第41話 学生代表として普通に挨拶しただけなのに、世界最大企業の三千二百人が一斉にメモを取り始めた
学生代表挨拶を頼まれてから、俺が最初にしたことは原稿を書くことではなかった。
「先生、どれくらい話せばいいんですか?」
「五分程度を想定している。多少前後しても構わないが、各国の代表もいるから長すぎないようにな」
「五分かー」
それなら何とかなる。
そう思って頷いたところで、隣にいたトーマが嫌そうな顔をした。
「お前、今まさか『何とかなる』って思っただろ」
「何で分かったの?」
「顔だよ。絶対に原稿作らない顔してる」
「一応作るよー」
「本当か?」
「たぶん」
「その『たぶん』が怖いんだよ!」
昨日までなら、ここでリゼットが完璧な演説原稿を三種類くらい用意し、セレスが表現を整え、ヴィオラが外交的な意味を確認し、カレンが問題発言を削り、最終的に俺が読むだけになっていたかもしれない。
けれど今回は違った。
王国側も《アウローラ》側も、俺を普通の学生として扱うことになっている。
だから誰も手伝わない。
正確には、手伝いたそうな人が十人くらい廊下の向こうからこちらを見ていたけれど、リゼットが自分の両手を握って必死に耐えていた。
「リゼット」
「はい」
「何してるの?」
「何もしていません」
机の上には手帳がある。
開いていない。
珍しい。
「原稿、見ないの?」
「見ません」
「見てもいいよ?」
「いけません」
返事が妙に早かった。
「普通の学生が代表挨拶を頼まれた場合、企業最高幹部が内容を事前確認することはありませんので」
「確かに」
「ですから私は今、何も気にしておりません」
「手、震えてるよー」
「気のせいです」
ずいぶん大きな気のせいだった。
◇
結局、原稿はその日の夜に書いた。
難しいことを書く必要はないと思ったので、内容も簡単だ。アルヴェインへ来てから見たもの、感じたこと、それから教育交流について少し。
紙一枚に収まった。
向かいの寝台からトーマが覗き込んでくる。
「もうできたのか?」
「うん」
「見せろ」
「いいよー」
渡すと、トーマは最初から最後まで読み、途中で二度ほど首を傾げた。
「普通だな」
「挨拶だからねー」
「いや、もっとこう……お前だから変なこと書くと思ってた」
「失礼だなー」
「でも最後のところ、ちょっと気になる」
「どこ?」
トーマが指さしたのは、締めの部分だった。
――いいものは持ち帰って、困っていることは持ち寄ればいいと思います。
――国が違っても、学院が違っても、一人で全部できる人はいません。
――だから今回知り合った人たちと、帰ってからも時々助け合えたら嬉しいです。
「これ?」
「うん。まあ、おかしくはないんだけど」
「じゃあいいじゃん」
「そうなんだけどなあ……」
トーマはしばらく原稿を眺め、それから俺へ返した。
「お前が言うと、妙に重く聞こえそうなんだよ」
「俺、普通の学生ですよー」
「昨日から国中がそれを努力して実現しようとしてる時点で普通じゃないんだよ!」
それは俺のせいではないと思う。
◇
翌日。
教育交流祭本番。
王立高等学院の敷地は、昨日までとは比べものにならないほど賑わっていた。
正門は一般開放され、王都の住民や他国から訪れた商人、研究者、学生の家族まで大勢が入ってくる。広場には各国の展示用テントが並び、校舎内では研究発表、訓練場では魔法実演、別棟では職人たちの技術展示が行われていた。
そして《アウローラ》区域だけ、どう見ても規模がおかしい。
「アレン」
「何?」
「教育交流支援って言ってたよな」
「うん」
「何で仮設展示館が三棟建ってるんだ?」
「昨日なかったよねー」
「夜のうちに建てたらしいぞ!」
早い。
展示館の中では、医療技術、物流網、通信魔道具、教育支援設備などが紹介されているらしい。
ただ、事前に俺から「普通の交流祭だからやりすぎないでね」と言ってあったので、三千二百人のうち会場に出ているのは一部だけだ。
「やりすぎない結果が建物三つなんだな」
「控えめなんじゃない?」
「《アウローラ》基準で考えるな!」
トーマとそんな話をしていると、制服姿のレティシアがこちらへやってきた。
今日も青い髪紐を使っている。
「アレンさん。挨拶は午後二時からです」
「覚えてますよー」
「原稿は?」
「あります」
「見せていただいても?」
「いいですよ」
差し出すと、レティシアはその場で読み始めた。
しばらくして顔を上げる。
「……これだけですか?」
「五分くらいですよね?」
「内容についてです」
「変?」
「いいえ」
彼女はもう一度最後の部分へ目を落とした。
「とてもアレンさんらしいと思います」
「ならよかった」
「ただ」
「うん?」
「父上には、先に見せない方がよいと思います」
「どうして?」
「また国家会議が始まりそうなので」
「挨拶で?」
「アレンさんは、ご自分が過去に何をしてきたか忘れていますね?」
「あー」
何となく。
意味が分かった気もする。
でも。
「今は学生代表だからねー」
「……そうでした」
レティシアは少し笑った。
「では、学生代表として頑張ってください」
◇
午後二時。
交流記念式典は学院中央広場で行われた。
各国の旗が並び、その前には大きな演壇。客席には学生、教師、王都の市民、それから招待客までいる。
数千人。
思ったより多い。
「緊張してきた?」
舞台袖でトーマが面白そうに聞いてくる。
「少し」
「おお! お前でも緊張するのか!」
「人数多いからねー」
「何百年前に国王とか相手にしてた奴が?」
「昔と今は別ですよー」
「そこだけ学生らしくなるんだな……」
先にアルヴェイン側代表が挨拶する。
次に別の国。
そして。
「続きまして、王立魔法学院代表。アレン・クロフォード君」
呼ばれた。
「行ってきます」
「おう」
舞台へ出る。
視線。
たくさん。
正面。
国王。
王妃。
レティシア。
各国関係者。
少し離れた来賓席には、セレスたち十人もいる。
その後ろ。
《アウローラ》関係者。
いっぱい。
俺は演台の前へ立って、用意してきた紙を置いた。
「王立魔法学院のアレン・クロフォードです」
声が。
広場へ響く。
「今回、アルヴェイン王国へ来るのは初めてでした。最初は王宮や学院を見るのが楽しみだったんですが、実際に来て一番長く見ていたのは市場と食堂だった気がします」
客席から。
少し笑いが起きた。
よかった。
固くない。
「市場では野菜の値段を見ました。学生食堂では昼食の値段を見ました。古い商業区では、お菓子を買いました」
また。
笑い。
旧商業区の話は、もう一部で知られているらしい。
「でも、そういう普通のところを見ると、その国のことが少し分かる気がします。どんなものを食べて、どんな店を使って、何を大事にしているのか。王宮だけ見て帰っていたら、たぶん俺はアルヴェインのことを半分も知らないままでした」
レティシアが。
静かに聞いている。
「合同授業も面白かったです。俺たちの学院とは考え方が違うところもありました。でも、違うからこそ『そういうやり方もあるんだ』って分かりました」
そこまで。
原稿どおり。
次も。
そのつもりだった。
けれど。
客席を見たとき。
少し。
思ったことがあった。
アルヴェインの学生。
俺たちの学院の学生。
他国の学生。
王都の普通の人。
《アウローラ》のみんな。
昔。
こんなに違う国の人たちが。
同じ場所へ集まることなんて。
ほとんどなかった。
「昔は」
言ってから。
しまったと思った。
まあ。
いいか。
「今より、国同士が遠かった気がします」
客席の一部。
国王と宰相が。
ぴくり。
動いた。
「困ったことがあっても、隣の国に頼むくらいなら自分たちだけで何とかしようとする場所も多かったし、そのせいで間に合わなかったこともありました」
原稿から。
少し離れる。
「でも、今回みたいに学生のうちから知り合っていれば、将来困ったときに『あいつに聞いてみよう』って思えるかもしれません」
広場が。
少し静かになる。
「全部、自分たちだけでできなくてもいいと思います。得意な人が得意なことをやって、足りないところだけ他の人に頼ればいい。その代わり、自分たちが助けられるときは助ければいい」
何か。
セレスが。
すごく真剣な顔をしていた。
「国でも、会社でも、たぶん同じです」
あ。
今。
リゼットが手帳を開いた。
何で?
「一人で全部抱える必要はないし、一つの国が全部持っている必要もない。食べ物が足りないなら持っている場所から運べばいいし、薬が足りないなら作れる人に頼めばいい。道が壊れたなら、直せる人を呼べばいい」
ヴィオラも。
メモ。
ミコトも。
メモ。
エルシアまで何か書いている。
嫌な予感。
「だから」
早めに終わろう。
「今回知り合った人たちと、帰ってからも時々助け合えたら嬉しいです」
原稿最後。
「いいものは持ち帰って、困っていることは持ち寄る。そうやって、次に会ったときに『前よりちょっと良くなった』って笑えたら、それが一番いい交流なんじゃないかなと思います」
一礼。
「ありがとうございました」
数秒。
静か。
「あれ?」
失敗した?
そう思った直後。
拍手。
最初は学生たち。
次に教師。
それから。
広場全体。
大きな拍手になった。
「よかったー」
普通に終わった。
◇
舞台を降りる。
トーマが待っていた。
「アレン」
「何?」
「途中から原稿読んでなかっただろ」
「ちょっとだけ」
「ちょっとじゃねえよ!」
「変だった?」
「いや、いい話だったけど……」
トーマが来賓席を見る。
「問題はあっちだ」
「何?」
見る。
セレス。
リゼット。
ミコト。
ヴィオラ。
カレン。
全員。
手帳。
ラグナまで何か紙へ書いている。
「何してるのかなー」
「俺が聞きたい」
◇
式典終了。
五分後。
《アウローラ》教育交流支援本部。
「緊急会議を開始します」
セレスの声。
「創設者――」
「その呼称は禁止です」
リゼットが止める。
「失礼しました。アレンの発言について確認します」
「記録完了」
ミコトが手帳を見る。
「主要部分」
「得意な者が得意なことを行う」
「不足部分のみ他者へ依頼」
「支援可能時には支援」
「資源不足は地域間移送」
「技術不足は外部連携」
「最終目標」
「前より少し良くなる」
ラグナが。
腕を組む。
「つまり」
「うん」
「我々の現在方針そのものではないか?」
沈黙。
「……そうですね」
カレンが答える。
「四百年前から変わっていない」
エルシア。
「アレン」
「昔も同じ」
ヴィオラが扇を閉じる。
「違うわ」
「何が?」
「昔のアレンは、自分で全部やろうとしたでしょう?」
静かになる。
「今回は」
ヴィオラが。
少し笑う。
「頼ればいいって言ったわ」
セレス。
目を伏せる。
「……はい」
「そこは」
リゼットも。
ゆっくり頷いた。
「変わりました」
誰も。
大声を出さない。
ただ。
十人とも。
少し嬉しそうだった。
「では」
リゼットが手帳を閉じる。
「会社方針への反映は?」
「しません」
セレスが即答した。
全員。
驚く。
「なぜ?」
ミコト。
「今日は」
セレスは。
少し笑った。
「アレンが」
「学生代表として」
「話した言葉です」
そして。
「私たちへ」
「命令したわけではありません」
しばらく。
誰も何も言わない。
「普通の学生生活」
カレンが呟く。
「はい」
セレス。
「だから」
「私たちは」
「ただ」
胸元。
《また帰る》。
その首飾りへ触れる。
「聞いていればいいのです」
◇
同じ頃。
王族来賓席。
「宰相」
「はい」
国王が。
疲れた声で呼ぶ。
「今の演説」
「はい」
「四百年前の記録と似ていないか?」
「……」
「答えろ」
「かなり」
「やはりか」
宰相も。
資料を思い出していた。
四百年前。
飢饉。
疫病。
戦争。
国境。
アレンが作った《ノクス・アーク》は。
一つの地域ですべてを完結させず。
足りないものを。
別の場所から運んだ。
国境を越えて。
人を。
物を。
技術を。
つないだ。
「しかし」
宰相が言う。
「一点」
「何だ」
「過去記録との違いがあります」
「分かっている」
国王も。
気づいていた。
「昔は」
「本人が」
「最後までやっていた」
「はい」
「今回は」
国王。
舞台裏へ戻っていくアレンを見る。
「人に頼れと」
「言った」
「はい」
「……」
国王は。
少し笑った。
「四百年もあれば」
「人は」
「少しくらい成長するらしいな」
◇
式典が終わったあと。
俺は普通に怒られた。
「アレン・クロフォード君」
「はい」
引率教師。
眉間。
少し皺。
「原稿」
「あ」
「途中から変えただろう」
「ちょっと」
「事前提出された内容と違う」
「すみませんー」
「今回は問題のある内容ではなかったため注意のみとする。しかし代表挨拶には時間制限もある。次からは気をつけなさい」
「はい」
教師。
去る。
「……」
俺は。
少し嬉しくなる。
「また怒られた」
「お前、本当にそれ嬉しそうに言うのやめろ!」
トーマが笑う。
「普通だねー」
「普通の学生は怒られて喜ばねえんだよ!」
「難しいなー」
◇
そこへ。
レティシアが来る。
「素敵な挨拶でした」
「途中変えたから怒られましたー」
「聞いていました」
「恥ずかしいねー」
「でも」
レティシアは。
嬉しそうに。
青い髪紐を揺らした。
「私は」
「アレンさんが原稿を変えてくださって」
「よかったと思います」
「どうして?」
「最後の言葉」
「うん」
「次に会ったとき」
「前より少し良くなったと笑えたら」
「あー」
「好きです」
「そう?」
「はい」
「じゃあ」
俺は。
少し考える。
「次に来たとき」
「また普通に市場行こうか」
「……」
レティシア。
止まる。
「それは」
「うん?」
「次も」
「アルヴェインへ来てくださる」
「という意味ですか?」
「来るでしょー」
「……」
「友達できたし」
レティシアが。
何も言わなくなった。
「どうしたの?」
「いえ」
青い髪紐へ。
そっと触れる。
「その言葉だけで」
「今日は十分です」
「買い物しない?」
「行きます」
「行くんだねー」
「それは別です」
即答だった。
◇
その日の夕方。
教育交流祭。
初日。
無事終了。
学生代表の挨拶も。
特に問題なし。
俺としては。
それで終わるはずだった。
ただ。
一般公開されていた広場には。
各国の商人。
研究者。
行政官。
新聞記者。
そして。
《アウローラ》関係者。
大勢。
いた。
翌朝。
王都で発行された新聞。
小さな記事。
――教育交流祭、外国人学生代表が異例の演説。
さらに。
商業紙。
――「足りないものは持っている者から」若き学生が語った新しい国家間協力。
経済紙。
――《アウローラ》最高幹部全員が演説中に記録。企業方針への影響は?
そして。
世界各地の《アウローラ》支社では。
「昨日の発言は新方針か?」
「本部から指示は?」
「ありません!」
「では独自に動くな!」
「はい!」
という。
別の騒ぎが起きていた。
ただし。
セレスから世界中へ送られた通達は。
一行だけ。
――昨日の発言は、学生アレン・クロフォード個人による学生代表挨拶です。
そして。
その下。
さらに。
一行。
――勝手に経営方針へしないように。
四百年前なら。
たぶん。
誰も止めなかった。
でも。
今は。
止める人がいる。
俺は。
まだ。
そのことを知らない。
ただ。
教育交流祭二日目。
朝。
トーマが新聞を持って。
俺の部屋へ飛び込んでくることになる。
「アレン!」
「何ー?」
「お前の挨拶!」
「うん?」
「他国の新聞にまで載ってるぞ!」
普通の学生代表挨拶。
だったはずなのに。
どうやら。
少しだけ。
遠くまで。
届いてしまったらしい。




