110. 異変の後
「お姉ちゃーん。ご飯だよー。」
その時、階下より姉の名を呼ぶ万智の声が聞こえてきた。
子犬のドッグフードを買いに出ていた万智は、すでに帰宅していたようだ。
念願の桃色の魔法少女になって、すっかり興奮していたひばりだったが、万智の声が聞こえると、それまでの夢の世界から、いつも暮らしている現実の世界に一気に引き戻された気がした。それとともに、なぜか急に興奮からも冷めてくると、すんとした表情になった。それから挙げていた両手を静かに降ろすと、顔だけを横に向けて意味もなくドアの方をぼんやりと眺めた。
「あ〜〜お腹空いた〜〜……」
ひばりは力が抜けると、猛烈な空腹を感じた。
ひばりは、今朝起きてから今まで、あまりにも色々なことがありすぎて、いつもはほとんど使わない頭と体を使い過ぎたため、心身ともに疲れ果てていた。それでガス欠になってしまって、とりあえず魔法少女のことは二の次となってしまった。
一方子犬の方は、たった今魔法少女に変身したばかりのひばりのことを、なんとも微妙な顔をして眺めていた。自分が黄色の魔法少女だというのはわかっているはずなのに、それでもひばりが、なぜか桃色の魔法少女の姿になっているのも少しは気になったが……
――ふむ。あの衣装は、おそらく5色の魔法少女の桃色の魔法少女の衣装か何かなのだろう。
確かにひばりが今身に着けている衣装は、5色の魔法少女シリーズの前作にあたる「音色の魔法少女マジカルクイン」で、木管五重奏のホルンを担当していた桃色の魔法少女ピンククインのコスチュームそのものだった。
マジカルクインの魔法少女のコスチュームは、一般にクラシックの演奏会の場で披露されるような、シンプルで艶のあるホワイトのドレスをベースに、各色の魔法少女専用に、音楽に関する記号や意匠などがコスチュームのデザインの一部として大胆に装飾された歴代の5色の魔法少女シリーズの中でも、比較的大人な感じのデザインとなっている。
ちなみにマジカルクインのクインテットは、フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルンの5人で編成される。一方、結成されることはなかったが、それに対する6色の魔法少女のセクステットは、トランペット、ホルン、トロンボーン×2、チューバ、ユーフォニアムの6人の奏者で編成される……はずだった。
――ここに至っても、まだ桃色の魔法少女を選ぶか。自分が黄色の魔法少女だということは、本人も十分分かっているはずなのに……ふむ。まあ5色の魔法少女、それも桃色の魔法少女のことが余程好きなのだろう。……だが、それにしても、なんとも諦めの悪い奴だ。まあ衣装など魔法少女を認識するためのただの飾りであって、実際にその能力になんら影響を与えるものでもなんともないのだが……だが、黄色の魔法少女が桃色の魔法少女の姿で戦ってるとか、いちいち紛らわしいし、違和感が気になって仕方ないだろうが……まあとりあえず、今はそれは置いておくとして……
魔法少女の衣装というのは、基本的には単なる衣装であって、物理的攻撃からのダメージを緩和するとか、対魔法効果を減少させるというような特別な効果は付与されない。
そして、シリーズ毎に実は決められた衣装がある……という訳でもない。当人達に特に希望や要望がなければ、事前に用意されたデフォルトの衣装が自動的に提供されることとなり、一般的にはその衣装が採用されるケースがほとんどである。
だが、もし当人に強い希望やこだわりがあれば、当人の好みの衣装やオリジナルの衣装を採用しても別に構わないことになっている。それでひばりの場合、マジカルクインの桃色の魔法少女のコスチュームが、ひばりの強い要望によって今回は採用されたのだった。同様に、5色の魔法少女マジカルキティの面々も、当人達の希望に沿って、今回は事前に用意されたデフォルトの衣装ではなくて、菜の花蛍がデザインした魔法少女のコスチュームが採用されている。
「は〜〜。」
子犬は、険しい顔になってひばりを見つめると、深くため息を吐いた。
――しかし……それにしても、ここまでとは……。まあ初めから特に期待はしていなかったし、できなかったが……だが、ここまで魔華力を感じない魔法少女を見たのは初めてかもしれない。肉体的にもほとんど強化された気配も感じられない。人間でいっても、少し運動ができるくらい……だろうか? もしかすると……いや、おそらくこの魔華力では、イエローパピーの最弱魔法であるキロライトですら放つことができないのではないか。うーむ……確認するまでもないが、この少女は「真なる愚か者の日」の生まれなのだろう。平時ならば、ここまでポンコツ性能に振り切った魔法少女というのもレア中のレアなので、とりあえず側に置いておいたら面白いといえば面白い存在なのかもしれない……が、今はそんな余裕をかましてもいい状況ではない。やはり、なんといっても他の5人の魔法少女を見つけることが先決か。
子犬は真剣にそんなことを考えていると、不意にひばりにひょいと持ち上げられた。
「ご飯行くよ。」
ひばりは一言だけ言って、急いで部屋を出て階段を降りると、台所へと向かった。
――ふむ。そういえば……私も腹が空いたな。
この子犬が、実はいわゆる創造主とかすべてを超越した存在であったとしても、現在は生物学的にいうところの哺乳類のイヌ科のイヌ属に属するポメラニアンの幼犬でしかない肉体では、一定の時間が経過するとともに空腹を感じるのは、分類上は犬でしかない今の彼女にとって、極めて自然の摂理だった。
ご読了ありがとうございました。続きが気になった方は、
【ブックマークに追加】
【ポイントを入れて作者を応援しよう】
に、あなたの評価『★』をお願いします。




