第57話 壁の向こうの俺に『秘密基地を作った理由』を聞いたら、完璧な偽物は一つだけ答えを間違えた
「ただいまー」
地下施設の奥。
まだ一度も調べていない壁の向こうから聞こえた声は、どう聞いても俺のものだった。
声の高さも、力の抜け方も、最後を少し伸ばす癖まで同じだ。
だからこそ、気味が悪い。
誰もすぐには動かなかった。
ラグナでさえ剣へ手を掛けたまま、前には出ない。
カレンは調査隊を下がらせ、シズクとヴィオラが退路を確保する。エルシアは壁へ直接触れず、距離を取ったまま魔力測定を始めていた。
セレスだけが俺の隣に残っている。
「アレン」
「うん。開けないよー」
先に言っておいた。
セレスの口元が少しだけ緩む。
「まだ何も言っていません」
「顔に書いてあったから」
「四百年前なら、もう壁を調べに行っていました」
「成長したでしょ?」
「非常に」
少し離れたところでトーマが呟いた。
「普通の人間なら最初からやらないことを、成長扱いしていいのか……?」
聞こえたけれど無視しておく。
壁の向こうから、もう一度声がした。
「開けてくれないのー?」
俺だった。
本当に、俺だった。
少なくとも声だけなら。
ラグナの眉間に皺が寄る。
「首領よ。あれは昔の貴様より若干腹立たしいぞ」
「俺、あんな感じ?」
「かなり近い」
カレンまで頷いた。
少し傷つく。
「ねえ」
壁の向こうの俺が続ける。
「みんな、いるんでしょ?」
今度は名前を呼び始めた。
「セレス。ラグナ。ミコト。エルシア。ヴィオラ。カレン。リゼット。シズク。ノエル。クラリス」
十人全員。
一人も間違えていない。
セレスの表情が硬くなる。
「私たちの名前まで」
「この施設の記録を読んでる可能性もあるよ」
俺はなるべく軽く答えた。
聞いている相手に動揺を悟らせたくなかった。
エルシアも同じ考えらしい。
「壁面記録、帰還記録、魔力認証情報。地下施設内部だけでも十人の氏名を得る手段は複数あります」
「じゃあ、知ってるだけでは本人の証明にならないね」
「その通りです」
壁の向こうの俺が笑った。
「慎重になったねー」
まただ。
俺が普段言われていることを、こいつも知っている。
トーマが小声で尋ねた。
「これ、俺の名前も知ってると思うか?」
その直後。
「トーマもいるよね?」
「うわ、嫌だ!」
思った以上に素直な反応だった。
緊張していた北方歴史学院の研究者たちから、わずかに笑いが漏れる。
「俺まで知ってるってことは、今の情報も取られてるじゃねえか」
「そうみたいだね」
「『そうみたい』で済ませるなよ!」
壁の向こうから、今度は俺とほとんど同じ調子の笑い声がした。
「トーマって面白いねー」
トーマの顔が引きつる。
「本物より腹立つな、あいつ」
「俺もそう思ってきた」
「お前が言うのかよ」
少なくとも会話は成立する。
それなら調べられることもある。
ただし、こちらから情報を与えすぎるのは危険だ。
俺はエルシアを見る。
彼女は小さく頷いた。
会話そのものに魔力干渉は確認されていない。
聞くだけなら、今のところ問題ない。
「ねえ」
俺は壁の向こうへ声を掛けた。
「何で俺の名前を使ってるの?」
少しだけ間があった。
「使ってないよー」
「じゃあ誰?」
「アレン・クロフォード」
「俺もそうなんだけど」
「知ってる」
妙な会話だ。
トーマが頭を抱えている。
「二人とも同じ口調だから余計にややこしい……」
「じゃあ」
俺は少し考えた。
「俺しか知らないこと、何か言える?」
壁の向こうからすぐに返事が来た。
「四百年前、ラグナが初めて料理した日に鍋を三つ焦がした」
「なっ――!」
ラグナが目を見開く。
「二つである!」
ミコトが小さく首を横へ振った。
「三つ」
「ミコト!」
続けて声がする。
「セレスは最初、髪を結ぶのが苦手だった。アレンにやってもらった日は、ほどけるまで寝なかった」
セレスの顔が一気に赤くなる。
「それは……!」
「事実?」
俺が聞く。
「今は関係ありません!」
どうやら事実らしい。
「ノエルを拾った日は雨。アレンが自分の上着を渡して、そのあと本人が風邪を引いた」
ノエルが息を呑む。
これも記録にある。
さらに。
「シズクは寝る時だけ、最初の半年ずっと短剣を枕の下に入れてた」
シズクの目が細くなった。
「記録にない」
空気が変わる。
「本当に?」
セレスがすぐ自分の日記を検索する。
該当なし。
ほかの現存記録にも見つからない。
シズクは壁を見つめたまま答えた。
「誰にも言ってない」
「俺は知ってた?」
少し考えてから尋ねると、シズクは頷いた。
「一度だけ見つかった。何も言わず、次の日に枕を厚くしてくれた」
俺はうっすら覚えている。
怖くて武器を手放せない子に、「危ないからやめなさい」と言っても意味がないと思った。
だから短剣が背中に当たりにくいよう、枕を少し厚くした。
そんな程度のことだった。
でも。
それを壁の向こうの何かが知っている。
「どうやって知ったの?」
俺が聞く。
返事はすぐには来なかった。
数秒後。
「知ってるから」
「答えになってないねー」
「アレンだって、よくそういう返しするでしょ?」
「するかも」
「認めるな!」
トーマの声が飛んだ。
俺は少し笑った。
ただ、内心では別のことを考えている。
記録を読んだだけでは説明できない情報がある。
では、俺の記憶を読んでいるのか。
それとも。
本当に俺自身と何か関係があるのか。
「アレン」
セレスが低い声で呼ぶ。
「はい」
「絶対に一人で確かめに行かないでください」
「行かないよ」
「絶対に」
「二回言わなくても大丈夫」
「四百年分です」
それなら仕方ない。
俺は壁からさらに一歩離れた。
その時。
壁の向こうの俺が言った。
「セレス」
彼女の肩がわずかに動く。
「ずっと待ってたんだね」
俺は反射的に壁を見た。
セレスは返事をしなかった。
「帰ってきてほしかったんでしょ?」
声は俺そのものだ。
優しい言い方まで似ている。
「だったら開けてよ」
部屋の空気が一気に冷えた。
なるほど。
こういう使い方をするのか。
大切な相手の声。
本人しか知らない記憶。
欲しかった言葉。
全部揃えた上で、最後に扉を開けさせる。
セレスは目を閉じた。
ほんの数秒。
そして。
「嫌です」
きっぱり答えた。
壁の向こうが黙る。
セレスは俺の隣へ半歩近づいた。
「私が待っていたのは、そちらではありません」
「でも同じだよ?」
「違います」
「何が?」
「こちらのアレンは、今、私に開けろと言いません」
俺は思わずセレスを見る。
彼女は前を向いたままだった。
「私たちに任せることを覚えました。危険だからと一人で確認にも行きません。私が止めれば、止まってくれます」
ちょっと褒められすぎている気もする。
「そして何より」
セレスは一度だけ俺を見る。
「帰ってきたあと、また勝手にいなくならないと言いました」
壁の向こうから返事はなかった。
代わりにトーマが小さく呟く。
「本人確認が行動履歴なの、強いな……」
「顔とか声より確実かもねー」
「お前が言うと締まらないんだよ」
壁の向こうで、何かが動いた。
ガリ。
石を引っかくような音。
だが、扉らしきものが開く気配はない。
そもそも俺たちの目の前にあるのは、完全な石壁だ。
エルシアが測定結果を確認して眉をひそめる。
「やはり空洞はありません」
「じゃあ、どこから声がしてるの?」
「この壁の向こう、という表現自体が正確ではないようです」
彼女が簡易図を表示する。
壁の厚さは約三メートル。
その先は地盤。
地下通路も部屋も存在しない。
「音源位置だけが壁の向こう側として観測されています。ですが、実空間に音源がない」
「リーネがいる場所と同じ?」
「可能性は高いです。空間位相の異なる領域が、この地点へ一時的に重なっています」
帰還案件・零号。
通常座標として取得できない場所。
そこへ閉じ込められたリーネ。
そして《黎明喰らい》。
今、その場所の一部だけが地下施設へ重なっている。
「何で今なんだろう?」
俺の疑問に、エルシアがすぐ答えた。
「創設者帰還認証です」
壁面の古い記録へ指を向ける。
《創設者帰還を確認》
《未帰還者への応答権限を再接続》
俺がここへ戻ったことによって、三百九十七年間止まっていた何かが再起動した。
「つまり俺が帰ってきたから、向こうも帰ろうとしてる?」
「少なくとも、接触が強まった原因の一つでしょう」
何とも迷惑な話だ。
俺が帰宅したら災厄まで帰宅しようとしている。
トーマも同じことを考えたのか、ため息をついた。
「普通、里帰りで世界災厄まで付いてこないからな」
「普通の里帰りだったはずなんだけどねー」
「お前の普通はもう信用しない」
そこは反論できない。
壁の向こうの俺がまた喋った。
「ねえ、アレン」
「何?」
「本当に覚えてない?」
「何を?」
「ここ」
俺は周囲を見る。
「最初の家?」
「違う」
声が少し低くなった。
それでも俺の声だ。
「この場所」
地下施設ではない。
そういう意味に聞こえた。
「俺たちが来る前のこと?」
長い沈黙。
「そう」
「知らないよ」
「嘘」
即答だった。
「俺、この森に来た時には何もなかったと思うけど」
「上にはね」
俺たち全員が動きを止めた。
上。
それはつまり。
地上ではなく。
地下。
「エルシア」
「すでに調べています」
彼女は施設図をさらに深い層まで拡張した。
この地下施設は、後世のリーネたちが増築したもの。
その建設記録も残っている。
だが最深部の一部だけ、妙な場所があった。
「基礎構造の下に、人工物と思われる反応があります」
「地下施設より古い?」
「はい。ただし、リーネたちの建設記録にはありません」
北方歴史学院の教授たちが一斉に資料を確認し始める。
現在の《灰霧の森》に、四百年以上前の遺跡があったという公的記録はない。
俺自身も知らない。
「掘る?」
ラグナが聞く。
「今日は掘らないよ」
「む」
「安全確認して、別の日に調査隊組もう」
また十人から視線が集まる。
「何?」
カレンが少し笑った。
「いえ。ちゃんと成長していると思いまして」
「それ、今日何回目?」
「四百年分なので」
セレスと同じことを言われた。
壁の向こうから俺の声がする。
「変わったね」
今度は誘惑するような響きではない。
少し寂しそうだった。
「そうみたい」
「昔は、すぐ来たのに」
俺の背中に微かな寒気が走った。
「昔?」
「うん」
「会ったことある?」
返事がない。
エルシアが止める前に、俺はもう一つだけ聞いた。
「いつ?」
壁の向こうで、何かが笑った。
俺の笑い方ではなかった。
初めて。
声の真似が崩れた。
「家を建てる前」
その一言だけ。
エルシアが即座に干渉値を確認する。
「上昇しています。会話を切ります」
「お願い」
術式遮断。
防音結界。
空間干渉遮断。
いくつもの魔法が重なり、壁の向こうの気配が急速に遠ざかっていく。
最後に何かを言っていたけれど、もう聞こえなかった。
静寂が戻る。
「……家を建てる前、か」
トーマが呟いた。
俺には覚えがない。
四百年以上前。
十人と暮らす場所を探して、この森へ来た。
ただの森だと思った。
少し開けた場所を見つけた。
水場が近く、土も悪くない。
それで家を建てることにした。
理由は、それだけだったはずだ。
「アレン」
セレスが俺を見る。
「この場所を最初に見つけた日のこと、覚えていますか?」
「だいたいは」
「なぜ、ここに決めたのですか?」
「住みやすそうだったから」
「それだけですか?」
質問されて、記憶を探る。
森の中を歩いていた。
まだ幼かった十人を連れていた。
皆が疲れていた。
雨も近かった。
早く寝られる場所を作りたかった。
その時。
何かを見つけたような気がした。
「……あれ?」
自分でも驚いた。
記憶の中に、一箇所だけ不自然な空白がある。
森へ入った。
場所を探した。
そして。
次の記憶では、俺はもう「ここにしよう」と決めている。
どうしてその場所で立ち止まったのか。
何を見たのか。
そこだけ思い出せない。
「どうしました?」
「決めた瞬間だけ、覚えてない」
セレスたちの表情が変わった。
エルシアが地下の古い人工物を再走査する。
「形状が少し取れました」
立体図が浮かぶ。
リーネたちが造った地下施設。
そのさらに下。
深さ約二十七メートル。
円形の人工構造物が埋まっている。
直径は十五メートルほど。
中央に何かがある。
「文字らしき反応もあります」
北方歴史学院の教授が身を乗り出した。
「年代は?」
「現時点では不明。ただし、少なくともこの地下施設より古い。周辺地層から見れば……」
エルシアが一度言葉を止める。
「四百年どころではありません」
さらに解析。
地中へ埋もれた外周部分。
そこに刻まれた文字が、一部だけ読み取れた。
現代語ではない。
四百年前に使われていた古語ですらない。
北方歴史学院の教授たちにも読めなかった。
けれど。
俺には読めた。
理由は分からない。
文字を見た瞬間、意味だけが頭へ入ってきた。
「……帰還門」
全員が俺を見る。
「読めるのですか?」
エルシアに聞かれ、俺自身が一番困っていた。
「読めるみたい」
「なぜ?」
「分からない」
外周には、さらに文章が続いている。
壊れた箇所を避けて、読める部分だけを追う。
《遠き夜より》
《帰る者のため》
そして。
最後の一行。
俺はそこで止まった。
「何と書いてあるのです?」
セレスに聞かれる。
俺は少し迷ってから、そのまま読んだ。
《第十一帰還点》
十人が顔を見合わせる。
トーマが先に気づいた。
「第十一ってことは」
「うん」
第一から第十までがある。
そして何より。
俺たちが《最初の家》を建てる遥か昔から。
ここはすでに、
**誰かが帰ってくるための場所だった。**
だからなのかもしれない。
俺がこの土地へ来て。
何の理由もなく。
「ここにしよう」と思ったのは。
そして俺たちが偶然、
《帰れる場所》
なんてものを作り始めたのは。
エルシアが最後に、円形構造物の中央を拡大した。
そこには一つだけ。
今も弱く動いている魔力反応がある。
四百年前より、さらに古い。
人間の術式体系とは一致しない。
その反応に対して、地下施設の帰還記録装置が自動で一行だけ表示した。
《帰還点・十一》
《待機対象――一名》
続いて。
《状態――未帰還》
俺は表示を見る。
三百九十七年間待っているリーネとは、別だ。
もっと昔から。
この場所には。
まだ帰ってきていない誰かがいる。




