31騎士を呼ぶ者
私は大きな木の根元、苔むした石碑の前に立っていた。フリチラリアの知人に会うべく、異世界移動を行った先は、以前にも訪れたことがある世界だった。空の上には相変わらず、あの巨大紙飛行機があった。
「紙飛行機がまだあるということは、空からの災いはまだ街を襲ってないってことだよね?」
私は独り言を言った。私とヒガンがこの世界を訪れてからどれ程の月日が経ったのか。それとも、経っていないのか。
「この魔法は百年以上も前に込められたんだ。これくらいの誤差は当然だ」
突然掛けられた声に、私はびくりと肩を震わせて振り返った。そこには、紺色のローブを身にまとった魔法使いがいた。その目は美しい菫色。軽薄そうでありながら、幸薄そうな顔をした青年だった。青年は、首に赤い石がはまった剣の首飾りを掛けていた。何となく、青年の雰囲気とは不釣り合いな首飾りだった。
「君だろう? 鏡の女王陛下が言っていた魔法使いは。リスのふわふわ尻尾飾りの」
青年の言葉に私は頷いた。私もフリチラリアから、その知人の特徴を聞いていた。目を引く菫色の瞳の魔法使い。首には剣の首飾り。私にとって予想外だったのは、その若さだ。もっと老成した感じの魔法使いだと思っていた。
「へぇ、なるほど、呪い持ちか。またとんでもないものを抱えた魔法使いのようだ」
青年は、私をまじまじと観察していた。不快と言うほどではないが、あからさまな視線を向けるのは控えて欲しかった。
「まぁ、こんなところで、立ち話もなんだ。街で茶でも飲みながら話をしよう。では、行こうか、少年」
青年は私にそう言うと、はたと動きを止めた。彼は首を傾げた。私も首を傾げた。
「んー、ええっと、違ったか? 行こうか、お嬢さん?」
私は彼が何を迷ったのかようやく理解した。
「あの、私のことは、シマリスと呼んで下さい。それが今の名前なので」
すると、青年はあきれた顔をした。
「女王の冗談だと思っていたのに、本気なんだな。その名前」
それに、と青年は続けた。
「たとえ、それが真名でないにしても、魔法使いは簡単に名乗るべきではないんだ。魔王の魔法杖は……」
そこまで言って青年は口をつぐんだ。そして、自嘲の笑みを浮かべた。
「もう居ないんだったな。猛威無いだ、まったく」
これは、と私は思った。フリチラリアの言っていた知人の特徴のひとつ。
「私の知人は駄洒落好きでね。会話の所々にぶち込んで来ると思うが、不快でないものについては、流すと良い。いちいち付き合うのは疲れるぞ?」
フリチラリアは、そう言っていた。なるほど、と私は感心してしまった。
「感心されるとやりにくいんだが」
青年はそうこぼすと、さりげなく杖を振り、何処からともなく出現させた槍をへし折った。私は数秒固まった後、理解した。「槍憎い」ってこと? 確かにこの調子でやられると、いちいち付き合っていては疲れるかもしれない。
「まぁ、いいや。僕の名前は、コーゾだ」
コーゾはその手に装飾が美しい矢を出現させていた。私はそれを流した。
「その名前は、真名ではありませんね?」
私の指摘にコーゾはうなずいた。コーゾは、手の中の矢を消した。
「魔法使いだからね。それに、僕は自分の真名があまり好きじゃないんだ……とにかく行こうか? シマリス」
「はい、コーゾさん」
私の返事にコーゾは、くすぐったそうな顔をした。
「コーゾでいいよ。気軽に呼んでくれ」
コーゾは、街に向かって歩き出した。私はその背中を追った。コーゾは普通に歩いているつもりだろうが、私との歩幅が違うせいで私は早足でコーゾを追う羽目になった。途中、コーゾが何度かわざとらしい咳をして、私の様子をちらちらと窺っていた。これも何か駄洒落だったんだろうな、と私は遠い目をした。
私達は街に到着すると、喫茶店に入った。そこで、お茶とスコーンを注文し、それを食べながら話すことにした。
「ここの店は、スコーンの焼き加減と皿の固さが最高なんだ」
店員が私の前にスコーンの載った皿とお茶を置き、コーゾの前には、それに加えてジャムの器も置いた。店員が皿を置く様子を眺めながらコーゾは楽しげに言った。コーゾがフォークをスコーンに突き立てると、フォークは、スッとスコーンに刺さっていった。フォークが、スコーンを貫き、皿に到達した。フォークの先が、皿の表面に当たり、コォンっと子気味良い音を立てた。コーゾは、視線だけ私に向けると、「ね?」と言った。私は手掴みでスコーンにかぶりつくと、お茶を一口飲んだ。
「それで、フリチラリア様からは、どのように言われているんですか?」
「君の知りたいことを何でも教えてやれ、とそれだけだ。君が何者なのかとかは、一切聞いてないよ。だけど、女王陛下の頼みとなれば、断れないわけだ」
コーゾは、手元に出現させた鋼鉄の琴を必死に素手で割ろうとしていた。「琴、割れない」 か? 私は、若干苛ついた。
「才能の無駄遣い」
私は思わず言ってしまった。
「他に使うところが無いと言ったら?」
コーゾの自嘲気味で寂しそうな表情が気になり、私はまともにコーゾを見た。憂いをたたえた菫色の瞳がそこにあった。すると、コーゾは目を閉じ首を振った。
「いや、今のは言い過ぎた」
自省が込められた声だ。
「パーティーの力になれることが誇りでないと言ったら、それは嘘だ」
コーゾはスコーンからフォークを抜くと、手でスコーンを半分に割って食べ始めた。
「パーティー?」
「そ、勇者パーティー」
答えながら、コーゾは、ジャムの入った器を私に差し出した。
「スコーンと合うよ。玉りんごのジャムだ」
「あなたが注文したジャムじゃないですか?」
「宣伝だよ。僕は玉りんごの売上に貢献すべきなんだ」
私はコーゾからジャムの器を受け取ると、半分以上食べてしまったスコーンに塗って食べた。もっさりとしたスコーンの生地に酸味の効いたジャムはよく合った。コーゾは何も付けずにスコーンを食べていた。
「確かに、君はリスのようだ」
コーゾは、私の顔を指差した。私の両頬は、詰め込んだスコーンで膨らんでいた。私は答えず、もぐもぐと口を動かし、スコーンを飲み込んだ。そして、お茶を飲むとカップを置いた。フリチラリアのように音を立てずに置きたかったが、カップの底はカタリと音を立てた。コーゾもスコーンを食べ終え、お茶を飲んでいた。飲み干されたカップは音もなく卓の上に置かれた。私は少し意外に思った。
「僕はお代わりを頼むよ。君は?」
「私も頼みます」
コーゾは店員を呼ぶと、お代わりのスコーンと、珈琲を注文した。私はスコーンとミルクを注文した。注文して思ったが、そういえば、私はこの世界の通貨をまだ持っていなかった。これは、コーゾがおごってくれる流れだよな? コーゾの表情を盗み見ながら私は心の中で祈りを捧げた。
「それで、勇者パーティー、というのは?」
私は質問した。
「無論、勇者役職の者が率いるパーティーさ。魔法使いの僕と、勇者、戦士、僧侶の四人組だ。僕たちは、冒険者ギルドの依頼をこなしながら、生計を立てている」
「まるで物語の世界ですね」
私には現実味の無い話だった。まるで絵本の中の話を聞いている気分だ。
「異世界なんてそんなもんだよ」
コーゾはつまらなそうに言った。異世界移動前のヒガンと過ごした世界では勇者と呼ばれる存在はいなかった。魔王もいない。しかし、魔物はいた。似ているようで、少し違う。それと比べると、私が転生する前の世界とこの世界は全くの別物だ。大体、転生前の世界には魔法が公になっていなかった。私はずっと魔法がない世界なのだと思ってきたが、私が転生の魔法を使えたこと、世界を滅ぼした力も魔法だったことを考えると、魔法がなかったわけではない筈だ。何らかの理由で秘匿されていたに違いない。
ところで、まったく違う世界同士でも不思議な共通点がある。例えば、紙飛行機だ。飛行機を紙でかたどったおもちゃ。私の世界にもそれはあった。実際の飛行機は、巨大な鉄の塊で、人や物資を海の向こうに運ぶこともできたし、それに武器を搭載して破壊行為を行うこともあった。嫌なことを思い出した私は、首を振った。この世界にも紙飛行機があるのだから、きっと飛行機と呼ばれるものがあるのだろう。それは一体どんな姿をしているのか。私はコーゾにそれを尋ねてみた。
「飛行機? ああ、君には馴染みがないか。この世界の飛行機は、こう、二等辺三角形みたいな形の巨大な板を魔法で飛ばすんだよ。物資を遠くに運んだり、上空から竜や魔物などの危険生物の無人観察に用いたり。飛行機は各国の王が所有するものだから、滅多にお目にはかかれない。大体、起動するために大型の魔法陣を書かないといけないし、何人もの魔法使いで呪文を唱える必要がある。よほどのことがない限りは飛ばさないだろう」
ここでコーゾは声を落とした。
「本来ならこの巨大紙飛行機が出現した時に王様は飛行機を偵察に飛ばすべきだったんだ。それなのに王様ときたら、冒険者ギルドに調査依頼を出したんだ。予算節約だか知らないけどさ。そういうところがちょっとずれてるよな。ま、結果的にそれでよかったんだけれど」
ふー、とコーゾは疲れた表情で息を吐いた。私には少し気になったことがあった。
「こちらの飛行機は、人を乗せないんですか?」
「人を飛行機に乗せるだって?」
私の質問にコーゾは目を剥いた。
「狂気の沙汰だろ」
コーゾは悪い冗談を聞いたかのような反応だった。この世界の飛行機ってどんな感じなんだろう。私は首を捻った。
店員がお代わりのスコーンを持ってきた。コーゾはナッツ入り、私のは干し葡萄入りだ。さらに、私の前にはミルクが、コーゾの前には珈琲が置かれた。
「それで。君は僕に何が聞きたい?」
ようやく本題に入った。
「印の魔法使いについて」
「印の魔法使い?」
コーゾは首を傾げた後、じっと私を見つめた。コーゾも知らないのだろうか。私が不安になっていると、コーゾは口を開いた。
「ちなみに、何故それが知りたいんだい?」
コーゾは尋ねた。私は、ヒガンと初めて会った時の事、ミヨと接触した時のことを話した。
「なるほど、わかった。大事なのは”印”だ。印の魔法使いなんて言葉はない。それは、ヒガン先生が君に印がつけられていることを見抜いて、印がつけられた魔法使いだから印の魔法使いと表現したに過ぎないだろう」
コーゾは珈琲を一口飲んだ。
「じゃあ、印って何ですか?」
「印は、印だ。目印の事だよ。標的だったり、仲間の証だったり、いろいろだ」
「そうじゃなくって、私につけられている印って何ですか?」
私が口をとがらせると、コーゾは困った顔をした。
「僕だってわからないさ。その印がどんな意味を持つかまでは」
コーゾはスコーンを割ると、私が余らせた玉リンゴのジャムを自分の方に引き寄せた。コーゾはスコーンにジャムを塗った。
「どんな意味を持つかはわからないが、君の印は、その君の目の色だよ」
コーゾはスコーンを口に含むと、もぐもぐと食べた。
「目の、色?」
私はミヨの言葉を思い出した。
あなたのその目は、印! 干渉があった、という訳ですね
確かにミヨも目が印だと言った。すなわち、コーゾの言うことは出鱈目ではないということだ。
「私の目、変ですか?」
コーゾは口に含んだスコーンを飲み込んだ。
「変というか、怖い」
コーゾは真顔だった。
「怖い?」
「真っ黒だ」
コーゾは言った。
「虹彩まで真っ黒だ。魔法で染め上げられた漆黒だ。おそらくだが、標的にするための印というよりは、”仲間”の識別の印なんだと思う。だから、もし同じ目を持つ者がいたら、それは君の”仲間”だ。もしかしたら、”仲間”に会えば、誰が君に印をつけたのかわかるかもしれない」
自分の目の色について、そこまで注目したことがなかった。確かに、自分のように真っ黒な目の人間には今まで出会ったことがないかもしれない。
「ミヨは、私の目を見て干渉があったと言いました。干渉とは何ですか?」
私の質問にコーゾは難しい顔をした。
「運命図的な表現だ。対象に接することでその運命の道筋を変えることだ。運命の分岐を誘発することも指す。そして、干渉後に歯車の使いが現れるなんて言い伝えもある。”干渉者”にせよ”歯車の使い”にせよ、伝説的な存在だ。それらがどんな姿で現れるのかは誰も知らない。ミヨさんだったら何か知っているかもね。ただ、そのミヨさんも神出鬼没と言われる存在だし、だいたい鏡越しでしか言葉を交わしたことがないから、どこにいるかなんて見当もつかない」
コーゾは布巾で手をふくと、珈琲を飲んだ。ミヨの居場所について聞けるものなら聞きたかった私は、コーゾの言葉にがっかりした。やはり自分で探すか、ミヨが気まぐれに私に接触することを待つしかないようだ。
「ところで、あなたは、ヒガン様のこともミヨの事も知っているんですね?」
私は、コーゾがヒガンを「先生」と呼ぶことが地味に気になっていた。ヒガンには私以外に弟子はいなかった筈だ。
「まー、ね」
コーゾは歯切れが悪かった。
「女王陛下経由でね。ヒガン先生には、とある魔法に関する助言をもらった。すごい助言だ。だから、先生って勝手に僕が呼んでる。本人の前じゃ絶対言わないがね。あんなに怖い人はなかなかいない。鏡越しで良かったよ。実際に会っていたら、気押されてチビってたかもしれん」
コーゾもヒガンが怖いらしい。何故か豆粒ほど小さくなったコーゾが珈琲のカップに隠れる仕草をした。コーゾはカップ越しに私の様子を窺って、杖を振るとすぐに元の大きさに戻った。鬱陶しいと思った。それにしても、フリチラリアもヒガンを怖いと言っていた。ヒガンの私への接し方は、周囲に対するものと随分異なっていたようだ。
「さっきも言ったが、ミヨさんにも実際に会ったことはない。女王陛下の鏡越しに言葉を交わしたことはあるけど、その程度だ」
コーゾはそういうと、私にスコーンを食べるようにすすめた。そういえば、お代わりをしてから、私はまだ一口もスコーンとミルクに口を付けていなかった。私は、スコーンにかぶりついた。私がスコーンを食べ終えるのを見計らってコーゾは口を開いた。
「それで、ヒガン先生は元気? 君、親しいんだろ?」
私は表情を曇らせた。コーゾは少し眉を寄せ、声を落とした。
「何かあったようだね?」
私が口を開きかけたとき、コーゾは制止するように手を上げた。そして、魔法杖を振った。すると周囲の音が遠ざかった。
「一応、こちらの声が周りに聞こえにくくなる魔法をかけたよ」
「ありがとうございます」
私はコーゾの気遣いに素直に感謝した。そして、私の身に起こったこと、ヒガンの事を簡単に話して聞かせた。
私が話し終えると、コーゾは両手で顔を覆っていた。
「なんてことだ。火刑だなんておぞましい。それに先生が、世界を滅ぼす永久魔法になっただって! それで君は……そうか、その呪いだったのか」
コーゾは顔から手を離すと私を見た。その目には、優しい色が浮かんでいた。
「君は偉いよ。本当だ」
「別に、私はまだ何も」
「呪いから逃げずに生きる道を選んだ。それは勇敢なことだよ」
随分と実感がこもった口調だった。
「残念ながら僕は、君にかかった呪いを解呪することは出来ない」
コーゾは言いながら杖を振った。周囲の音が元に戻った。
「でも、そうだな。どんなに強力で恐ろしい呪いにも必ず回避したり、力を和らげる方法がある」
コーゾは、杖をしまった。一瞬その菫色の目が揺れた。コーゾの唇がわずかに動いた。しかし、言葉は紡がれなかった。
「兄弟で魔法使いなんですね。仲のよろしいことで」
空の器を下げに来た店員がにこやかにコーゾと私に声を掛けた。
「え? ええ。まぁ、そうですね」
コーゾは我に返ったようだ。
「この街って魔法使いは普通にいる街なんですか?」
去っていく店員の背中を見送りながら、私はコーゾに尋ねた。
「ああ、魔法学校があるんだよ、この街は。だから、あちらこちらで魔法に関する会話が聞かれるという訳だね。歴史ある学校だ。故に、魔法を学ぶ者にとってその力を開花させる学校があるこの街を”目覚めの大地”と称するんだ」
コーゾはそう言うと、私に飲みかけのミルクを飲むように促した。コーゾは、卓に添えられた伝票を手に取ると先に席を立ち、会計に向かった。良かった、おごってくれた。私はほっと胸をなでおろした。異世界移動の際は、手持ちの薬草や薬を売ってお金を稼ぐつもりだったが、今回はその暇がなかった。だから仕方がなかったのだと、若干の罪悪感に私は言い聞かせた。私は、ミルクを一気飲みして立ち上がると会計を済ませたコーゾと合流した。
「急かしてすまないね。だけど、君に見せたいものがある。また丘の方に行くよ」
コーゾは、そう言うと店の扉を開け、私にどうぞと手の平を向けた。私は、ペコリとお辞儀をして扉を出た。コーゾは、店員に軽く手を振って店を出た。店の女店員が惚けているのを見て、私は、駄洒落さえなければ、確かになと思った。
店を出た後、私とコーゾは、早足に歩きながら、雑談した。
「なぜ、フリチラリア様は、初対面の私に親切にしてくれたんでしょう? 知り合いの知り合い、というだけなのに」
コーゾは、そうだなぁ、と考えてから口を開いた。コーゾは指を一本立てた。
「ひとつは魔法使い同士の繋がりに価値をおいているからだろう。優秀な魔法使いとの繋がりは、財産と言っても過言じゃない」
そして、とコーゾは二本指を立てた。
「二つ目は女王陛下の事情だ。女王陛下の世界と命は記憶によって長らえる。彼女が忘れ去られた時、彼女とその世界は消えるんだ。だから、女王陛下は、多くのひと達と繋がりを持つことが必要だし、出来れば寿命の長い存在と知り合いたいとも思っている」
コーゾは、手を下ろすと、射貫くような目で私を見た。
「君、不老の魔法が掛かっているね? それで寿命はないに等しい。怪我や病気にさえ気を付ければね。何でそんな魔法を掛けたか聞いてもいいかい?」
私はコーゾから目を逸らした。
「ヒガン様が掛けました。私に自分の呪いの行く末を見届けて欲しいと」
するとコーゾは、素早く両手で自身の肩を抱き締める仕草をした。
「ごめんよ、ちょっとぞわっとした」
コーゾは、そのまま二の腕あたりをさすりまくっていた。フリチラリアに言わせれば、ヒガンは私に掛けた呪いが世界を滅ぼす協力者として育つだけの十分な時間を確保できるようにそうしたのだ、ということだった。だが、この話はコーゾにはしない方がいいだろう。すごく怖がっているようだし。私は二の腕をひたすらさすさすしているコーゾを見やった。すると、恐れおののくような所作に反してその表情は冷静に何かを思案しているように見えた。
「本当に呪いの行く末を見て欲しいだけなら相当ヤバイ発想だけど。でもヒガン先生だからな」
コーゾは、両腕をぶらりと宙に遊ばせるように下ろした。
「案外、ヒガン先生のことだ。それは、建前で別の理由があるのかもな。前向きで希望的な」
「前向きで希望的な理由?」
私ははっと顔を上げた。
「それは、君が考えることだ。部外者の僕ではなくてね」
私は何だか肩透かしを食らった気分だった。しかし、これ以上聞いても何も話してくれなそうなので、私は話題を変えることにした。
「あなたは、勇者パーティーなんですよね? 仲間は何処にいるんですか? もしかして、どこかの物語みたく、勇者パーティーを追放された魔法使いは、隣国のギルドで重宝される、みたいな展開の真っ最中なのでは?」
「そんなわけ無いだろう!!」
期待に目を輝かせた私をコーゾは食い気味に力強く否定した。コーゾは、肩を落とし息を吐いた。そして、首の後ろに手を当てて、観念したように話し始めた。
「実はつい先日まで僕は記憶喪失だったんだ。それが不意に戻ってきて、大混乱して、気付いたら皆で泊まっていた宿を飛び出していた。きっと今頃皆で僕を探してくれているところだと思う」
コーゾは気まずそうに言った。
「仲違いした訳じゃないならすぐに戻れば良かったじゃないですか?」
私が言うと、コーゾは首を振った。
「そういう訳にいかなかったんだ」
コーゾは、空に浮かぶ紙飛行機を指差した。
「あの魔法のことを思い出したからね。僕はあの魔法の仕上げをしなければならない」
「仕上げが必要なんですか?」
紙飛行機を見上げながら、私は質問した。
「あればなお良し程度さ。災いはあの"盾"でも十分防げる筈だ。でも、あの魔法を仕込んだ本人にどうしてもと頼まれて……まったく、僕がこの瞬間に立ち会えるかどうかもわからなかったくせに」
私は視線を紙飛行機からコーゾに向けた。コーゾは、あの紙飛行機を"盾"と呼んだ。石碑の文言にも、紙飛行機ではなく、"盾"とあった。
「懐かしいよ。紙飛行機で災いを防げるのかと笑ったら、あれは、カイトシールドなんだって怒られたっけ」
コーゾは柔らかく微笑んだ。その目は私を見ているようで見ておらず、記憶の中の誰かの面影を映しているのだろう。
「彼女は、カード占いが得意だった。だから、いつかこの地を災いが襲うことを知っていた。それで、災いが近付いたら魔法が発動するように仕込んだんだ」
コーゾは、ふっと軽く息を吐いた。
「運命図は、読み解ければ詳細かつ正確な未来を知ることができる。だが、一流の魔法使いでも、読み解くのは難儀する。しかし、カード占いは、詳細はわからないけど、おおよその未来は導き出せる。知識さえあれば、誰にでも。どちらが良いということではない。自分がどちらを取るかという話」
「あなたに聞けば、私もカード占いを習うことができますか?」
「残念ながら専門外だ」
コーゾは、肩を落としてみせた。これだけ話しておいてそれはないだろうと、私は口を尖らせた。
私たちは丘の上を歩いた。コーゾは街道脇の木の根元にある石碑を見下ろせる位置まで歩いた。日が暮れ始めている。あたりは薄暗く、ススキの野原は暗い橙色に染まる。
「もうすぐ来るぞ」
コーゾは空を見上げ、魔法杖を構えた。その目に真剣な光が宿る。研ぎ澄まされた菫色はまるで宝石のようだ。私は、固唾を飲んでコーゾの視線の先の空を見上げた。強い風が、私たちのローブの裾をなびかせる。夕焼けの橙色をさらうような冷たい夜の風だ。やがて日が落ちた。風が止んだ。そらから、唸るような低い音が聞こえてくる。私の肌が粟立った。空の向こうから何かが降ってくる。始めは点のようだったそれは、赤々と燃えながら轟音とともに落ちてきた。それは、抗うことを許さぬ終端の使者。
「隕石!!」
動揺しきって私は叫んだ。と、目の端で何かが光った。丘を見下ろせばあの石碑が煌々と輝いていた。石碑から光が空に伸びる。光は放物線を描き、街の上空の紙飛行機に吸い込まれた。紙飛行機が輝き、さらに大きさを増す。
「行くぞ。ヴァニラ!」
コーゾが杖を振った。そして、叫んだ。
「I call the knight.」
空を覆う紙飛行機を支える腕が現れた。腕から肩、頭、胴体、そして、脚。コーゾの呪文に招かれて白銀の甲冑の騎士が現れた。騎士は巨大な白馬に股がり、紙飛行機、もとい、カイトシールドを空に掲げている。もう片方の手には剣が握られている。私は、呼吸すら忘れて空を見上げていた。轟音と高温を纏って落下する隕石に裂かれた空が悲鳴を上げる。その最中に私は、あの白熱した目を見た気がした。とたんに私の心を絶望が覆った。駄目だ。きっと勝ち目はない。
「大丈夫だ!」
励ますようにコーゾがこちらを見て微笑んだ。
「My name is "call the knight".」
違和感なく耳に届いたそれは、しかし、そうだと断じるにはあまりにも信じがたく、結果として妙な冗談を聞いた気分だった。張り詰めた糸が切れるように私は脱力した。心を覆いかけた絶望感が不思議と晴れていった。その時、コーゾの胸元で輝く剣の首飾りは、確かにコーゾに相応しいモノなのだと実感した。コーゾは視線を空に戻した。私も空を見上げた。隕石が騎士の掲げる盾に衝突した。激しい衝突音がした。しかし、隕石が直撃した衝撃は盾が吸収したようだ。騎士はびくともしなかった。やがて隕石に亀裂が入った。騎士は隕石を盾で空に突き返した。放り上げられた隕石は、空中で割れた。騎士がすかさず剣を振り、その破片を細かく切り砕いた。さらに騎士が剣を振るうと、破片は輝く花びらになって夜空に舞い上がった。そして、それらは、煌めく星々に紛れていく。コーゾは、やりきった表情でその最後の光を菫の瞳に閉じ込めるようにそっと目蓋を下ろした。
***
「言い忘れてた。世界を渡るなら、ある魔法書を探してみると良い。何か役に立つことが書いてあるかも。"万人受けしない魔法理論"ってやつ」
別れ際にコーゾは言った。すでに夜は明け、街は活気づいている。人々は口々に昨晩の隕石と突如として現れた巨大な騎士の話をしている。
「分かりました。ところで、あれだけの力があるなら、やっぱり、私の呪いを解呪出来るんじゃないんですか?」
私が言うと、コーゾは首を振った。
「あの魔法の本体は盾だ。それを練り上げた魔法使いは、すでにこの世を去っている。僕が呼んだ騎士はオマケみたいなものさ」
私は、納得がいかなかったが、コーゾは肩をすくめてみせた。
「だからこその助言だよ。幻と謂われる魔法書だから、何か手がかりがあるかもしれないぞ?」
私は、渋々頷いた。
「それじゃあ、僕は仲間のところに戻ろうと思う。君は、ゆっくり休んでいって」
「何から何まですみません」
コーゾは私のために宿を手配してくれていた。宿代も前払い済みだ。昨晩は一睡もできなかったから、有り難かった。
「またどこかで、会えると良イネ」
「はい!」
私に背を向けたコーゾの手にたわわに実った稲穂が握られていた。最後の最後までコレだ。私は、思わず笑ってしまった。すると、コーゾが勝ち誇った顔で振り返っていた。してやられた気分だが、悪い気はしなかった。




