第5話 世界を救う最高幹部会議で、俺の隣席だけが決まらない
第一の災厄《灰冠の王》が目覚めるまで、残り七日。
普通なら、世界中の王や皇帝を集めて対策を話し合うような事態らしい。
しかし、その危機を知る者はまだ少ない。
王立魔法学院の地下に、千年以上前の巨大な封印が存在すること。
その奥で、古代竜すら上回る魔力を持つ何かが眠っていること。
そして、それが俺の昔考えた作り話に登場する《灰冠の王》と、あまりにもよく似ていること。
すべて、《ノクス・アウローラ》の最高機密として処理された。
翌日の放課後。
世界の命運を左右する最高幹部会議が、王立魔法学院の地下で開かれることになった。
「どうして学院の地下に、こんな部屋があるのかなー」
俺は、昨日まで何もなかった地下空間を眺めた。
黒い絨毯が敷かれた広大な会議室。
天井には無数の魔力灯。
中央には、磨き上げられた巨大な円卓。
壁には《アウローラ》各部門と接続する通信設備が並び、外部からの侵入を防ぐ防御結界も展開されている。
古代竜の攻撃にも耐えられる結界が三十二枚。
防音結界は五十枚。
一晩で作られた仮設施設とは思えない。
「緊急時に備えた仮設会議室です」
リゼットが淡々と答えた。
「仮設にしては豪華だねー」
「必要最低限です」
「この椅子、王宮にあるものより立派じゃないかなー」
「アレン様に長時間お座りいただいても、ご負担がないよう設計しました」
円卓の中央にある俺専用らしい椅子は、魔獣の革を使い、体格に合わせて形状を変える最高級品だった。
「普通の椅子で大丈夫だよー」
「却下いたします」
「俺が使う椅子なのに、俺の意見が却下されるんだねー」
「健康管理に関するご本人の意見は、参考程度に扱うよう会長から指示を受けております」
「いつの間にそんな決まりができたのかなー」
「昨夜です」
仕事が速い。
会議室には、すでにセレス、ラグナ、ミコトが集まっていた。
その後ろには、専属秘書や副官であるリゼット、カレン、シズクも控えている。
世界最大企業の会長。
世界最強の将軍。
世界中の情報を握る情報部門長。
一国の王ですら簡単には面会できない三人が、円卓の前で真剣な表情を浮かべている。
ただし、彼女たちが議論しているのは、第一災厄への対処方法ではなかった。
「アレンの右隣には、統括責任者である私が座ります」
セレスが自分の名札を、俺の右隣へ置く。
「待て!」
ラグナが、その名札を奪い取った。
「災厄との戦闘が予想される以上、軍事責任者である我がアレンの隣へ座るべきだ!」
「会議中に戦闘が発生する予定はありません」
「災厄が我らの予定どおりに動くとは限らぬ!」
「それなら、ラグナは扉の前へ立っていてください」
「なぜ我だけ席がないのだ!」
「敵が現れた際、最も早く戦闘へ移れます」
「なるほど!」
ラグナが一度納得する。
しかし、俺の隣に置かれたセレスの名札を見て、すぐに首を振った。
「危うく騙されるところだった!」
「惜しかったですね」
ミコトが楽しそうに笑った。
いつの間にか、九本の尾のうち一本が俺の左隣へ名札を置いている。
「私は情報の記録と共有を担当します。アレンの発言を正確に保存するためにも、最も近い席が必要です」
「百年以上前から、勝手に記録してたよねー」
「必要な記録でした」
「俺の寝言まで保存する必要はあったのかなー」
「将来的に重要な予言となる可能性がありましたので」
「寝ながら明日の朝食を考えてただけだよー」
「食料危機に対する警告だった可能性があります」
「どうしても深い意味をつけたいんだねー」
セレスがミコトの名札を拾い、円卓の反対側へ移動させる。
「情報部門長は、全員の顔が見える位置へ座るべきです」
「会長権限の乱用ではありませんか?」
「合理的な席順です」
「では、決裁書類へアレンとの婚姻契約を紛れ込ませた件も、合理的だったと?」
「……何のことでしょう」
「記録があります」
セレスの目が細くなる。
ミコトの笑みが深くなった。
「百十六年前、セレスはアレンの署名練習用紙の下へ、婚姻誓約書を重ねました」
「未遂です」
「実行したことは認めるのですね」
「当時の私は若かったのです」
「現在も似たようなことをしていますよね?」
「現在は、より法的に確実な方法を採用しています」
「成長の方向性を間違えていませんか?」
二人の間で、見えない火花が散る。
ラグナが円卓を叩いた。
「書類でアレンを得ようとするなど卑怯だ! 正々堂々、本人へ求婚するべきだ!」
「百年間、同じ求婚を繰り返して一度も成功していない方の意見ですね」
カレンが冷静に告げた。
「今回は成功するかもしれぬ!」
「昨日も失敗しました」
「昨日は再会直後だったからだ!」
「百年前から、毎回何らかの理由をつけています」
「カレンはどちらの味方なのだ!」
「閣下の味方だからこそ、現実を申し上げています」
その隣では、シズクが記録板へ文字を書き込んでいた。
「何を記録しているのだ?」
「最高幹部会議開始前に発生した、席順を巡る争いです」
「消せ!」
「情報部門の記録改竄はできません」
「ならば機密指定しろ!」
「すでに後世へ残す重要資料として、永久保存指定しました」
「なぜだ!」
「面白いので」
世界の危機を話し合うはずなのに、会議が始まる気配がない。
「俺はどこでもいいよー」
「よくありません」
セレスが即答した。
「アレンの隣席は、組織内の序列を示す重要な位置です」
「学院地下の秘密会議室だから、誰からも見えないんじゃないかなー」
「私たちには見えます」
「それが重要なのか?」
ラグナが尋ねる。
「非常に」
「ならば譲れぬ!」
話が余計に悪化した。
「円卓なんだから、みんな近くに座ればいいんじゃないかなー」
三人が動きを止める。
互いに顔を見合わせたあと、セレスが静かに頷いた。
「一人だけを特別扱いせず、五部門すべてを等しく重用するという意味ですね」
「ただ席の話なんだけどねー」
「さすがアレンです」
ミコトが感心したように微笑む。
「私たちの争いを一言で収めながら、組織の結束まで強めるとは」
「そこまで考えてないよー」
「謙遜は不要だ!」
ラグナが胸を張る。
「アレンが、すべての席を自らの隣と認めたのだ!」
「円卓に隣は二席しかないよー」
俺の声は、誰にも届かなかった。
リゼットが円卓の下にある術式を操作する。
すると、机が音もなく変形し始めた。
俺の席を中心として、左右へ五つずつの席が弧を描くように並ぶ。
全員が俺から近い距離へ座れる形になった。
「こんな機能もあるんだねー」
「この事態を想定し、昨夜追加しました」
「席を奪い合うと予想してたの?」
「百二十七年間、皆様を見ておりますので」
リゼットの声には、わずかな疲労が混じっていた。
「リゼットはどこに座るのかなー」
「私は会長の後方へ控えます」
「席があるんだから、座ればいいのにー」
「私ども補佐役は、主の半歩後ろに立つべきです」
「昔みたいに、みんなで座ればいいよー」
「……」
リゼットが停止した。
セレスが素早く振り返る。
「リゼット。あなたは私の後方です」
「承知しております」
「アレンの左後方ではありません」
「会長からの指示が不明瞭です」
「非常に明瞭です!」
リゼットは無表情のまま、自分の椅子を俺の斜め後ろへ三十センチ移動させた。
セレスが椅子を戻す。
リゼットが再び動かす。
今度は、主と秘書の静かな争いが始まった。
「そろそろ会議を始めないかなー」
俺がそう言ったところで、会議室の空気が急激に冷え始めた。
吐く息が白くなる。
円卓の表面へ、薄い氷が広がった。
「この魔力は……」
ラグナが入口を見る。
空間が歪み、青白い転移門が開いた。
そこから、一人の女性が歩いてくる。
淡い水色の長髪。
透き通るような肌。
感情の読みにくい静かな瞳。
世界に存在する精霊たちの原型とも呼ばれる、原初精霊。
《アウローラ》魔導研究部門長、エルシア・レヴァント。
その後ろから、小柄な少女が駆けてきた。
明るい緑色の髪。
花びらを模した髪飾り。
歩くたび、周囲へ小さな花びらが舞っている。
エルシアの専属助手、花精霊のノエル・フィオラだ。
「到着しました」
エルシアが淡々と告げる。
しかし、俺の姿を見た瞬間。
転移門が凍りついた。
壁も。
天井も。
会議室に設置された通信魔道具まで、一斉に霜で覆われる。
「エルシア様!」
ノエルが慌てて彼女の腕へ抱きつく。
「落ち着いてください! 感情が漏れています!」
「平静です」
「会議室が凍っています!」
「設備の耐寒試験です」
「絶対に違います!」
エルシアは俺から視線を逸らさない。
昔、魔法実験施設の奥で見つけた少女。
感情を奪うための実験を繰り返され、助け出した直後は言葉すらほとんど話さなかった。
今では世界最高の魔導研究者になっている。
「久しぶりだねー、エルシア」
「……百二十七年ぶりです」
「元気そうでよかったよー」
「元気ではありませんでした」
「そうなの?」
「あなたがいませんでしたので」
室温がさらに下がった。
セレスたちが静かになる。
エルシアは俺の前まで歩くと、両手で俺の頬へ触れた。
冷たいはずの指先が、わずかに震えている。
「本物です」
「そうだよー」
「幻術でも、複製体でもありません」
「たぶんねー」
「魔力波形、魂の構造、生命反応。すべて一致しています」
「会ってすぐに全部調べたんだねー」
「必要な確認です」
エルシアの目に、ほんの少しだけ感情が浮かぶ。
「もう、消えないでください」
「気をつけるよー」
「曖昧です」
「善処するねー」
「さらに曖昧になりました」
壁を覆っていた氷が厚くなる。
「エルシア様、怒っています!」
ノエルが明るい声で説明した。
「見れば分かるねー」
「それと、とても喜んでいます!」
「言わなくてよいです」
「あと、抱きつきたいと思っています!」
「ノエル」
「私は実際に抱きつきたいです!」
「後半はあなたの希望ですね」
「三人なら問題ありません!」
「問題があります」
ノエルが俺へ駆け寄る。
「アレン様、お久しぶりです!」
「久しぶりだねー、ノエル」
「覚えていてくださったのですね!」
「もちろんだよー。昔は手のひらに乗るくらい小さかったのに、大きくなったねー」
「はい! 今は抱きつける大きさです!」
ノエルが両腕を広げる。
しかし、抱きつく直前にエルシアが襟首を掴んだ。
「会議が先です」
「エルシア様も、先ほど頬に触れていました!」
「あれは検査です」
「私も接触検査をします!」
「不要です」
「扱いが違います!」
ノエルは宙に浮かされたまま、手足を動かしている。
昔と変わらず賑やかな子だった。
「エルシアも席に座ってねー」
「はい」
エルシアは迷わず俺の左隣へ向かう。
ミコトが素早く椅子を押さえた。
「こちらは情報部門の席です」
「席に名前はありません」
「先ほどまで私の名札がありました」
「現在はありません」
エルシアの手には、凍りついたミコトの名札があった。
「いつの間に!」
「温度変化による自然移動です」
「名札は自然に歩きません!」
再び席争いが始まりそうになった、そのとき。
会議室の扉が、外側から静かに開いた。
「最高幹部会議だというのに、随分と騒がしいこと」
艶のある女性の声。
扉の向こうから、深紅のドレスをまとった女性が現れる。
夜の闇を溶かしたような黒髪。
鮮血を思わせる赤い瞳。
気高く、優雅で、近寄りがたいほどの美貌。
純血吸血鬼、ヴィオレッタ・ノクス。
《アウローラ》金融・外交部門長。
世界中の銀行と投資機関を動かし、一言で国家の通貨価値すら変えられる女性だ。
その背後には、柔らかな笑顔を浮かべた半吸血鬼が控えている。
専属侍女兼秘書、クラリス・ヴェイン。
「遅かったな、ヴィオラ!」
ラグナが言う。
「三つの国家との緊急交渉を中断してきたのよ。飛竜で訓練場へ降りてくるあなたとは違うわ」
「窓からではないぞ!」
「誰も窓とは言っていません」
「そうだったか!」
ヴィオラは余裕のある笑みを浮かべたまま、俺を見る。
歩みは止まらない。
表情も変わらない。
完璧な大人の女性として、ゆっくり俺の前までやってくる。
「久しぶりね、アレン」
「久しぶりだねー、ヴィオラ」
「百二十七年ぶりでも、私の愛称を覚えているのね」
「忘れないよー」
「当然ね」
ヴィオラは優雅に髪をかき上げる。
「あなたがどれほど長く姿を消していても、私との絆が薄れることはないもの」
「立派になったねー。昔は一人で眠れなくて、毎晩俺の部屋に来てたのにー」
「なっ……!」
余裕に満ちていた表情が崩れた。
「それは、一族を失った直後で精神的に不安定だっただけよ!」
「毎晩、袖を掴んでたねー」
「アレン!」
「かわいかったよー」
ヴィオラの顔が真っ赤になる。
「その話を、ほかの者の前でしないでちょうだい!」
「皆様、すでに存じております」
クラリスが笑顔で告げた。
「なぜ知っているの!?」
「ヴィオラ様が、寝言で何度もお話しされていましたので」
「クラリス!」
「とても幸せそうでした」
クラリスは柔らかな笑みを崩さない。
「お久しぶりでございます、アレン様」
「久しぶりだねー、クラリス」
「再びお仕えできる日を、心よりお待ちしておりました」
「ヴィオラをずっと支えてくれてたんだねー。ありがとう」
「……」
クラリスの笑顔が、一瞬だけ止まった。
すぐに、いつもの柔らかな表情へ戻る。
「もったいなきお言葉です」
「クラリス?」
ヴィオラが疑うように見る。
「何でしょう、ヴィオラ様」
「今、いつもより嬉しそうではなかった?」
「常に笑顔を心がけておりますので」
「目が輝いているわ」
「照明の問題です」
リゼットと同じ言い訳だった。
秘書同士で共有しているのかもしれない。
「それでは、会議を始めましょう」
セレスが席を立つ。
「第一の災厄が覚醒するまで、時間は七日しかありません」
「その前に、席が決まっていないわ」
ヴィオラが俺の右隣を見る。
「今夜の会議では、私がアレンの伴侶役を務めます」
「会議に伴侶役は必要ありません」
セレスが即答する。
「外交会議では、男女が並ぶことで相手へ安定した関係を示す場合があるのよ」
「ここには交渉相手がいません」
「災厄に見せつけるわ」
「何をですか?」
「私とアレンの絆を」
「災厄に効果があるとは思えません」
「試す前から否定するべきではないわ」
「ヴィオラ。世界の危機を利用して伴侶の座を狙わないでください」
「あなたにだけは言われたくないわね。緊急決裁書類の中へ婚姻契約書を入れていたでしょう?」
「なぜ全員知っているのですか!」
「情報部門ですので」
ミコトが胸を張った。
騒ぎが再開する。
「みんな、会議を始めようかー」
俺が椅子へ座る。
その一言で、十人が同時に動いた。
左右の席。
斜め後ろ。
給仕位置。
資料を渡しやすい場所。
それぞれが最も近い位置を確保しようとして、椅子と椅子がぶつかる。
世界を動かす最高幹部と、その側近たち。
誰もが国家級の権力と力を持っている。
それなのに、俺の隣席一つを決めるだけで、世界を救う会議が始まらない。
「全員、着席してください」
リゼットが低い声で告げた。
次の瞬間。
円卓の周囲へ淡い光の枠が現れる。
それぞれの氏名と席が、床へ強制的に表示された。
「席順を術式で固定しました」
「リゼット!」
セレスが自分の席を見る。
俺の右隣だ。
「会長は統括責任者ですので、右隣が合理的です」
「よくやりました」
「ただし、私はアレン様の左後方です」
「リゼット!」
「資料配布に最適な位置です」
「絶対に自分の位置も調整したでしょう!」
「合理的な判断です」
ようやく全員が着席した。
セレスが立ち上がり、表情を引き締める。
「これより、《ノクス・アウローラ》最高幹部会議を開始します」
騒がしかった空気が、一瞬で変わった。
全員が、世界最高峰の専門家としての顔になる。
「正式議題は、第一災厄《灰冠の王》の再封印」
セレスが俺へ向き直る。
「創設者。ご命令を」
全員の視線が俺へ集まる。
「俺が決めるのかなー」
「当然です」
セレスが答える。
「七日後、《灰冠の王》が完全覚醒すれば、大陸全土へ被害が及ぶ可能性があります」
エルシアが空中へ魔法映像を表示する。
地下の封印扉。
扉の奥に存在する巨大な魔力反応。
そこから世界各地へ伸びる、無数の赤い線。
「灰冠の王は、炎と魔力を吸収します」
エルシアが淡々と説明する。
「通常の魔法攻撃は、すべて覚醒を促進させる可能性があります」
「ならば、我が剣で斬る!」
「剣へ魔力を込めた時点で吸収されます」
「魔力を込めずに斬る!」
「封印扉を破壊した場合、即時覚醒する可能性があります」
「では、扉を開けてから斬る!」
「話を聞いてください」
カレンが額へ手を当てる。
「情報部門の調査では、《灰冠の王》へつながる魔力経路が世界各地に存在します」
ミコトが地図を広げる。
大陸中に、赤い光点が浮かび上がった。
「近年普及した火属性増幅術式。その一部が、地下封印と同じ構造を持っています」
俺は地図と術式を見比べる。
「第三接続点が逆なんだねー」
全員の動きが止まった。
「アレン。ご存じだったのですか?」
「昨日も見た形だからねー」
王立研究院が三年前に発表した最新術式。
学院地下から現れた古代ゴーレム。
そして、《灰冠の王》の封印。
すべてに同じ構造が使われている。
「この術式で魔法を使うたび、余った魔力が少しずつ地下へ流れてるみたいだねー」
エルシアが目を見開く。
空中に、複数の計算式が現れた。
「再計算します」
数秒後。
会議室の温度が急激に下がった。
「一致しました」
「何がー?」
「世界各地で使用された増幅術式の余剰魔力。そのすべてが、《灰冠の王》の封印内部へ送られています」
「つまり、世界中の者が知らずに災厄へ魔力を与えていたのね」
ヴィオラの表情から、余裕が消える。
「今すぐ術式の使用を禁止すべきです」
「突然禁止すれば、各国が混乱します」
セレスが地図を見る。
「この術式は、工業、暖房、農業、軍事、医療にも使用されています。停止による経済的被害は計算できません」
「ですが、使い続ければ覚醒が早まります」
「残り七日ではないのか?」
ラグナが尋ねる。
エルシアが計算結果を更新する。
「現在の使用量が続けば、正確には六日と十一時間です」
「すでに七日ではないではないか!」
「最初の数字は概算です」
「すべての術式を一斉停止させるわ」
ヴィオラが立ち上がった。
「各国の中央銀行、政府、主要企業へ圧力をかければ、半日で可能よ」
「圧力だけでは反発を招きます」
セレスが首を振る。
「情報を公開すれば混乱が起きる。公開しなければ、理由なく産業を止めることになります」
「報道機関はこちらで制御できます」
ミコトが微笑む。
「重大な不具合が発見されたとして、回収を呼びかけましょう」
「段階的な回収では間に合いません」
エルシアが言う。
「では、どうする?」
ラグナの問いに、全員が黙った。
世界中で使用されている術式を、混乱させず即座に停止する。
そして六日以内に、《灰冠の王》を再封印する。
簡単ではない。
「別の術式と交換すればいいんじゃないかなー」
俺は何気なく言った。
「禁止するだけだと困るけど、安全な新しい術式を無料で配れば、みんなそっちを使うよねー」
会議室が静まり返った。
「アレン」
エルシアが身を乗り出す。
「新術式の構造は?」
「第三接続点を直して、余った魔力を内部で循環させればいいんじゃないかなー」
空中の術式へ指を伸ばす。
三本の線を消し、二本をつなぎ直す。
「こんな感じかなー」
エルシアが術式を凝視する。
空中の計算式が凄まじい速度で増えていく。
ノエルも隣で観測魔道具を操作した。
「効率が上がっています!」
「従来型より、魔力消費が三十一パーセント低下」
エルシアが淡々と告げる。
しかし、その瞳は興奮で輝いていた。
「出力は十四パーセント向上。暴発率は、理論上ほぼゼロです」
「すごい術式なんだねー」
「今、あなたが作りました」
「線を少し変えただけだよー」
「世界中の研究者が三年間気づけなかった欠陥を、数秒で修正しました」
「昔の術式に似てたからねー」
セレスが静かに息を吐く。
「新術式を《アウローラ》が無償公開します」
「製造設備の変更費用も、こちらで負担しましょう」
ヴィオラが続ける。
「情報部門は、本日中に世界規模の告知を開始します」
ミコトが通信魔道具を手にする。
「軍事部門は、旧術式を使用する兵器を一時封印する!」
ラグナが拳を握る。
「魔導研究部門は、新術式の検証と普及用魔道具の生産を開始します」
エルシアが立ち上がった。
誰もが、迷いなく動き始める。
「待ってねー」
俺は手を上げた。
「はい」
全員が同時に止まる。
「旧術式を使った人たちを責めないであげてねー。知らなかったんだから」
セレスたちの表情が変わる。
「それと、新しい術式を作った人の名前も出さなくていいよー」
「ですが、この功績はアレンのものです」
「俺は普通の学生だからねー」
「……承知しました」
セレスが深く頭を下げた。
「創設者の名は伏せ、すべて《アウローラ》の共同研究成果として発表します」
「うん。それがいいねー」
俺としては、目立ちたくないだけだった。
けれど、周囲の女性たちは感動したように俺を見つめている。
「ご自身の功績を捨て、知らずに術式を使用していた者たちすら責めない」
ヴィオラが小さく呟く。
「昔と何も変わっておられませんね」
カレンの声も柔らかい。
「やはり、私たちが生涯お仕えする方は、この方しかおりません」
クラリスが笑う。
「アレン様、大好きです!」
ノエルが元気よく手を上げた。
「ノエル」
「全員の気持ちを代弁しました!」
「間違ってはいません」
エルシアが淡々と認める。
今回は否定しないらしい。
「では、再封印についてもご指示を」
セレスが尋ねる。
「旧術式を止めれば、覚醒は遅らせられるんだよねー」
「はい」
「扉を開けなくても、外側から眠らせ直せないかなー」
「可能性はあります」
エルシアが封印構造を表示する。
「ただし、封印術式の中枢へ接触できるのは、現在のところアレンだけです」
「俺が地下へ行けばいいんだねー」
「危険です!」
十人の声が重なった。
「危険なのは分かってるけどねー」
「我が先に入る!」
「扉を開けば即時覚醒する可能性があると説明しました」
「では、扉ごと守る!」
「意味が分かりません」
「アレンを危険へ近づけることは認められません」
セレスが強い口調で告げる。
「でも、俺にしかできないんだよねー」
「それでもです」
「セレス」
名前を呼ぶ。
セレスが黙った。
「みんなが頑張ってくれたんだから、俺も少しくらい頑張らないとねー」
「……少しでは済まない可能性があります」
「大丈夫だよー」
「その言葉を信じて、百二十七年待ちました」
セレスの声が、わずかに震える。
会議室の全員が静かになった。
「もう二度と、勝手にいなくならないでください」
「分かったよー」
「本当に?」
「終わったら、みんなで学院の食堂へ行こうかー」
「返答になっていません」
「新しいパンがおいしいんだよー」
「……絶対に帰ってきていただきます」
「うん」
セレスはしばらく俺を見つめたあと、ようやく頷いた。
「再封印作戦を承認します」
最高幹部たちが、一斉に立ち上がる。
経営。
軍事。
情報。
研究。
金融と外交。
それぞれが、六日後の作戦へ向けて動き出す。
会議は、ようやく本来の目的を果たした。
そのときだった。
地下の封印を監視していた魔道具が、甲高い警告音を発した。
「封印内部の魔力が上昇しています!」
ノエルが円卓中央へ映像を展開する。
黒い石扉に、新たな古代文字が浮かび上がっていた。
『偽りの炎、満ちたり』
『第一災厄、覚醒工程へ移行』
エルシアが文字列を解析する。
「世界各地から流入した魔力が、規定量へ達したようです」
「旧術式の停止は、まだ間に合わぬのか?」
「今すぐ全世界で停止させても、すでに蓄積された魔力は残ります」
扉の奥から、重い衝撃音が響く。
一度。
二度。
三度。
まるで、何かが内側から封印を叩いているようだった。
『完全覚醒まで――六日』
表示されていた残り時間が、一日縮まる。
「先ほどまでは七日ではなかったのか!?」
「世界のどこかで、大規模な旧式魔法が使用されました」
ミコトが地図を展開する。
大陸西部の一角が、赤く点滅していた。
「二つの国家が国境地帯で交戦を開始。旧式増幅術式を搭載した魔導兵器が使用されています」
「すぐに止めさせなさい」
セレスの声が冷たくなる。
「外交で間に合わなければ、経済封鎖を。経済封鎖でも止まらなければ、ラグナを向かわせます」
「任せろ!」
「都市を破壊してはいけません」
「分かっている!」
「本当に理解していますか?」
全員が慌ただしく動き始める。
俺は、扉に浮かんだ古代文字を眺めた。
偽りの炎が満ちるとき、灰の王は目覚める。
それは昔、俺が少女たちを楽しませるために考えた台詞と、まったく同じだった。
厄災は俺を知らない。
俺も厄災を知らない。
それなのに、千年以上前に作られた封印は、俺の作り話どおりに動いている。
「誰が先に考えたんだろうねー」
俺の呟きに答える者はいなかった。
ただ、円卓に広げられた大陸地図の上で。
第一災厄とは別の六か所が、ゆっくりと赤く光り始めていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
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