第四話
電話が鳴ってから十五分後。
部屋の入り口近くに置かれたサービスワゴンの上に、マツとタケの生首が並んでいた。
マツの頭は、左側が大きく潰れている。
ついさっきまで豪快に笑っていた顔は原形こそ残していたが、片目は閉じることすらできず、虚空を見上げたまま動かない。
タケの顔は青白く、唇は紫色に変わっていた。
二人の首は濡れ、水滴が落ち、近くの絨毯に小さな染みを作っている。
ほんの数十分前まで。
マツは、名前も知らない女の死体を丁寧に抱えてくれた。
タケは、俺が落とした生徒手帳を拾ってくれた。
そして二人とも、俺に言ったのだ。
家族は大事だと。
自分だけ格好つけて死んでも、残された方はたまったものではないと。
その二人が、今は首から上だけになって、俺の目の前へ並べられている。
「お待たせしてすみませぇん、ルームサービスですぅ~」
場違いなほど明るい声がした。
二つの首を載せてきたサービスワゴンの隣で、男が笑っている。
三十代半ばくらいだろうか。
派手な柄シャツに丸いサングラスかけた細身の金髪男。
口元には気の抜けた笑みと、シャツには血がべったりとついている。
その半歩後ろには、ゴスロリの女。
長い黒髪で右目には眼帯をつけ、日本刀を腰から下げた冷たそうな顔立ちの女だ。
「いんやぁ、ちょっと部下の教育なってないんちゃいます? せっかく遊びに来たのにみぃんなボクらのこと虐めにくるんすよ」
明らかに殺し屋、しかも完全に敵意を持ったヤバイ奴らだ。
組長室の扉は奴らの背中、窓も何もないこの部屋に逃げ場所もない。
簡単に言えば、俺達は既に追い詰められたということだ。
「犬飼レオ、御厨サエ」
茶木が二人の名を呼んだ。
椅子に座ったまま、ワゴンの上の首へは目を向けない。
黒い渦を巻く瞳だけが、侵入者を捉えている。
「手前ェらにはお祈り申し上げたはずだよな」
「だーから再審査してもらいに来たんじゃないですか~!」
犬飼レオと呼ばれた金髪男が、両手を広げた。
「採用された奴より俺たちの方が強いってわかりゃ、誰かさんの気も変わるかもしんないじゃない? ほら、ちょうど人手不足っぽいし!」
「あー、たしかになぁ」
茶木は相変わらず笑顔は崩さない、しかしその眼は笑っちゃいない。
つーか、直近で殺しの現場に立ち会って麻痺ってる俺はいいとして、こいつ中学生だよな......?
生首見てもこの貫禄、鉄鷲会茶木組組長は伊達じゃねぇ。
「だが手前ェらがあちきに売ってんのは名前じゃねぇ、喧嘩だよ。
あちきは気に入ってたんだぜ? この兄弟」
「あぁ~わかるよぉ!」
レオは愉快そうに笑い、マツの頭へ手を置いた。
その触れ方が、気に障った。
死体を撫でているのではない。
自分が獲得した景品を、見せびらかすような手つきだった。
「こいつら本当にいい兄弟だった~!
この角刈りのほうがめちゃくちゃ強くってさぁ、どうしようかって思ったらサエちゃんがハゲの方の腕切り落としてくれてね?
本当助かったよ~」
レオが鼻をすすった。
目元を手の甲で拭う。
「弟を見逃してやるっていったら兄貴の方もおとなしくなっちゃってさぁ!
そのまま戦えば自分だけは生き残れたかもしれないのにねぇ?
ていうか見逃すわけないのにねぇ!?
一縷の可能性に賭けたんだよねぇ!?
すごいよねぇ!?」
一筋の涙が、レオの頬を伝った。
「約束したんじゃねぇのかよ」
齋藤が低い声で言った。
派手なスーツの内側へ片手を入れたまま、微動だにしない。
レオは涙を拭うのをやめた。
「あぁこれ?」
レオは軽く首を傾げながら、今度はタケの濡れた頭を掴んだ。
タケの顔を持ち上げると、濡れた首の断面から床へ、赤い雫がボタボタと落ちた。
「いやぁせっかくの兄弟だし、死ぬときは一緒が良いかなって思ってさ。
兄貴の身体括り付けてプールに沈めといてやったんだよ......これも傑作だった!」
俺の奥歯が鳴り、レオの喉から抑えきれない笑い声が漏れた。
「こいつ、自分が溺れてんのに、最後まで兄貴の顔を水の上へ出そうとすんの!」
タケの頭を左右へ揺らす。
レオは、心の底から愉快そうに笑った。
「兄弟愛ってすげえよなぁ。
あんまり感動したからしばらく眺めてたんだけどよ。
もうそろ限界かな~って思ったから兄貴の首を切り取ってやったんだ。
そしたら満足そうに沈んでったよ。
なんていうか、最後の最後に心が通じ合った気がしたんだ。
兄貴をありがとうってさぁ」
何かが、右の掌で弾けた。
強く握りすぎて、爪が皮膚へ食い込んだのだ。
赤い血が一滴、絨毯へ落ちる。
鼻の奥にも熱いものが溜まり、鉄臭い液体が唇まで流れてきた。
――ぶっ殺す。
頭の中へ、その四文字が浮かんだ。
俺はあの二人のことを、ほとんど何も知らない。
ほんの数分、言葉を交わしただけだ。
だが、もうただの「殺し屋二人」ではなかった。
マツとタケという個人だった。
名前を知っただけでも、その存在は身近になる。
赤髪の女が言っていた言葉が蘇る。
マツは、名前も知らない女の死体を大切に扱う心があった。
タケは、妹を残して死ぬなと俺へ言った。
こいつは二人を殺しただけではない。
二人が大事にしたものを理解したうえで、玩具に変えた。
全部分かったうえで、笑い話にしやがった。
俺の右足が前へ出る。
その瞬間、胸元へ何かが触れた。
コロの左手。
手の甲を俺の胸へ当て、前へ出ようとする身体を止めている。
「おにーさん」
コロが俺を見上げた。
「トリガー引いたね」
「俺は銃なんか持ってねえ」
自分でも驚くほど、低い声が出た。
「そっちじゃなくて、こっちのさ」
コロは空いた指で、自分のこめかみを二度叩いた。
「アタシ分かるんだよね。そういうの」
焦点の合わない黒い瞳が、珍しく俺の顔を正面から見ている。
「てか普通、生首と殺し屋を見たら、最初にビビるんよ」
「……」
「何で先にキレてんの。やっぱずれてんねー」
「俺は至極真っ当な道徳観でキレてんだ」
「だぁら、それが異常なんよ」
コロの口角が、わずかに上がった。
「くふふ」
「笑ってる場合か」
「ちっとは落ち着いた?」
「……」
痛ってぇ。
自分の手のひらから走る痛みに気がつき、俺は握りこぶしをほどいた。
フッと息を短く吐き、頭に溜まった熱を出す。
こんな何考えてるかわからん奴に抑え込まれるのは癪だが、助かったといえばそうかもしれない。
「殺れんのかよ」
「二人ともは無理」
「あぁ?」
「アタシのリベレーター、装弾数一発だもん。
だから冷静になってよ。
おにーさん、死にかけてるよ」
リベレーター、おそらくコロがもっている手のひらサイズの銃のことだろう。
そういえば、俺と会ったときもカチャカチャいじっていたな。
つーか、多少なりコイツにビビってたところもあるのに、いざ味方にカウントしようとすると頼りなさがひどい。
「途中で仲間になる中ボスみてぇな奴だなコイツ」
「なんか言った?」
「いや」
コロは殺し屋二人を顎で示した。
「あいつらプロだ。
見えてる武器は日本刀一本だけど、何仕込んでるかわかったもんじゃないよ~」
「そういやお前、不意打ちしてるとこしか見た事ねぇけど」
「まーま、アタシのことは良いから。それよりさ」
「なんだよ」
「お金、今がチャンスじゃない?」
そうだった。
そういやその問題もあったんだった。
しかし、よく見ればこの状況は完全に追い風だ。
これなら──
そう思ったとき、茶木が口を開いた。
「いや大したもんだ。たしかに、あちきも気が変わったよ」
「おっ、おっ、そうだよねぇ? そうだよねぇ?」
十四歳の中学生。
身長も、体重も、この場にいる誰より小さい。
それでも、口を開けば場を支配する力があった。
「犬飼レオ。御厨サエ」
茶木が、もう一度二人の名を呼ぶ。
椅子から立ち上がり、
床に届いていなかった小さな足が、絨毯へ降りた。
「こいつらの始末頼むわー。 契約するよ、お姉ちゃん」
犬飼レオと御厨サエの目が大きく見開き、威嚇するようにコロに向けられる。
だが、当の本人はどこ吹く風だ。
「え? いやアタシは一度に一人としか契約しないんで無理っすね」
「──は?」
「いや、ほらダブルブッキングして変に双方に都合悪い仕事になってもよくないし~」
「プフーッ! たしかに! たしかになぁ! くくく、組長ォ!? 人望ないねぇ~!」
「くすくすくす」
レオの爆笑、サエの嘲笑。
茶木もまた大きく眼を見開き、笑顔は固めたままその頬に汗が垂れる。
初めて焦ったなガキンチョ。
いい気味だぜ。
コロが目線で俺に合図する。
分かってるよ。
やっぱ頼りになるかもな、お前。
俺は学ランのポケットに忍ばせた煙草を咥え、火をつける。
まぁフカすだけだが、格好いいからな。
いつもの不良のカリスマ節を、三割増しにして俺は声を張った。
「ふっ、そういうことだよ。組長」
「......あんだよ」
「俺はまだコイツに報酬を払ってない。
"契約中"なんだよ、アンタが言ったんだぜ......」
「何が言いてぇ!?」
「下請けと元請け、仕事を頼むなら元請けにだろ」
「コロちゃん異議なーし」
「──ッ! ギッ......グギギッ......!」
茶木が椅子に登り、机へ両手を叩きつけて身を乗り出す。
「ギャハ」
その目は怒っていない。
むしろ、今までで一番楽しそうだった。
「ギャハハハ! 聞いたか齋藤!? 筋通ってるか!?」
「へぇ、至極真っ当な一本筋が」
「いいぜ! いいぜッ! 斗真! 元請けさんよォ」
サメのようなギザ歯が大きく開く。
「いくらか言ってみろや! こいつらのクビの値段をよぉ!?」
「五百万。ピン札でな」
「いや、高くない?」
コロが言った。
「アタシなら二人で二百m、むぐぐ!」
「下請けは原価をばらすな!」
急いでコロの口をふさぐ。
そんな様子を見て、茶木はまたしても楽しそうに笑う。
齋藤はあきれていそうだ。
クソが。
もうちょっとかっこよく締めさせろよ。
茶木がいやらしそうに笑って言う。
「おい斗真、ふっかけてんじゃねーのかい」
「ごちゃごちゃ言いやがって、ガキじゃケツの穴も小せぇか?」
齋藤がまた何か言おうとしたところで、茶木に止められる。
おっさんは今度は何を言うか決めていたのか、少ししょんぼりして見えた。
「言っとくが、今のは基本料金だぜ。
現在進行形で命まで狙われてんだ。
緊急対応手当も追加、二百万上乗せさせてもらう」
それを聞いて、コロが思わず吹き出した。
「合計七百万か」
「まだ何か言うなら、またつけ忘れた手当を思い出しちまうかもな。
はえーとこ決めた方が良いんじゃね?」
「ギャハ」
茶木は一秒も迷わなかった。
「契約成立」
机を叩く。
「あちきは昼間斗真へ、犬飼レオと御厨サエの殺害を七百万で依頼する」
「毎度」
口から自然に出た言葉に、自分で少し驚いた。
高校生がヤクザの組長から、殺し屋二人の始末を七百万円で請け負っている。
どうしてこうなったのか、俺にもわからん。
だが、盛大に道を踏み外しちまったことは確かだ。
レオが腹を抱える。
「アハハハハハッ!」
笑い声が、防音された部屋へ響く。
「最高だな、おい!」
俺を指差す。
「高校生のガキが何を言い出すかと思えば、殺し屋二人相手に七百万?」
「何か文句あんのか」
「いや、ないよ。最高に面白い」
レオの視線が、俺の全身をなぞる。
「でも、お前は手ぶらだよなぁ」
「見れば分かるだろ」
「そこの小娘が持ってるのは、せいぜいちゃちな銃一丁」
コロのフーディーのポケットを指でさす。
「お前はその女に全部やらせて、自分は後ろで見てるつもりか?
そいつ一人で俺達を殺せると?
甘ンメェーー!
ガキの見積もり甘すぎんだろ!?
アハハッ!アハッ!」
「……」
「ハッタリなんざ全部バレてんだよ」
レオが俺へ近づく。
一歩。
二歩。
サングラスを少しずらし、バチバチに見開いた眼球が押し付けられる。
「怖いんだろ?ガキ」
俺は目を外さない。
学ラン、そしてその下の白シャツを脱ぎ、齋藤へ投げる。
齋藤はそれを反射的に受け取った。
白いタンクトップ。
袖が腕の振りを邪魔しない、俺にとって最も喧嘩に適した格好。
「レオっつったっけか」
「あぁ?」
「お前、飛び道具持ってないんだろ。
だから格好つけて近づいたんだよな」
「──ッ!?」
レオの笑いが止まった。
コロの口角が、わずかに上がる。
「殺し屋っつっても、やることはチンピラと変わんねぇのな」
「テメッ──」
「"コロ助"! 女のほう頼むわ」
「OK、ボ、いやちょっと待て、いま何て呼んだ?」
俺は拳を握り、骨を鳴らす。
ボキボキボキッと、子気味よいゴングの音が鳴り響く。
「高校生の素人が、プロ相手に素手で戦おうってか」
「違う」
俺は煙草を咥えたまま、両手をポケットに突っ込む。
顎を上げ、敵を見下す。
「戦いと呼べる部分は、もう終わった」
レオの表情が一瞬だけ消えた。
次の瞬間。
奴の袖口から、薄い刃が滑り出した。




