第12話 初給料でパンを買っただけなのに、世界最大企業の福利厚生が変わった
俺が初めて受け取った給料で、学生寮のみんなへパンを買った翌朝。
世界最大企業は、全世界の従業員を対象とした新制度を発表した。
◇
「アレン、新聞を見たか!?」
朝食を食べるために学生寮の食堂へ入ると、トーマが新聞を持って駆け寄ってきた。
「まだ見てないよー」
「《アウローラ》が、また新しい制度を始めたぞ!」
「開業したばかりなのに、忙しい会社だねー」
「これを見ろ!」
トーマが新聞を机へ広げる。
朝刊の一面には、大きな見出しが並んでいた。
――《アウローラ》、全従業員の福利厚生を全面的に見直し。
――新人従業員を対象とした「初給料支援制度」を導入。
――初めて受け取る給与へ、同額の特別手当を追加。
――家族や友人への贈り物を購入する場合、費用の一部を会社が負担。
――全店舗で従業員用食事制度を拡充。
――品質に問題のない余剰食品は、従業員や地域施設へ無償提供。
「すごくないか?」
トーマが目を輝かせる。
「俺たちにも適用されるらしいぞ!」
「昨日、もう給料をもらったけどねー」
「初回勤務から三十日以内なら対象になる!」
「そうなんだー」
「お前、反応が薄いな」
「急に決まったんだなーと思ってねー」
俺が昨日もらった給料でパンを買ったことと、少し似ている。
でも、まさか関係はないだろう。
「新聞には、制度を始めた理由も載ってるぞ」
トーマが記事を読み上げる。
「労働によって得た最初の報酬は、単なる金銭ではなく、自らの力で誰かを幸せにできるという尊厳の証である――だってさ」
「ずいぶん難しくなったねー」
「お前が昨日、給料でみんなにパンを買ったときと似てないか?」
「たまたまじゃないかなー」
「昨日の今日だぞ?」
「世界には、似たことを考える人がいるんだよー」
「《アウローラ》の最高幹部と、お前の考えが何度も一致してるんだよな」
「相性がいいのかもしれないねー」
「どうして他人事なんだ?」
俺たちが話していると、昨日パンを渡した学生たちが食堂へ入ってきた。
「アレン、おはよう!」
「昨日のパン、うまかったぞ!」
「今度は俺も何か買ってくるからな!」
「気にしなくていいよー」
俺としては、一人で食べきれない量だったから分けただけだ。
けれど、みんなは思った以上に喜んでくれたらしい。
「やっぱり、働いた金で買ったものは特別だよな」
トーマが笑う。
「実家から送られてくる金とは、少し違う気がする」
「そうだねー」
俺も革袋に残っている銀貨と銅貨を思い出す。
長い人生の中で、高価な財宝なら何度も手に入れた。
それでも昨日の給料は、そのどれとも違って見えた。
決められた時間に店へ行き。
店長から仕事を教わり。
パンを並べ。
客へ渡し。
失敗しないよう気をつけながら働いた。
その対価として受け取ったお金だ。
「次の給料では、何を買う?」
トーマが尋ねる。
「まだ決めてないねー」
「俺は実家へ何か送ろうと思ってる」
「いいねー」
「父さんは驚くだろうな。俺が自分で稼いだなんて聞いたら」
トーマは楽しそうだった。
やっぱり、最初の給料というのは大切なものらしい。
「アレンは、ご家族に何か送らないのか?」
「家族ねー」
昔、一緒に暮らしていた少女たちの顔が浮かぶ。
今では全員、世界を動かすほど偉くなってしまった。
家族というより、娘に近い気もする。
本人たちは、そう呼ぶと怒るけれど。
「送る相手がいないなら、俺がもらってやるぞ」
「昨日パンを渡したよー」
「次は肉がいい」
「注文が増えたねー」
「友達だからな!」
トーマは胸を張った。
友達とは、こういうものなのかもしれない。
◇
放課後。
授業を終えた俺は、《アウローラ・グランド》の地下本部へ呼ばれた。
「新しい福利厚生制度の件かなー」
地下百階の昇降魔道具を降りる。
扉が開くと、リゼットが待っていた。
「お待ちしておりました、アレン様」
「学院から離れたから、様に戻ったんだねー」
「ここは《ノクス・アウローラ》の世界本部ですので」
「今日は何の用かなー」
「確認していただきたいものがございます」
リゼットに案内され、地下本部の中央区画へ向かう。
巨大な扉の向こうには、黒い石材で作られた展示室があった。
壁際には、古代の魔道具や組織の歴史に関する品が並んでいる。
「ここは?」
「《ノクス・アウローラ》中央記念館です」
「もう記念館まで作ったのー?」
「組織の歴史を、後世へ正確に残すためです」
展示室の一番奥。
古代の武具や王家の宝冠よりも厳重に守られた場所に、小さな透明の箱が置かれていた。
防御結界が二百五十六枚。
温度管理。
湿度管理。
時間停止術式。
さらに、左右には正式構成員が警備に立っている。
透明な箱の中に入っていたのは、一枚の銅貨だった。
「これ、昨日使った銅貨だよねー」
「はい」
「どうして飾られてるのかなー」
「アレン様が初めて労働によって得られた給金。その中から、最初に使用された一枚です」
「普通の銅貨だよー」
「歴史的価値があります」
「パン屋さんの売上金じゃないのー?」
「《アウローラ》の所有物として、正式に本社資産へ登録しました」
銅貨の下には、小さな説明板が設置されている。
――創設者が初めて、自らの労働によって得た報酬から使用した貨幣。
――己のためではなく、仲間へ食事を分け与えるために使用された。
――労働とは富を蓄えるためだけではなく、誰かを幸せにする力を得る行為であるとの理念を示した。
「そんなこと言ってないよー」
「お言葉ではなく、行動で示されました」
「パンを買っただけなんだけどねー」
「それを自分一人で召し上がらず、ご友人たちへ分け与えられました」
「一人だと食べきれなかったからねー」
「ご自身の善行を誇らないところも、アレン様らしいお姿です」
何を言っても、よい方向へ解釈されてしまう。
「福利厚生が変わったのも、この銅貨が理由なのー?」
「はい」
リゼットは迷いなく答えた。
「会長が、アレン様のお考えを全組織へ反映するよう指示しました」
「セレスらしいねー」
「金融部門長からは、初給料手当を標準給与の百倍とする案が提出されました」
「多すぎるよー」
「却下しました」
「よかったよー」
「軍事部門長からは、初給料を受け取った従業員全員へ勲章を授与する案が提出されています」
「働くたびに勲章が増えそうだねー」
「同じく却下しました」
「リゼットがいてくれて助かるねー」
「お褒めいただき、光栄です」
リゼットの表情は変わらない。
けれど、尖った耳の先が少し赤くなっていた。
「ほかのみんなは?」
「隣の会議室におられます」
「また会議なのー?」
「議題は、アレン様の初給料についてです」
「もう制度も決まったんだよねー」
「別の問題が発生しています」
リゼットが会議室の扉を開く。
◇
「やはり、我々はアレンから家族と認識されている!」
扉が開いた瞬間、ラグナの大声が聞こえた。
「声が大きいですよ、閣下」
カレンが隣で耳を押さえている。
「昨日の給料で、学生寮の者たちへパンを配ったのであろう!」
「そうらしいねー」
俺が会議室へ入る。
ラグナが勢いよく振り返った。
「アレン!」
「何かなー」
「次の給料では、我に何を買ってくれるのだ!?」
「どうしてラグナに買うことになってるのー?」
「友人へ配ったのだ! 我らは友人以上の関係であろう!」
「百年以上の知り合いだねー」
「そうではない!」
ラグナが円卓を叩く。
「伴侶候補だ!」
「候補になった覚えはないねー」
「今からでも遅くないぞ!」
「いつかねー」
「またそれか!」
ラグナの後ろで、カレンが小さく息を吐く。
「進歩がありませんね」
「今回は以前より返答が早かった!」
「早く断られただけです」
「断られてはいない! いつかと言われた!」
「百年前と同じです」
円卓の周囲には、セレス、ミコト、エルシア、ヴィオラも揃っていた。
側近たちも全員いる。
中央には、贈り物の候補らしい品々が並べられていた。
高級な宝石。
古代魔道具。
大陸に数冊しかない魔導書。
王族専用の衣服。
巨大な剣。
狐を模した置物。
鉢植えの花。
高級な寝具。
「これは何かなー」
「アレンが次のお給料で私たちへ贈る品の候補です」
セレスが当然のように答えた。
「俺の給料だと、ほとんど買えないよー」
「不足分は、私が負担します」
「それだと俺が買ったことにならないよねー」
「では、給与を増額しましょう」
「特別扱いはしない約束じゃなかったかなー」
「……」
セレスが黙った。
視線が横へ動く。
「経営上の合理的判断として――」
「駄目だよー」
「まだ理由を説明していません」
「たぶん駄目な理由だからねー」
セレスが少し肩を落とす。
ミコトが九本の尾を揺らしながら、身を乗り出した。
「高価な品である必要はありません」
「そうなのー?」
「アレンが選び、私へ贈ってくださるのであれば、道端の小石でも構いません」
「昔、よく拾ってたねー」
「覚えておられたのですか?」
「きれいな石を見つけるたび、持って帰ってきてたからねー」
「では、次のお給料で石を買ってください」
「道端の石は買わなくても拾えるよー」
「アレンが私のために拾った石なら、世界最高の宝石です」
「情報部門の保管庫へ入れるつもりかなー」
「枕元へ置きます」
「なくさないでねー」
ミコトが嬉しそうに笑う。
その笑顔を見て、ほかの四人の表情が変わった。
「待ちなさい」
セレスが口を挟む。
「アレンから個人的な贈り物を受け取るのは、組織内の公平性を損ないます」
「なら、セレスは辞退してください」
「なぜ私だけが辞退するのですか?」
「会長として公平性を守るためです」
「個人として受け取ります」
「都合がよすぎませんか?」
「アレン」
エルシアが静かに俺を見る。
「私は高価なものを必要としません」
「エルシアは何が欲しいのー?」
「あなたの時間です」
会議室が静まり返った。
「一時間で構いません」
エルシアは表情を変えない。
「研究区画で、二人きりになってください」
「駄目です」
セレスが即答する。
「なぜですか」
「贈り物の範囲を超えています」
「時間も有限の資産です」
「その理論なら、私もアレンの一日を希望します」
「会長業務があります」
「休暇を取ります」
「私も休みます!」
ノエルが元気よく手を上げる。
「アレン様と一日中、遊びたいです!」
「私との二人きりの時間です」
「三人なら楽しさも三倍です!」
「目的が変わります」
ヴィオラが優雅に扇を広げる。
「私は、あなたが最初のお給料で購入できるものなら、何でも構わないわ」
「意外と控えめだねー」
「その代わり、私が贈った服を着て、二人で夕食へ行きましょう」
「条件が増えてるよー」
「等価交換よ」
「俺が損してないかなー」
「将来の伴侶と過ごす時間を得られるのよ?」
「将来の伴侶って誰かなー」
「私よ」
「決まってないねー」
「今、決めてもいいのよ」
「あー、いつかねー」
「また逃げたわね!」
クラリスがヴィオラの肩へ手を置く。
「ヴィオラ様。勢いだけで進めると、いつもと同じ結果になります」
「では、あなたならどうするの?」
「私でしたら、アレン様のご負担にならないよう、日常的に使用できる品をお願い申し上げます」
「例えばー?」
「髪飾りなど」
クラリスは穏やかに微笑んだ。
「アレン様が選んでくださった品を、毎日身につけられますので」
ヴィオラの赤い瞳が見開かれる。
「クラリス。あなた、最初から自分も候補へ入っていたの?」
「側近五名も、アレン様より直接救っていただいた古参構成員でございます」
「だからといって!」
「私も欲しいです!」
ノエルが再び手を上げる。
「私は花の種がいいです! アレン様と一緒に植えて、毎日育てます!」
「それは実質的に、長期間の共同作業です」
シズクが指摘する。
「よい作戦です」
「作戦ではありません!」
「無意識なら、なお危険です」
ノエルが首を傾げる。
その隣で、カレンが静かに口を開いた。
「私は特に必要ありません」
ラグナが勢いよく振り返る。
「カレンは要らぬのか?」
「アレン様が初めて受け取られた給金です。ご自身のために使っていただくべきでしょう」
「カレンは優しいねー」
「……」
カレンが停止した。
白い翼は偽装していない。
その羽毛が、一瞬で大きく膨らんだ。
「カレン?」
「問題ありません」
「顔が赤いよー」
「室温の問題です」
エルシアが首を振る。
「室温は一定です」
「では、照明です」
「リゼットとクラリスがよく使う言い訳だねー」
「今は、追及しないでいただけますか」
カレンは両手で顔を覆った。
「カレンだけ褒めてもらったぞ!」
ラグナが焦ったように俺へ向き直る。
「我も要らぬ!」
「さっき欲しいって言ってたよねー」
「アレンが自分のために使ったあと、残った金で我に買ってくれればよい!」
「結局欲しいんだねー」
「欲しい!」
正直で分かりやすかった。
円卓では、いつの間にか側近五人も含めた贈り物争いが始まっている。
「公平に、全員へ同額の品を」
「値段ではなく、アレンが選んだ過程が重要です」
「十人分では、給料が不足します」
「金融部門が補助します」
「それではアレンの給金ではなくなります」
「共同購入という扱いにすれば――」
「贈り物を受け取る側が費用を出してどうするのですか」
世界を動かす女性たちが、銅貨数枚の使い道を真剣に話し合っている。
「みんなは、初めての給料で何を買ったのー?」
俺が何気なく尋ねる。
会議室が静まり返った。
「聞こえなかったかなー」
「……いいえ」
セレスが答える。
「聞こえていました」
「みんなにも、初給料があったんだよねー」
誰も答えない。
十人が互いの顔を見る。
「なかったのー?」
「正確には」
リゼットが静かに口を開いた。
「組織を設立した当初、給与制度は存在していませんでした」
「そうなの?」
「食料も資金も不足していましたので、得たものはすべて組織の維持へ使用していました」
百二十七年前。
俺がいなくなったあと。
まだ少女だった彼女たちは、作り話だった秘密結社を本物にしようと動き始めた。
最初は、小さな孤児院と救護所のような場所だったらしい。
助けた者が増え。
物資を運ぶために商会を作り。
治療薬を作るために研究所を作り。
守るために武装組織を作った。
利益は、すべて次に救う者のために使われた。
「役員報酬制度が作られたのは、創設から十五年後です」
セレスが説明する。
「しかし、私たちは受け取りませんでした」
「どうしてー?」
「当時は、組織をさらに大きくする必要がありましたので」
「現在は受け取ってるんだよねー」
「形式上は」
ヴィオラが答える。
「私たちの個人資産は、それぞれの部門運営によって増えています。ただ、初めて受け取った給与で何かを買った記憶はないわ」
「すべて、組織へ戻したからね」
ミコトの尾が、少し下がる。
「アレンが戻ってきたとき、何もない組織では困ると思ったので」
「みんな、ずっと働いてたんだねー」
「必要なことでした」
エルシアが答える。
「休みは取ってたの?」
再び沈黙。
「取ってないのー?」
「最高幹部が同時に休めば、組織の運営へ支障が出ます」
セレスが言う。
「同時じゃなくてもいいよー」
「当初は、人員が不足していました」
「今はたくさんいるよねー」
「現在も、重要な判断が――」
「セレス」
「はい」
「少しくらい休んだ方がいいよー」
「……」
セレスの瞳が揺れる。
「みんな、自分のために給料を使ったことも、ゆっくり休んだこともないんだよねー」
「組織の成長が、私たちの望みでした」
「それは分かるけどねー」
少女たちは、俺の冗談を信じた。
信じたまま、百年以上も走り続けてきた。
今では世界最大企業の最高幹部。
一人で国家を動かせるほどの力と資産を持っている。
それでも。
最初の給料で何かを買った思い出すら、ないらしい。
「じゃあ、今から作ればいいんじゃないかなー」
「今から?」
「一日休んで、自分で使うためのお金を決めて、みんなで買い物をすればいいよー」
「……みんなで」
セレスが繰り返す。
「《アウローラ・グランド》なら、何でも売ってるんだよねー」
「はい」
「せっかく作ったんだから、みんなも普通のお客さんとして遊んだらいいよー」
十人が、俺を見つめる。
「アレンも、ご一緒してくださるのですか?」
クラリスが尋ねた。
「一人だと休み方が分からないんでしょー?」
「……はい」
「じゃあ、一緒に回ろうかー」
会議室の空気が止まった。
「アレン」
セレスが椅子から立ち上がる。
「今のお言葉は、私たち十人と休日を過ごしてくださるという意味でしょうか」
「そうだねー」
「朝から夜まで?」
「疲れないくらいにねー」
「食事も?」
「お昼は一緒に食べようかー」
「夕食は?」
「流れで決めればいいんじゃないかなー」
「宿泊は?」
「しないよー」
ヴィオラが小さく舌打ちした。
「今、舌打ちしたー?」
「気のせいよ」
「聞こえたけどねー」
「重要なのは」
ミコトが記録魔道具を握り締める。
「アレンが、私たち全員を休日へ誘ってくださったという事実です」
「休んだ方がいいって話だよー」
「音声記録は保存しました」
「消してもらえるかなー」
「永久保存指定です」
シズクが隣から記録板を覗く。
「恋愛作戦資料にも複製済み」
「シズク」
「事実です」
「あとで話し合いましょう」
「失敗する未来が見えます」
「始まる前から言わないでください!」
「我は何を着ていけばよい!?」
ラグナが立ち上がる。
「鎧では駄目か!?」
「休日に完全武装する方はいません」
カレンが答える。
「では、半分だけ鎧を!」
「普通の服を着てください」
「アレンは、どちらがよい!?」
「動きやすい服かなー」
「分かった! 戦闘服だな!」
「話を聞いていましたか?」
「エルシア様!」
ノエルがエルシアの腕を引く。
「一緒に服を買いに行きましょう!」
「休日のために、休日を使うのですか」
「準備は仕事です!」
「それでは休暇になりません」
「でも、アレン様にかわいいと言ってもらいたいです!」
エルシアの周囲へ、うっすらと霜が広がる。
「私も新しい服が必要です」
「一緒に行きましょう!」
「はい」
研究部門の二人は、すでに予定を組み始めていた。
「開催日は、いつにしますか?」
リゼットが手帳を開く。
「学院の休みの日かなー」
「次の休校日は、三日後です」
「じゃあ、その日にしようかー」
「承知いたしました」
リゼットが日付を書き込む。
直後。
十人の前に置かれていた通信魔道具が、一斉に光り始めた。
「何かなー」
「各部門からの緊急連絡です」
リゼットが最初の報告を読む。
「会長より、三日後の全予定を取り消すとの通知が届いたため、経営部門が理由を確認しています」
次の報告。
「軍事総司令が休暇申請を提出したため、七か国の軍事会議が延期を求めています」
さらに次。
「情報部門長が私用による不在を登録。世界各支部が、国家規模の情報災害を疑っています」
「魔導研究部門長の研究予定が、創設以来初めて空白となりました」
「金融・外交部門長の予定変更により、三名の国王と十二名の大臣が動揺しています」
会議室が静かになる。
「みんなが一日休むだけで、すごいことになってるねー」
「問題ありません」
セレスが即答した。
「三日以内に、すべて処理します」
「休むために、もっと働くことになってないかなー」
「その程度は必要な準備です」
「無理しないでねー」
「はい」
十人が同時に頷いた。
◇
その日の夜。
世界企業の全支部へ、一通の最高機密通知が送られた。
――三日後、最高幹部五名および専属側近五名は、終日不在。
――不在理由は、創設者との私的な外出。
――緊急事態を除き、連絡を禁止する。
――災厄の覚醒、国家滅亡、大陸規模の災害以外は、各部門で処理すること。
通知を受け取った女性社員たちは、最初こそ混乱した。
最高幹部全員が、同時に休む。
組織創設以来、一度もなかったことだ。
だが、不在理由を読んだ瞬間。
全支部が一つの結論へ達した。
『アレン様との休日を、何者にも邪魔させてはならない』
経営部門は、三日分の決裁を一晩で処理した。
軍事部門は、世界各地の紛争地域へ停戦を要求した。
情報部門は、三日後に起こる可能性のある事件を事前に摘発した。
研究部門は、暴走しそうな実験をすべて延期した。
金融・外交部門は、各国政府へ緊急連絡を送りつけた。
――三日後は、戦争、政変、金融危機、国家間紛争を起こさないように。
――最高幹部の休暇を妨害した場合、《アウローラ》との全取引を再検討する。
世界中の王や大臣が、理由も分からないまま三日後の平和を約束した。
こうして。
俺が何気なく提案した一日の休日を守るために。
世界最大企業と秘密結社が総力を挙げ、世界中から事件の芽を摘み始めた。
その結果。
三日後は、世界史上最も平和な一日になる予定らしい。
俺はまだ、何も知らない。
ただ十人と一緒に、《アウローラ・グランド》を普通に見て回るだけだと思っていた。
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