第7話 世界最大企業が、俺の学院から徒歩十二分の場所へ本部を移すらしい
俺が暮らす男子学生寮の地下には、三十年前に封鎖された秘密通路があるらしい。
しかも、入口は俺の部屋の真下。
昨夜、俺が最高幹部会議へ参加していた時間に、何者かがその通路を使用した痕跡まで見つかっている。
普通なら、しばらく部屋へ戻らない方がいい状況なのだろう。
「ただいまー」
「お帰り、アレン。随分遅かったな」
俺はいつもどおり、学生寮へ戻っていた。
共有廊下では、トーマが洗濯物を抱えて立っている。
「また《アウローラ》の面談だったのか?」
「新しい術式について、少し質問されてただけだよー」
「世界中の教科書を書き換えた術式について?」
「大げさだねー」
「教師が今日一日中、興奮してたぞ」
トーマは俺の顔を疑うように眺める。
「本当に、お前は何者なんだ?」
「普通の学生だよー」
「世界最大企業の会長、軍事総司令、情報部門長、研究部門から次々に呼ばれる普通の学生がいるか!」
「運がいいんじゃないかなー」
「その言葉、もう聞き飽きたぞ」
トーマは呆れながら、自分の部屋へ向かった。
「俺は浴場へ行ってくる。今日は給湯用の魔道具まで新品に交換されたらしいぞ」
「学院も便利になっていくねー」
「全部の寄付だ。お前が入学してから、この学院だけ異常に待遇がよくなってないか?」
「偶然じゃないかなー」
「絶対に違うと思う」
トーマが階段を下りていく。
姿が見えなくなったところで、俺は自室の扉を開けた。
学院から与えられた、一般的な一人部屋だ。
ベッド。
机。
本棚。
衣装棚。
窓からは中庭が見える。
食堂まで近く、朝も比較的静かだったので、この部屋を選んだ。
まさか床下に古代遺跡へ続く通路があるとは思わなかった。
「誰もいないみたいだねー」
『正確には、目視可能な範囲には誰もおりません』
机に置かれた黒い通信石から、シズクの声が聞こえた。
「シズクはどこにいるのかなー」
『お部屋の影です』
俺は室内を見回す。
どこにも姿はない。
「いつからいたの?」
『三時間前から』
「俺の部屋なんだけどねー」
『存じております』
「本人がいないときに入るのは、よくないんじゃないかなー」
『緊急警護ですので』
何を言っても出てくるつもりはないらしい。
『床下の隠し扉が開き始めています』
「見えてるよー」
ベッドの下。
昨日までは普通の床板だった場所に、細い亀裂が走っている。
床板そのものが、音もなく左右へ移動していた。
『創設者様は、窓から退避してください』
「学院ではアレンでいいよー」
『……アレン様は、窓から退避してください』
「少し進歩したねー」
『今は呼び方について話し合っている場合ではありません』
「大丈夫だよー」
『その言葉が最も信用できないと、最高幹部全員から報告を受けています』
「みんな、ひどいねー」
床板の隙間が、人一人通れるほど広がる。
暗闇の中から、何かが階段を上ってくる音が聞こえた。
金属同士が擦れるような、一定の足音。
俺はベッドの横に立ち、その何かが姿を見せるのを待った。
最初に現れたのは、黒い手だった。
人間に似ている。
しかし指の関節は金属で作られ、表面には細かな古代文字が刻まれていた。
続いて、黒い外套をまとった人影が床下から這い出してくる。
背丈は成人女性ほど。
顔は深い頭巾に隠れている。
『対象を確認』
シズクの声が低くなる。
『生命反応なし。人間ではありません』
「夜中に女の子が部屋へ来たのかと思ったんだけどねー」
『その可能性を期待されていたのですか』
「誰かと間違えてないかなーと思って」
『後ほど、皆様へ報告します』
「報告しなくていいからねー」
黒い人影が、俺へ顔を向ける。
頭巾の奥で、赤い光が二つ点灯した。
『管理対象外生命体を確認』
人影の胸元から、古い声が響く。
『排除工程へ移行』
「話し合いは難しそうだねー」
人影が腕を伸ばした。
袖の中から、細い刃が飛び出す。
俺の首へ向かって、一直線に振るわれた。
「アレン様!」
床の影から、シズクが飛び出す。
しかし、その前に俺は刃を二本の指で挟んだ。
金属音が室内へ響く。
「危ないよー」
『障害。排除不能』
人影が刃を引こうとする。
俺は指を離さない。
少し力を込めると、古代金属で作られた刃が乾いた音を立てて折れた。
『武装破損』
「学生寮では静かにしないとねー」
俺は人影の額を指先で軽く叩いた。
内部の魔力回路が一瞬だけ乱れる。
黒い人影は、その場で動きを止めた。
シズクが無言で俺を見る。
「どうしたのー?」
「……いえ」
シズクは折れた刃と、停止した人影を交互に確認する。
「情報部門の精鋭十五名で制圧する想定でした」
「大げさだねー」
「古代戦闘兵器です」
「少し古い人形みたいだけどねー」
「その少し古い人形は、王国騎士団一個中隊に相当する魔力を保有しています」
「頑丈なんだねー」
「指二本で武器を破壊した方がおっしゃらないでください」
シズクは停止した人影の頭巾を外した。
中から現れたのは、目を閉じた女性の顔だった。
肌も髪も本物に見える。
しかし首筋には金属の継ぎ目があり、額には赤い魔石が埋め込まれている。
「自動人形ですね」
「誰かが操ってたのかなー」
「外部からの操作反応はありません」
シズクが人形の胸部へ手を当てる。
影から細い糸のような魔力を伸ばし、内部を調べていく。
「事前に設定された命令だけで動く、古代の搬送人形です」
「搬送?」
「戦闘が本来の目的ではないようです」
人形の背中には、細長い収納箱が固定されていた。
シズクが慎重に留め具を外す。
中に入っていたのは、一枚の石板だった。
表面には、見覚えのある魔力回路が刻まれている。
「旧式増幅術式だねー」
「王立研究院へ届けられた石板と、同じものです」
「じゃあ、この子が送ったのかなー」
「可能性が高いです」
人間の黒幕が学院内へ潜んでいるわけではなかったらしい。
三十年前に封鎖された旧地下資料庫。
そこに眠っていた古代の搬送人形が、決められた時期になると起動する。
災厄へ魔力を送る術式を、人間の研究者へ届ける。
人々は便利な技術だと思って術式を広める。
そのたびに、災厄の封印へ魔力が蓄積されていく。
「ずいぶん気の長い仕組みだねー」
「千年以上を想定した覚醒装置です」
シズクの尻尾が、警戒するように低く揺れる。
「王立研究院の者たちは利用されただけだったのですね」
「責めなくて済んでよかったねー」
「この状況で、最初に他者への配慮をなさるのですね」
「普通じゃないかなー」
「皆様が聞けば、また感動します」
「報告しなくてもいいよー」
「すでに記録中です」
通信石の向こうから、複数の気配がした。
『アレン! 無事か!?』
ラグナの大声が響く。
『通信回線で叫ばないでください、閣下』
カレンの冷静な声が続く。
『お怪我はありませんか?』
セレス。
『映像記録を送ってください』
ミコト。
『搬送人形を破壊せず確保してください。研究します』
エルシア。
『アレン様のお部屋へ女性型人形が侵入したという認識でよろしいかしら?』
ヴィオラ。
「みんな聞いてたんだねー」
「警護情報は共有されています」
「人形だからねー」
『外見が女性であることに変わりはありません』
ヴィオラは何を警戒しているのだろう。
「この人形を止めれば、《灰冠の王》への魔力供給も止まるのかなー」
『人形一体を停止しただけでは不十分です』
エルシアの声が答える。
『同じ型の搬送人形が、世界各地に存在する可能性があります』
「でも、命令を送ってる場所は一つだよねー」
『なぜ、そう思われるのですか?』
「この子の回路が、全部外側を向いてるからねー」
俺は搬送人形の胸部を指さした。
人形を動かす魔力回路。
命令を受け取る通信回路。
自己修復用の補助回路。
どれも複雑に見えるが、中心にある構造は単純だった。
「外から命令を受けてるんじゃなくて、この人形からほかの施設へ起動命令を送ってるみたいだよー」
『この個体が中継中枢……?』
エルシアの声に、わずかな驚きが混じる。
「たぶんねー」
俺は人形の胸元へ指を触れた。
第三接続点。
古代ゴーレムにも、旧式増幅術式にも存在した逆向きの回路。
「ここを戻したら、停止命令を送れるんじゃないかなー」
『お待ちください』
エルシアが止める。
『理論解析に二時間必要です』
「そんなに待つと、トーマが浴場から戻ってきそうだねー」
『では一時間で』
「変わらないねー」
俺は爪先で、魔力回路の線を一本なぞった。
逆向きに流れていた魔力が正常な方向へ戻る。
搬送人形の額にある赤い魔石が、青白く変化した。
『命令系統、反転』
『全搬送個体へ、停止信号を送信』
『偽炎拡散工程を終了』
人形の声が響く。
同時に、通信石の向こうで警告音が鳴った。
『封印内部の魔力上昇が停止しました!』
ノエルの明るい声。
『完全覚醒までの残り時間表示が消失しています!』
『《灰冠の王》の活動反応が低下』
エルシアが続ける。
『封印は、再び休眠状態へ移行しました』
「終わったみたいだねー」
通信回線が静まり返った。
『……アレン』
セレスが、ゆっくりと俺の名を呼ぶ。
「何かなー」
『千年以上かけて構築された災厄覚醒機構を、数秒で停止させたのですか?』
「線を一本戻しただけだよー」
『それをできる者が、ほかにいないのです!』
「昔の術式は分かりやすいからねー」
『やはり、すべて見抜いておられたのですね』
「今見つけたんだけどねー」
『学院へ入学された時点で、この部屋の真下に中継中枢が存在することまで――』
「知らなかったよー」
『ご自身の功績を隠すため、あえて偶然とおっしゃるのですね』
「本当に偶然なんだけどねー」
いつものように、誰も信じてくれなかった。
◇
翌日の放課後。
俺は再び、学院地下の仮設会議室へ呼ばれた。
今回は最高幹部五人と、側近五人が全員揃っている。
円卓の中央には、学院都市の巨大な立体地図が表示されていた。
「第一災厄《灰冠の王》は、休眠状態へ戻りました」
セレスが会議を始める。
「搬送人形による旧式術式の拡散も、世界各地で停止しています」
「残る六つの封印候補については、監視を継続します」
ミコトが続ける。
「現時点で、覚醒の兆候はありません」
「これで、しばらく普通の学生生活に戻れるかなー」
俺が尋ねると、十人が沈黙した。
「どうしたのー?」
「アレン」
セレスが、経済資料の束を円卓へ置く。
「今回の件で、現在の世界本部には重大な問題があると判明しました」
「世界本部?」
「はい。《アウローラ》の現本部は、学院都市から転移門を使用しても十二分かかります」
「十分近いと思うけどねー」
「遠すぎます」
「そうかなー」
「アレンのお部屋へ古代兵器が侵入してから、最高幹部が現地へ到着するまで十二分を要しました」
「シズクがいたから大丈夫だったよー」
「私一人では不十分です」
シズクが淡々と答える。
「十分強いと思うけどねー」
「アレン様を守るには、最高幹部全員と正式構成員千名でも不足しています」
「そこまで狙われてないよー」
「昨日狙われました」
「人形にだけどねー」
セレスが新たな資料を広げる。
「そこで、《アウローラ》世界本部を学院都市へ移転します」
「……世界本部って、そんな理由で移していいのー?」
「もちろん、経営上の合理的判断です」
セレスは表情一つ変えない。
円卓の上へ、大量の経済資料が積み上げられた。
「学院都市は、大陸中央部に位置しています」
リゼットが資料を読み上げる。
「主要街道五本と接続。周辺六か国への物流効率は、現本部より十七パーセント向上します」
「王立魔法学院を含む、十二の教育機関が存在します」
カレンが続ける。
「優秀な人材の採用拠点としても適切です」
「地方経済の活性化と、都市部への人口集中緩和にも効果があります」
シズクが次の資料を提示する。
「新たな転移門ターミナルを設置すれば、世界各支部への移動時間も短縮できます」
「医療、金融、商業、娯楽施設を一体化することで、新たな需要を生み出せます!」
ノエルが元気よく説明する。
「世界本部移転による経済効果は、今後五十年間で現本部を上回る見込みよ」
ヴィオラが優雅に微笑む。
「すべて合理的な判断です」
「みんな、よく考えてるんだねー」
「はい」
全員が同時に頷いた。
俺は何気なく、資料の一番下にある紙を引き抜いた。
大きな文字で、予定地の利点が並んでいる。
物流網。
土地価格。
人口。
雇用。
税収。
その最下部。
ほとんど見えないほど小さな文字で、一行だけ追記されていた。
――アレン様の学院まで、徒歩十二分。
「これが一番大事なんじゃないかなー」
十人が同時に目を逸らした。
「偶然です」
セレスが答える。
「偶然なの?」
「経営上の合理的判断です」
「目を合わせて言ってほしいなー」
誰もこちらを見ない。
「施設名は、《アウローラ・グランド》を予定しています」
リゼットが新たな立体映像を表示した。
巨大な建物が、学院都市の一角へ現れる。
いや。
建物というより、一つの街だった。
巨大百貨店。
世界各国の飲食街。
魔道具専門店。
冒険者用品店。
高級宿泊施設。
総合病院。
銀行本店。
劇場。
温浴施設。
学生向け商店街。
転移門ターミナル。
社員用住居区。
「大きすぎないかなー」
「世界本部ですので」
「都市の中に、もう一つ都市ができそうだねー」
「その規模を想定しています」
「土地はどうするの?」
「すでに購入済みです」
ヴィオラが答えた。
「いつの間に?」
「昨夜です」
「決める前に買ったの?」
「決定することは分かっていましたので」
「俺の意見は聞かなくてよかったのかなー」
「反対されることも分かっていましたので」
「先回りされてるねー」
立体映像が地下へ移動する。
地上施設よりも、さらに広大な空間が表示された。
「地下深くには、《ノクス・アウローラ》の新本部を建設します」
セレスが説明する。
「世界各支部と接続する指令室」
「正式構成員の訓練区画!」
ラグナが胸を張る。
「災厄を研究する封印研究所」
エルシアが続ける。
「秘密転移門、情報中枢、緊急避難施設」
ミコトが指し示す。
「専用医療区画、幹部会議室、金融・外交用の交渉室も設置するわ」
ヴィオラが映像を操作する。
「それと、アレン専用執務室です」
「俺、仕事する予定はないよー」
「将来的な可能性を考慮しただけです」
立体映像が、地下本部の居住区へ切り替わった。
中央には、広大な住居。
その周囲を囲むように、十の部屋が配置されている。
「これは何かなー」
「アレン様専用居住区です」
クラリスが柔らかく微笑む。
「俺、ここに住むなんて言ってないよねー?」
「将来的な可能性を考慮しただけです」
今度は全員が同じ言葉を口にした。
「周りの十部屋は?」
「私たち五人と、側近五人の居室です」
セレスが平然と答える。
「どうして俺の部屋を囲んでるのかなー」
「警護上の理由です」
カレンが答える。
「夜間に異常が発生した場合、最短で到着できます」
「全員が同じ距離になるよう、厳密に配置しました」
エルシアが補足する。
「一部屋でも近い者がいると、争いになりますので」
「もう争う前提なんだねー」
「百二十七年間の実績から判断しました」
リゼットが淡々と言う。
反論できなかった。
「世界本部の移転は、いつ発表するの?」
「三分後です」
「もう決定なんだねー」
「全会一致です」
「俺を除いて?」
「アレン様には、ご報告という形を取らせていただきました」
「創設者なのにねー」
円卓の通信魔道具が、一斉に光った。
世界中の報道機関へ、《アウローラ》から重大発表が送られる。
――世界企業は、王立魔法学院の存在する学院都市へ、世界本部を移転する。
――同時に、世界最大級の複合商業施設を建設する。
――建設開始は、明朝。
――完成予定は、十日後。
「十日で作るの?」
「急ぎますので」
「普通は何年もかかる規模じゃないかなー」
「魔導研究部門、軍事部門、建設部門が共同すれば可能です」
「睡眠時間は確保してあげてねー」
「そのご命令があることを想定し、全作業員を三交代制にしています」
「先回りが上手になったねー」
俺が褒めると、セレスたちが嬉しそうに微笑んだ。
◇
翌朝。
俺がトーマと学院へ向かっていると、都市全体が揺れた。
「な、何だ!? 地震か!?」
「違うみたいだねー」
学院から徒歩十二分ほどの土地。
昨日まで広い空き地だった場所に、数千人の女性作業員が集まっていた。
巨大な建設用ゴーレム。
空を飛ぶ運搬船。
土属性魔法で地面を掘り進める魔導技師。
転移門から次々と運び込まれる建材。
一晩で、建物の基礎部分が姿を現している。
「おい、アレン! 昨日の重大発表を見たか!?」
トーマが興奮して俺の肩を掴む。
「《アウローラ》が、この都市へ世界本部を移すんだぞ!」
「そうみたいだねー」
「どうして、そんなに落ち着いてるんだ!」
「学院都市は便利だからじゃないかなー」
「世界最大企業が、突然こんな地方都市へ来るんだぞ!?」
「経営上の合理的判断らしいよー」
「誰から聞いたんだ?」
「新聞に書いてなかったかなー」
「まだ理由までは発表されてない!」
「勘だねー」
「また勘かよ!」
建設現場の最上部。
巨大な看板が、魔法によって掲げられる。
《アウローラ・グランド》
世界最大級の複合商業施設。
世界企業新本部。
十日後、開業。
「完成したら、一緒に行こうぜ!」
トーマが目を輝かせる。
「世界各国の料理が食べられるらしいぞ! 学生向けの商店街もあるんだ!」
「楽しそうだねー」
「一番乗りしよう!」
「そうしようかー」
俺は建設現場を眺める。
地上では、世界最大級の商業施設が作られている。
その地下では、秘密結社の新本部が、地上以上の速度で建設されているらしい。
すべての理由は、俺の学院から徒歩十二分だから。
「偶然ですね、アレン様」
昨夜、セレスは完璧な笑顔でそう言っていた。
絶対に、偶然ではなかった。
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