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冗談で作った秘密結社が世界最大企業になっていた ~平凡な学生を演じる創設者の俺は、今さら全部作り話だったと言い出せない~  作者: てへろっぱ


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第25話 町の本屋で職業体験をしたら、世界最高幹部十人が初心者向けの本を買いに来た



 特別進路週間、二日目。


 俺は。


 世界最大企業でも。


 王立魔導研究院でも。


 国家機関でもなく。


 町外れの小さな本屋で働いていた。


「アレン」


「何かなー」


「本当に来たのか」


「昨日、面白そうだったからねー」


「そうじゃない!」


 朝。


 《月灯り書房》の前。


 トーマが頭を抱えている。


 学院では、特別進路週間の一環として。


 興味を持った仕事を、半日だけ実際に体験できる制度が始まった。


 研究院なら研究補助。


 商会なら商品整理。


 冒険者ギルドなら受付。


 行政庁なら書類整理。


 そんな簡単な職業体験だ。


 俺が希望欄に書いたのは。


 ――《月灯り書房》。


「お前さ」


「うん」


「昨日、研究院長から専用研究棟を提示されたよな?」


「大きすぎるから断ったねー」


「冒険者ギルドからS級待遇」


「まだ登録もしてないからねー」


「大陸商業連盟から特別顧問」


「トーマの方が商売詳しいよー」


「《アウローラ》は、会社そのものをお前に合わせようとしてる!」


「柔軟だねー」


「その全部を見た次の日に」


 トーマが、小さな木造店舗を指さす。


「町の本屋で職業体験!?」


「本が好きだからねー」


「進路指導の先生が泣いてたぞ!」


「喜んでたのかなー」


「絶対違う!」


 トーマは今日は、大陸商業連盟の物流部門へ行くらしい。


「俺も行くからな」


「頑張ってねー」


「昼に食堂で待ってる」


「分かったー」


「あと」


「何かなー」


「今日は本当に、何も起こすなよ」


「本を並べるだけだよー」


「昨日も『仕事の説明を聞くだけ』って言ってた!」


「今日は大丈夫じゃないかなー」


「その台詞が一番不安なんだ!」


 トーマは何度も振り返りながら、学院中央広場へ戻っていった。


     ◇


「本当に来たのね」


 店へ入る。


 昨日話した年配の女性店主が、少し驚いた顔をした。


「今日はよろしくお願いしますー」


「こちらこそ」


 店主さんは笑った。


「王立学院の生徒が、うちを職業体験先に選んだのは初めてよ」


「そうなのー?」


「毎年、大きな商会や研究所ばかり人気だから」


「本屋さんも面白いと思うけどねー」


「あら」


 店主さんの笑みが少し深くなった。


「嬉しいことを言ってくれるじゃない」


 まず教わったのは。


 掃除だった。


「本は埃を嫌うからね」


「なるほどー」


「でも、いきなり布で拭いては駄目よ」


「どうして?」


「古い本は、紙が弱っていることがあるから」


 柔らかい刷毛で。


 上から下へ。


 背表紙だけでなく。


 本棚の隙間も。


「ゆっくりね」


「はいー」


「そこ、力を入れすぎ」


「あー」


「もっと優しく」


「難しいねー」


「古いものを扱う仕事は、だいたいそうよ」


 世界を滅ぼすかもしれない古代魔法の回路なら。


 少し見れば分かる。


 なのに。


 本棚の掃除は注意される。


「面白いねー」


「怒られて喜ぶ子も珍しいわね」


「知らないことを教えてもらえるからねー」


「変な子」


 店主さんは笑った。


     ◇


 掃除の次は。


 本を棚へ並べる仕事。


 俺は受け取った本を。


 高さ。


 厚さ。


 色。


 きれいに揃えて置いた。


「違うわ」


「またー?」


「また」


「きれいだと思うんだけどねー」


「本屋は見た目だけで並べるものじゃないの」


 魔法。


 歴史。


 旅行。


 料理。


 児童書。


 物語。


 まず種類で分ける。


 その中でも。


 初心者向け。


 専門家向け。


 新刊。


 古書。


「お客さんが探せるように並べるのよ」


「俺がきれいだと思う並べ方じゃ駄目なんだねー」


「そう」


「パン屋さんと似てるねー」


「パン?」


「前にも、完璧に同じ間隔で並べなくていいって怒られたから」


「何の仕事をしてるの、あなた」


「パン屋さんでアルバイトしてますー」


「王立学院の学生が?」


「はいー」


 店主さんは少し考えた。


「……昨日、いろいろな偉い方から声をかけられていなかった?」


「そうですねー」


「それでパン屋?」


「楽しいですよー」


「そして今日は本屋」


「楽しいですねー」


「あなた、将来どうするつもりなの?」


「未定ですー」


「なるほど」


 店主さんは。


 なぜか、妙に納得したようだった。


     ◇


 開店。


 最初のお客さんは。


 十歳くらいの男の子だった。


「こんにちはー」


「……こんにちは」


 男の子は。


 銅貨を数枚、強く握っている。


 本棚の前を。


 行ったり。


 戻ったり。


 何度も同じ場所を見ていた。


「何か探してるのー?」


「冒険の本」


「冒険?」


「強い騎士が出てくるやつ」


「いっぱいあるねー」


「でも」


 男の子は。


 手の中の銅貨を見る。


「これで買えるやつ」


「あー」


 新品の物語は。


 少し高い。


 男の子が持っている金額では足りない。


「こっちへおいで」


 店主さんが手招きする。


 棚の一番下。


 そこには。


 少し傷んだ本。


 表紙が日焼けした本。


 古い版の本が並んでいる。


「中古の本よ」


「読めるの?」


「もちろん」


「中身は同じ?」


「同じよ」


 男の子の顔が明るくなる。


 何冊か確認したあと。


 一冊の冒険小説を選んだ。


「これ!」


「銅貨三枚ね」


 手持ちで足りたらしい。


 男の子は。


 本を両手で抱えて帰っていった。


「嬉しそうだったねー」


「本はね」


 店主さんが言う。


「高いものだけが、いい本じゃないのよ」


「そうだねー」


「読んでくれる人のところへ届けば、それでいい」


 少し。


 《無銘工房》の職人たちと似ている気がした。


「アレン」


「はいー」


「その本、そこじゃない」


「あー」


「話を聞きながら手を止めない」


「はいー」


 やっぱり。


 本屋の仕事も簡単ではなかった。


     ◇


 午前十時。


 店の扉が開いた。


「いらっしゃいませー」


 女性が一人。


 入ってくる。


 茶色の髪。


 地味な服。


 簡単な偽装魔法。


 俺には。


 すぐ分かった。


「セ――」


 女性が。


 ものすごい速さで人差し指を口元へ当てた。


「……こんにちはー」


「こんにちは」


 セレスだった。


「偶然だねー」


「はい」


「この辺まで仕事?」


「偶然です」


「そうなんだー」


「偶然、料理に関する書物を探しております」


「目的がはっきりしてるねー」


 セレスは。


 表情だけは完璧だった。


「料理本はこちらです」


 俺が案内する。


 家庭料理。


 菓子。


 保存食。


 外国料理。


 種類は多い。


「どれを探してるのー?」


「初心者向けを」


「料理するの?」


「……」


「セレス?」


「これから、します」


 昨日。


 俺へ何を教えられるか考え。


 料理を覚えると言っていたらしい。


 少し本気すぎる気がする。


「人へ教えられるようになるまで、どれくらい必要でしょう」


「まず自分で作れるようにならないとねー」


「……はい」


 少し落ち込んだ。


「でも、セレスなら覚えるの早そうだねー」


「本当ですか?」


「仕事は何でもできるからねー」


「……何でも」


「うん」


 セレスの口元が。


 ほんの少し。


 緩んだ。


「では、最も効率的な料理本を」


「料理も効率で選ぶのー?」


「駄目でしょうか」


「別に駄目じゃないけどねー」


 俺は。


 棚から一冊抜いた。


 ――《初めての家庭料理》。


 絵が多い。


 材料も普通。


 道具も特別なものを使わない。


「これが分かりやすそうかなー」


「アレンが選んだ本……」


「何か言った?」


「いいえ」


 セレスは両手で受け取った。


 高価な魔導書でも触るように。


「これにします」


「中、見なくていいのー?」


「あなたが選んでくださいましたので」


「本は自分に合うか見た方がいいよー」


「……では確認します」


 素直だった。


     ◇


 五分後。


 また扉が開いた。


「いらっしゃいませー」


「アレ――」


 ラグナが止まった。


 今日は角を隠している。


「こんにちは!」


「ラグナも偶然?」


「うむ!」


 セレスが料理本から顔を上げる。


「……」


「……」


 二人が目を合わせた。


「会――」


「偶然ですね」


 セレスが先に言った。


「お、おう! 偶然だ!」


「何の本を探してるのー?」


「料理だ!」


「ラグナも?」


「我は肉以外を焼けるようになる!」


「焼くところから離れないんだねー」


「まず一歩だ!」


「偉いねー」


「そうであろう!」


 ラグナは嬉しそうだ。


「じゃあ、これかなー」


 ――《鍋一つから始める簡単料理》。


「鍋?」


「焼かない料理も覚えられるよー」


「焼かぬのか……」


「嫌?」


「アレンが選んだなら、これにする!」


「中を見ようねー」


「セレスと同じことを言われた!」


「見てたのー?」


「今聞いた!」


 セレスが。


 無言で料理本を読み始めた。


     ◇


 さらに十分後。


「こんにちは」


 ミコト。


「情報収集用の書物を」


「何を調べるのー?」


「現代学生の流行です」


「普通に聞けばいいんじゃないかなー」


「アレンに?」


「俺、あまり詳しくないねー」


「では却下です」


「早いねー」


 俺が選んだのは。


 若者向けの流行や遊びをまとめた雑誌。


「こういうのは?」


「アレンも読まれますか?」


「知らないもの多いから、面白そうだねー」


「二冊買います」


「一冊でいいんじゃない?」


「保存用です」


「本屋さんは読むために売ってると思うよー」


「……一冊にします」


 少し残念そうだった。


     ◇


「温度管理に関する一般家庭向け書籍は?」


 エルシア。


「研究の本?」


「料理です」


「エルシアも料理なのー?」


「セレスに遅れるわけにはいきません」


 棚の向こうから。


 セレスが顔を出した。


「競争ではありません」


「ならば問題ありません」


「何が問題ないのです?」


「私は菓子作りを覚えます」


「方向を変えましたね」


「競合回避です」


「やはり競争では?」


 俺は。


 《初めてのお菓子作り》を渡した。


「砂糖を量るところから書いてあるねー」


「完全に理解しました」


「まだ表紙しか見てないよー」


「読みます」


     ◇


 ヴィオラは。


「学生が、贈り物を選ぶ際の予算感覚を知りたいわ」


 と言った。


「本じゃなくても分かるんじゃない?」


「体系的な資料が必要なのよ」


「じゃあ、これかなー」


 ――《初めてのお小遣い帳》。


 対象年齢。


 十歳から十五歳。


 ヴィオラが停止した。


「アレン」


「何かなー」


「私は世界金融の――」


「今は普通のお客さんだよねー」


「……そうだったわ」


「学生のお金の感覚を知りたいなら、分かりやすそうだよー」


「そうね」


 ヴィオラは。


 静かに本を受け取った。


「買うわ」


「嫌じゃないのー?」


「あなたが選んだのよ?」


「うん」


「なら買うわ」


「やっぱり中は見ようねー」


「全員に同じことを言っているの?」


「本屋さんだからねー」


 ヴィオラは。


 少しだけ頬を膨らませた。


     ◇


 そこから。


 側近五人まで来た。


 リゼット。


「休息の取り方に関する本を」


「これかなー」


 ――《一日十分、何もしない時間》。


「……何もしない?」


「苦手そうだねー」


「非常に」


「じゃあ、練習だねー」


「はい」


 シズク。


「人へ気づかれずに世話をする方法」


「それ、普通の本屋さんにはないと思うよー」


「では、猫との暮らし」


「こっちー」


「……猫は飼いません」


「好きなの?」


「参考情報です」


 ノエル。


「花の本!」


「ノエルは詳しいよねー」


「アレン様へ教えられるものを増やします!」


「じゃあ初心者向けじゃなくてもいいねー」


「はい!」


 クラリス。


「日常的な衣服の補修方法を」


「裁縫できるんじゃなかった?」


「できます」


「じゃあ必要ないんじゃない?」


「現代の方法が、百年前と変わっている可能性がありますので」


「なるほどー」


 そして。


 最後。


 カレン。


 白い髪。


 そこには。


 俺が作った《片翼の髪留め》。


「カレンは何を探してるのー?」


「私は」


 少し考える。


「特に、決めておりません」


「何か教えたいんじゃないの?」


「皆様がそう考えていることは存じています」


「カレンは違うのー?」


「はい」


 珍しい。


「アレン」


「うん」


「あなたは」


 カレンが。


 少しだけ髪留めへ触れる。


「まだ、私から何かを教わりたいですか?」


「もちろんー」


「……」


「カレンは、今の時代のこと詳しいからねー」


「ですが」


「うん」


「私は、アレンに教えていただいたことの方が多いです」


「あー」


「今も」


「そんなことないと思うけどねー」


「あります」


 カレンは。


 少し笑った。


「ですので」


 本棚を見回す。


「私が何を教えるかではなく」


「あなたと一緒に、何か新しいことを覚える方がよいと思いました」


「一緒に?」


「はい」


「それ、いいねー」


「……」


 カレンが。


 止まった。


「どうしたのー?」


「いえ」


 白い翼が。


 偽装の内側で膨らんだらしい。


 背中の服が少し持ち上がる。


「羽、出そうだよー」


「見ないでください」


「まだ見えてないよー」


「でしたら、そのままで」


 少し前にも。


 似た会話をした気がする。


     ◇


「……あなた」


 店主さんが。


 俺の袖を引いた。


「何ですかー?」


「知り合い、多いわね」


「昔からの知り合いですー」


「全員?」


「はいー」


「全員、女性?」


「そうなりますねー」


「全員、あなたが選んだ本を買ってるけど」


「たまたまじゃないかなー」


 店主さんは。


 十人を見る。


 みんな。


 自分の本を抱えている。


「あなた」


「はいー」


「本屋の仕事で、一番大事なことを教えてあげる」


「何です?」


「お客さんが本そのものを欲しいのか」


「はい」


「誰かに選んでもらったことを喜んでいるのか」


「うん」


「ちゃんと見分けなさい」


「……?」


「まだ分からないのね」


「何がー?」


「いいわ」


 店主さんは。


 肩をすくめた。


「そのうち分かるでしょう」


 何の話だろう。


     ◇


 十人が会計へ並ぶ。


「こんなに買ってくれてありがとうございますー」


「当然です」


 セレスが答える。


「どうして?」


「必要な学習ですので」


「みんな熱心だねー」


「アレンに――」


 ラグナが言いかける。


 カレンが口を塞いだ。


「んぐっ!?」


「勉強熱心なだけです」


「そうなんだー」


「はい」


「何を教えてもらえるか楽しみにしてるねー」


 十人が。


 同時に固まった。


「何かなー」


「アレン」


 セレスが。


 慎重に尋ねる。


「今のお言葉は」


「うん」


「私たちから何かを教わることを、楽しみにしていると?」


「そうだよー」


 沈黙。


「昨日も、いろいろ勉強したいって言ったしねー」


「……」


「料理でも」


 セレスを見る。


「今の魔道具でも」


 エルシア。


「最近流行ってることでも」


 ミコト。


「お金のことでも」


 ヴィオラ。


「ラグナは……」


「我は!?」


「肉の焼き方かなー」


「任せろ!」


「それだけは、もともとできるんだねー」


「最高の肉を焼いてやる!」


 みんな。


 少し嬉しそうだった。


     ◇


 十人が店を出たあと。


 俺は棚へ戻る。


「また本を並べないとねー」


「その前に」


 店主さんが。


 店の入口を見る。


「外を見てごらん」


「外?」


 窓から覗く。


 十人が。


 少し離れた場所に集まっていた。


 何か話している。


「仲いいねー」


「そうねえ」


「昔から一緒だからねー」


「あなた」


「はいー」


「本当に大変そうね」


「本屋の仕事?」


「違うわ」


「?」


 店主さんは教えてくれなかった。


     ◇


 店の外。


「聞きましたか」


 セレスが言う。


「聞いたわ」


 ヴィオラ。


「記録しました」


 ミコト。


「二重保存済み」


 シズク。


「我にも聞こえたぞ!」


 ラグナ。


「全員、その場にいました」


 カレン。


「アレン様が」


 ノエルは。


 両手で本を抱えている。


「楽しみにしてるって!」


「はい」


 エルシアが頷く。


「第一段階、成功です」


「何の第一段階です?」


 クラリスが微笑む。


「進路支援計画です」


 セレスが即答した。


「アレン争奪――」


 ミコトが言う。


「進路支援計画です」


「言い直させましたね」


「重要です」


「それで」


 リゼットが十人を見る。


「誰が最初に実施しますか?」


 空気が変わった。


「我だ!」


「私です」


「情報部門が最適です」


「研究を」


「金融から――」


「待ってください」


 カレンが止める。


「何ですか」


「アレンは、皆様それぞれから教わることを楽しみにしているとおっしゃいました」


「そうです」


「ならば」


 カレンは。


 セレスが抱えている本を見る。


 ――《初めての家庭料理》。


「最初は」


「昨日から学ぶと宣言していたセレス様が、よいのでは?」


「……」


 セレスが止まった。


「私?」


「はい」


「料理を?」


「はい」


「アレンへ?」


「はい」


「……」


「会長」


 リゼットが静かに尋ねる。


「料理経験は?」


「ありません」


「包丁は?」


「業務上、儀礼用の剣なら」


「料理包丁です」


「ありません」


「火加減は?」


「魔法で調整可能です」


「料理では、魔法による完全自動調理は禁止しましょう」


「なぜです?」


「それでは学んだことになりません」


「……」


 セレスの顔から。


 少しずつ自信が消えていく。


「大丈夫です!」


 ノエルが元気よく言った。


「本があります!」


「そうですね」


 セレスが。


 俺に選んでもらった初心者向け料理本を見る。


「一日あれば」


「完全に習得します」


「会長」


 リゼット。


「料理は資料を暗記するだけでは完成しません」


「……二日」


「そういう問題でもありません」


     ◇


 午後。


 職業体験が終わった。


「ありがとうございましたー」


「こちらこそ」


 店主さんが。


 小さな紙袋を渡してくれた。


「これは?」


「今日の給金代わり」


「学院の職業体験だから、給料は出ないんじゃ?」


「売り物にならない古本よ」


 中を見る。


 料理の本だった。


「かなり古いねー」


「書き込みが多すぎて売れないの」


 ページを開く。


 調味料の量。


 失敗したところ。


 火を弱くする時間。


 何度も使われた跡がある。


「誰かが料理しながら使った本なんだねー」


「ええ」


「もらっていいの?」


「本が好きなんでしょう?」


「ありがとうー」


「それと」


「はい?」


「気になる人へ料理を作るなら」


「うん」


「本を読むだけじゃなく、一緒に作った方が覚えるのは早いわよ」


「そうなのー?」


「そういうものよ」


 店主さんは。


 意味ありげに笑った。


     ◇


 その日の夕方。


 俺は。


 《アウローラ・グランド》地下本部へ寄った。


 理由は。


 もらった料理本を見せるため。


「セレス」


「はい」


 最高幹部会議室。


 なぜか。


 十人全員がいた。


「料理を覚えるんだよねー」


「……はい」


 セレスの声が。


 少し硬い。


「どうしたの?」


「問題ありません」


「本、難しかった?」


「いいえ」


「じゃあ、これ」


 紙袋から。


 古い料理本を取り出す。


「本屋さんでもらったんだー」


「……」


「実際に作った人の書き込みがいっぱいあるから、参考になると思うよー」


 セレスが。


 両手で本を受け取る。


「私に?」


「うん」


「これを」


「私へ?」


「料理の勉強するんでしょー?」


「はい」


 返事が。


 少し小さくなる。


「ありがとう、アレン」


 呼び方が。


 会長でも。


 創設者でもなく。


 昔みたいだった。


「それとねー」


「はい」


「俺も今の家庭料理って、あまり知らないから」


 店主さんの言葉を思い出す。


 本を読むだけじゃなく。


 一緒に作った方が早い。


「今度」


「一緒に作ってみる?」


 会議室が。


 完全に静止した。


「……」


「セレス?」


「……」


「聞こえた?」


「聞こえています」


「嫌だった?」


「違います!」


 珍しく。


 セレスが大きな声を出した。


「ぜひ」


「ぜひ、お願いします」


「じゃあ決まりだねー」


「はい」


 セレスの顔は。


 会長として世界中の王と交渉するときより。


 ずっと緊張していた。


 そして。


 その周囲。


「二人で?」


 ヴィオラ。


「二人だけで?」


 ミコト。


「料理を?」


 エルシア。


「我も食べるぞ!」


 ラグナ。


「閣下は黙っていてください」


 カレン。


「私も混ざりたいです!」


 ノエル。


「公平性の問題が」


 リゼット。


「発生」


 シズク。


「非常に重大ですね」


 クラリス。


 九人の視線が。


 一斉にセレスへ向いた。


「皆さん」


 セレスは。


 俺からもらった古い料理本を。


 胸元へ抱える。


 そして。


 世界最大企業の会長らしい。


 完璧な微笑みを浮かべた。


「これは」


「私が料理を覚えるための個人指導です」


「違うよー」


「アレン?」


「俺も知らないから、一緒に覚えるんだよねー」


「……」


 セレスの笑顔が。


 さらに嬉しそうになった。


「訂正します」


「二人で」


「一緒に学ぶ時間です」


 九人の空気が。


 もっと悪くなった。


 どうやら。


 料理というのは。


 始める前から大変らしい。


 こうして。


 俺とセレスは。


 次の学院の休日に。


 二人で初めて。


 家庭料理へ挑戦することになった。


 その予定が登録された直後。


 《ノクス・アウローラ》内部予定表では。


 なぜか。


 ――最重要予定。


 ――緊急時以外、妨害禁止。


 ――ただし観測希望者九名。


 と表示されていた。


「観測って何かなー」


 俺が尋ねると。


 九人全員が。


 同時に目を逸らした。


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