ep.13「ポイズン・マスター」
暗峠を抜け、奈良盆地の西側、ひっそりとした山道の待避所に黒いワンボックスが停まっていた。
木々に囲まれ、月明かりすら届かない完璧な物理的死角。エンジンは切られ、車内は陸の展開したモニター群が放つ青白い光だけが光源だった。
「……息は整ったか」
運転席と後部座席を隔てる防音・防磁パーティションの向こうで、陸が静かに問いかけた。
三列目シートに崩れ落ちていた巴が、泥だらけの顔を上げて陸を睨む。その手には、先ほどまで命綱になっていたタブレットが握りしめられていた。
「……おかげさまで。あなたが、さっき電波越しにナビしてくれた人ですか」
「筑紫陸。……まあ、ただのハッカーじゃ」
陸は運転席の方を親指で示した。
「運転とドローン担当が、堂島仁。通称ジン。口より手の方が単純に速い男じゃ」
「よう。無事でよかったのう」
バックミラー越しにジンが軽く手を上げた。
「……鋳方巴です。ありがとうございました。……それで、まずは何から説明してくれるんですか? ドローンからのリアルタイムナビは百歩譲ってわかります。でも、ジャミング下で私のタブレットにどうやって侵入したんです?」
理系の研究者特有の、感情よりも論理的な解を求める強い眼差しだった。
「VLF帯……超長波通信じゃ。潜水艦との通信に使われるような、地中や水中を透過する極端に低い周波数。これなら地表の妨害電波をすり抜けられる」
「でも、VLFって通信速度がすごく遅いんじゃなかったですか? テキスト数文字がやっとと聞いたことがありますけど」
「普通はそうじゃ。VLF帯なんぞ、本来はモールス信号に毛が生えた程度のクソ遅い電波。──だが、あの古墳の増幅ジオメトリは、電波の『位相』に量子レベルのデータを重畳させてきよる。現代の物理学じゃあり得ん帯域じゃ」
陸の声に、純粋な驚嘆が滲んだ。数千年前の建造物が、現代の通信理論を根底から覆す性能を持っている。それが、彼がこの古代技術に取り憑かれている理由でもあった。
陸はキーボードを叩き、モニターに巨大な「前方後円墳」の透視図を映し出した。
「あんたがいた富雄丸山古墳は、巨大な『アンテナ』なんじゃ。あの墳丘全体の土の構造そのものが、VLF帯の電波を受信し、増幅するためのジオメトリ(幾何学形状)になっとる」
「墳丘が……アンテナ?」
「ああ。そして、あんたのタブレットが発する微弱な電磁シグネチャを特定し、ハードウェア保守用の物理ポート経由でバックドアをこじ開けた。……俺ではなく、こいつがな」
陸は、冷却クレードルに鎮座する『翡翠色の石板』を指差した。
「ふぅーむ。これがあの地層を読み解いとった人間ですか。……なるほど、なかなか見どころのあるお嬢さんですのう」
しゃがれたような、それでいてどこか間の抜けた岡山弁風の合成音声。
車内のスピーカーから響いたその声に、巴は目を丸くした。
「こいつがコトダマ。古代のシステム管理AI……みたいなもんじゃ。口は悪いが、悪気はない」
「……AI? ずいぶん古風な喋り方ですね。それに、この石板みたいなただのハードウェアが、どうやって独立してシステムに侵入を……」
「ただのハード!? 心外ですのう! わしをその辺のUSBメモリと一緒にせんでくださいませ!」
石板の表面にビキビキと緑色の幾何学模様が奔る。
「お嬢さんが昼間からチマチマ掘っとった地層……あれがわしのシステムの『礎の器(ハードウェア基板)』の一部ですのう。土の成分、水脈の配置、石の並び……すべてが計算された大いなる理の一部なんですぞぃ!」
「地層が、基板……?」
巴の顔から、さっきまでの強気がスッと消えた。
彼女は考古学者だ。文字のない時代の痕跡を、土の色の違いひとつから読み解く専門家である。
彼女自身が「不自然な土の配置」だと感じていた異常。それがもし、「土や石で作られた規格化された部品」だったとしたら。
「お嬢さんが見つけた盾形銅鏡。あれはただの鏡ではありません。荒ぶる気を大地へ逃がすための『逃げ道』であり、特定の場所を守るための『封印(物理ファイアウォール)』の切り替え盤なんですよ。じゃからお嬢さんは、あの箱の裏に逃げ込めば安全じゃと直感したんじゃろうが」
「……嘘。そんなの、歴史学への冒涜です」
震える声で否定しようとする巴。だが、彼女の理性が「すべて辻褄が合っている」と悲鳴を上げていた。
数千年前の建造物が、現代のスーパーコンピュータを遥かに凌駕するシステムの一部だったなどと、学会で発表すれば一瞬で破滅させられるような事実だ。
「冒涜じゃない。あんたは、誰も気づかなかった設計図を、物理レイヤーから読み取っとったんじゃ」
陸が静かに言葉を添える。
巴は唇を噛み締め、石板を──コトダマを、食い入るように見つめた。オカルトでもファンタジーでもない。彼女の目の前にあるのは、数千年の時を越えて稼働し続ける「超技術」の証明だった。
「……わかりました。信じるしかないみたいですね、悔しいけど」
「で、あんたはどうする。ここで降りて日常へ戻るか、それとも──」
陸が核心に触れようとした、その時だった。
ピィピッ!
突然、陸のメインモニターが赤く点滅し、鋭い警告音が車内に響いた。同時に、コンソール画面に大量のダミーデータが滝のように流れ落ちていく。
「陸! 外部から通信が割り込んできとる!」
運転席のジンが血相を変えて叫んだ。
「馬鹿な……! この場所は完全に偽装したはずじゃ!」
陸がキーボードを叩きまくるが、システムは一向に言うことを聞かない。まるで、ネットワークの海に大量の毒をバラ撒かれ、正規のルートが見えなくなっているかのようだった。
[WARNING: UNKNOWN CONNECTION ESTABLISHED]
[INCOMING MESSAGE] : ……相変わらず、無茶苦茶なルーティングをしてるな、素人さん
モニターの中央に、テキストメッセージが浮かび上がった。
(この手口……!)
陸の脳裏に、数日前の記憶がフラッシュバックする。
クラヴィスによるサイバー包囲網で絶体絶命に陥った際、検索エンジンをダミーデータで埋め尽くす「ポイズニング(検索汚染)」を行い、陸を救ってくれた「謎の第三者」の手口と完全に一致していた。
[INCOMING MESSAGE] : 外を見ろ。手口が派手すぎるから、足がつくんだ
バン、バン。
突然、ワンボックスのスライドドアが外から叩かれた。
「なっ……!?」
ジンがシートの下から予備のスパナを掴み出し、陸も即座に身を固くする。
ここは人里離れた山道の待避所だ。しかもライトも消している。物理的に追跡されるなど、絶対にあり得ないはずだった。
ジンが警戒しながら、ゆっくりとスライドドアを開ける。
夜気とともに、煙草の匂いが流れ込んできた。
「よぉ。派手な花火(ドローン墜落)のおかげで、面白いパレードが見れたぜ」
そこに立っていたのは、くたびれたジャケットを着込んだ中年男だった。
口元に煙草をくわえ、右腕には陸たちを空から追跡してきたであろう、黒く塗装された小型ドローンを抱えている。
「お前は……誰じゃ」
陸が鋭く問い詰める。
男は吸いかけの煙草を携帯灰皿に押し込むと、ニヤリと笑って名乗った。
「真壁章吾。しがないフリージャーナリストさ。……もっとも、あんたらのやってる『歴史の密猟』に比べりゃ、俺の追いかけてる特ダネなんて可愛いモンだがな」
サイバー空間での圧倒的な防御と、物理空間での完全な隠密。
その両方をあっさりと出し抜いた「第四の人物」が、月明かりの下で陸たちを見下ろしていた。
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【次回予告】
名乗りを上げた男──フリージャーナリスト、真壁章吾。
七年間、古墳周辺の不審な土地買収を追い続けてきた男が持つ「紙の証拠」と、陸のデジタルデータが重なった時、敵の真の狙いが浮かび上がる。
「俺はただ、本当のことを書きたかっただけだ」
記者の矜持が、物語を次の階層へ押し上げる。
次回、ep.14「ジャーナリストの矜持」
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【用語・補足解説】
※物語を読むだけなら飛ばして大丈夫です。気になった用語があれば参照してください。
◆ 超長波通信(VLF帯)
非常に波長が長い電波のこと。普通のスマホやWi-Fiの電波と違い、水の中や土の中深くまで届く性質があります。現実世界でも、海中にいる潜水艦との通信などに使われています。ただし、通信速度は極端に遅く、普通はテキスト数文字を送るのがやっとです。
◆ 電磁シグネチャ
電子機器が発する電波の「指紋」のようなもの。スマホやタブレットなどの機器は、それぞれ微妙に異なる電波のパターン(周波数のクセや強さ)を持っています。コトダマはこの「電波の指紋」を手がかりに、巴のタブレットを特定しました。
◆ 重畳
波や信号を「重ね合わせる」こと。本作では、古代のアンテナ(古墳)がVLF帯の電波の「位相(波の揺れ方のタイミング)」に、量子レベルの大量データを重ね合わせて乗せるという超技術として描いています。現代の科学では実現不可能な技術です。
◆ アノマリー(Anomaly)
科学やデータ分析の世界で「理論では説明できない異常な出来事や数値」のこと。巴は古墳の構造にこの「異常」を感じ取っていました。
◆ ポイズニング(検索汚染)
ネットワーク上にあえて偽の情報を大量に流し込み、本当の情報を隠したり、相手のシステムを混乱させたりするサイバー攻撃の手法。真壁はこれを応用して陸のシステムに割り込んできました。
◆ ポイズン・マスター(タイトル)
「汚染の主」=ネットワークに毒を流して操る者。ep.09で陸を救った「謎の第三者」=真壁の手口を指し、彼がこの話で姿を現すことから付けられた題です。
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※本作はフィクションです。実在の人物・団体・事件とは関係ありません。
※遺跡・古墳の無断立ち入りや発掘は法律で禁止されています。見学の際は管理者の指示とマナーを守ってください。




