第40話 王国に正体がバレた翌朝、普通の学生扱いを頼んだら「普通に接するための国家会議」が始まった
翌朝、東迎賓宿舎の食堂へ入った瞬間、俺は何かがおかしいことに気づいた。
昨日までなら、朝食の時間はもっと騒がしい。外国へ来た学生たちが料理の違いについて話したり、今日の予定を確認したり、寝坊した誰かを笑ったりしていた。
なのに今日は、俺が扉を開けた途端、入口近くにいた王宮の給仕たちが一斉に背筋を伸ばした。
「お、おはようございます、クロフォード様」
「おはようございますー」
一人へ挨拶すると、その隣も頭を下げる。さらにその隣も続き、気づけば食堂の端まで、妙にきれいな順番で礼が伝わっていった。
俺はしばらくその光景を眺めてから、後ろにいたトーマへ聞いた。
「昨日もこんな感じだった?」
「違う」
「だよねー」
「絶対に何かあった」
珍しく俺とトーマの意見が一致した。
とはいえ、頭を下げられただけで困ることもない。俺はいつもの席へ向かおうとしたのだが、そこでも新しい問題が待っていた。
昨日まで普通の木製椅子だった俺の席だけ、座面に柔らかそうなクッションが置かれている。
テーブルの上には温かいお茶。好みの焼き加減になったパン。果物まで皮が剥かれ、食べやすい大きさに揃えてあった。
「……トーマ」
「俺を見るな」
「まだ何も聞いてないよー」
「どうせ『これ普通?』だろ。普通じゃねえよ」
「やっぱり?」
「王宮の朝飯で、自分の席だけ完全に実家みたいになってる学生がどこにいる!」
言われてみればその通りだ。
俺は近くにいた給仕の男性を呼んだ。
「すみませんー」
「は、はい!」
返事と同時に、男性の姿勢がさらに伸びた。
「このクッションって何です?」
「そ、それは、長時間の着席によるご負担を軽減するために……」
「朝ご飯食べるだけですよー」
「万が一に備えまして」
「パンも切ってあるねー」
「咀嚼時のご負担を――」
「そこまで弱くないよ?」
「申し訳ございません!」
「謝らなくていいよー」
むしろ俺が困る。
隣ではトーマが肩を震わせていた。
「笑ってる?」
「笑ってねえ」
「こっち見て言ってよー」
「無理だ!」
完全に笑っていた。
◇
さらに変だったのは食堂だけではなかった。
今日の午前中は、アルヴェイン王立高等学院との合同研究発表が予定されている。俺たちは王宮から馬車で学院へ移動したのだが、到着した途端、正門の警備員が俺を見て姿勢を正した。
廊下を歩けば教師が道を譲り、教室へ入れば最前列中央の席だけ妙に広く空いている。
さすがに気になった。
「俺、何かしました?」
担当教師へ聞くと、四十代くらいの男性教師は額に汗を浮かべた。
「い、いえ。決してそのようなことは」
「じゃあ普通の席でいいですよー」
「もちろんです! 我々もクロフォード様には可能な限り通常どおりの学生生活を――」
そこまで言ってから。
教師は自分の言葉に気づいたようだった。
「……通常どおり?」
「はい」
「では、なぜ私だけ最前列の周囲が五席空いているのでしょう」
「……」
「先生?」
「換気です」
「俺の周りだけ?」
「局所的な換気効率の向上を――」
「昨日エルシアも似たようなこと言ってたなー」
偶然や自然現象は、困ったときに便利らしい。
「アレン」
後ろからトーマが袖を引いた。
「もう諦めろ」
「何を?」
「お前、絶対何かバレてる」
ぎくり。
昨日。
国王には四百歳を超えていることも、《ノクス・アーク》を俺が作ったことも話している。
ただ、あれは国王と宰相と情報部長、それにレティシアしかいない部屋での話だったはずだ。
「王様って口軽いのかなー」
「何の話だよ?」
「何でもない」
危ない。
トーマにはまだ全部話していない。
◇
合同研究発表そのものは、昨日までと変わらず面白かった。
アルヴェイン側の学生たちは、自国の産業や行政制度についていくつもの案を用意していたし、こちらの魔法学院からも魔道具や魔術教育に関する発表が行われる。
俺も普通に聞いていたのだけれど、途中から別のことが気になり始めた。
質問時間になっても。
誰も俺を当てない。
手を上げても。
教師が見ないふりをする。
もう一度上げる。
やっぱり見ない。
試しに両手を上げた。
「アレン」
隣のトーマが小声で言った。
「何してる?」
「気づいてないのかなと思って」
「絶対気づいてる。先生の目がお前の両手を全力で避けてる」
「おかしいねー」
「だからバレてるって!」
仕方がないので、発表が終わってから直接聞くことにした。
「先生」
「はいっ!」
「俺、質問したら駄目です?」
「と、とんでもございません!」
「じゃあ何で当てなかったの?」
「それは……」
教師の視線が泳ぐ。
「クロフォード様からのご質問となれば、発表者に過度な心理的負担を与える可能性がありまして」
「俺も学生ですよー」
「承知しております!」
「本当に?」
「もちろんです!」
答えだけは立派だった。
「じゃあ次から普通に当ててください」
「……」
「先生?」
「努力いたします」
「当てるだけで努力がいるの?」
いよいよ怪しい。
◇
昼休み。
俺は学生食堂の隅でレティシアを捕まえた。
正確には、青い髪紐をつけた本人が俺のところへ来たので、隣へ座ってもらっただけだけれど。
「レティシア」
「はい」
「何か隠してる?」
「……」
分かりやすく止まった。
「あるんだねー」
「どうしてそう思われたのですか?」
「朝から王宮の人が変だから」
「……」
「学院の先生も変」
「……」
「俺だけ席広いし、質問しても当ててもらえない」
「……」
「レティシア?」
彼女はしばらく耐えていたものの、やがて観念したように小さく息を吐いた。
「父上が」
「うん」
「昨日の件について、重臣の方々へ説明しました」
「あー」
やっぱり。
「全部?」
「すべてではありません。最高機密扱いです」
「最高機密なんだ」
「四百年以上生きる長命種で、《ノクス・アーク》の創設者であり、現在の《アウローラ》最高幹部の方々と四百年前から関係がある人物ですから」
「並べるとすごそうだねー」
「すごいのです!」
「でも俺、今は学生ですよ?」
「それも伝わっています」
「伝わってない気がするなー」
レティシアも反論できなかった。
「父上からは、アレンさんが普通の学院生活を望んでいるため、決して特別扱いしないよう命令が出ています」
「……」
俺は今朝のクッションを思い出した。
皮を剥かれた果物。
誰も座らない周囲五席。
質問しても当てない教師。
「逆になってない?」
「私もそう思います」
「どうして?」
「皆様」
レティシアは少し困ったように笑った。
「『四百年前から国を救ってきた人物を、普通の学生として扱え』と言われて」
「うん」
「どこまで普通にしてよいのか分からなくなっているようです」
「普通って難しいんだねー」
「アレンさんの周囲だけ、最近その問題ばかり起きています」
《アウローラ》の三千二百人も同じだった。
どうやら普通というのは、命令されてやるものではないらしい。
◇
「じゃあ」
俺はパンをちぎりながら考えた。
「国王陛下にお願いしてもいい?」
「何をでしょう?」
「本当に普通にしてほしいって」
「父上はすでにそのつもりなのですが」
「でも伝わってないから」
王宮の人たちが悪いわけではない。
四百年前の記録をいきなり見せられて、その本人が目の前で学生服を着て歩いているのだから困るのも分かる。
だから。
「失礼でもいいし」
「はい?」
「学生がやったら普通に叱っていいし、列に並んでたら後ろに並ばせていいし、授業で間違えたら普通に減点してほしい」
レティシアが静かに俺を見る。
「敬語も無理に変えなくていいけど、昔のことは昔のことだから」
「……」
「今の俺は教育交流で来てる学生ですよー」
「アレンさん」
「はい?」
「四百年前」
「うん」
「この国の前身を救ったことを、本当に特別だと思っていないのですね」
「覚えてないことも多いからねー」
「そういう意味ではありません」
レティシアは苦笑したあと、少しだけ表情を柔らかくした。
「分かりました。父上へ私から伝えます」
「ありがとう」
「ただ」
「うん?」
「一つだけ確認してもよろしいですか?」
「いいですよー」
レティシアは青い髪紐へ触れた。
「私まで、今までと接し方を変える必要がありますか?」
「何で?」
「正体を知りましたから」
「あー」
昨日。
四百歳だと話した。
秘密結社を作ったことまで知られた。
「別に変えなくていいよー」
「……」
「レティシアはレティシアでしょ?」
言うと。
彼女は。
少しだけ目を丸くした。
「王女だからとか、俺の昔を知ったからとか、関係ないんじゃない?」
「……そうですか」
「うん」
「では」
レティシアは嬉しそうに笑った。
「今までどおりにします」
「お願いしますー」
「そして次に二人で出かけるお約束も、今までどおり有効ということで」
「うん?」
「有効ですよね?」
少し身を乗り出してきた。
「約束したっけ?」
「しました!」
「いつ?」
「学生街で! また普通に買い物をしようと!」
「あー」
「忘れていらしたのですか!?」
「思い出したよー」
「今ですね!?」
普通に戻るのが。
思ったより早かった。
◇
その日の午後。
アルヴェイン王宮では、本当に会議が開かれた。
「陛下」
宰相が机の上の書類を見る。
「第二王女殿下より、アレン・クロフォード本人の希望が届けられております」
「読め」
「特別扱いをやめ、一般の教育交流参加学生と同様に接してほしいとのことです」
「それは昨日から命じている」
「はい」
「なぜできていない?」
会議室。
誰も答えない。
やがて王宮侍従長が、慎重に口を開いた。
「陛下」
「何だ」
「確認させていただきたいのですが」
「うむ」
「一般学生と同様に扱う、ということは」
「そういうことだ」
「廊下でぶつかれば、こちらから注意しても?」
「……」
国王が止まる。
「当然だ」
「王宮の立入禁止区画へ誤って入った場合は?」
「止めろ」
「食堂へ遅刻された場合は?」
「他の学生と同じ扱いだ」
「提出物を忘れた場合は?」
「教師が叱ればいい!」
「四百年前に我が国を救った方を?」
「だから!」
国王が机を叩いた。
「今は学生だと言っている!」
「承知しました!」
全員が一斉に返事をする。
しかし。
表情には。
まだ不安が残っている。
「陛下」
今度は情報部長が手を上げた。
「一つ、重大な問題があります」
「何だ」
「普通の学生への接し方について、王宮として統一基準がありません」
「……」
「教育交流期間中だけでも、対応要領を策定すべきかと」
「待て」
国王の顔が嫌そうに変わる。
「まさか」
「はい」
情報部長は真剣だった。
「《アレン・クロフォード通常学生対応要領》を作成します」
「それが一番普通ではないだろう!」
◇
それでも。
作られた。
王宮官僚というのは。
一度仕事として動き始めると。
強かった。
夕方までに初稿が完成。
全四十七ページ。
第一章。
基本原則。
――対象者を一般の教育交流参加学生として扱う。
第二章。
呼称。
――「クロフォード様」は可。ただし過度な敬称は禁止。
第三章。
飲食。
――本人の希望なく料理を細断しない。
第四章。
座席。
――本人周囲の席を意図的に空けない。
第五章。
教育。
――本人の挙手を意図的に無視してはならない。
第六章。
注意・指導。
――規則違反時は他の学生と同様に注意する。
第七章。
禁止事項。
――本人の過去を理由とした跪礼を禁止。
――廊下通過時の整列を禁止。
――専用食器の用意を禁止。
――本人の使用後の食器を歴史資料として保管しない。
「……」
国王は。
最後の一文で。
顔を上げた。
「待て」
「はい」
「すでに誰かやったのか?」
「朝食時のカップが一つ」
「返してこい!」
「すでに返却済みです!」
「ならなぜ規則に入れた!」
「再発防止です!」
必要な規則だった。
◇
翌朝。
俺はいつものように食堂へ入った。
「おはようございます、クロフォード様」
「おはようございますー」
給仕が普通に挨拶する。
頭は下げる。
でも。
昨日ほど深くない。
席へ行く。
クッション。
ない。
パン。
自分で切る。
果物。
皮付き。
「戻ったねー」
俺が言うと、向かいのトーマがパンをかじりながら首を傾げた。
「何が?」
「普通」
「昨日までがおかしかったんだよ」
「だよねー」
俺も座る。
そのとき。
「クロフォード君」
「はい?」
近くにいた引率教師が俺を呼んだ。
「昨日提出する予定だった交流記録だが」
「あ」
忘れていた。
「出してないねー」
「昼までに提出しなさい」
「はい」
「次は気をつけるように」
「分かりましたー」
教師はそれだけ言って去った。
俺は。
少し嬉しくなった。
「トーマ」
「何だよ」
「今、怒られた」
「嬉しそうに報告することか?」
「普通だなーって」
「……お前の普通の基準、もう分かんねえよ」
トーマは呆れていたけれど。
これでいい。
◇
少し離れた席。
レティシアはその様子を見て、安心したように笑っていた。
今日も青い髪紐。
そのさらに向こう。
《アウローラ》最高幹部十人。
全員。
俺が教師から注意されたところを。
ものすごく複雑な顔で見ている。
「セレス様」
リゼットが小声で言う。
「介入は禁止です」
「分かっています」
「提出期限を延長させることも禁止です」
「分かっています」
「代筆も」
「しません」
「書類作成補助も」
「……」
「セレス様?」
「少しくらい」
「禁止です」
「アレンは四百年前から書類仕事が嫌いなのです」
「だからこそ本人に書かせてください」
反対側。
ラグナも。
落ち着かない。
「教師がアレンを叱ったぞ」
「見れば分かります」
カレンが答える。
「止めなくてよいのか?」
「王国側とアレン様本人の希望です」
「しかし」
「閣下」
「何だ」
「普通の学生生活です」
「……」
ラグナは。
しばらく悩んでから。
「普通とは」
「うむ」
「難しいな」
「ようやく理解されましたか」
◇
そして。
王国側と《アウローラ》側が。
揃って。
「アレンを普通に扱う」
という。
世界でもっとも簡単そうで。
もっとも難しい課題へ。
本気で取り組み始めた、その日の午後。
教育交流祭の本番を翌日に控えた王立高等学院では、各国代表団へ最終日程が配られた。
公開研究発表。
学生共同展示。
魔導技術実演。
王都一般市民への施設開放。
そして最後に。
各国の学生代表が一人ずつ登壇する。
交流記念式典。
「アレン」
予定表を読んでいたトーマが、不意に固まった。
「何?」
「学生代表って」
「うん」
「うちの学院、誰だっけ?」
「知らない」
「俺も知らなかった」
「じゃあ後で聞けば?」
「いや」
トーマが。
予定表と。
俺の顔を。
交互に見る。
「今、先生がこっち来てる」
「そうだねー」
引率教師が。
まっすぐ。
俺のところへ来る。
その手には。
一枚の紙。
「アレン・クロフォード君」
「はい?」
「明日の交流記念式典について話がある」
「うん」
「本学院代表として」
一瞬。
嫌な予感がした。
「君に」
教師は。
にこりと笑った。
「学生代表挨拶をお願いしたい」
「……」
俺は。
トーマを見る。
トーマは。
ものすごく楽しそうに笑った。
「よかったな、アレン」
「何が?」
「普通の学生扱いだぞ」
「断っていい?」
「駄目に決まってんだろ!」
普通の学生生活。
取り戻して。
半日。
今度は。
数千人の前で。
学生代表として。
挨拶することになった。
そして。
このとき。
俺はまだ知らなかった。
王国側が。
俺を特別扱いしないため。
演説内容の事前検閲も。
原稿の修正も。
あえて一切行わないと。
決めてしまったことを。




