第38話 王国情報部が俺の身元を調べ始めたら、四百年前の記録から同じ名前が出てきた
翌朝。
俺が目を覚ましたとき、向かいの《教育交流支援臨時連絡室》は珍しく静かだった。
昨日はセレスたちと学生街へ買い物に行き、それぞれに似合いそうなものを選んだ。最後にセレスの首飾りへ《また帰る》と刻んでもらったら、なぜか全員から「ずるい」と言われたけれど、それ以外は普通の買い物だったと思う。
「……なあ、アレン」
制服へ着替えていると、同室のトーマが寝台に腰掛けたまま俺を見ていた。
「何?」
「お前、昨日の夜から王宮の人にめちゃくちゃ見られてるぞ」
「そう?」
「気づいてなかったのかよ」
「王宮だから人多いしねー」
「そういうレベルじゃねえ!」
トーマは扉を少し開け、廊下を確認してから声を落とした。
「昨日、食堂から戻る途中に近衛兵三人と侍従二人、それから絶対に侍従じゃない顔した侍従がいた」
「どんな顔?」
「人を調べる顔だ!」
「分かるの?」
「知らん! でも絶対そうだった!」
相変わらず感覚で生きている。
「何かしたかなー」
「しただろ!」
「何を?」
「王女様に髪飾り贈って、《アウローラ》最高幹部十人にプレゼント選んで、その全員が翌日から身につけてる!」
「喜んでもらえてよかったよー」
「そこだけ抜き出すな!」
トーマが頭を抱える。
でも、本当にそれくらいしか思い当たらない。
王宮の人たちも暇ではないのだから、学院生一人を調べたりはしないだろう。
◇
その頃。
王宮地下。
王国情報部第一資料室。
「アレン・クロフォード。年齢、十八歳前後。出身地については王立魔法学院の登録上、北部辺境地域となっています」
「前歴は?」
「ほとんどありません」
情報部長の前には、夜通し集められた資料が積まれていた。
学院の入学記録。
居住登録。
魔力検査。
税務記録。
国内外の入出国情報。
だが、どれを調べても結果は同じだった。
「ほとんど、とは?」
「学院へ入る以前の記録が異常に少ないのです」
「偽名か?」
「可能性はあります。ただし身分証そのものに不正の痕跡はありません。王立魔法学院側の照合も正式に通過しております」
「では、辺境で暮らしていただけではないのか」
「それだけなら問題ありません」
若い分析官が一枚の書類を差し出した。
「問題はこちらです」
そこには《アウローラ》関連企業の動きが時系列で整理されている。
アレンが王立魔法学院へ入学。
その直後から、《アウローラ》最高幹部の一部が学院都市へ頻繁に出入り。
さらに会長セレスを含む最高幹部十名が、ほぼ同時期から不自然なほど学院周辺へ集中している。
「偶然では説明できんな」
「はい。それに今回の教育交流祭です」
「三千二百人か」
「通常、《アウローラ》が同規模の人員を動員するのは、大陸規模の商業博覧会か国家復興支援クラスです」
「学生交流祭へ送る人数ではない」
「はい」
「本人に直接聞けないのか?」
「学院生に対し、正当な理由なく国家情報部が尋問を行えば外交問題になります」
しかも。
アレン本人以上に。
その周囲が危険だった。
「《アウローラ》へ照会は?」
「王国支社から丁重に拒否されました」
「理由は?」
分析官が紙を読む。
「《個人情報保護の観点から回答できません》」
「普通だな」
「続きがあります」
「読め」
「《なお、本件に関する追加照会は推奨いたしません》」
「……普通ではなくなったな」
情報部長が眉を寄せる。
拒否するだけなら分かる。
だが「推奨しない」という言葉は、世界最大企業からの返答として妙に重い。
「もう一度、過去記録を洗え。クロフォード姓だけではなく、アレンという名も対象にする」
「期間は?」
「百年」
「承知しました」
そこで。
資料室の最奥にいた老職員が、ゆっくり顔を上げた。
「部長」
「何だ」
「百年では」
老人は古い帳簿を抱えていた。
「足りないかもしれません」
◇
午前中。
俺たちは王都行政学院との交流授業へ参加していた。
今日の課題は「交易路が災害で寸断された場合、都市の食料をどう維持するか」。
俺たちの班には、昨日から一緒に行動しているアルヴェイン側の学生たちもいた。
「まず王都の備蓄を放出して、隣接都市から輸送量を増やすべきだと思う」
「でも街道が一本止まっただけで、他の街道も混雑しないか?」
「転移輸送を増やせば?」
「費用が高すぎる」
みんなが地図を囲んでいる。
俺は少し考えてから尋ねた。
「備蓄って王都にしかないの?」
「え?」
担当の学生が資料を見る。
「設定上は王都中央倉庫に七割、周辺三都市に一割ずつだ」
「中央に集めすぎじゃない?」
「管理効率を考えれば普通だろ」
「でも中央倉庫が使えなくなったら?」
「……」
全員が止まった。
「災害って街道だけとは限らないし」
俺は地図を指でなぞる。
「普段から小さい倉庫を何ヶ所か作って、食べ物を回しながら置いておけばいいんじゃない? 古くなる前に市場へ流して、新しいものを補充する感じで」
「でも保管費が増えるぞ」
「王都全部が止まるより安いんじゃないかなー」
「……それは」
「あと、商人にも少し持ってもらえば?」
「民間に?」
「うん。国だけで全部持たなくても、緊急時に一定量を売ってもらえる契約を先に作っておけばいいでしょ」
また。
みんなが黙った。
「アレン」
隣のトーマが嫌そうな顔をする。
「何?」
「お前、こういうの昔やったことある?」
「あるような、ないような」
「どっちだよ」
「四百年も生きてると、似たようなこと多いんだよー」
「……」
「あ」
しまった。
トーマが止まっている。
周囲の学生たちも。
止まっている。
「今」
「うん?」
「何年って言った?」
「……」
少し考える。
「四百日?」
「嘘つけ!」
「聞き間違いじゃない?」
「四百年って言ったぞ!」
「言葉のあやだよー」
「どんなあやだ!」
トーマが机を叩く。
幸い、他国の学生たちは「冗談だろう」と笑ってくれた。
危なかった。
最近。
みんなと一緒にいる時間が長くて。
少し気が緩んでいるらしい。
気をつけよう。
◇
同じ時刻。
王国情報部。
「見つけました」
第一資料室に、低い声が響いた。
情報部長が振り返る。
「何を?」
老職員は、白手袋を付けた手で古びた革表紙の本を机へ置いた。
「建国初期の王室外部記録です」
「何年前だ?」
「三百八十七年前」
周囲にいた分析官たちが集まる。
紙は変色している。
文字も古い。
だが、保存状態は悪くなかった。
「どこだ」
「こちらです」
老人が示した一文。
――北方飢饉につき、匿名商会より穀物輸送支援あり。
――代表代理人、アレン。
「姓がない」
「はい」
「同名では珍しくもない」
「その次を」
ページをめくる。
二十年後。
――西部疫病流行。薬品及び治療師派遣について、商会代表アレンより無償支援の申し出。
さらに。
三十七年後。
――王国復興資金貸付。利息不要との申し出あり。
「……同じ人物なのか?」
「記録上では、同一人物として扱われています」
「長命種か」
「その可能性があります」
世界には人間より遥かに長く生きる種族がいる。
それ自体は異常ではない。
しかし。
「商会名は?」
「記載されておりません。当時は《北方商会》《黒翼商団》《夜明けの輸送団》など、年代ごとに別名が使われています」
「同じ組織か?」
「不明です」
さらに古い資料が追加される。
二百九十年前。
二百三十年前。
二百一年前。
百七十六年前。
各時代に。
奇妙なほど似た記録が残っていた。
戦争。
飢饉。
疫病。
大災害。
国家財政危機。
表舞台には出ない。
だが王国が本当に困ったときだけ、どこからともなく物資や資金を持ってくる組織。
その記録の端に。
何度も。
同じ名がある。
――アレン。
「待て」
情報部長が、一枚の資料を手に取った。
「《アウローラ》の創業は?」
「表向きは百五十二年前です」
「では、その前の記録とは無関係のはずだ」
「通常なら」
「通常なら?」
老職員は。
別の古文書を出した。
「百五十二年前の《アウローラ》創業登記です」
創業者欄。
セレス・アルシェリア。
共同創業役員。
現在の最高幹部たちと同じ姓がいくつも並んでいる。
そして。
登記時の社名由来を説明する付属文書に。
一文。
――我らが帰る場所へ、再び朝が来ることを願い、《アウローラ》と名付ける。
「帰る場所……」
誰が。
どこへ帰るというのか。
その答えはない。
しかし今。
《アウローラ》会長セレスが身につけている首飾りには。
ある少年が刻んだ。
《また帰る》
という言葉がある。
「まさか」
若い分析官が呟く。
「偶然です」
別の職員が即座に否定する。
「そうでなければ説明がつきません」
「では」
情報部長が。
静かに言った。
「この記録も偶然か?」
最後に出されたのは。
四百十一年前の王国軍記録だった。
まだアルヴェイン王国が現在の国境を持つ以前。
北方の小国群が魔物の大発生に襲われた際のもの。
そこには。
一人の人物について。
短い記述が残されていた。
――黒衣の旅人アレン。
――所属不明。
――若年に見える長命種。
――七名の少女を伴う。
資料室が。
静まり返った。
「七名?」
「はい」
「現在の最高幹部は十名だぞ」
「当時は七名だった可能性があります」
「同一人物だと?」
「断定はできません」
老職員はそう答えたものの。
次の行を。
誰もが見ていた。
――本人は、自らの集団を《ノクス・アーク》と称した。
◇
昼休み。
「アレンさん」
「はい?」
学院の中庭でパンを食べていると、レティシアが向かいへ座った。
今日も青い髪紐を付けている。
「昨日いただいたもの」
「うん」
「侍女から、正式な宝物庫へ登録するべきではないかと言われました」
「髪紐を?」
「はい」
「銅貨八枚だよ?」
「私もそう言いました」
「じゃあしなくていいんじゃない?」
「そうしました」
「よかったー」
王宮は変わったことをする。
「ただ」
レティシアが少し笑う。
「父上は気にしているようです」
「国王陛下が?」
「アレンさんのことを」
「何で?」
「さあ」
「昨日ちゃんと挨拶したよね?」
「そういう意味ではないと思います」
「難しいなー」
レティシアは、何かを言おうとして。
やめた。
そして代わりに俺へ尋ねた。
「アレンさん」
「はい」
「一つだけ聞いても?」
「いいですよー」
「《アウローラ》の皆様とは」
「うん」
「いつからのお知り合いなのですか?」
俺の手が。
止まった。
「……」
これは。
困る質問だ。
正直に言えば。
四百年くらい前。
でも。
普通の学院生が言う答えではない。
「長い付き合いですよー」
「どれくらい?」
「かなり」
「十年?」
「もっと」
「二十年?」
「もうちょっと」
「アレンさん」
「はい?」
「あなた、十八歳では?」
「あ」
「……」
「……」
レティシアが。
じっと俺を見る。
「冗談?」
「冗談です」
「今考えましたよね?」
「気のせいだよー」
「目を逸らさないでください」
危ない。
今日二回目だ。
◇
同じ頃。
王国情報部では。
さらに大変なことになっていた。
「《ノクス・アーク》について、追加記録が見つかりました!」
「出せ!」
古い文献。
交易記録。
軍記録。
教会文書。
各地の伝承。
名称そのものは。
何度か消えている。
しかし。
百年。
二百年。
三百年。
時代が変わっても。
似た組織が。
世界の裏側にいる。
国を乗っ取らない。
王にならない。
英雄として名を残さない。
ただ。
崩壊寸前の国へ物資を送り。
戦争孤児を引き取り。
研究者を保護し。
技術を残し。
そして。
姿を消す。
「これが《アウローラ》の前身だというのか……?」
「証拠はありません」
「しかし」
「共通点が多すぎます」
一人の分析官が。
震える手で。
現在の《アウローラ》世界地図を広げた。
物流。
金融。
医療。
研究。
軍事。
通信。
教育。
その世界最大企業が持つ事業の多くが。
古文書の《ノクス・アーク》と。
奇妙なほど。
重なる。
「では」
情報部長が。
乾いた声で言った。
「仮にだ」
誰も答えない。
「仮に」
「アレン・クロフォードが」
「四百年前のアレン本人だった場合」
一人が。
恐る恐る。
答えた。
「《アウローラ》より」
「古い存在です」
「それだけか?」
「……いいえ」
分析官は。
《アウローラ》創業文書。
セレスの首飾り。
昔の《ノクス・アーク》。
そして現在の最高幹部十人。
すべてを見比べる。
「もしかすると」
一度。
息を飲む。
「《アウローラ》そのものが」
「彼の帰還を」
「百五十年以上」
「待っていた可能性があります」
誰も。
笑わなかった。
あまりにも。
馬鹿げている。
だからこそ。
昨日。
世界最大企業の最高幹部十名が。
学生街の安い装飾品一つで。
あれほど喜んだ理由が。
説明できてしまった。
「この件」
情報部長が言う。
「王へ上げる」
「はい」
「ただし最高機密だ」
「承知しました」
「そして」
少し考えてから。
付け加える。
「アレン・クロフォード本人への接触は?」
「どうしますか?」
「するな」
即答だった。
「何も知らないふりをしろ」
「しかし調査を――」
「四百年前から存在する可能性のある正体不明の長命種を」
情報部長は。
真顔で言った。
「学生交流祭の最中に尋問したい者がいるなら」
「先に遺書を書かせろ」
誰も。
手を挙げなかった。
◇
その日の午後。
俺は。
職業体験の一環で。
王都の小さな物流倉庫へ来ていた。
「アレン」
「何?」
トーマが。
周囲を見回す。
「今日さ」
「うん」
「王宮の人」
「急に俺たちから距離取ってない?」
「昨日近すぎたから注意されたんじゃない?」
「そうかな……」
通路の向こう。
王国情報部の職員らしき男が。
俺と目が合う。
ぺこり。
ものすごく丁寧に頭を下げる。
そして。
ものすごく速く。
角の向こうへ消えた。
「ほら!」
「礼儀正しいねー」
「怯えてるんだよ!」
「俺に?」
「何したんだよお前!」
「何もしてないよー」
今日も。
教育交流は。
平和だった。
ただ。
その夜。
アルヴェイン王国国王の机へ。
一冊の。
四百年以上前の記録が。
置かれることになる。
表紙には。
古い文字で。
こう書かれていた。
――《ノクス・アーク関連記録》。
そして。
最初のページには。
一人の人物について。
短い注釈が残されていた。
――首領アレン。
――本人は組織について問われた際、笑いながらこう答えた。
――「冗談で作っただけだよー」
国王が。
その一文を読むまで。
あと。
三時間だった。




