第五話
レオの袖口から滑り出た刃が、俺の喉へ走った。
さっきまで大口を開けて笑っていた人間が、呼吸一つ挟まず殺しに来る。
だが、刃が届くより先に、俺の左手がレオの右手首を掴んでいた。
「――え?」
ぽこん、と骨の外れる感触。
骨と関節がまとめて潰れ、レオの手首が不自然にひん曲がる。
百キロ以上の握力があれば、テニスボールだって握りつぶせる。
俺にとっては、人の手首を脱臼させることなど造作もなかった。
「ぐあッ!」
レオの刃が絨毯へ落ちる。
それでもレオは止まらない。
残った左手を、ベルトのバックルへ走らせる。
ちょうどバックルに手が触れた瞬間。
俺の足のつま先がレオの手をひしゃげ、腹を蹴り潰した。
ドンッ!
くぐもった炸裂音。
バックルに仕込まれていた散弾が、レオの手と腹の中で暴発する。
柄シャツが赤く弾け、うなりながらうずくまる。
爆発物が仕込まれていたことに多少驚きはしたが、俺の靴は日々の喧嘩に対応するため鉄板を仕込んだ安全靴仕様。
こちらへのダメージはない。
だが、手と腹を散弾で弾き飛ばされたレオのダメージは深刻だ。
左手の手首から先はほとんどなくなり、おそらく内臓も損傷しているだろう。
「喧嘩中に自分の身体へ手ぇ伸ばす時は、大抵なんか隠してんだ。
そういうのは俺の手が届かねえところでやらないとな。
――いや、足か」
「おろぉ、殺ッ......!」
血を吐く。
いや、吐き切っていない。
レオの頬が、不自然に膨らんだ。
次の瞬間、赤い霧が俺の顔へ吹きつけられる。
自分の血を使った目潰し。
だが、目つぶしなんてのは子供だましの一手にすぎない。
人が動く中ただでさえ目なんてピンポイントを潰すのは難しい上、それが指だろうが毒霧だろうが、顔を横に向けるだけで片目は確実に守れちまうんだからな。
軽く首をひねって片目を守る。
血濡れた目は一瞬視界を失うが、辛いもん食った直後でもなきゃ目を閉じるまでもない。
しかし、奴はその隙を狙っていた。
血に染まった視界の向こうでレオの頭が振りかぶられる。
ごっ。
レオの額が、俺の鼻っ柱へ叩き込まれる。
──ヘッドバッド。
だが──
「あっ、あっ......」
口にくわえた煙草の煙が、多少揺れた。
しかし、俺の足は一歩たりとも動かない。
逆に、レオの身体がぐらりと揺れる。
焦点を失った目で俺を見上げながら、その場へ膝をつく。
「な……なんれ……」
「なるほどな、確かに言うだけのことはある。
お前、強ェよ」
俺は煙草の煙をくゆらせながら、レオの胸倉をつかんで引き上げる。
「けど、お前らの強みは人を殺すってことに特化していることだろ。
タイマンで敵を打倒することじゃなく、手段を選ばず結果を求める性質がある」
俺はレオを見下ろす。
「不意打ち上等、普通の人間じゃ出来ねぇことをやれる精神性。
それがお前らの強さの根本じゃねぇか。
俺が怖いと思うのはそこだった」
「手前ェがバケモンなんだ......!
ボクは…… 弱ぐ、ねえ……
何人も殺した…… 格闘家、軍人も…… 殺し屋だって」
「それが殴り合いなら大したもんだ。
まぁ、”手負い”じゃ実力もわかんねえさ。
許してくれ」
レオの顔が引きつる。
「お前ら嵌められたんだよ、そこの組長にな。
追い詰めたんじゃねぇ、誘い込まれたんだ。
この逃げ場のねぇ、工夫も出来ねぇ箱の中にな」
視界の端で、茶木のギザ歯が覗いた。
「タイマンじゃ俺ぁ負けたことねえよ」
「待て……」
レオが潰れた両手で俺の手をつかもうとする。
つかむ、というより乗せるという表現のほうが近いが。
「お前、俺を殺ず気か?
人の命は重ェぞ......背負えんのかよ」
「命が尊いんじゃねえ」
唖然とするレオ。
「魚を釣って捌いたって、地獄に落ちるだなんて思わねぇだろ。
じゃあ何が尊い? 人を殺すってのは何が重いんだ」
俺は拳を握った。
「重いのは、人生だ。
人が生まれて、関係を紡ぎ、積み上げてきたもの、そのすべてが尊いんだ。
人を殺すってのは、それを全部終わらしちまう。
相手のことを知れば知るほど、その積み上げたものを理解する。
そうすりゃそいつの命の価値を理解しちまうし、知らない人間にも価値があるかもしれないって気が付く。
そんなことに気が付かない馬鹿野郎が人を簡単に殺すし、気が付いた奴は生き残れなくなる」
体を震わせるレオ。
知った風な口をきく俺への怒りか、恐怖か、知ったことではない。
「じゃあボクの人生もじっでぐれよ!
病気の、病気の母ちゃんがいるんだ。俺が稼がなきゃ、母ちゃんが――」
マツとタケの首を見る。
「安心しろ、お前の腐りっぷりはよぉくわかってる。
積み上げたもんで命の価値が決まるなら、お前はとっくにマイナスだ。
死んだ方がいいぜ、お前」
「やめろおおおおおお!」
咥えていた煙草を吐き捨て、鉄拳を振り抜く。
その拳がレオの顔面の骨を粉砕し、奥深くへめり込んだ。
ぐちゅっ
鼻と頬骨がまとめて沈み、折れた歯と血が飛び散る。
レオの身体は床を滑り、壁へ叩きつけられた。
ズゴォォンッ!!
拳に突き刺さった歯、きったねぇ粘つく血。
それをトイレあがりの時のように軽く振り払う。
「俺はテメ―を殺そうとは思わねぇ。
ただ、殺さねぇように気を使ってやる気もねぇ」
パラパラと折れた歯が床へ落ち、血の飛沫が宙を舞った。
「──初めてだぜ。
全力で人を殴ったのはよ」
壁に赤い線を引きながらずるずると床に腰を落とすレオ。
四肢は動きそうにもないが、胸だけが、かすかに上下していた。
「サ、エ……」
潰れた口から、消え入りそうな声が漏れた。
「こいつ……斬れ……」
その直後、無慈悲な炸裂音が響いた。
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数十秒前。
御厨サエは、コロと向かい合っていた。
腰を落とし、日本刀の柄へ手を添えている。
「その玩具」
サエが、コロが右手にぶら下げた手製の小型拳銃に視線を落とす。
「それで人を殺すには、急所へ正確に当てる必要がある。
ですが、あなたの銃に十分な距離をとった上でそれを可能にする精度はないと見ました。
有効射程距離といえるものがあるなら、私の刀と踏み込みのほうが広いんじゃないかしら」
「そーかもねー」
コロはそれ以上答えず、無造作に歩き出した。
あまりにも無警戒な足取りにサエの目が細くなる。
一歩。
間合いへ入った瞬間、刀が鞘から消えた。
銀色の一閃。
「そこっ!」
コロは後方へ跳び、刃を紙一重で避ける。
だが、サエはそれを読んでいた。
さらに一歩踏み込み、振り抜いた刀を地面へ叩きつける。
キィンッ。
甲高い金属音。
弾かれた刃が地面から弧を描き、コロの胴へと迫る。
もはやバックステップも間に合わない。
刀を受ける装備も、逃げ場もない。
それは御厨サエ、必勝の一手。
しかし、コロは反応していた。
体をねじり、猫のように真上へと跳ね上がる。
刃の軌道から逃げるように飛ぶことで、ほんの少し刃が届くまでの時間が伸びる。
コロはそのわずかな時間で刀の軌道を把握し、体を回転しながら折りたたむことで、刃の軌道から自らの胴体を外してみせた。
まるで空中で踊るかのような動きに、サエの目が奪われる。
「……きれい」
曲芸じみた跳躍、その最中。
空中で身体を反転させ、リベレーターの銃口を真下へ向けた。
その先には、二歩目を踏み込んだサエの膝。
パァン。
乾いた発砲音。
サエの膝が弾け、足が折れる。
「――あ」
日本刀が床へ落ちた。
サエは崩れ落ちながら、自分の脚を見つめている。
理解できないものを見る顔だった。
「ほい、十点~」
まるで新体操選手のように両足を揃えて着地し、両手を伸ばす。
それを見ていた齋藤がおもわず手を叩いた。
それがこの戦いの決着の合図だった。
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コロは銃をいじり始める。
カチャ、カチャ。
倒れたレオが、絶望した目でそれを見ていた。
サエもまた、潰れた膝を抱えたまま後ずさる。
「命の値段は人生で決まる、かぁ」
コロは弾を込めながら呟いた。
「面白い考え方だね」
「……」
「でもさ、おにーさん」
真っ黒な瞳が俺へ向く。
「こいつを自分で殺す価値、本当にある?」
「あぁ?」
「人間を一人ぶっ殺した人生」
金属部品が噛み合う。
バチンッ。
「安くなるよぉ」
パァン。
コロは間髪入れず、レオの眉間を打ち抜いた。
「あんた、まだ童貞でしょ。本当に大事なときまでとっときな。
そのために、アタシみたいなやすぅ~い女がいるんだからさ」
「......百万、俺には結構高いけどな」
コロは相変わらず真っ黒な目でこちらを見つめながら、口角だけを引き上げる。
「ひ、クソ! レオぉ! 高校生のガキ相手に、油断しやがって!
嫌だ、死にたくない!」
気が付くと、サエが這って膝を引きずりながら扉を開け、逃げようとしていた。
まるで芋虫の様な移動速度で、戦いの様子をながめていた茶木も齋藤もあきれ顔だ。
「じゃ、報酬はしっかり二人分、いや三人分よろしくね」
コロは再び銃をいじりながら、サエの後を追う。
「はぁ、ただ報酬減らしたくなかっただけじゃねぇのか」
「かもね~」
コロがそう言い残して部屋を出ると、扉が自重でゆっくりと閉まっていく。
ちょうど扉が閉まり切る直前、乾いた炸裂音が聞こえた。




