29北の国にて
何故こうなった? 私は、座り心地の良い立派な椅子に腰かけさせられていた。首から下は白い布に覆われている。私は、お仕着せの華やかな雰囲気の女性たちに囲まれている。耳の近くでチョキチョキと鋏が動く。切られた私の髪の毛が白い布を滑って床へと落ちていく。
「魔法使いたる者、身だしなみはしっかりしなくてはな」
魔法使いと身だしなみは関係がないだろうに。むしろ魔法使いなんて王宮仕えでもなければ、身だしなみを気にする質ではないだろう。魔法研鑽が最優先。身だしなみの優先順位はそれほど高くない。しかし、喉まで出かかった言葉は唾と一緒に飲み込んだ。許可を得るまで発言することすら許されない相手だ。口答えなどもっての他だ。美しいフリルのついた淡藤色のドレスの上に魔法使いのローブを羽織ったプラチナブロンドの女性。北の国に入った直後に出会ったこの女性によって、私は今、思いもよらない状況に身を置いていた。
やるべきことを済ませた私は、宣言通り、箒に跨がり北の国を目指した。この箒には様々な魔法を掛けている。空を飛ぶ力はもちろん、宙で均衡をとる魔法、風を防ぐ魔法、寒さや暑さを和らげる魔法などなど。そして大事なのが、座り心地だ。何も対策を施さずに跨がっていれば、箒の柄があたるところが痛くなってしまう。物語の中のような快適な箒による飛行には、高度な魔法技術が必要だ。どこかの物語では、箒に跨がって行う球技があったが、私には絶対に無理だと思う。
北に向かって飛行しながら、私は先ほど見た光景について考えていた。北に向かう前に、自分の育った国の空を一回りしようと思ったのだ。私が暮らした街を、ヒガンを失った王都を。最後に見ておこうと思ったのだ。しかし、その望みは叶わなかった。
はじめ、私は自身が生まれ育った街の上を飛んでいることに気が付かなかった。ヒガンの小屋がある森は、こんなに広かっただろか。疑問を持ちながらもただ飛んでいた。しかし、それは間違いだった。私は紛れもなく自分が育った街の上空を飛んでいたのだ。なら、何故気が付かなかったのか。それは、すべて無くなっていたからだ。人が暮らしていた痕跡は失われていた。そこにはただただ広大な森が広がっていたのだ。高度を落として確認してみたが、民家の柱でさえ残っていない。試しに王都方面にも飛んでみたが、大きな王城も広い王都広場も跡形もなかった。廃墟とはいずれ、草木に飲まれて森になる。だが、それにしても早すぎる。私は魔法の残滓を探ったが、そんなものはとうに感じられなくなっていた。だが、これは誰かの意図によって行われたものだろう。何のためにこうする必要があったのかはわからないが。
故郷を見納めることを諦めた私は、北の国を目指した。北の国の城壁の上に差し掛かると、見張り兵の姿が確認できた。私は高度を上げた。兵たちが私に気が付いた様子はなかったが、見つかって騒ぎ立てられては嫌だ。騒ぐだけならまだいいが、矢を放たれたり、魔法を撃ち込まれたりしたら厄介だ。
街並みが見えたら、人目のつかないところに下りよう。そう思っていた私が、城壁を超えた先に見たのは、大きな湖だった。湖の岸にはいくつか船乗り場があった。また湖のふちに沿うように道が整備され、そこに乗合馬車の小屋も見受けられた。街は湖の先にあるようだ。その湖は、風もなく、まるで鏡のように周囲の景色を映していた。きれいだな、などと私が呑気に思っていた時だった。突然声がした。
「穢らわしいネズミめ! 呪いを持ち込む気か!」
怒気を孕んだ女性の声だった。瞬間湖が光を放ち、私は目の前が白んで何も見えなくなった。それにしても、と私は思う。私は齧歯類から逃れられないのか、と。自らシマリスを名乗ったことを棚に上げながら、そんなことを考えた。
気が付くと、私は豪華な屋敷の中で尻餅をついていた。乗って来た箒はなくなっていた。おそらく湖に落としてしまったのだろう。そして、私は七人の女性に囲まれていた。彼女たちは、それぞれ、赤・橙・黄・緑・青・藍・紫のお仕着せを身にまとっていた。七人そろって虹色である。彼女たちは一切の感情をこめず、私を見つめていた。その顔は皆同じ顔をしていた。少し不気味だった。と、彼女たちが道を開けるように二手に分かれた。そしてその先には、見るからに高貴な女性がこちらを向いて立っていた。プラチナブロンドの髪に淡い色の瞳。お仕着せの七人の主であろう。
「穢らわしい呪いを持ち込み、何をする気だったのだ、小汚ない小僧め!」
女性は言った。湖で聞いたあの声だった。
「いいえ、何も」
「発言の許可を与えた覚えはない」
ぴしゃりと言われ、私はうつむいて体を縮こませることしかできなかった。この手の相手には、今まで接する機会がなかった。正しい礼儀作法などわかったものではない。私は土下座のような姿勢で固まっていた。コツコツと靴音がした。靴音は私の周りを一周した。その間、私はその靴先すら目に入らないように頭を下げ続けていた。
「ふむ」
女性が思案するようにうなった。
「小僧。お前は、名前の魔法で呪いを押さえているな。しかも、あのミヨの身内もその魔法に関わっているのか。ミヨの身内の関係者とあれば敵ではない、か」
女性の声は幾分か和らいでいた。
「小僧、名は?」
これは発言の許可とみなしていいのかな、という逡巡の後、私は口を開いた。
「……シマリス、です」
「シマっ!!」
女性は絶句した。私はさらに身体を小さく丸めた。
「んんっ! ふっ!!」
何故か女性が変な息を漏らした。そして。
「ふっ、ふふ。シマリスって、いくらなんでもそれは……」
女性の声は震えていた。
「それが名前はないだろう! あーーははははははははっ!! はははははっははっはぁっ!!!」
女性はダムが決壊したように笑いだした。恐る恐る顔を上げて見ると、女性は腹を抱えて床を転げていた。お仕着せの女性たちは、困ったように肩をすくめていた。
「……失礼した」
笑いが治まるとバツが悪そうに女性は言った。乱れた髪や服をお仕着せの女性たちがせっせと整えていった。
「ミヨの身内と関りがあるのであれば、無碍には出来んな。話をしよう。だが、その前に」
女性は服の下から閉じた扇子を取り出すと、それでビシリと私を指した。
「身だしなみだ!! なんだその薄汚れた服は! 髪も伸び放題! 話にならん。まずは風呂だ。次に散髪、着替え、話はそれからだ。小僧、もとい、シマリスの着替えが済んだら茶の準備だ!」
「はっ!!」
そんなに不潔だったかな!? 私の心の叫びはいざ知らず、お仕着せの女性たちは、一糸乱れぬ動作で女性に返事と恭しく礼をした。そして、すぐに私を取り囲むと、私を抱えて風呂に連れて行った。まるで拾った猫を洗う勢いで私は洗われた。あまりの手際の良さに恥ずかしがる隙さえなかった。あたたかいお湯には、呪いを押さえる薬草花が浮かべられていた。薬臭いと思いきや、それは爽やかな良い香りがした。思いのほか、心が安らぎ疲れが取れた。
風呂から上がると、私はふかふかのバスローブを着せられて、座り心地の良い豪華な椅子に座らされた。そして、首から下を白い大きな布で覆われた。
「これより散髪いたしますが、どのように致しましょう?」
紫のお仕着せの女性に尋ねられた。私は、人間の姿をしていた時のミズアオの髪形を思い浮かべた。耳が見えるくらい短く切った髪は、機能的でしかも格好良かった。
「承知しました」
私が何も言っていないのに、お仕着せの女性は返事をした。そこに、青いお仕着せの女性が加わり二人掛かりで髪を切られた。切られた髪はするすると白い布を滑って床に落ちた。
「魔法使いたる者、身だしなみはしっかりしなくてはな」
プラチナブロンドの女性はそういって散髪の様子を眺めていた。散髪が済むと、床に落ちた髪の毛は、七人の女性たちによって、一本たりとも残さずきれいに片付けられた。いつの間にか、プラチナブロンドの女性は姿を消している。
次に私は衣裳部屋に連れていかれた。
「さぁ、好きなものを選ぶがよい」
そこにはプラチナブロンドの女性が待ち構えていた。壁一面を覆いつくすような衣装の数々に私は気おくれした。選べと言われても、わからない。それにしても破格な待遇だ。女性は私を”ミヨ”の身内の関係者だと言った。だから無碍にはできないと。"ミヨ"とは一体何なのか? だが何はともあれ、敵ではないと判断されたのだ。そこは良しとすべきだろう。
私が突っ立ったままなので、女性は、あれはこれはと勝手に服を選びだした。お仕着せの女性たちによってバスローブを脱がされ、私は着せ替え人形のごとく、あれこれ着替えさせられた。何故か、フリルやリボンがこれでもかと装飾されたドレスを着せられた時もあった。まるで騎士長のような、肩に紺のマントが付いた制服を着せられた時もあった。何故かレイピアを持たされて構えをさせられた時もあった。これは遊ばれているな、と私は思った。
「どれもこれも実にいいな!」
女性は上機嫌だった。最終的には、黒いシャツとズボン、銀のベルト、魔法使いのローブで落ち着いた。せっかくだからと、ベルトにはふわふわした栗鼠の尻尾のような飾りがつけられた。さらにこれもと、栗鼠のお面も渡された。
「その面には、なんとなく存在がぼんやりする類いの魔法が掛けられている。身元を知られたくないときに使うがいい。あと、そのしっぽ飾りは逃げ足の加護だ。効果のほどは定かではないが、お守りにはなるだろう」
「ありがとうございます」
礼は述べつつも、何だか曖昧な効果だなと思わずにはいられなかった。しかし、自分で使ったことがない魔法具の説明となるとこんなものかと思い直した。私は表彰状を受け取るような仕草でお面を受け取った。女性が笑いを堪えたのがわかったが、そもそも作法が分からないのだから仕方がない。その後、肩から提げられる皮のカバンを渡された。容量増の魔法が掛かられているので、見た目より入るそれに、お面と「いばら姫」の本、元の服に入っていたいくつかの私物を入れた。そうこうしている間に、お仕着せの女性たちはお茶の準備を進めていてくれた。緑色のお仕着せの女性が用意が出来たことを伝え、私と女性は衣裳部屋を後にした。
良い香りのお茶に美しい見た目の菓子。作法のわからない私は、緊張したまま椅子に石のように腰かけていた。プラチナブロンドの女性は、茶を一口飲むと、菓子を口に含んだ。そして、私に食べるように促した。私は恐る恐る食べやすそうな形のクッキーを手に取り、一口で食べた。そして、お茶を一口飲んでクッキーを流し込んだ。急いで食べたが、すごくおいしかった。
「味わいなさい。菓子は逃げんぞ。さぁ、もう少し食べなさい。その方が、喋りも滑らかになろう」
女性に促されるままに私は菓子を食べた。自白剤とか入っているのかな、と余計なことを考えた。だが、女性の雰囲気的にはそういうことをする人には見えなかった。
結局菓子の皿が空になるまで女性は本題に入らなかった。空になった皿は片付けられ、私たちの前には二杯目のお茶が並べられた。
「さて、まずは自己紹介といこう」
女性は言った。
「私の名はフリチラリアだ。この国の女王だったが、魔女ヒガンによって石に変えられ、今はここ、夢の世界で暮らしている」
私は言葉を失って、フリチラリアを見つめた。お茶を口に含んでいたら、間違いなく噴き出してむせていただろう。




