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111. 異変の後

 子犬を両手にもったまま台所に入ったひばりは、早速子犬を床に降ろすと、自分は台所のいつものイスにピョコンと腰を下ろした。


 台所は、昨日開催されたひばりの16歳の誕生パーティーの飾り付けが、まだ片づけられないで残っており、折り紙で作った輪っかの飾りが天井からダランと垂れ下がったり、「ひばり16歳の誕生日おめでとう!」と燿司が達筆で書いたA4のコピー用紙の「めでとう!!」の部分が剥がれかかったりしていた。


 台所では、母親の洋子が揚げたての春巻きが一杯に入った大皿をテーブルの上に置こうとしているところだった。


「あらあら。」

 洋子は、ひばりの桃色の魔法少女姿を見ると、娘の愛らしさに思わずニッコリと微笑んだ。


「もう。お姉ちゃん、コスチュームが食事で汚れちゃっても知らないよ。」

 母親の洋子も妹の万智も、ひばりが突然桃色の魔法少女のコスチュームに扮装し家族の前に現れることなど、もはや日常的によくあることだったので、それについて、特に気にする素振りもなかった。

 万智は、おそらくついさっき姉に何かテンションが上がるようなことがあったんだろう。気持ちはわかるけど、とりあえず食事の前に着替えた方がいいよと、姉のことを気遣って、善意からやさしく注意したのだった。


「ふん。別にいいんだよ。」

 それに対しひばりは、いつものように妹の提案を却下した。


「あらあら。」

 洋子は、ひばりのコスチュームが汚れようがどうでもよかったが、

「もう。後で後悔しても知らないからね。」

 いつものようにコスチュームを食べ物で汚して床に膝をついて食後に深く後悔している姉の姿を容易に想像し……だからといって妹の言うことを決して聞くはずもない姉のいつもの残念な言動に、万智は少し哀れみを感じたが、今回もそれを黙って見守るしかなかった。


 それよりも、今は先ほど自分が庭先で保護した子犬のことの方がよっぽど大事だった。


 子犬は、ブスっとした表情で床に腰掛けて、興味なさそうに家族の会話を小耳に挟みながら、食事が来るのをじっと待っていた。


 万智は、そんな子犬の不愛想な様子を特に気にするふうもなく、子犬の前にしゃがむと、子犬の頭をやさしく撫でた。


「お腹空いてたでしょ? お待たせしてごめんね。」

 万智は子犬にニッコリと微笑むと、早速先ほどスーパーで買ってきたばかりの幼犬用のドッグフードを小皿に入れて、水の入った小皿と一緒に子犬の前に差し出した。


 子犬は空腹を感じていたので、目の前にドッグフードを差し出されると、すぐにがっつき始めた。子犬はドッグフードをがっつきながら、やはり妹の方が魔法少女だったらよかったのにと頭の片隅で思ったりもしたが、それを今さら考えてもまったく意味がないことであるのは、自分が一番わかっていた。


 万智は、子犬が勢いよくドッグフードを食べている姿を見て安心すると、再び子犬にニッコリ微笑んだ。それから、万智と同じように子犬の食事風景をうれしそうにニコニコと見守っている洋子の方を振り向いた。


「あれ? そういえばパパは?」

 今更ながらに、食事の席に父親の耀司が不在なことに気がつくと、洋子に尋ねた。


「……あっ、パパね。さっき連絡があって……会社の人に飲みに誘われたから、今日は晩御飯いらないって……だから、私達だけで先に食べて大丈夫よ。」

 洋子はニコニコした顔のままで万智に返事した。洋子も突然晩御飯をキャンセルした耀司に対し特に怒っている様子もなく、ひばりが魔法少女姿で食卓に現れた時と同様、至っていつものことのように対応した。


 支子耀司くちなしようじ


 ひばりの父親であり、特に取り立てて見るようなところもない。昼時に駅前の食堂街のリーズナブルな定食屋にでも行けば必ず見かけるような、どこにでもいるごく普通のサラリーマンである。


 支子ひばりという稀有な魔法少女の父親になった……という意味では、もしかすると普通のサラリーマンという存在ではなくなったのかもしれないが、それを除外すれば、ごくごく一般的な善良な一市民といって差し支えないかもしれない。


 性格の面でいうと、割と大雑把で適当なところがあり、時々仕事をサボったりすることもあるので決して真面目な方だとはいえないが、かといって、与えられた分プラスアルファくらいの仕事量はこなしているみたいだし、営業成績の方もそこそこには出している様である。


 そういうことだったら、燿司は要領がいいタイプの人間なのかというと、別にそういうタイプの人間でもない。基本的には可もなく不可もなく、そんなどこにでもいそうで、実はあまりいないかもしれない普通の人間なのだが……そんな耀司にも特徴があるとすれば、仕事が終わった後に会社や取引先の人と一緒に飲みに行くことが大好きだということだろうか。


 基本的に燿司には、飲みに誘われた場合に断るという選択肢はないし、同僚に言わせると、終業の時間が近づくと飲みに行きたそうにソワソワしているのがだいたい雰囲気でわかるそうである。


 ただ誤解されると困るが、耀司との飲み会の席はそれなりに楽しく、仕事関係の話なんかをすることもない。会社や取引先の愚痴や悪口を吐きあって、徐々に場のテンションが盛り下がっていく……なんていうことは一切なくて、基本的には――今日の大谷がどうだったとか、よく知らないインフルエンサーの炎上騒動だとか――そんなどうでもいい話題がほとんどだそうである。それに、もしも相手が仕事の話を真剣に語り合いたいと言えば――あまり乗り気ではないが――とりあえず相手に合わせて、一応それなりに真剣な体で対応するという懐の深さも持ち合わせている。それと、飲みに行きたくないという人間に対しては、無理に誘うということは絶対にしない。


 では、次に家庭人という面で耀司のことを見てみよう。


 今日の夕食みたいに、家族との食卓を当日にキャンセルするような、家庭のことをあまり顧みないひどい父親なのかというと、実はそうでもない。この燿司という男は、会社の人間と飲みに行くことも大好きだが、家族と一緒に食事することも、それと同じくらいに大好きである。


 でも、せっかく耀司の分の晩御飯も作ってるのにもったいないじゃないか……とか、料理を作った洋子がかわいそうじゃないか……などと思うかもしれない。


 だが、安心してほしい。支子家では、耀司が当日飲みに行くためにキャンセルした料理は冷蔵もしくは冷凍保存し、翌日にその料理を耀司に対してのみ当日の晩御飯として提供するという独自のルールが存在するため、食材廃棄とか洋子かわいそうというようなリスクは存在しない。そういうルールが存在するので、耀司としても連チャンで同僚と飲みに行って、翌日以降の自身の晩御飯が追加、永久に積み重なっていくというリスクを自ら冒すなんてことは基本的にしないのである。だがこの男は、同僚に飲みに行きませんかと誘われると、うれしくて、そんなこともコロッと忘れて、ノコノコついていってしまうそうなので、支子家のルールを知っている会社の人間が、そうならないように、耀司と飲みに行く日程を社内でうまく調整してくれているそうである。


 それが支子耀司という男なのである。


 そんなこと本編にまったく関係がなく、本当にどうでもいい話なのだが、こんなことを長々と書いている時が、一番気楽だったりするのである。


 万智は、子犬の前にしゃがんで、子犬のドッグフードを食べている様子をずっと観察していたが、最初の勢いのまま、すでに半分以上食べ進んだのを確認して安心すると、立ち上がって自分の席へ移動した。


 ひばりは、台所に来た時から、すでに空腹が限界でもう我慢できないという感じだったが、洋子からご飯の入った茶碗をひったくるようにして受け取ると、

「いただぐぇます。」

 嚙み気味に言うと、早速大皿の上にある春巻きを二本の箸でグワッと摘まんだ。

ご読了ありがとうございました。続きが気になった方は、

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