30女王との茶会
この国には恐ろしい魔女がいる。かつて北の国を救い、そしてその女王を石へと変えた救国の悪女、魔女・ヒガンがね
私は、ミズアオから聞いた話を思い出していた。かつて、ヒガンは北の国の女王を石に変えてしまったと。その女王こそが、目の前にいるフリチラリアなのだ。
「石にされた私の魂は、現実世界から追い出され、この世界にやって来た。夢の世界と言ったが、そう表現するより他ないからそう言うだけだ。本当に夢の中という訳ではない」
フリチラリアは、そう言うとお茶を一口飲んだ。そして、音一つ立てずにカップを置いた。あんなに豪快に笑う人なのにこういった所作はやはり洗練されている。
「何か聞きたそうだな? 良い。質問を許そう」
フリチラリアに促され、私はドキドキしながら口を開いた。
「何故、石にされてしまったか、伺っても良いですか?」
私は上目遣いにフリチラリアを見た。許されて質問したが、怒られる可能性は十分にある。まだ彼女にとって私は、呪い持ちの小僧だ。それ以外の価値を示せていない。いや、一応"ミヨ"の身内の関係者ということで、大目にはみられている。
「この国にとって私は厄災でしかなかったのだ。だから、ヒガンに目をつけられて石にされてしまった」
フリチラリアは、懐かしいなと呟いた。
「あの時は、訳がわからなかった。玉座の上で泣きわめいていたのを覚えている。何故私は石にならねばならぬのだ、と」
あの優しいヒガンが泣いている女性を石にしてしまうなんて、私には想像できなかった。
「恐ろしい魔女だよ。ヒガンは」
我が師を悪く言われるのは、気持ちの良いものではない。
「ヒガン様は、優しかった、です」
私はおずおずと言った。過去形なのは、ククールス発動の瞬間がよぎったせいだ。
「ならば、お前は特別なのだよ。シマリス」
フリチラリアの声色は、呆れを伴いつつも優しかった。
「私が石にされたのは魔力の暴走が原因だった。扱いきれない魔力が身から溢れ、大洪水を引き起こした。多くの民が命を落とした。元凶の私は魔力を制御するどころか、慌てる余り、状況を悪化させるばかりだった」
ふぅとフリチラリアは息を吐いた。
「そこに現れたのがヒガンだ。国中の水をなだめ、溺れる民を水中から救いだした。そして、ヒガンは私の元にやって来た」
当時、家臣から来客を告げられたフリチラリアは、渋々謁見の間の玉座に座った。そこに颯爽とヒガンが現れた。琥珀の瞳に、漆黒の髪と魔法使いのローブ。当時のフリチラリアにはその姿は、死神のように思われた。
「貴女の力はこの国の厄災です。故に石にお成りなさい」
ヒガンの言葉は氷の刃のようだった。フリチラリアは、家臣の名を呼んだ。誰も駆け付けてこなかった。フリチラリアは、家臣に見限られたことを悟った。玉座の上で怯え縮こまり、泣き叫ぶその姿のまま、フリチラリアは石になった。
気が付くとフリチラリアは透き通った世界にいた。果てしなく大きな湖は、まるで鏡面のよう。そしてその上には虹の橋がかかっている。暖かな力に包み込まれている。それが己の魔力と知った時、フリチラリアはようやく自身の魔力を扱えるようになった。フリチラリアは、透き通った世界に屋敷を作った。最初こそ自由気ままな一人暮らしを楽しんだが、次第に寂しくなった。鳥の囀りがあれば賑やかだろう。色合いも華やかな方がいい。思い描けば、七色の小鳥たちが現れた。フリチラリアは、小鳥たちと楽しく屋敷で過ごした。
小鳥と過ごす日々は未だかつてない程穏やかだった。いつしか心の傷が癒えると、元いた世界が気になるようになった。そこで、フリチラリアは特別な鏡を作った。自分の世界と元の世界をその鏡で繋いだ。すると、小鳥たちは、フリチラリアの世界と元の世界を行き来出来るようになった。フリチラリアの魔法が上達すると、小鳥たちは、お仕着せ姿の人間に変身出来るようになった。ミヨと出会ったのもその頃だ。
「私は鏡を覗いて元の世界を眺めていた。そうしたら、そこに真っ赤な目が映り込んだのだ。はじめは酷く驚いたよ」
フリチラリアは、やれやれと当時の驚きようを私に語った。
フリチラリアの世界を覗いたミヨは言った。
「素敵な世界ですね。女王陛下」
フリチラリアには、その言葉だけで、ミヨを友人とするに値した。ミヨは変わり者だった。運命図を眺めながら可能性現実の収集をしているという。何故そんなことをするのかと、尋ねた時もあったが、その答えははぐらかされてしまった。
「私は"バンリ"に取り憑かれているのですよ」
ミヨはただそう告げた。切なく優しい声色で。ミヨと交流するようになると、その仲間と話す機会も増えた。最も多かったのは、闇竜のミズアオだ。次に天空竜のヘキレキ、他、その仲間達だ。そして、あろうことか、ヒガンも現れた。鏡の中のヒガンは言った。
「そちらには、馴染んだようですね。貴女のあるべき世界ですから、当然ですが」
フリチラリアは、ヒガンに腹を立てたが、それは、無意味なのだとすぐに悟った。悪びれの無いヒガンの澄ましたような顔がすべてを物語っていた。
「貴女に頼みがあります」
こうして、ヒガンは、フリチラリアの世界を通じて離れた場所の誰かと連絡をとったり、物品の受け渡しをするようになった。そうしたやり取りを続ける内に、フリチラリアは、元いた世界ではない、他の世界にも鏡を繋げられるようになり、交流関係は一気に増えた。
「おっと。私の話ばかりになってしまったね。お前の話を聞かねばな」
フリチラリアは、お茶を飲み干した。話を聞きながら、私は、ヘキレキとミズアオがミヨの仲間なのだということに衝撃を受けていた。あのふたりからは、ミヨの話を聞いたことがなかったのに。
「どうかしたか?」
フリチラリアに問われ、私は首を振った。
「いいえ。でも、どこから話したら良いかと」
私は俯いた。フリチラリアは、新しいお茶を要求した。
「お前が認識している事の始まりから聞こう。長くなっても一向に構わない」
私は顔を上げた。そして、これまでのことを話し始めた。
話終えた時、フリチラリアは、眉間に手を当てて俯いていた。フリチラリアが空いた片手を上げると、黄色いお仕着せの女性がふかふかのタオルを私に差し出した。私は泣いていたらしい。私はタオルに顔を埋めた。タオルからはお日様の匂いがした。
「ヒガンは、死んだのだな……」
ポツリとフリチラリアが呟いた。私はタオルから顔を上げた。黄色いお仕着せの女性がタオルを受け取り下がっていった。フリチラリアは片手で顔を覆っていて表情は見えなかった。私は視線をフリチラリアのカップに落とした。三杯目のお茶には未だ一口も口がつけられていない。
「いや、正確には、死んだとは言えないか。ヒガンの自我は永久魔法に引き継がれたのだからな。それにしても、まさか、ククールスの呪いに手を出すとはな」
フリチラリアは、カップに手を伸ばしかけ、すぐにその手を下ろした。
「だが、世界を滅ぼそうと思ったらそれぐらいはしないといけないか」
フリチラリアは、眉間から手を離した。
「それは、どういう意味ですか」
恐る恐る私は尋ねた。
「どれほど偉大な魔法使いと云えど、人ひとりの力には限界がある。永久魔法とて同じこと」
ようやくフリチラリアは、お茶のカップに口をつけ、顔をしかめた。
「永久魔法は、尽きることの無い魔力だが、一度に使える魔力の限界値がある。その限界値を超える魔法は使えない。知っているな?」
「はい」
フリチラリアの鋭い視線に促されるように私は返事をした。
「だからこそだ。世界を滅ぼすには、協力者がいるのだ。それ故のククールス発動だ。しかし、ククールスの呪いもまた簡単に世界を滅ぼす呪いに成長するわけではない。呪いの成長には時間がかかる。だから、お前に不老の呪いを掛けたのは、たぶん、保険だろうな。時間さえかければ、呪いは必ずヒガンが望む威力になるまで成長するのだから」
フリチラリアは、ここで言葉を切ると、思案するようにカップの中のお茶を見つめた。そしてゆっくりとカップをソーサーの上に置いた。
「ククールスは、病を感染すが如く呪いを連鎖し仲間を増やす。だがその仲間のほとんどは、ヒガンにとってハズレくじに過ぎないだろう。世界を滅ぼし尽くしたいヒガンとしては、呪いの成長を待つ時間は、なるべく短い方が好ましい。故に呪いは連鎖することで、ただ一つのアタリを目指すのだ。わかるか? 永久魔法・ヒガンの目的は、世界を滅ぼすことだ。ならば、協力者にふさわしいのは、それだけの力を持つ者だ。そのアタリとはなんだ?」
私は動悸がしていた。視界すら揺らいでいるように感じる。元いた世界で聞いた声。滅べよ、世界。その声は二つの声が重なって聞こえた。要は、そう言うことだ。私の元いた世界でヒガンは協力者を得た。世界を滅ぼすにふさわしい協力者とは? 決まっている!
「永久魔法!」
私は声を絞り出した。
「その通りだ」
フリチラリアは、ため息混じりに言った。そして、カップのお茶を豪快に一気飲みした。しかし、カップは音もなくソーサーに置かれた。流石と言わざるを得ない。私はフリチラリアのカップから視線を逸らした。元の世界で、ヒガンは出会っていたのだ。自身の目的達成を果たすための永久魔法と。
「もし、お前が本気でヒガンを止めたいと願うなら、ヒガンより早く見つけ出すのだ」
何を、と問うのは、愚問だろう。
「わかっています」
私は見つけなければならない。永久魔法を。
世界を滅ぼす魔法が永久魔法ならば、それを防ぐ魔法も永久魔法です
いつかのヒガンも私にそう言った。
「だが、ヒガンもお前も永久魔法に辿りつく可能性は極めて低いだろう」
フリチラリアは、安心させるように言った。私の過去を語る上で、私の世界がヒガンによって滅ぼされたという話はフリチラリアには伝えてあえる。だが、フリチラリアもヒガンが別の永久魔法と出会い、それに受呪して協力者にしたなどと思わないだろう。しかし、私はもう確信していた。あの強大な滅びの魔法は二つの永久魔法によって成されたのだ。
「今回のヒガンの永久魔法化は私が知る限りの史上初の成功例なのだからな。だからこそ、もっとも世界を滅ぼす呪いに成長できる可能性を持つのはお前だ、シマリス。出来る限り呪いを育てないように最善を尽くせ」
念を押すようにフリチラリアは言った。永久魔法はもう一つどこかで発生する。その場に立ち会うことはできるだろうか。もしその永久魔法を仲間にすることが出来たら……。私が黙って考え込んでいると、フリチラリアが心配そうにこちらを覗き込んだ。
「もちろんです」
私は慌ててうなずいた。しかし、うなずいてみたものの呪いを育てないようにしろと言われても方法がわからなかった。名前の魔法は呪いを押さえてくれている。ならば、他にも呪いの力を弱めたり押さえたりできる魔法はあるのだろう。それは、自分で探すしかなさそうだ。私は内心ため息をついた。私は、フリチラリアを見た。私にはまだまだフリチラリアに訊いてみたいことがあった。
「質問を許してください」
「許そう」
フリチラリアは、優しく微笑んだ。
「時系列についてです」
私の言葉にフリチラリアは、頷いた。私が持った疑問を既に察していたかのような面持ちだ。ヒガンの永久魔法化と私の世界の滅亡。私の時系列では順番が逆なのだ。私の転生が時間軸と世界を飛び越えたものだったからだと一応納得はしているものの、何か他に理由があるのではないかと思っていた。
「私も正確に説明できる訳ではない。この手の説明はどうも苦手だ」
フリチラリアは腕組みした。
「時系列が、おかしいのは、"干渉"があったからだろう。さらに、"分岐"だ」
干渉と分岐。確かミヨもそんなことを言っていた。しかし、何が干渉して何が分岐したのか?
「そして大事なのはとある存在の登場だ」
「とある存在?」
私は首を傾げた。フリチラリアは、眉間に皺を寄せ片方の唇の端を持ち上げた。
「そう。"歯車の使い"だ」
私は雷に打たれたような衝撃を受けた。私はその言葉を聞いたことがある。あれは、確か……。
「歯車の使いとは、運命図にその運命の道筋を示さない存在だ。だから運命図を観察するミヨのような者の天敵だ。何故なら歯車の使いが現れると運命が全く別の道筋に変わってしまうからだ。観察者の目からすれば、なんの脈絡もなく唐突に、だ」
フリチラリアは腕組みを解くと、トン、とテーブルを指で一度たたいた。
「歯車の使いは既に現れている。根拠はミヨだ。ミヨは私に言ったのだ」
運命が書き変わりましたよ、女王陛下!
そう言ったミヨは、何処か狂気染みていて、しかし、何故か安堵しているように見えた。
「安堵、ですか?」
私が尋ねると、フリチラリアは、深く頷いた。
「運命が書き変わる前と後でミヨが何を見ていたのかはわからない。ただ、ミヨは、この世で最も優れた"観察者"だ。そのミヨが安堵を見せたのなら、好転なんだろう。歯車の使いによって」
「歯車の使い……」
私は噛み締めるように言った。そして、新たに湧いてきた疑問を口にした。
「干渉する者と歯車の使いは同一の存在ですか?」
すると、フリチラリアは、首を横に振った。
「"干渉者"と"歯車の使い"は、別の存在でありながら蜜月だ。両者にとって時間と空間は意味をなさず、すべてが平面上に並んでいるかのごとく物事は扱われる」
フリチラリアは、一気に言うと、はぁーっと息を吐いた。そして、苦笑した。
「これは、ミヨの受け売りだ。私には何を言っているのかちんぷんかんぷんだ」
私の胸中には疑問が渦巻いていた。いつしかヒガンに聞こうと思って聞けなかったことが、よみがえってきた。歯車の使いとはなんなのか。それにミヨについても、もっと聞きたい。ミヨは、私に初めて会った時、「久しいですね」と言った。あれはどういう意味だったのか。フリチラリアなら何か知っているだろうか? それから、ミヨは私の目を"印"と言った。さらにヒガンは初めて会った時に私を"印の魔法使い"と呼んだ。出来ることなら詳しく知りたい。私は勢いに任せてフリチラリアに質問をぶつけると、フリチラリアは心底困った顔をした。
「ミヨのことは、ミヨに訊け。私にはミヨが何を考えているかは、わからん。あと私は、魔法については感覚派でね。学問的な説明は苦手なのだ! 正直に言うと、印の魔法使いなんて単語は初耳だ」
フリチラリアは、顎に手を当てた。そして、思い付いたように、目を輝かせた。
「そうだ。お前の疑問を解くにふさわしい私の友人を紹介してやろう! 境界図は出せるな? ……おお、素晴らしい!! 流石はヒガンの唯一無二の弟子だ!!!」
私はフリチラリアの知人に会うべく、異世界に渡ることになった。境界図に表示された世界が接する時まで、フリチラリアと私は楽しいひとときを過ごした。
出発の時、フリチラリアは、私に蓋付きの鏡を差し出した。手の平より小さいそれは、蓋を横にずらすと、鏡が現れる。鏡は実際の景色を映さず、虹の掛かった湖を映していた。
「私の世界への通行証だ。用があれば、その鏡に呼び掛けよ。"虹の主"と」
私はうなずくと鏡を大事に鞄にしまった。そして、フリチラリアに感謝を伝えた。私は異世界に渡る門を開いた。
「汝の向かう先に虹の加護があらんことを」
私が門を潜る直前に聞いたのは、フリチラリアの祈りだった。私は目を閉じて歩いた。それでも、目蓋を通して白い光を感じた。思い返すのは、転生の時。私は確かに聞いた。「お前もまた歯車の使いならば、世界を回しに行くが良い」と。
***
鏡がたくさん置かれた部屋でフリチラリアは、鏡のひとつに触れる。
「こんばんは。良い夜じゃないか」
「傷心の僕にそれを言いますか? 女王陛下」
「何が傷心だ。記憶が戻ったのだ。愛しい人を思い出せたのだから、喜べばよいものを」
すると、鏡に映った男の身体がボボッと音を立てて燃え始めた。
「馬鹿め。焼身するな。止めろ」
フリチラリアが叱りつけると男を覆っていた炎は霧散した。幻影である。
「見る者を選ぶ冗談は褒められないぞ。さぁ、いい加減元気を出せ」
やや口調を和らげてフリチラリアは言った。男は美しい菫色の瞳に憂いをたたえた。
「彼女に二度と会えないと知りながら?」
「それはお前次第だよ」
男はフリチラリアの言葉が理解できず肩を落とす。
「貴女には、恩があります。僕に何の用ですか?」
二人はようやく本題に入る。
「実は、目をかけて欲しい者がいる」
フリチラリアは、この屋敷を去った魔法使いを思いながら、説明した。男は了承の返事と共にため息をついた。
「ふっ、そんな顔をするでないよ」
「そう言われましてもね」
フリチラリアは、困惑を浮かべる男が映る鏡越しにその額をつついた。
「頼りにしている」
再びため息をこぼし、濡れるような菫色の瞳は閉じられた。直後、鏡の中から男は去った。




