第36話 王女との一時間デートで「二百メートル以内は禁止」と決めたら、最高幹部十人が境界線ぎりぎりに並んだ
翌朝。
王宮の東迎賓宿舎で目を覚ました俺が廊下へ出ると、向かいに作られていた《教育交流支援臨時連絡室》の扉はきちんと閉まっていた。
昨夜、セレスたちには西迎賓宮へ戻って寝るように言ってある。
さすがに全員が徹夜で待機するようなことはしなかったらしい。
「よかった。ちゃんと帰ったみたいだねー」
「お前、本気でそう思ってる?」
後ろから出てきたトーマが、眠そうな目で廊下の端を指さした。
見ると、壁際に小さな机が一つ置いてある。その上には水差し、予備の制服、救急箱、携帯食、雨具、それから俺の靴とほぼ同じ大きさの新品の靴まで用意されていた。
紙が一枚添えてある。
――緊急時のみ使用してください。
署名。
リゼット。
「帰る前に置いていったみたいだねー」
「靴まで緊急用品なのか?」
「靴底が剥がれるかもしれないじゃん」
「王宮滞在二日目でそこまで想定する必要ある!?」
「備えは大事だよー」
「お前が肯定するから、あいつらが止まらねえんだよ!」
朝からトーマは元気だった。
◇
午前中は、アルヴェイン王立高等学院との合同授業だった。
石造りの大きな校舎へ入ると、こちらの王立魔法学院とは雰囲気がかなり違う。魔法実技を重視する俺たちの学院に対して、こっちは行政、外交、経済、歴史、魔導工学まで幅広く学ぶ学校らしい。
王族や貴族の子弟も多いが、試験で入学した平民の学生もかなりいる。
「アレン、あれ見ろよ」
「何?」
「食堂の値段」
廊下に掲示された献立表を見て、トーマが目を丸くしている。
今日の昼食。
肉と豆の煮込み、パン、スープ。
銅貨十二枚。
「安いねー」
「王宮で昨日食った料理の後だから余計にそう見えるな」
「俺、こっちのほうが落ち着くかも」
「分かる」
二人で献立を眺めていると、隣から小さな笑い声がした。
「アレンさんは、本当にそこをご覧になるのですね」
レティシア王女だった。
今日は王女としての豪華なドレスではなく、王立高等学院の制服を着ている。護衛も離れた場所にいるので、昨日までよりずっと学生らしく見えた。
「だって毎日食べるものなら、値段大事じゃないですか」
「王宮へいらした外国の学生が、最初に食堂の価格表を確認するとは思っていませんでした」
「高かったら困るし」
「滞在中の食費は王国負担ですよ?」
「あー、そうだった」
俺が頷くと、レティシアはまた笑った。
昨日からよく笑うようになった気がする。
◇
合同授業では、双方の学院生が六人ずつの班に分かれて、架空の街の改善案を考えることになった。
俺たちの班へ渡された資料には、人口、税収、商店数、住民の年齢構成、交通量などが書かれている。
課題は単純だ。
――限られた予算で、街を住みやすくせよ。
「道路を広げるべきじゃないか?」
アルヴェイン側の男子学生が言うと、別の学生が首を振った。
「予算の半分を使うぞ。それなら新しい商業施設を建てた方が税収が増える」
「でも商業施設までの道が混んでるんだろ?」
「だから転移設備を――」
「維持費が高すぎるよ」
みんなが資料を囲んで議論する。
俺も数字を眺めていたが、一つだけ気になる項目があった。
「この街」
「ん?」
「高齢者が多いねー」
全員の視線が集まる。
「それが?」
「道路を広げても、新しい商業施設を作っても、遠かったら使いにくいんじゃない?」
資料には、住民の三割近くが六十歳以上とある。一方で、診療所も食料品店も街の東側へ偏っていた。
「だったら、小さい店と診療所を西側にも一個ずつ作った方がよくない?」
「でも、それでは税収が――」
「増えなくてもいいんじゃない?」
アルヴェイン側の学生たちが止まった。
「課題は住みやすくすることなんでしょ?」
「あ……」
「新しい施設を作って儲けるって書いてないし」
しばらく沈黙したあと、トーマが吹き出した。
「お前、また問題文そのまま読んでるだけじゃねえか」
「そうだよー」
「それで毎回、一番面倒なところ突くんだよ!」
結局、俺たちの班は大型開発をやめ、空き店舗を小規模診療所と共同販売所へ転用する案を出した。
派手ではない。
でも、担当教師からは一番高い評価をもらった。
「新設費を抑えながら既存区画を再利用する点が良いですね。特に、住民の移動距離を基準に考えた班はここだけです」
「ほら」
トーマが俺の肩を叩く。
「まただぞ」
「何が?」
「お前は絶対、自分が何してるか分かってない」
「授業受けてただけだよー」
「そういうところだよ!」
少し離れた席では、見学していたレティシアが何かを手帳へ書き留めていた。
嫌な予感がしたので、見なかったことにした。
◇
昼食後は職人街、それから学生街の見学だった。
職人街では鍛冶工房、革細工店、魔道具修理店を回り、学生街へ入る頃には午後三時を過ぎていた。
学生街は王都中心部より建物が小さく、店もずっと気軽な雰囲気だった。
古本屋。
安い食堂。
制服の仕立て屋。
文房具屋。
菓子店。
学生向けの魔道具店。
道端では楽器を演奏している若者までいる。
「ここ好きだなー」
「だと思いました」
レティシアが隣で笑う。
「どうして?」
「昨日からアレンさんが興味を示す場所が、何となく分かってきました」
「そんなに分かりやすい?」
「はい。高価なものより、人が実際に使っているものをご覧になります」
「そうかなー」
「王宮では壁画より食堂の椅子を見ていました」
「あれ座りやすそうだったから」
「市場では王城より野菜の値段を見ていました」
「食べ物大事だよー」
「今日も名門工房の展示品より、修理待ちの鍋をご覧になっていました」
「あれ、取っ手だけ直せばまだ使えるよ」
「……やっぱりです」
何がやっぱりなのかは分からない。
そのとき、学生街の中央にある時計塔が三時半を告げた。
トーマが俺とレティシアを交互に見る。
「あと三十分だな」
「何が?」
「お前、本気で言ってる?」
「あー」
思い出した。
「デート」
「忘れてたのかよ!」
「忘れてないよー。今思い出しただけ」
「それを忘れてたって言うんだよ!」
レティシアが横で固まっていた。
「……アレンさん」
「はい?」
「三十分前まで忘れていらしたのですか?」
「予定表には入ってましたよー」
「リゼット様みたいなことを言わないでください!」
「似てきたかなー」
「似ないでください!」
王女と友人の両方から怒られた。
◇
午後三時五十分。
学生街の時計塔前。
学院の自由時間が始まり、学生たちは思い思いの場所へ散っていった。
トーマも同じ班の仲間と食堂へ行くらしい。
「じゃ、一時間後な」
「うん」
トーマは数歩進んでから振り返り、声を潜めた。
「アレン」
「何?」
「ちゃんとデートしてこいよ」
「だから何をすればいいの?」
「それを相手に聞くな!」
「トーマに聞いてるよー」
「もっと悪いわ!」
結局、何も教えてくれなかった。
友達なのに冷たい。
そして午後四時ちょうど。
時計塔の鐘が鳴った。
「お待たせしました」
振り返ると、レティシアが立っていた。
ただし、さっきまでと少し服装が違う。
学院の上着を脱ぎ、白いブラウスに濃紺のスカート。その上から薄い外套を羽織り、金色の髪もいつもの王族らしい髪型ではなく、低い位置で一つにまとめている。
「着替えた?」
「少しだけ」
「似合ってますねー」
「……」
レティシアが止まった。
「どうしたの?」
「いえ」
頬を少し赤くして、視線を逸らす。
「開始十秒で言われるとは思っていなかっただけです」
「変だった?」
「逆です」
「ならよかった」
「……本当にずるい方ですね」
「何が?」
「何でもありません」
またそれだった。
◇
「ところで」
俺は周囲を見回した。
「セレスたちは?」
「約束どおり、半径二百メートル以内には入っていません」
「ちゃんと守ったんだ」
「はい」
レティシアは笑顔だった。
ただし、その笑顔が少し引きつっている。
「何かある?」
「アレンさん」
「はい」
「時計塔の北側をご覧にならないでください」
「言われると見たくなるねー」
「見なくて結構です」
見た。
時計塔から北へ伸びる大通り。
ずっと向こう。
ちょうど二百メートルくらい先。
街路樹の横にセレスがいた。
「いるねー」
「おります」
「東は?」
「見ない方が」
見た。
ヴィオラが喫茶店の屋外席で優雅に茶を飲んでいる。
「西」
「アレンさん」
ラグナが露店の前で腕を組んでいた。
「南」
「もうお分かりでしょう!?」
ミコトとシズクがベンチに座っている。
よく見れば、そのさらに外側にもカレン、エルシア、リゼット、ノエル、クラリス。
全員。
いる。
「二百メートル以内には入ってないねー」
「そうなのです!」
レティシアが珍しく声を上げた。
「全員、二百メートルと少しの位置にいらっしゃるのです!」
「約束守ってるじゃん」
「そうですが!」
「偉いねー」
「褒めるところでしょうか!?」
まあ。
約束は約束だ。
守っているならいいだろう。
◇
「行きましょう」
レティシアは気を取り直すように歩き始めた。
「今日は、私が普段できないことをしてみたいのです」
「買い物?」
「はい。それから、できれば自分で代金を払いたいです」
「いつも払えないって言ってましたねー」
「店主が受け取ってくださらないことが多いので」
「じゃあ、王女って気づかれなければいいんじゃない?」
「そのための服装です」
「あー」
なるほど。
髪型まで変えたのはそのためか。
「護衛も離れてもらいました」
「大丈夫?」
「いますよ。もっと離れているだけです」
「ならいいや」
最初に入ったのは小さな文房具店だった。
木製の棚にはペン、インク、紙束、簡単な魔道具などが並んでいる。
レティシアは店へ入っただけで、少し楽しそうだった。
「何買うの?」
「まだ決めていません」
「欲しいものないの?」
「欲しいものがなくても、店を見て選んでみたかったんです」
「あー」
それは。
少し分かる。
必要だから買うのではなく、眺めながら何かを選ぶ。
王族だと、そういうことすら難しいのかもしれない。
「では」
レティシアが棚の前で真剣に悩み始めた。
五分。
十分。
「長いねー」
「選んでいるんです!」
「どっち?」
「……この二本です」
青い軸のペン。
白い軸のペン。
「好きな方でいいんじゃない?」
「それが決められないのです」
「両方買えば?」
「そういう解決をしたくありません!」
妙に強く言われた。
「普通の学生らしく、一つだけ選びたいんです」
「なるほど」
俺は二本を見る。
「じゃあ青」
「理由は?」
「レティシアの目と同じ色だから」
「……」
止まった。
「レティシア?」
「青にします」
「早いねー」
「決まりました」
「さっきまで十分悩んでたのに」
「決まりました!」
二回言った。
◇
会計へ向かい、レティシアが自分の財布から硬貨を出す。
店主の老人は特に気づいていないらしく、普通に代金を受け取った。
「銅貨十八枚ね」
「はい」
「ありがとよ、お嬢ちゃん」
「……!」
店を出た瞬間。
レティシアが立ち止まった。
「どうしたの?」
「受け取っていただけました」
「うん」
「普通に」
「普通のお店だからねー」
「お嬢ちゃん、と」
「言われたねー」
「王女殿下でも、姫様でもなく」
「嫌だった?」
「いいえ」
レティシアは買ったばかりのペンを胸元へ抱え、少し照れたように笑った。
「嬉しいです」
そんなことで。
と思いかけて、やめた。
俺には普通でも。
レティシアにとっては、そうではないのだろう。
「じゃあ次も普通に買おうか」
「はい」
その返事は、今日一番明るかった。
◇
二軒目は菓子店。
三軒目は古本屋。
四軒目は小さな装飾品店だった。
レティシアは何かを買うたびに、自分で硬貨を数えて支払った。それだけなのに、毎回ちょっと嬉しそうにする。
「買い物って楽しいですね」
「今までしたことないの?」
「もちろんあります。ただ、店を閉めていただいたり、事前に商品を王宮へ運んでいただいたりすることが多くて」
「それ買い物なのかなー」
「私も今日そう思いました」
自分で言って笑う。
装飾品店の棚には、学生でも買える安い髪飾りや腕輪が並んでいた。
「あ」
レティシアの目が一つの商品で止まる。
細い青色の髪紐。
銀色の小さな留め具が付いている。
「欲しい?」
「いえ、見ていただけです」
「さっきと同じ顔してるよー」
「どんな顔ですか?」
「欲しいけど買うか迷ってる顔」
「……分かるようになったのですか?」
「昨日から見てるからねー」
レティシアが、少しだけ目を伏せた。
「では、これにします」
髪紐を取ろうとしたので、俺はその前に棚から持ち上げた。
「これは俺が買うよ」
「え?」
「今日の記念」
「……」
「嫌ならやめるけど」
「嫌ではありません!」
すごい速さだった。
店主がびっくりしている。
「じゃあ、これください」
「銅貨八枚だよ」
払う。
店を出てから、髪紐を渡した。
「はい」
「……ありがとうございます」
レティシアは両手で受け取ったが、すぐにはしまわなかった。
「使わないの?」
「今?」
「髪紐でしょ?」
「そうですが……」
「付けにくいなら手伝う?」
「えっ」
「俺、昔よくやってたから」
セレスたちがまだ小さかった頃、髪が邪魔だと言われて何度も結んだことがある。
だから簡単なものならできる。
「……お願い、してもいいですか?」
「いいよー」
レティシアがこちらへ背を向ける。
今使っている紐をほどき、金色の髪をまとめ直す。新しく買った青い紐を結び、銀色の留め具を中央へ合わせた。
「できた」
「どうでしょう?」
「似合ってる」
「……ありがとうございます」
振り返ったレティシアは、耳まで赤かった。
ちょうどその瞬間。
遥か向こう。
がしゃん。
何かが落ちる音がした。
「ん?」
見る。
二百メートル先。
喫茶店。
ヴィオラの持っていたカップが、皿の上に倒れていた。
反対側ではラグナが露店の柱を掴んでいる。
セレスは笑顔のまま完全に止まっていた。
ミコトは何かを猛烈な勢いで書いている。
「みんな、どうしたんだろう」
「見えているのですか!?」
「目いいからねー」
「それを先に言ってください!」
◇
二百メートル北。
「髪に!」
セレスが笑顔のまま呟いた。
「アレンが!」
二百メートル東。
「自分で買った髪紐を!」
ヴィオラが倒れたカップを戻す。
二百メートル西。
「その場で!」
ラグナが柱を握りしめる。
二百メートル南。
「装着」
ミコトが記録する。
「贈答品。装着補助。接触時間、推定――」
「ミコト様」
シズクが手帳を閉じた。
「記録禁止とは言われていません」
「覗かない約束です」
「肉眼」
「見ています」
「偶然視界へ入った」
「十分前から同じ方向だけ見ています」
「……」
「目を逸らしてください」
「困難」
シズクも。
同じ方向を見ていた。
「あなたも見ていますよね?」
「護衛上必要」
「私も情報上必要」
「駄目です」
「不公平」
二人とも、結局目を逸らさなかった。
◇
午後四時五十二分。
残り八分。
「もう少しですね」
レティシアが時計を見た。
「楽しかった?」
「はい」
「ならよかった」
「アレンさんは?」
「楽しかったですよー」
「本当に?」
「うん。レティシアが買い物するたびに喜ぶから面白かった」
「子どもみたいに言わないでください」
「でも楽しそうだったよ」
「……それは」
レティシアは髪紐へ触れ、少し笑った。
「否定できません」
時計塔へ戻る途中、小さな屋台があった。
焼いた薄い生地に果物とクリームを巻いた、学生街の菓子らしい。
「食べます?」
「はい」
「二つください」
俺が注文すると、レティシアが財布を出した。
「今度は私が払います」
「いいの?」
「髪紐のお返しです」
「値段違うよー」
「金額ではありません」
「そういうもの?」
「そういうものです」
屋台の主人が二つ渡してくれる。
その場で食べると、甘い。
「おいしいねー」
「はい」
レティシアが一口食べる。
その口元に、少しだけ白いクリームが付いた。
「あ」
「どうしました?」
「付いてる」
「どこに?」
「ここ」
自分の口元を指さす。
レティシアが反対側を拭いた。
「そっちじゃない」
「こちら?」
「逆」
「見えません」
「ちょっと待って」
俺は持っていた紙布で、口元のクリームを軽く拭いた。
「取れたよー」
「……」
「レティシア?」
「……はい」
「固まってるけど」
「大丈夫です」
「顔赤いよ?」
「大丈夫です!」
今日、何度目だろう。
その瞬間。
四方向から。
何とも言えない殺気――ではない。
圧力みたいなものを感じた。
「……」
さすがに。
分かった。
「みんな見てるねー」
「今さらですか!?」
◇
時計塔へ戻ったのは午後四時五十九分だった。
あと一分。
レティシアは少し名残惜しそうに時計を見上げてから、俺へ向き直った。
「今日はありがとうございました」
「こっちこそ」
「私」
一度、髪紐に触れる。
「忘れないと思います」
「買い物しただけだよー」
「私にとっては、それが特別なのです」
「そっか」
「はい」
時計の長針が進む。
「また行けばいいじゃん」
「……え?」
「今日で最後じゃないでしょ?」
「それは」
「今度また普通に買い物しようよー」
レティシアが目を丸くして、それからゆっくり笑った。
「はい」
その笑顔は。
王宮で見る王女のものではなく。
学院で見る学生のものでもなく。
たぶん。
ただのレティシアの笑顔だった。
鐘が鳴る。
午後五時。
「一時間終わったねー」
「……はい」
「戻ろうか」
「はい」
一歩歩き出した。
その瞬間だった。
◇
「アレン!」
「アレン様!」
「アレン!」
「アレン」
「アレンさん!」
四方向から。
一斉に十人が現れた。
「早いねー」
「十七時です!」
セレスが言う。
「十七時一分集合じゃなかった?」
「移動時間を考慮しました!」
「だから早いんじゃ?」
「誤差です!」
「一分は誤差なんだねー」
ラグナが俺とレティシアの間へ入りそうになり、カレンに襟を掴まれて止められる。
「閣下。デートは終了していますが、外交問題は継続しています」
「離せカレン! 一つだけ聞きたい!」
「何をですか!」
「髪紐はどちらが選んだ!」
「そこですか!?」
「重要だ!」
ミコトはレティシアの髪を見る。
「新規装備」
「装備じゃないですよ」
レティシアが笑う。
「アレンさんからいただきました」
十人。
静かになった。
「……」
「……」
「……」
「あ」
まずかったかもしれない。
「みんなにも今度買う?」
「買ってください!」
今度は十人。
揃った。
「じゃあ公平だねー」
「公平ではありません!」
レティシアが珍しく即座に否定した。
「え?」
「これは今日、私が選んだものです」
「うん」
「アレンさんが私のために買ってくださったものです」
「そうだねー」
「ですから」
青い髪紐へ手を添え、少しだけ胸を張る。
「同じものは駄目です」
十人の視線が。
髪紐へ集まった。
「……」
「……」
何か。
始まりそうだった。
「じゃあ別のものにすれば?」
「アレン」
セレスが俺を見る。
「はい?」
「明日」
「うん」
「買い物へ行きましょう」
「仕事は?」
「調整します」
「私も!」
ラグナ。
「私も」
ミコト。
「私も行くわ」
ヴィオラ。
「予定を確認します」
リゼットはもう手帳を開いている。
「十人で行くの?」
「公平ですので」
「それならいいけどー」
「待ってください」
レティシアが。
今度は俺を見る。
「私も参加します」
「殿下!?」
後ろの護衛が初めて声を上げた。
「教育交流です」
「何のですか!?」
「買い物の」
「その科目はございません!」
学生街の真ん中で。
王女。
世界最大企業の最高幹部十人。
護衛。
そして俺。
全員が。
明日の買い物について話し始めた。
少し離れたところから。
トーマが歩いてくる。
俺たちを見る。
立ち止まる。
「……アレン」
「何かなー」
「一時間だけのデートだったよな?」
「うん」
「何で終わった瞬間、参加者が十一人増えてんだよ!」
「次の予定の相談だよー」
「お前の恋愛、毎回規模がでかくなるな!」
「恋愛なの?」
「そこからかよ!」
教育交流二日目。
王女との一時間は。
無事に終わった。
ただ。
その日の夜。
《アウローラ》王国支社には、最高幹部十名から同時に一件ずつ申請が届いたらしい。
申請内容。
――学生街への私的外出。
目的。
――買い物。
備考欄には。
全員が。
ほとんど同じことを書いていた。
――創設者本人による選定を希望。
そして王宮では。
第二王女レティシアが、青い髪紐を外さないまま夕食へ出席したことで。
別の騒ぎが。
始まろうとしていた。




