、やる?」


「ああ。明日もやる。明後も、その先も」


「……ずっと?」


拓実はリナを見た。


この子の目が、不安そうに揺れている。


——この子は、明日が来ることを信じられないのかもしれない。

——今日が、明日には消えると思っているのかもしれない。


拓実はゆっくりと、だが確かに言った。


「ずっとだ。——リナ、お前を雇う」


「……え?」


「給料は……まだ大して出せないが、食事と寝床は保証する。この荷車で一緒に働かないか」


リナの目が、見開かれた。


それから、下唇を噛み、俯き——


声を上げて泣いた。


昨日も泣いた。

だが昨日は、美味しすぎて泣いた。


今日は——理由は、拓実にもわからない。

あるいは、リナ自身にもわからないのかもしれない。


拓実は何も言わず、ただ黙って、リナの頭に手を置いた。


祖父が、昔、自分にしたように。


——大丈夫だ。

——ここは、お前の家だ。


荷車の中で、少女の嗚咽が響いた。


窓の外では、異世界の月が、静かに光っていた。


——相馬荘、開業初日。


客数、十一名。

売上、銅貨三十二枚。

従業員、二名。


——だが、この宿屋の旅は、まだ始まったばかりだ。


(つづく)

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