第48話 四百年前の俺を研究する発表が三つに増えたので、学院が『本人への直接質問は禁止』という謎の規則を作った
大陸学生交流会二日目の朝、中央講義棟前の掲示板には、昨日までなかった研究発表が三つ追加されていた。
《百五十二年前の《アウローラ》創業と古代支援組織の思想的共通点》。
《長命種が歴史上の同一人物である可能性を判定する方法》。
そして最後が、《記録上の《アレン》という人物に関する年代比較》。
昨夜のうちに追加されたらしい題目を眺めながら、俺は素直に感心していた。
「一晩でよくここまで調べるねー。研究好きな人ってすごいな」
「お前、自分が研究対象になってるって分かってる?」
隣に立っていたトーマは呆れを通り越して疲れた顔をしていた。周囲には俺たちと同じように掲示板を眺める外国学生が何人もいて、そのうち数人はこちらの顔と《アレン》という文字を交互に確認している。
「名前が同じだけかもしれないじゃん」
「四百年以上生きてる長命種で、四百年前の《アレン》を知っていて、《ノクス・アウローラ》の作り方まで知ってる同名の学生だぞ。偶然で押し通す方が難しくなってきてるだろ」
「そう言われると、ちょっと条件多いねー」
「今気づいたのかよ!」
声が大きかったせいで周囲から笑いが漏れ、そのついでにますます視線を集めてしまった。
俺としては、研究そのものを止める理由はないと思っている。昔の記録を調べるのも、そこから何かを考えるのも自由だ。ただ、昨日みたいに発表中の研究対象本人へいきなり質問が飛んでくると、答えていいことと悪いことを考えるのが少し面倒だった。
「今日は静かにしてろよ。本当に。何か違ってても発表が終わるまで黙れ」
「昨日もほとんど黙ってたよー」
「《そこ違う》と《名前を付ける前から》の二言だけで研究者一人の人生が変わりかけたんだぞ」
「ユリウス楽しそうだったじゃん」
「だから余計に危ないんだよ!」
トーマがそこまで言ったところで、一時間目の鐘が鳴った。
今日は通常授業から始まる。
研究されようが、新聞に名前が載ろうが、俺は学生なので授業へ出ないと普通に欠席になる。その当たり前の事実が少し嬉しくて教室へ向かったのだけれど、扉を開けたところで、いつもとは違う紙が黒板の横へ貼られていることに気づいた。
◇
紙には《交流会期間中における研究倫理および個人情報の取り扱いについて》と書かれていた。
「研究テーマが実在の人物と関係する場合、本人への直接質問は授業や通常生活を妨げない範囲に限り、必ず本人の同意を得ること。回答を拒否された場合、繰り返し尋ねてはならない。また、推測のみを事実として公表しないこと――だそうだ」
担任教師は朝の連絡事項として淡々と読み上げたあと、なぜか俺を一度だけ見た。
「これ、俺のためにできた規則じゃないですよね?」
「交流会全体のための規則だ」
「本当に?」
「全体のためだ」
教師はそう言い切ったものの、教室の後ろから誰かが「昨日まではなかったよな」と呟いた。
笑いが起きる。
担任教師もさすがに誤魔化しきれないと思ったのか、肩を落として続けた。
「正直に言えば、きっかけの一つは君だ。ただし内容自体は当然のことだ。研究対象が目の前にいるからといって、四六時中質問していい理由にはならない。クロフォード君も、答えたくないことは普通に断って構わないからな」
「分かりましたー」
「それから、君も研究発表中に気づいたことがあっても、まず発表者が話し終えるまで待ちなさい」
「俺にも規則あるんですか」
「昨日の実績を見れば必要だ」
また教室が笑った。
でも、悪い規則ではない。
知られたくないことは断っていいし、研究する側も推測と事実を区別する。それなら俺も気楽に発表を見られる。
隣のトーマも通知を読み直しながら、珍しく学院側の対応を褒めていた。
「これでお前が急に正体を聞かれても、答えなくていいって最初から言えるな。学院長も相当考えたんだろうな」
「でも聞かれたら、答えられることは答えるよー」
「そこを全部答えようとするなって言ってんだよ。四百年前の本人から聞ける情報なんて、歴史研究者からしたら宝の山なんだから」
「じゃあ少しずつ?」
「量の問題じゃない!」
普通に授業を受けるというのは、思ったより難しい。
◇
午前の授業が終わると、追加された三つの発表のうち、《長命種が歴史上の同一人物である可能性を判定する方法》を見に行くことにした。
昨日のように大きな教室ではなく、今回は研究棟の演習室だった。発表者は魔法生物学と法医学を学んでいる学生らしく、歴史そのものより「数百年前の人物と現代人をどう比較するか」を扱う内容になっている。
「まず最初に申し上げますが、外見が似ているだけでは同一人物とは判断できません。長命種には外見変化の遅い種族が多く、血縁者である可能性もあります」
発表者の少女は、黒板へ比較方法を順番に書き出していった。
身体的特徴。
筆跡。
魔力波形。
本人しか知り得ない記憶。
使用魔法の癖。
長期間変化しにくい魔力核の特徴。
「ただし、四百年前の魔力記録が残っている例はほとんどありません。そのため現実的には、複数の文書や肖像、筆跡、行動記録を組み合わせ、可能性を高めていくことになります」
なるほど。
ちゃんとしている。
俺は一番後ろで聞いていたのだけれど、途中で古い肖像画が投影された瞬間、思わず身を乗り出した。
荒い木炭画だった。
若い男。
その周囲に七人。
昔の俺たちだろう。
「……ひどい絵だねー」
隣のトーマが嫌な顔をする。
「声」
「あ、ごめん」
小さくした。
でも。
やっぱり似ていない。
俺はもっと普通だったと思う。
描かれている男は妙に偉そうに腕を組み、七人の中心で立っている。
「俺、こんな立ち方してないよー」
「だから本人として評価するな!」
「それにセ――」
途中で止めた。
危なかった。
セレスの絵が違うと言いかけた。
トーマが、ものすごく安心した顔で息を吐く。
「成長したな」
「そこまで?」
「昨日なら最後まで言ってた」
褒められた。
しかし前方に座っていたセレス本人は、こちらの会話が聞こえていたらしい。
振り返って、小さく笑っている。
彼女も絵へ視線を戻すと、懐かしそうに目を細めた。
「確かに、かなり違いますね」
「セレス様」
隣のカレンがすぐ止める。
「あなたまで参加しないでください」
「感想です」
「歴史資料に描かれた七人の少女を見ながら《違う》と仰る《アウローラ》会長の感想は、研究者にとって非常に危険です」
「……では黙ります」
セレスも怒られていた。
◇
発表そのものは最後まで慎重だった。
結論は、「現在のアレン・クロフォードと歴史上の《アレン》について、外見や年齢だけでは同一人物と判断できない」。
俺はかなり良い発表だと思った。
質疑応答へ移ったあとも、昨日の規則が効いているのか、俺へ直接質問する学生はいない。
代わりに、研究方法についての質問が続いた。
「もし本人が自分は同一人物だと証言した場合、それだけで証明になりますか?」
「なりません。本人の証言も証拠の一つですが、記憶違いや虚偽の可能性があります」
「四百年前の出来事を正確に答えられれば?」
「質問内容が公開資料由来なら証明力は低いでしょう。非公開の一次資料に記された事実を複数答えられれば、可能性は上がります」
俺は感心して隣のトーマへ小声で言った。
「俺が『本人です』って言っても、研究ではそれだけじゃ駄目なんだねー」
「頼むから実験しようとするなよ」
「しないよ」
「今ちょっと面白そうだと思っただろ?」
何で分かったのだろう。
◇
昼休み。
学生食堂へ行くと、昨日の研究発表をしたユリウスが一人で昼食を取っていた。
目が合う。
彼は一瞬迷ったあと、昨日の新しい規則を思い出したらしく、自分からこちらへ来ることはしなかった。
「アレン?」
「うん?」
「お前から行くのは規則違反じゃないぞ」
トーマに言われて気づく。
「じゃあ一緒に食べようかな」
「好きにしろ」
俺が声をかけると、ユリウスは驚いたものの席を空けてくれた。
「昨日は面白かったよー。今日も発表見た?」
「はい。ただ、昨日の件がありましたので……その、クロフォード君へ歴史の質問をするのは控えた方がいいかと」
「普通の話ならいいんじゃない?」
「普通の話?」
「好きな時代とか」
ユリウスはしばらく戸惑っていたが、やがて緊張が抜けたように笑った。
「でしたら、私は三百年ほど前の都市国家群が好きです。当時は小国同士の交易が複雑で、記録を追っていると、一つの荷物が五ヶ国を経由していることもあるんです」
「あー、あの辺面倒だったねー」
「……」
「……」
またやった。
ユリウスが止まる。
トーマが横で頭を抱える。
「アレン。お前、普通の歴史談義ができないのか?」
「今のは感想だよー」
「体験談に聞こえる感想をやめろ!」
「でも本当に税関がいっぱいあって――」
「追加するな!」
ユリウスは口元を押さえて、笑うのを我慢していた。
「大丈夫です。今の発言は研究資料にはしません」
「いいの?」
「はい。食事中の雑談を本人の許可なく研究資料へ使うのはよくありませんから」
「ちゃんとしてるねー」
「昨日、少し反省しました」
研究に熱中していたときとは違い、今のユリウスは普通の学生だった。
好きな時代の話。
調べたい遺跡。
卒業後は研究者になりたいこと。
そんな話をしていると、俺が歴史上の誰なのかなんて関係なくなる。
「今度」
ユリウスが食事を終えながら言った。
「正式な形で、長命種の方が歴史記録をどう感じるのか、一般的なお話を伺ってもいいでしょうか。《ノクス・アウローラ》やあなた自身の正体ではなく、長く生きる方にとって歴史とは何なのか、という内容です」
「それならいいですよー」
「ありがとうございます。事前に質問項目をお渡しします」
「そんなに固くしなくてもいいのに」
「クロフォード君の場合、固くした方が安全だと昨日学びました」
トーマが隣で大きく頷いた。
「こいつ、優秀だな」
「俺だけ信用されてなくない?」
「積み重ねだよ」
◇
午後の発表は、《アウローラ》創業と《ノクス・アウローラ》の思想的共通点についてだった。
こちらは歴史そのものより経営史に近く、《アウローラ》が公開している創業文書や古い社内報を分析している。
発表者は両者の共通点として、「困難な地域へ先に物流を作る」「短期利益より長期的な地域安定を優先する」「孤児や研究者の保護を事業の一部として扱う」といった項目を挙げていた。
「これだけの類似点がある以上、《アウローラ》の創業者たちが《ノクス・アウローラ》に関する伝承を知っていた可能性は高いと考えます。しかし、直接的な継承関係を証明する資料はありません」
セレスは俺の少し前に座っていた。
その横顔は。
穏やかだった。
発表が終わるまで一度も口を挟まなかった。
質疑応答でも。
自分から答えない。
最後に発表者が客席へ向かって「もし《アウローラ》側で公開可能な創業資料があれば、今後研究したい」と話したときだけ、リゼットへ小さく何かを確認した。
その後。
セレスが手を上げる。
「公開資料の閲覧窓口でしたら、後ほど担当部署をご案内できます。ただし、特別に非公開資料を提供することはいたしません」
発表者の学生は目を輝かせて頭を下げた。
「ありがとうございます!」
それだけ。
以前なら。
資料庫ごと開けていたかもしれない。
「セレス」
発表後。
俺が声をかける。
「はい?」
「ちゃんと我慢したねー」
「……」
「何?」
「アレンに言われると、少し複雑です」
「褒めてるよ?」
「分かっています」
セレスは苦笑して、それから胸元の首飾りへ触れた。
「でも、研究する方には、ご自身で見つけていただく方がよいのでしょうね」
「うん。その方が楽しそう」
「はい」
また。
少しずつ。
変わっている。
◇
その日の自由研究交流は、大きな騒ぎもなく終わった。
少なくとも。
俺はそう思っていた。
夕方、外国学生たちと一緒に西旧校舎区の掃除を手伝い、そのあと栽培実習区画で小麦の状態を確認してから寮へ戻ろうとしたところ、リゼットが珍しく急ぎ足でこちらへ来た。
「アレン」
「どうしたの?」
「学院長室へ来ていただけますか。セレス様たちもすでに向かっています」
「また何かした?」
「今回は、アレンではありません」
「よかったー」
「喜ぶところでしょうか……」
リゼットと一緒に学院長室へ入ると、学院長、歴史学院の教師、ユリウス、それからセレスたち十人が集まっていた。
机の中央。
古い箱。
見覚え。
ない。
「何これ?」
学院長が説明する。
「北方歴史学院の保管庫から、今日届いた追加資料だ。昨日のユリウス君の発表内容を知った同学院の教授が、関連する可能性があるとして送ってきた」
「開けていいの?」
「まだ中身は一部しか確認していない。ただ、問題がある」
学院長が。
セレスを見る。
セレスは。
さっきから。
箱の中にある。
一冊の。
古びた手帳だけを見ていた。
「セレス?」
呼ぶと。
ようやく。
こちらを見る。
表情。
いつもと違う。
「アレン」
「うん」
「これは」
彼女は。
とてもゆっくり。
手帳へ手を伸ばした。
「私が書いたものです」
部屋。
静かになる。
ユリウス。
固まる。
「四百年ほど前」
セレスは表紙を指先でなぞりながら、懐かしさと戸惑いが入り混じった声で続けた。
「まだ《ノクス・アウローラ》が、本当に小さな集まりだった頃のものです」
「覚えてるの?」
「はい」
セレスが。
手帳を開く。
最初のページ。
古い文字。
でも。
俺にも。
読める。
――今日もアレンが勝手に三日寝なかった。
「……」
「あー」
思い出した。
「これ」
「はい」
「怒られたときのやつだねー」
ユリウスが。
ものすごく。
ゆっくり。
俺を見る。
トーマがいたら。
たぶん。
今すぐ。
頭を抱えていたと思う。
そして俺は。
このとき。
まだ知らなかった。
その手帳には。
《ノクス・アウローラ》が作られた日のことまで。
セレス本人の文字で。
かなり詳しく。
残っていた。




