第26話 世界最大企業の会長と二人で料理をしたら、壁の向こうに最高幹部九人がいた
次の学院休日。
俺は。
世界最大企業の会長と。
二人で料理をすることになった。
「……」
「セレス?」
「はい」
「包丁、持ったまま固まってるよー」
「分かっています」
「怖い?」
「いいえ」
「じゃあ、どうしたのー?」
「少々」
セレスは。
目の前の玉ねぎを見つめた。
「緊張しています」
「玉ねぎに?」
「違います」
即答だった。
◇
場所は。
《アウローラ・グランド》の一般客向け料理体験室。
地下本部の専用厨房でも。
世界最高級ホテルの調理場でもない。
普通の家庭に近い設備を再現した、小さな貸し厨房だ。
調理台。
流し台。
小さな魔導炉。
鍋。
包丁。
食器。
食卓。
俺が。
「家庭料理を覚えるなら、普通の台所みたいなところがいいんじゃないかなー」
と言った結果。
ここになった。
ただし。
「普通の貸し厨房って、入口に警備員が二十人もいるのかなー」
「偶然です」
「厨房の外に対軍用結界もあるみたいだけどー」
「防火設備です」
「天井に緊急転移装置もあるねー」
「避難設備です」
「セレス」
「何でしょう」
「普通って難しいねー」
「……現在、改善中です」
たぶん。
普通の基準が違う。
今日はセレスも。
会長としての豪華な服ではない。
白いシャツ。
長いスカート。
その上に。
普通の生成り色の前掛け。
「似合ってるねー」
「……」
「セレス?」
「聞こえています」
「返事が遅いねー」
「一度目は聞き間違いの可能性を検討しました」
「じゃあ、もう一回言おうかー?」
「お願いします」
「前掛け、似合ってるよー」
「ありがとうございます」
今度は。
すぐに返事が来た。
でも。
尖った長い耳は赤くなっていた。
「耳、赤いよー」
「厨房が暑いためです」
「まだ火をつけてないねー」
「……」
「セレス?」
「料理を始めましょう」
話を変えられた。
◇
今日作るものは。
野菜と鶏肉の煮込み。
焼きたてのパンは。
さすがに俺たちでは難しいので、《麦の朝》で買ってきた。
「どうして、この料理を?」
セレスが尋ねる。
「本に最初の方で載ってたからねー」
前回。
《月灯り書房》でもらった古い料理本。
ページの端には。
以前の持ち主が書いたらしい細かなメモが残っている。
――火は強すぎない。
――野菜は同じくらいの大きさに。
――焦げても慌てない。
――味が薄ければ、あとから足せる。
「簡単そうじゃない?」
「理論上は」
「料理で、その言葉を使う人初めて見たねー」
「材料の加工工程と熱処理工程を正確に実行すれば、完成するはずです」
「うんー」
「問題がありますか?」
「セレスらしいなー、と思って」
「……」
また耳が赤くなる。
「今日は赤くなるの早いねー」
「厨房ですから」
「まだ火はついてないよー」
「アレン」
「何かなー」
「先ほどから、私の耳を見すぎです」
「分かりやすいからねー」
「見ないでください」
「分かったよー」
「……少しなら構いません」
「どっちなのー?」
「料理を始めましょう」
また逃げた。
◇
最初は。
玉ねぎ。
「皮を剥いてー」
「はい」
「半分に切ってー」
「はい」
「それから適当な大きさに」
「適当?」
セレスの手が止まった。
「うん」
「寸法は?」
「食べやすいくらい?」
「具体的には?」
「このくらいかなー」
俺が一つ切る。
セレスが。
じっと見る。
「縦二・七センチ」
「測らなくていいよー」
「横二・二センチ」
「セレス」
「はい」
「料理本にも書いてあったでしょー」
ページを開く。
――多少、大きさが違っても気にしないこと。
「……」
「昔の持ち主も苦労したみたいだねー」
「なぜ統一しないのでしょう」
「家庭料理だからじゃないかなー」
「熱の通り方に差が出ます」
「少しくらいなら大丈夫だよー」
「ですが」
「セレス」
「はい」
「失敗しても、二人で食べるだけだよー」
「……」
セレスが。
ゆっくり俺を見る。
「二人で」
「うん」
「食べる」
「そのために作ってるからねー」
「そうですね」
セレスは。
小さく息を吐いた。
「多少違っても、構わない」
「うん」
「失敗しても」
「うん」
「アレンと二人で食べるだけ」
「そうだねー」
「……分かりました」
玉ねぎへ包丁を入れる。
今度は。
一切れずつ測らなかった。
「できたねー」
「形が揃っていません」
「料理っぽいねー」
「これが?」
「うん」
セレスは。
不揃いな玉ねぎを見て。
ほんの少し。
笑った。
◇
次。
人参。
じゃがいも。
鶏肉。
「アレン」
「何かなー」
「人参の皮を剥く速度が遅くありませんか?」
「俺も慣れてないからねー」
「貸してください」
「セレスも初めてでしょー?」
「玉ねぎで、刃物の扱いは理解しました」
「早いねー」
渡す。
するすると。
皮が落ちていく。
「上手だねー」
「構造を理解すれば簡単です」
「もう俺より上手かも」
ぴたり。
手が止まる。
「もっと言ってください」
「何をー?」
「今の言葉を」
「セレスの方が上手だねー」
「もう一度」
「調子に乗ってるねー」
「……申し訳ありません」
「嬉しかった?」
「非常に」
正直だった。
◇
材料を切り終わる。
鍋へ油。
鶏肉を入れる。
じゅうっ。
「……!」
セレスが一歩下がった。
「どうしたのー?」
「油が跳ねました」
「跳ねるよー」
「攻撃では?」
「鶏肉からの?」
「反射的に防御結界を展開しかけました」
「料理中に結界を張ると、鍋まで弾きそうだねー」
「危険です」
「どっちがー?」
「私が」
「自覚あるんだねー」
鶏肉を木べらで返す。
「セレスもやる?」
「はい」
木べらを渡す。
セレスは慎重に鶏肉を返す。
「これで?」
「うんー」
「焼き色が均一ではありません」
「大丈夫だよー」
「一枚だけ濃いです」
「おいしそうじゃない?」
「……」
「焦げてないからねー」
「料理とは」
「うん」
「許容範囲が、非常に広いのですね」
「会社の仕事よりはねー」
「慣れません」
「そのうちねー」
「そのうち」
セレスが。
小さく繰り返す。
「また一緒に作れば、慣れるんじゃないかなー」
木べらが止まった。
「セレス?」
「アレン」
「何かなー」
「今」
「うん」
「また、と」
「言ったねー」
「次も?」
「セレスが料理続けるならねー」
「続けます」
「即答だねー」
「生涯続けます」
「そこまで大きく決めなくてもいいよー」
「では」
セレスは。
少し考えた。
「少なくとも、次回までは」
「それくらいがいいねー」
どうしてか。
とても嬉しそうだった。
◇
野菜も鍋へ入れる。
水。
塩。
香草。
蓋をして。
煮込む。
「しばらく待つだけだねー」
「二十八分です」
「本には二十五分から三十分って書いてあるよー」
「中間値を選択しました」
「やっぱりセレスだねー」
料理中。
初めて。
何もすることがなくなった。
「座ろうかー」
「はい」
小さな食卓。
向かい合わせで座る。
厨房は。
妙に静かだった。
いつものセレスなら。
この時間にも。
何かしら書類を読んでいる。
世界中から報告が届く。
決裁。
承認。
判断。
会議。
百年以上。
ずっとそうしている。
「暇だねー」
「……はい」
「こういう時間、普段ある?」
「ありません」
「やっぱり」
「必要とも考えておりませんでした」
「今日は?」
セレスが。
俺を見る。
「必要だと思います」
「何もしてないよー?」
「だからです」
「?」
「何もしない時間を」
少しだけ。
穏やかな声。
「誰かと過ごすという経験が、私にはほとんどありません」
「あー」
昔も。
セレスはよく働く子だった。
拾った中では。
一番年上だったから。
ほかの子の面倒も見て。
俺が何か頼む前に。
必要なことを先回りしていた。
「昔からそうだったねー」
「覚えていますか?」
「もちろん」
「私は」
セレスが。
自分の手を見る。
「あなたに助けていただいたあと」
「少しでも役に立たなければ、と考えていました」
「そんなこと考えなくてよかったのにー」
「当時は分かりませんでした」
「うん」
「何もしなくなれば」
声が。
少しだけ小さくなる。
「また、必要のない者になるような気がしていました」
俺は。
黙ってセレスを見る。
彼女がまだ小さかった頃。
そんなふうに考えていたなんて。
聞いたことがなかった。
「セレス」
「はい」
「一個、間違ってるねー」
「何がでしょう」
「俺は」
少し考える。
「役に立つから、セレスを連れて帰ったわけじゃないよー」
「……」
「困ってたから」
「はい」
「助けたかっただけ」
「……はい」
「仕事しなくても」
「何もできなくても」
「セレスはセレスでしょー」
長い耳が。
少し下がる。
「だから」
「今日みたいに何もしない時間があっても、いいんじゃないかなー」
「……」
「料理を失敗してもねー」
セレスは。
しばらく。
何も言わなかった。
やがて。
「アレン」
「うん」
「百年以上経っても」
「うん」
「あなたは、本当に」
そこで。
少し笑った。
「ずるいですね」
「何がー?」
「分からなくて結構です」
「そうなの?」
「はい」
その表情は。
世界最大企業の会長ではなく。
昔。
俺の後ろを歩いていた女の子に。
少しだけ似ていた。
◇
その頃。
厨房の隣室。
「……」
九人が。
壁へ耳を当てていた。
「聞こえぬ!」
ラグナが小声で叫ぶ。
「防音壁です」
カレンが答える。
「壊すか!」
「絶対に駄目です」
「穴なら!」
「もっと駄目です」
「情報部門の盗聴魔法は?」
ヴィオラがミコトを見る。
「設置していません」
「珍しいわね」
「アレンに妨害しないと約束しました」
「観測希望は出したのでしょう?」
「許可されませんでした」
「誰に?」
「リゼット」
全員が。
リゼットを見る。
「本日は二人だけで料理をする予定です」
「我らは邪魔せぬぞ!」
「壁へ耳を当てた状態で言わないでください」
「観測しているだけだ!」
「それを邪魔と呼びます」
エルシアが。
壁へ検査魔法を使っていた。
「音波を解析すれば」
「エルシア様」
ノエルが袖を引く。
「それも盗み聞きです!」
「研究です」
「違います!」
「では」
クラリスが微笑む。
「料理が完成するまで、普通に待ちませんか?」
「……」
九人。
誰も動かない。
「皆様?」
「何も聞こえなくても」
ミコトが言う。
「アレンが、この壁の向こうにいるという情報には価値があります」
「分かるぞ!」
ラグナが頷く。
「分からない方がよい気がします」
カレンは。
自分も壁の近くに立ちながら言った。
◇
二十八分。
鍋の蓋を開ける。
湯気。
香草。
鶏肉。
野菜。
「いい匂いだねー」
「見た目は」
セレスが鍋を覗く。
「本の完成例と、十四パーセントほど異なります」
「どうやって計算したのー?」
「視覚的面積比です」
「料理では気にしなくていいと思うよー」
「分かってきました」
「本当ー?」
「多少違っても、料理です」
「大進歩だねー」
皿へ盛る。
パン。
水。
それだけ。
世界最大企業の会長との食事にしては。
ずいぶん普通だ。
「食べようかー」
「はい」
「いただきますー」
「いただきます」
一口。
「……」
セレスが俺を見る。
「どう?」
「アレンから先に」
「俺?」
「はい」
「味見してなかったねー」
食べる。
鶏肉。
人参。
じゃがいも。
少し。
塩が薄い。
でも。
「おいしいよー」
「……」
「セレス?」
「もう一度」
「最近それ多いねー」
「お願いします」
「おいしいよー」
「……はい」
セレスは。
自分の皿へ視線を落とす。
一口食べる。
「薄いですね」
「ちょっとねー」
「失敗です」
「でも、おいしいよー」
「なぜ?」
「一緒に作ったからかなー」
「……」
「次は、もう少し塩を増やせばいいしねー」
「次」
「うん」
セレスが。
静かに笑った。
「はい」
「次は」
「もっと、おいしくします」
◇
食べ終わる。
「ごちそうさまー」
「ごちそうさまでした」
「片づけようかー」
「私が」
「二人でやろうよー」
「……はい」
皿を洗う。
俺が洗って。
セレスが拭く。
「こういうのも料理なんだねー」
「そのようです」
「会社の食堂だと、誰かがやってくれるからねー」
「今後は」
「うん」
「時々、自分で行います」
「いいんじゃないかなー」
皿を一枚。
渡す。
受け取る。
また一枚。
そのとき。
指が。
少し触れた。
「……」
「……」
「セレス?」
「はい」
「皿、落とさないでねー」
「分かっています」
両手で。
ものすごく大事そうに皿を持っている。
「普通のお皿だよー」
「現在は違います」
「どうして?」
「……何でもありません」
また分からなかった。
◇
全部片づけ終わる。
「楽しかったねー」
「はい」
「また作ろうかー」
「はい」
「次は何がいいかなー」
「アレンが食べたいものを」
「俺?」
「はい」
「じゃあ」
考える。
「卵料理とか?」
「承知しました」
「簡単なのでいいよー」
「帰宅後、百種類ほど調査します」
「一種類でいいよー」
「では五十」
「減らし方がおかしいねー」
前掛けを外す。
セレスも。
外そうとして。
少し止まる。
「どうしたの?」
「これを」
生成り色の普通の前掛け。
「いただいても?」
「セレスが使ったんだから、いいんじゃないかなー」
「では」
丁寧に畳む。
「保管します」
「次も使おうねー」
「……使ってよいのですか?」
「料理するならねー」
「はい」
また。
嬉しそうだった。
◇
厨房を出る。
扉が開いた。
そして。
「……」
九人。
廊下にいた。
「みんな何してるのー?」
「偶然です」
ヴィオラ。
「通りかかった」
ラグナ。
「九人で?」
「はい」
エルシア。
「壁に耳を当てた跡があるけどー」
全員。
壁を見る。
「施工品質を確認していました」
ミコト。
「情報部門長が?」
「専門外です」
シズクが即座に否定した。
「シズク!」
「事実です」
「観測してたのー?」
「……」
全員。
目を逸らした。
「まあ、いいけどねー」
「いいのですか!?」
ノエルが驚く。
「料理してただけだからねー」
「何を作りましたか?」
「鶏肉と野菜の煮込み」
「味は!?」
「おいしかったよー」
九人。
一斉にセレスを見る。
「……」
セレスは。
静かに微笑んだ。
「アレンから」
「二度」
「おいしいと言っていただきました」
「二度!?」
ラグナ。
「なぜ回数まで言うの!」
ヴィオラ。
「記録は?」
ミコト。
「ありません」
リゼット。
「なぜ!?」
「盗聴禁止でしたので」
「痛恨です」
「何が痛恨なのです?」
カレンがため息をつく。
「それと」
セレスが続ける。
「次回も」
「二人で料理をします」
「次回!?」
九人が叫ぶ。
「アレン!」
ラグナが俺を見る。
「我とも料理を!」
「ラグナは肉を焼くんだよねー」
「煮る!」
「急に成長したねー」
「私も!」
ノエル。
「お菓子なら私です」
エルシア。
「お菓子作ったことあるのー?」
「これから学びます」
「セレスと同じだねー」
「だから勝てます」
「何に?」
「……料理技術です」
「今、間があったねー」
ヴィオラまで前へ出る。
「私は、食事に合う飲み物を」
「料理じゃないねー」
「ならば覚えるわ!」
「みんな、急に料理好きになったねー」
九人が。
黙った。
違うらしい。
◇
「ところで」
リゼットが。
セレスを見る。
「会長」
「何ですか」
「本日の予定は終了です」
「はい」
「十五時より、世界物流会議があります」
「承知しています」
「十六時三十分、三王国との会談」
「はい」
「十八時、金融部門との予算協議」
「出席します」
いつもの会長へ。
戻っていく。
でも。
腕には。
普通の前掛けを入れた紙袋。
俺から渡した古い料理本。
世界最大企業の会長が持つには。
少し変な荷物だ。
「セレス」
「はい?」
「仕事、頑張ってねー」
「……はい」
「でも」
「うん?」
「ちゃんと休んでねー」
セレスが止まる。
「料理のときみたいに」
「何もしない時間も、大事みたいだからねー」
「……」
その瞬間。
長い耳が。
真っ赤になった。
「アレン」
「何かなー」
「お願いがあります」
「珍しいねー」
「今日のことを」
「うん」
「忘れないでください」
百年以上。
世界を動かしてきた女性が。
そんな小さなお願いをする。
「忘れないよー」
俺が答えると。
セレスは。
本当に。
幸せそうに笑った。
◇
その日の夜。
《ノクス・アウローラ》最高幹部会議。
「本日の検証を開始します」
ミコトが宣言した。
「何の検証です?」
カレン。
「セレスが得たもの」
「まず」
巨大画面へ文字が並ぶ。
――アレンとの二人きりの料理。
――「前掛け、似合ってる」。
――「セレスの方が上手」。
――「また一緒に作れば」。
――「おいしい」二回。
――次回の料理約束。
――「ちゃんと休んでね」。
――「忘れないよー」。
「……」
会議室が。
恐ろしく静かになった。
「多すぎない?」
ヴィオラが尋ねた。
「客観的記録です」
「我ら九人は、廊下にいただけだぞ!」
ラグナ。
「自業自得です」
カレン。
「これが」
エルシアが静かに言う。
「個別回の威力」
「何の話です?」
ノエルが首を傾げる。
「非常に危険です」
ミコト。
「対策が必要」
シズク。
「対策?」
クラリスが微笑む。
「何をなさるのですか?」
九人が。
互いを見る。
そして。
全員の答えは。
同じだった。
「次は私です」
その夜。
アレンへ何かを教える《進路支援計画》は。
いつの間にか。
――アレンと二人で何かをする権利。
を巡る争奪戦へ。
完全に変わっていた。
ただし。
その議題より先に。
セレスが一つだけ。
会長権限で決裁したものがある。
《アウローラ》全社。
幹部を含めた。
休息制度の再確認。
理由欄には。
たった一行。
――何もしない時間も、必要だから。
と書かれていた。
誰の言葉なのか。
古参の女性社員たちは。
説明されなくても。
すぐに分かったらしい。




