102. 異変の後
「……あれ?」
ひばりは玄関のドアを開けようとした時、後ろから誰か自分を呼びかける偉そうな声が聞こえた気がしたので、アホっぽい表情のまま、思わず後ろを振り返った。
しかし、後ろには誰の姿もなかった。一応、その場をキョロキョロと見渡してみたものの、やはり――足元の子犬以外には――どこにも人の姿は見えなかった。
「……なんだ。やっぱり気のせいか。なんか声がしたような気がしたんだけど……」
ひばりは、色々あったようで実は何もなかった今日の出来事のことを頭の片隅で少し思い出して、ポリポリと頭を掻いて少し苦笑いを浮かべると、再び正面を向いて玄関のハンドルに手を掛けた。
「ふむ。やはり私の声が聞こえているようだな。少女よ、声を掛けたのは私だ。」
その時、再び後ろから自分を呼ぶ偉そうな声が聞こえたので、ひばりはとっさに真後ろを振り返った。
やはり誰もいない。
しかし、目線の下の方で、子犬が自分の顔をじーっと見つめるその熱い視線を、ひばりはおぼろげにも感じないわけにはいかなかった。
(……まさか? もしかして、この子犬か?)
ひばりは、高校2年生になった今でも、この世界に本当に5色の魔法少女がいると信じていて、幼少の頃から「5色の魔法少女シリーズ」の制作会社である宝石プロダクションに、「5色の魔法少女ってどこにいるんですか?」と何百回も問合せするほどの、かなりイタイ人間である。今後の物語上でも度々語られるはずであるが、その抜けっぷりは支子家の中でも群を抜いている。
そのひばりでさえ、犬が人間の言語をしゃべるというのは、非常識であり得ないことだということは十分に理解していた。だが、この時のひばりは、内心は自分でも不思議に思いながらも、この子犬が人間の言葉をしゃべっているのを、なぜか違和感なく当たり前のように受け入れていた。
だが、この非常識な事象を受け入れることと、この子犬を支子家で受け入れることは、まったく別の話である。この子犬が人間の言葉をしゃべろうがどうが、ひばりにとっては別になんの関係もない。とにかく、この子犬に関わらないことが何より先決だ。
ひばりは、誤って一瞬その子犬のことをガン見してしまったが、すぐに子犬には気づいていないようなフリをすると、それからは子犬を絶対に見ないようにできるだけ目を細めて、努めて下を向かぬよう頭を正面に固定したまま、白々しく辺りをさっと見回した。
「な、なーんだ。やっぱり気のせいだ。はは……なんだか今日は調子が悪いな……」
ひばりは、困った表情を浮かべながら、子犬に聞こえるように、わざとらしく雑な独り言を言うと、再び正面を向いた。
確かに、今日は学校に着いて早々、数学の授業中にあり得ないほどの爆睡をしたため、担任の桜井先生にマジギレされたり、放課後になると、知らない間に教室の床で眠りながら、非現実なのに妙に現実感のあるおかしな夢を見たり、そして今は変な子犬に絡まれたり……何かとおかしなことが多い一日だ。
「少女よ。正面ではない。下だ。下を見よ。」
「今日は春巻きパーティーだ。今回は塩辛とチョコレートの地獄のローテーションだけはなんとか避けないと……あれは辛かった……」
ひばりは、もはや後ろを振り返るつもりはなかった。
ひばりは、前回の春巻きパーティー開催時に、突然自身に襲い掛かった脳神経が麻痺するほどの味覚障害を巻き起こした、あの衝撃の出来事のことを思い出すと、本当につらそうな表情をしながら首を横に振った。
「おい、ちょっと待て。お前、実はさっきから私の声が聞こえているだろう。」
――ガチャ
ひばりは、子犬の声などあえて無視することにして、まるで何事もなかったかのように、三度玄関のハンドルに手を掛けると、ドアを開けて、そのまま家の中に入ろうとした。
子犬は、なぜかあくまでも頑な態度を取り続けるひばりの行動がまったく理解できなかった……が、こうなっしまっては、もはや実力行使に打って出るしか他なかった。
「わんっ!」
子犬は、ドアのノブが開錠する音がして、ひばりが玄関のドアを開けて家の中に入ろうとしたまさにその瞬間、後ろからひばりに飛びかかると、ひばりの足元にしがみついた。
「あっ!」
ひばりは、子犬の予想だにしない行動に思わず声を漏らしてしまった……が、それでもあえて子犬の存在にはいまだ気づいていないようなフリをすると、両手でドアノブを握りしめ、後ろと下だけは絶対に見ないよう態勢は正面に固定したまま、子犬がしがみついている自分の右足をブルブル振って、子犬を自分の右足から引きはがそうとした。
「くっ……こ、この女……ここまで私を無視し続けるとは……なんとも失礼な奴だ。」
子犬は、しがみついてもなお自分の存在を無視し続けるひばりに対し、ブツブツと文句を言いながらも、絶対に離されまいと必死にひばりの右足にしがみついた。
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