第66話 『今度は十一人で帰って』と言われたので、世界最大企業に全員分の帰り道を作ってもらいました
《今度こそ》
《十一人全員を》
《外に残さないで》
通信画面に残された文章を見ながら、俺はしばらく考えていた。
アウローラが俺を帰還先に指定していたことも驚きだったが、それ以上に引っかかるのは最後の言葉だった。
十一人。
俺とセレスたち十人。
四百年前、《最初の家》へ辿り着いた人数と同じだ。
けれどアウローラは、俺が十人を助けるより前から外側にいたはずだった。もし彼女が俺たちのことを以前から知っていたのなら、これまでの話が少し変わってしまう。
「エルシア、通信はまだできる?」
「はい。帰還経路を閉じたまま、文字情報だけなら送受信できます」
「じゃあ、もう一つだけ確認したいな」
俺がそう言うと、セレスは少し考えてから頷いた。
「確認すべきことだと思います。ただし、今日は質問を増やしすぎないでくださいね」
「分かってるよー」
トーマが横から小さく笑った。
「お前、四百年以上生きてるのに、最近ずっと生活指導受けてるな」
「生活指導じゃないと思うけど」
「ほとんど生活指導だろ」
否定しようとしたが、セレスが俺の睡眠時間まで確認し始めたので、今回は黙っておくことにした。
エルシアが送信術式を整える。
俺は少し考え、短い文章を入力した。
《今の十人のこと、前から知ってた?》
送信から返事までは、さほど時間が掛からなかった。
《名前は知らなかった》
《でも十一人いるのは知ってた》
続けて、もう一通。
《帰還先ができた時、十一人分の記録が届いたから》
「ああ、そういうことか」
思わず声が出た。
四百年前。
俺が十人と《最初の家》を作った時、第十一帰還点は俺たち十一人の魔力波形を記録している。
そして、その瞬間に俺の長い帰還処理が完了した。
古代帰還網がアウローラへ何らかの通知を送っていたとしても、おかしくはない。
《名前までは分からなかったけど》
《あなたが一人じゃなくなったのは分かった》
俺は十人を見る。
セレスは静かに目を伏せた。
ラグナは腕を組んでいるが、さっきまでの険しい表情は少し和らいでいる。
「じゃあ、昔帰れなかった十人とは別なんだね」
《うん》
《あなたと一緒にいる十人は、あなたが選んだ家族》
《昔の十人は、私が帰還を担当していた人たち》
これで一つ整理できた。
古代の十人が、現在のセレスたち十人と同一人物だというわけではない。
何千年も前から、俺が彼女たちと秘密結社を作ることが決まっていたわけでもない。
四百年前に十一人で《最初の家》を作ったことは、俺たち自身が決めたことだ。
そこは変わらない。
「よかったねー」
俺が言うと、トーマが怪訝そうな顔をした。
「何が?」
「秘密結社まで全部、古代の計画だったらちょっと嫌だなと思って」
「お前が冗談で始めたことが重要なのか?」
「うん。みんなが頑張った結果だからね」
俺はセレスたちを見る。
「誰かが決めた通りに世界最大企業になったんじゃ、みんなの四百年がもったいないでしょ」
誰もすぐには答えなかった。
セレスは少しだけ唇を結び、カレンは穏やかに微笑んだ。
ラグナが大きく笑う。
「当然である! 我らが勝手に世界規模へ育てたのだ!」
「それはそれで、だいぶおかしいからな」
トーマの指摘は聞かなかったことにした。
ただ、安心したところで仕事が終わったわけではない。
むしろ、ここからが本題だ。
昔の十人。
第七帰還点からユノアは無事に帰ってきた。
残り九人。
そしてリーネ。
さらにアウローラ自身。
帰れない人間が、まだ大勢いる。
「じゃあ、今度はちゃんと全員帰さないとね」
俺が言うと、セレスがこちらを向いた。
「アレン」
「うん?」
「今度は、一人で全員を迎えに行くとは言わないのですね」
「言わないよ。だって今は――」
俺は調査室に集まった顔ぶれを見渡した。
「世界最大企業があるからねー」
その言葉に、セレスが完全に固まった。
ラグナが目を見開く。
カレンも一瞬だけ動きを止めた。
そしてトーマが、ゆっくり俺を見た。
「……お前、今、世界最大企業をものすごく気軽に使おうとしてないか?」
「でも、困ってる人を帰す仕事でしょ?」
「まあ、そうだけど」
「《アウローラ》って、そういうことする会社じゃないの?」
その質問に答えたのはセレスだった。
「……そうです」
さっきまでの驚きが消え、彼女は静かに微笑んだ。
「まさに、そのための組織です」
四百年前。
帰る場所を失った子供たちが、もう一度誰かと暮らせるように。
そして、その場所を守り続けるために。
《ノクス・アウローラ》は大きくなった。
今では物流も金融も医療も通信も、世界中へ広がっている。
だったら。
「何千年も帰れなかった人を迎えるくらい、できるんじゃない?」
俺が言うと、セレスは胸元の《また帰る》の首飾りに触れた。
「やりましょう」
その声は、世界最大企業の会長としてのものだった。
「《アウローラ》全体の帰還支援体制を再編します」
そして彼女が端末へ手を伸ばした瞬間。
世界中の《アウローラ》主要拠点へ、緊急招集通知が送信された。
俺は少し驚いた。
「え、そんな大規模に?」
「アレンが世界最大企業を使ってよいと言ったのですよ?」
「言ったけど」
「では、遠慮は必要ありません」
セレスが楽しそうに笑った。
ちょっとだけ、昔の過剰な先回りを思い出した。
でも今回は違う。
ちゃんと任せた仕事について、彼女が自分で判断している。
だったら俺は、余計な口を挟まないほうがいい。
「お願いねー」
「はい。お任せください」
それから約三十分後。
調査室に、世界各地の《アウローラ》幹部が通信参加することになった。
大陸北部の物流統括責任者。
南方医療都市の総責任者。
西部魔導通信網の主任技師。
東方地域の危機管理統括。
各国の帰還支援部門。
全員が、それぞれの場所から会議へ参加している。
もちろん、一般社員へ古代災厄の存在をすべて知らせるわけではない。
今回必要な範囲だけ情報を共有し、危険が予想される現場では安全確保を優先する。
セレスがそう説明すると、参加者たちは次々に頷いた。
俺はその光景を眺めながら、少し感心していた。
「すごいねー」
トーマが横で腕を組む。
「何が?」
「昔は会議っていっても、みんなで机囲んでお菓子食べてただけだったのに」
「比較するな」
「ラグナがお菓子全部食べたこともあったね」
「首領! 今それを言う必要はあるまい!」
巨大な投影盤の向こうで、世界各地の幹部たちが一斉に固まった。
どうやら彼らにとってラグナは、世界有数の軍事指導者らしい。
その人物が四百年前、お菓子を独占して怒られていたという情報は、かなり衝撃的だったようだ。
トーマが顔を覆った。
「歴史の教科書を書き換えるな。会議中だぞ」
「ごめんごめん」
ラグナは不満そうだったが、セレスが一度咳払いすると、会議はすぐ本題へ戻った。
最初に確認されたのは、古代帰還点の安全性だ。
第一から第十までの帰還点は、すべて現在の《アウローラ》主要拠点と重なっている。
ただし、地下深くに古代施設そのものが現存しているかどうかは、地点ごとに異なる。
第七帰還点では、ユノアの帰還を受け入れることに成功していた。
それ以外の九地点は、現在も受入承認待機のままだ。
「問題は、相手が本当の帰還者かどうかです」
エルシアが説明する。
「《黎明喰らい》に相当する存在は、名前、声、記憶情報を模倣する能力を持っています。通常の本人確認は信用できません」
南方医療都市の責任者が質問した。
『第七地点で行った魔力照合も危険ということでしょうか?』
「単独では不十分です。古代帰還網の魂魄識別と自己連続性照合を組み合わせ、さらに現在の受入側で独立した検査を行います」
別の責任者が手を上げた。
『一致しなかった場合は、即座に排除しますか?』
「いいえ」
答えたのはカレンだった。
「一致しなければ保留です。誤認の可能性もありますから、追加調査を行います。敵対行動がない相手へ先制攻撃は認めません」
俺は頷いた。
それでいいと思う。
帰ってきた人間が、何千年も時間のずれた世界で最初に見るものが武器だったら、かなり悲しい。
エルシアがさらに説明を続ける。
帰還者本人の意思確認。
古代側の登録情報との照合。
外部干渉の検査。
受入先の承認。
そして、帰還成立後の医療対応。
必要な手順が、次々に整理されていく。
俺としては、もっと時間が掛かると思っていた。
けれど、参加している責任者たちは驚くほど手際がいい。
当然かもしれない。
世界中の事故や遭難者を何百年も扱ってきた組織なのだ。
未知の空間から帰ってくる人間の対応は初めてでも、救助活動そのものは毎日のように行っている。
「すごいな……」
トーマが呟いた。
「ね」
「いや、お前じゃない。こっちの人たち」
「分かってるよー」
「世界最大企業って、ちゃんと世界最大企業なんだな」
変な感想だと思ったが、俺も似たようなことを考えていた。
四百年前。
俺は十人に食事を作った。
寝床を用意した。
怪我をしたら治した。
それだけだった。
今では。
何千年も帰れなかった人間を迎えるために、世界中の専門家が連携している。
規模が違いすぎる。
それでも、やっていることは不思議と同じだった。
「ところで」
セレスが俺を見る。
「今回の帰還支援計画について、正式名称を決めたいと思います」
「名前?」
「はい。関係部門が非常に多いため、共通名称が必要になります」
なるほど。
それは分かる。
「普通でいいんじゃない?」
「例えば?」
少し考える。
帰る人を迎える。
危ないものを入れない。
ちゃんと本人を確認する。
そして、帰ってきたら休んでもらう。
「《全員帰宅計画》とか?」
セレスが止まった。
トーマも止まった。
ラグナは大きく笑った。
「はははっ! よいではないか!」
「いや待て」
トーマが俺を見る。
「世界最大企業の全世界規模緊急計画だぞ?」
「うん」
「もっと格好いい名前とかないのか?」
「帰宅する計画だからねー」
「そのまますぎるだろ!」
ところが。
セレスは端末へ視線を落とし、何かを入力し始めた。
「……悪くありません」
「セレス?」
「むしろ、今回の目的が正確に伝わります」
嫌な予感がした。
投影盤の一番上。
緊急会議の名称が変更される。
《アウローラ全世界帰還支援計画》
その下。
《通称――全員帰宅計画》
「本当に採用したの!?」
俺が言うと、セレスは不思議そうに首を傾げた。
「アレンの提案ですが?」
「そうだけど、もっとちゃんと考えてもよかったんじゃない?」
「十分考えました」
会議参加者たちが揃って頷いている。
トーマだけが椅子へ深く沈んだ。
「世界最大企業の重要計画名が三秒で決まった……」
「三秒じゃないよ。五秒くらいは考えた」
「そこじゃない!」
そんなやり取りをしている間にも、計画は急速に形になっていった。
セレスが全体統括。
エルシアは古代術式と魔力安全の解析。
カレンは帰還承認手順の管理。
ラグナは各地点の緊急対応部隊。
ミコトとシズクは現地の警備と情報確認。
ヴィオラは関係各国との調整。
リゼットは必要な資金と資材の手配。
ノエルとクラリスも、各地の支援部門と連絡を取り、帰還者の生活支援や受入準備を進めている。
誰も俺へ、すべての判断を求めてこなかった。
自分の担当範囲で決められることは自分で決める。
判断が必要なところだけ共有する。
それが、とても自然だった。
俺は椅子へ座ったまま、少し笑ってしまった。
「何だか、楽になったねー」
シズクがすぐこちらを見る。
「前は、全部アレン」
「そうだったね」
「今は、みんな」
「うん」
それでいい。
むしろ最初からそうすればよかった。
四百年も掛かったけれど、ようやく分かった気がする。
会議が終盤へ差し掛かった頃、エルシアが一件の報告を持ってきた。
「アレン。第二帰還点から、本人照合可能な応答がありました」
「お、二人目?」
「まだ帰還できると決まったわけではありません。ただ、古代帰還網に保存されている対象情報と、現在の応答が一致しています」
第二帰還点。
そこは現在、《アウローラ》の西部沿岸物流拠点になっている。
巨大な港湾施設だ。
世界各地へ物資を運ぶ船が集まり、魔導通信網と医療設備も整備されている。
ユノアへ確認すると、第二帰還点を担当していた人物のことを覚えていた。
「アシュル」
「友達?」
「うん。私より三つ上」
ユノアは少し懐かしそうに笑った。
「いつも道具を直してた。壊れてない物まで分解して、よく怒られてた」
「エルシアみたいだねー」
エルシアがこちらを向いた。
「私は壊れていない物を無意味に分解したりしません」
「前に俺の帰還標、分解したそうだったよね?」
「調査に必要なら分解します」
「ほら」
「それは違います」
トーマが笑っている。
ユノアも少しだけ表情を緩めた。
古代帰還網で救助を待っているのは、歴史上の数字ではない。
彼女にとっては、つい八日ほど前まで一緒にいた仲間なのだ。
「帰せそう?」
俺が尋ねると、エルシアが慎重に頷いた。
「帰還対象の識別照合は成立しています。追跡干渉も現時点では検出されません。ただし、受入時の安全を保証するものではありません」
「じゃあ、現地の準備ができてからだね」
「はい」
西部沿岸物流拠点では、すでに帰還区画の隔離準備が始まっていた。
港湾施設の地下にある大型倉庫。
そこが第二帰還点の受け入れ場所になる。
ただし、物流機能を止めるわけではない。
一般貨物の経路を変更し、該当区画だけを封鎖する。
必要な物資は別棟から搬入。
医療班も待機。
万が一、未知の魔力反応が発生した場合は、帰還区画だけを切り離せるようにする。
その準備が完了するまで、俺たちは第二帰還点へ接続しなかった。
「……本当に、ものすごい組織だな」
トーマが映像を見ながら言った。
「何が?」
「普通なら国家規模の災害対策会議になるようなことを、お前の会社が普通にやってる」
「俺の会社じゃないよー」
「創設者だろ?」
「名前つけただけだし」
「もうその言い訳は聞き飽きた!」
確かに、最近よく言っている気がする。
その後、現地の受入準備が完了したという報告が届いた。
エルシアが最終確認を行う。
「第二帰還点、外部追跡反応なし。帰還対象一名。帰還先承認は現地責任者、中央帰還管理室、本人確認担当の三者が独立して実施します」
「うん」
「ただし、何か異常があれば即座に保留します」
「お願い」
俺は世界地図へ視線を向けた。
第七帰還点はすでに帰還完了。
第二帰還点が、今から動く。
残りの地点は待機。
第十一帰還点については、引き続き完全に受け入れ停止。
アウローラ自身の帰還経路も開かない。
一つずつ。
ちゃんと進める。
「始めます」
エルシアが承認信号を送った。
《第二帰還点》
《帰還対象――アシュル》
《魂魄識別――一致》
《自己連続性――一致》
《受入側照合――成立》
《帰還処理を開始》
映像通信の向こう。
港湾拠点の地下倉庫へ、淡い光が広がっていく。
ユノアの時と同じだった。
床へ円形の光が現れる。
その向こうに、薄い膜のようなものが形成された。
しばらくすると、人影が見えた。
背の高い青年。
灰色がかった短い髪。
古代の作業服らしきものを着ている。
片腕には工具箱。
もう片方の手には、壊れた魔道具のようなものを持っていた。
「……アシュル!」
ユノアが思わず立ち上がった。
映像の向こうの青年もこちらへ顔を向ける。
何かを叫んだ。
古代語だった。
ユノアは泣きそうな顔で笑った。
「生きてた!」
青年も大きく頷く。
ただし、すぐにはこちらへ来ない。
自分の足元。
帰還点。
周囲の安全確認。
それらを何度も見比べている。
どうやら本人も、帰還経路へ何かが紛れ込む危険を理解しているらしい。
エルシアが最終照合を行い、現地の三者承認がすべて揃った。
《帰還可能》
「いいよー」
俺が言った。
もちろん、それだけで門が開くわけではない。
あくまで最後の一言だ。
現地責任者が承認操作を行う。
青年はゆっくり一歩踏み出した。
そして。
《第二帰還点》
《帰還成立》
光が消えた。
倉庫の床へ、青年が立っている。
帰ってきた。
本当に。
何千年もの時間を越えて。
アシュルはしばらく呆然としていた。
天井を見る。
床を見る。
自分の手を見る。
やがて、工具箱をそっと床へ置いた。
そして古代語で何かを言った。
ユノアが笑いながら答える。
二人の言葉は、まだ翻訳術式を通していない。
俺だけは意味が分かった。
『何でこんなに建物が大きいんだ?』
『すごく時間が経ったんだよ』
『どれくらい?』
『聞かないほうがいいかも』
アシュルが目を見開いた。
それから周囲を見回す。
港湾施設の壁に並ぶ魔導設備。
大型の搬送装置。
現在の通信端末。
その全部を眺めたあと。
彼は突然、目を輝かせた。
『これ、どうやって動いてる?』
ユノアが顔を覆った。
『アシュル! 帰ってきたばかりなんだから!』
『いや、でもあの搬送装置、魔力の流れがおかしい。どうやって回転を安定させてるんだ?』
『あとで!』
俺は笑ってしまった。
「元気そうだねー」
トーマも笑う。
「何千年ぶりに帰ってきて、最初に気にするのが機械なのかよ」
「好きなんでしょ」
エルシアは映像を見ながら、妙に真剣な顔をしていた。
「……古代の機械技師」
「エルシア?」
「交流したいですね」
「まず検査してからね」
「承知しています」
その顔は、本当に承知しているのか少し怪しかった。
アシュルは医療担当者へ案内され、隔離区画へ移動した。
検査が完了するまで外へは出られない。
けれど、本人は特に不満そうではなかった。
むしろ医療検査に使われる魔道具へ次々に質問し、担当者を困らせている。
ユノアが笑いながら、何度も通訳していた。
そして十分ほど経って。
第二帰還点から正式な報告が届いた。
《帰還者アシュル》
《身体状態――安定》
《外部災厄干渉――検出なし》
《一時保護完了》
全員がほっと息を吐いた。
俺も椅子へ深く座る。
「よかったねー」
セレスが微笑んだ。
「はい」
一人目。
ユノア。
二人目。
アシュル。
まだ八人残っている。
リーネも。
アウローラも。
全員を帰せたわけではない。
でも。
「できるんだね」
俺が言うと、セレスがこちらを見る。
「何がです?」
「俺が一人で迎えに行かなくても、ちゃんと帰ってこられる」
「……はい」
彼女は少しだけ目を伏せた。
四百年前。
誰かが困っていると、俺はすぐ動いていた。
危険な場所なら自分で行った。
誰かを待たせたくなかった。
だから何日も寝ずに働いたし、一人で全部解決しようとした。
そしてある日。
自分まで帰らなくなった。
今は違う。
セレスが指揮し。
エルシアが術式を解析し。
カレンが安全手順を作り。
世界中の職員が受入施設を準備する。
俺が直接行かなくても。
誰かが帰ってこられる。
「……すごい組織になったね」
自然と口から出た。
セレスは俺を見つめてから、静かに笑った。
「あなたが最初に、私たちへ帰る場所をくれたからです」
「でも、ここまで大きくしたのはみんなでしょ」
「はい」
彼女は頷いた。
「ですから、今度はその力を使います」
俺は少し嬉しくなった。
「お願いねー」
「お任せください」
その時、エルシアが新しい通信を確認した。
「アレン。アウローラから応答が届いています」
「何て?」
《二人目、帰れたね》
俺は思わず笑った。
どうやら向こう側からも、帰還完了を確認できるらしい。
《うん。あと八人》
送信する。
返事。
《ありがとう》
少し間を置いて。
《みんなにも伝えて》
俺は十人を見る。
「アウローラがお礼言ってるよ」
ラグナが豪快に笑った。
「当然である! 我ら《ノクス・アウローラ》に不可能など――」
「あるよ」
俺が言う。
ラグナが止まった。
「……む?」
「できないことはあるよ。だからみんなでやるんでしょ」
少し黙ったあと。
ラグナが嬉しそうに笑った。
「なるほど! それもそうであるな!」
カレンが小さく頷く。
ミコトも。
シズクも。
十人全員が、俺の言葉を受け取ってくれたらしい。
通信画面へ返事を送る。
《みんな喜んでるよ》
《よかった》
続けて。
《アレン》
《何?》
《一つだけお願いしていい?》
俺は少し考え、セレスたちを見る。
「お願いだって」
「内容を聞いてから判断しましょう」
「そうだねー」
送信。
《聞いてから決めるね》
数秒後。
《それでいい》
そして。
《私を帰す時も》
《必ず、みんなと一緒に決めて》
俺は画面を見る。
少し意外だった。
アウローラ自身が、そんなことを言うとは思わなかった。
《昔のあなたは》
《私が帰れないと知ったら》
《きっと一人で迎えに来た》
俺は何も言えなかった。
たぶんその通りだ。
《でも、今回は》
《あなたまで帰れなくなったら困る》
続けて。
《今の十人を、ちゃんと連れて帰って》
俺は少し笑った。
「分かったよー」
声へ出してから、文字でも送る。
《みんなで帰るよ》
返事。
《約束ね》
《うん》
それで通信を終えるつもりだった。
ところが。
最後にアウローラから、もう一通だけ届いた。
《それから》
《次の人を帰す前に》
《ユノアとアシュルへ聞いてほしいことがある》
エルシアが顔を上げた。
「何でしょう?」
《外にいた時》
《最後に、誰の声を聞いたか》
俺は少し眉を寄せた。
声。
これまで何度も問題になったものだ。
俺の声。
大切な人の声。
帰ってきてほしい人間の声。
《黎明喰らい》に相当する存在は、それらを真似する。
「やっぱり、声の話なんだ」
俺が言う。
アウローラから続きが届いた。
《名前や姿は使われる》
《でも、今回気になるのはそこじゃない》
《二人とも帰れたなら》
《帰還直前に聞いた声を確認して》
セレスがユノアとの通信をつなぎ直す。
アシュルも検査区画から参加できるらしい。
二人へ事情を説明すると、まずユノアが答えた。
「私は……帰っていいのか、ずっと考えてた」
「うん」
「でも、向こうで最後に声が聞こえた」
「誰の?」
ユノアは少し考えてから答えた。
「知らない人」
「何て言われた?」
「《もう帰っていいよ》って」
俺はエルシアを見る。
彼女も表情を変えた。
続いてアシュルが答える。
『俺も聞いた』
翻訳術式を通して声が届く。
『ただ、俺の場合は違う言葉だった』
「何て?」
『《今度は間違えないで》』
調査室が静かになった。
ユノアとアシュル。
別々の帰還点。
別々の場所から帰ってきた。
それなのに、二人とも帰還直前に知らない声を聞いていた。
「同じ声だったのかな?」
俺が尋ねると、二人は顔を見合わせた。
そしてアシュルが、少し困ったように答えた。
『分からない』
「どうして?」
『声は覚えてる。でも、誰の声だったか思い出そうとすると……』
そこで言葉が止まる。
ユノアも同じような表情になった。
「私も」
二人とも。
声の内容は覚えている。
しかし声の主だけが思い出せない。
俺は少し考えた。
名前や姿ではなく。
ただ声だけ。
しかも、帰還したあとで本人を思い出せなくなる。
「……アウローラに似てるね」
俺が呟いた。
俺の記憶にいたアウローラ。
最初に俺をこの世界へ帰還させた存在。
顔も名前も、長い間忘れていた。
そして四百年前。
《最初の家》で俺を迎えた旧管理者も。
名前や姿を記録から消していた。
声だけでは本人を特定できない。
誰かが意図的に忘れさせているのか。
それとも、古代帰還網そのものにそういう性質があるのか。
まだ分からない。
ただ。
アウローラは、これを確認してほしいと言った。
つまり彼女には心当たりがあるはずだ。
俺は通信を戻した。
《二人とも知らない声を聞いたって》
少し間が空く。
返事。
《やっぱり》
その次。
《それなら》
《まだ間に合う》
全員が画面を見る。
「何が?」
俺が尋ねる。
アウローラはすぐには答えなかった。
しばらくして。
短い文章が届く。
《帰還網が完全に復旧した時》
《本来なら、最初に確認されるはずのものがある》
「何?」
《帰還点でも》
《帰還者でもない》
《帰った人を迎える側の記録》
俺は少し考える。
「迎える側?」
《うん》
《帰還者が戻った時》
《誰かが迎えたことを記録する仕組み》
そういえば。
俺たちはずっと、帰る人間のことばかり調べていた。
帰還者。
帰還点。
帰還先。
帰還要求。
でも。
迎える側の記録を独立して確認したことはない。
エルシアが即座に古代帰還網の保存情報を検索し始めた。
「……あります」
「本当?」
「はい。ただし、通常の帰還記録とは別の領域です」
古代術式の深い部分。
帰還が成立したあとでのみ更新される、補助記録。
《帰還成立確認》
《帰還対象――ユノア》
《迎接処理――完了》
続いて。
《帰還対象――アシュル》
《迎接処理――完了》
二件とも同じだった。
帰還者がこちらへ到着した際、何らかの迎接処理が動いている。
「誰が迎えたの?」
俺が尋ねる。
エルシアが詳細を開く。
《迎接担当――》
そこで処理が止まった。
「……名前がありません」
「また?」
「はい。ですが、単なる記録欠損ではありません」
エルシアは文字列を拡大した。
《迎接担当――個体識別対象外》
《迎接処理方式――旧式》
《処理権限――》
古代文字が現れた。
俺には読める。
けれど。
読めた瞬間、少し変な気持ちになった。
「……おかえり係?」
トーマが振り返る。
「は?」
「そう書いてある」
「古代文明の重要な役職名が《おかえり係》なのかよ!?」
「正式な訳じゃないと思うけど」
エルシアが慎重に補足した。
「正確には、帰還を迎えて成立させる役割を指す古代語です。人間の職業名というより、機能名に近いようです」
俺は画面を見る。
《おかえり係》。
何となく可愛らしい名前だ。
でも。
その機能が何千年も動き続けているのなら。
俺たちが知らないうちに、誰かがずっと帰還者を迎えていたことになる。
「……あれ?」
ふと、一つ思い出した。
四百年前。
《最初の家》を作ったばかりの頃。
誰かが外へ出掛ける時、俺たちは簡単な約束をしていた。
帰ってきたら「ただいま」と言う。
家にいる人が「おかえり」と返す。
最初は本当に、それだけだった。
子供たちが迷子になっても。
喧嘩して飛び出しても。
外で嫌なことがあっても。
帰ってきた時には、ちゃんと迎えてもらえるように。
俺が決めたのだと思っていた。
でも。
「エルシア」
「はい」
「この《おかえり係》って、いつから動いてる?」
彼女が記録を遡る。
ユノアの帰還。
アシュルの帰還。
第十一帰還点の復旧。
さらに昔。
四百年前。
俺たちが《最初の家》を作った日。
《迎接処理――完了》
そこにも記録があった。
さらに遡る。
俺が最初にこの世界へ帰還した時。
《迎接処理――完了》
「……やっぱり」
俺は少し黙った。
自分が何も知らないうちに。
何度も。
誰かに迎えられていたらしい。
エルシアが最後の情報を開く。
《迎接担当識別》
《記録開始以前より稼働》
《管理者情報――なし》
《保管名称――》
文字が復元されていく。
俺はその意味を読んだ。
《最初の家》。
全員が黙った。
「……同じ名前?」
トーマが呟く。
「そうみたいだねー」
俺たちが四百年前に建てた家。
その名前と。
何千年も前から動いている古代の迎接機能の名前が一致していた。
ただし、同じ言葉だから同じ存在とは限らない。
翻訳上の偶然かもしれないし、俺自身が昔聞いた言葉を無意識に使ったのかもしれない。
だからまだ、断定はできない。
でも。
一つだけ確かなことがある。
俺たちが《最初の家》を作るより遥か昔から。
誰かが。
帰ってきた人へ、
《おかえり》
と言うためだけの仕組みを残していた。
そして今。
世界最大企業へ成長した《アウローラ》は。
知らないうちに。
その役割まで引き継いでいた。
「……ほんと、似たようなことばっかりやってるね」
俺が笑うと、セレスも静かに頷いた。
「はい」
「昔の人たちも、帰ってくる人を待ってたんだ」
「そうなのでしょうね」
俺は世界地図を見た。
十一個の帰還点。
そのうち十個を守る《アウローラ》の拠点。
帰ってきたユノアとアシュル。
まだ帰れない八人。
リーネ。
アウローラ。
そして。
正体の分からない《黎明喰らい》。
謎は多い。
でも。
やることは少しずつ分かってきた。
「じゃあ、続けようか」
俺が言うと、セレスが頷いた。
「はい。全員帰宅計画、継続します」
トーマが小さく笑った。
「計画名だけは最後まで締まらないな」
「分かりやすいでしょ?」
「まあな」
俺も笑った。
その時だった。
エルシアの端末へ、新しい通知が届いた。
《古代迎接記録――追加復元》
「……まだ続きがあります」
「何?」
「《最初の家》という保管名称に、注記が残っています」
俺たちは画面を覗き込んだ。
《迎接機能・最初の家》
《設置目的――帰還者の受入》
《例外処理――帰還者本人が迎接機能を失った場合》
その下。
《代替迎接者を登録》
俺は眉を寄せた。
「代替?」
エルシアが続きを開く。
《代替迎接者――登録済》
そして。
《氏名――アレン・クロフォード》
調査室が静まり返った。
トーマがゆっくり俺を見る。
「……お前?」
「俺らしいねー」
「またかよ!」
しかし。
今回はまだ続きがあった。
《代替迎接者登録日――四百年前》
俺たちが《最初の家》を作った日。
《登録理由――》
その一行を読んで、俺は少し笑ってしまった。
《本人が十人を迎えると宣言したため》
四百年前。
何も知らない俺が。
十人の子供たちへ、
「ここに住もうか」
と言った。
その瞬間。
古代の帰還網は。
俺を新しい《おかえり係》として登録していた。
「……そんな役職まで勝手についてたんだ」
トーマが机へ突っ伏した。
「お前、本当に何なんだよ……」
俺も知りたい。
でも。
それより先に、気になることがあった。
「エルシア」
「はい」
「元の《おかえり係》は、どうなったの?」
エルシアが記録を確認する。
そして。
表情が変わった。
《旧迎接担当》
《状態――未帰還》
俺は画面を見た。
続いて。
《帰還要求――継続中》
三百九十七年間。
帰れない人間がいた。
リーネ。
そして、それより遥か昔から。
帰ってくる誰かを迎える役目を持っていた存在が。
今も帰れないままらしい。
最後に。
記録の一番下へ、古い文章が浮かび上がった。
《代替迎接者へ》
《もし、すべての帰還者を迎え終えたなら》
《最後に》
《迎える者自身を、迎えに来てほしい》
俺はしばらく、その言葉を見つめていた。
帰る人間がいる。
待っている人間がいる。
その両方が揃って、初めて帰還になる。
それなら。
ずっと誰かを迎え続けてきた人にだって。
いつか。
「おかえり」と言ってくれる誰かが必要なのだと思う。
「……なるほどねー」
俺は少し笑った。
「じゃあ、その人の分も帰る場所を作らないとね」
今度は一人でやらない。
十人がいる。
友達もいる。
世界最大企業まである。
だったら。
昔の俺が知らずに引き受けていた、最後の仕事だって。
今度こそ、みんなで終わらせられる気がした。




