ギル、死す(1)
ひとけのない深夜。ちょうど良いことに月明かりで道は照らされていた。つまずかない程度には歩を進められる。スプリウスがギルに肩を貸して歩いていた。
「親父、俺は一人で歩けるぞ…」
「無茶を言うな…。こんな時くらい父親らしいことをさせろ」
ギルとスプリウスの隣にパディがいる。彼は片手にスコップを持っている。先ほどの検査の時と違ってひょうひょうとした態度だ。三人の後ろにミアがついて来る形だ。
「本当にパディ先生はギルを治せないのですか?」
ミアの質問に、パディの代わりにギルが妻に振り返って答えた。
「無理だ…。白血病は全身にがんがまわる病気だ。外科的な治療が無意味…。俺たちはこれまでに何人も看取ってきた…」
四人は街外れの北の林に向かって歩いている。
「突然だけど、マーガレットさんって顔が若返ったでしょ? 顔のシワが伸びた」
唐突にパディが変な話題を切り出した。魔女のマーガレットの話だ。彼女はある日突然若返った。ギルは禁忌の妖術でも使ったと思っていた。
「あれって僕の世界でやってもらってるんだ。美容形成。僕って違う世界から来たんだ」
「…サーキスはよく言っている。あんたは言っていることがおかしいと…。大動脈弁を再形成した技術とか、サーキスはあんたの人工血管などはこの世の物ではないって。奴はあんたの事を世界一の医者とのたまっているが、それはあんたがこの世界の人間ではないと決めつけているからだ。それとバーコードって何だっていつも言っている…。しかし帰る方法が見つかったのか」
パディは歩きながら振り返り、闇夜のミアの顔を見てみるが、わかっていたのか、ギルとの別れがつらいのか特に驚いているようにも見えない。スプリウスもこちらからは顔をうかがえないが、ミアと同じような雰囲気だった。
「ギル君、バーコードはおいおいわかるよ。…本題だけど君の宿敵にガドラフさんっているよね?」
「あいつを俺の友達みたいな言い方をするな」
「ふふふ…」
ミアが口をはさんだ。
「ガドラフって何年も前にギルが倒した魔法使いのことですよね?」
「倒したことは倒したが、生きている。今はドレイクたちの仲間になっている」
ギルの答えにパディが続ける。
「そう。それでバロウズさんがガドラフさんと仲良くなったらしくてね。ガドラフさんって昔から次元を操るって言われてるらしいじゃない? 実際そういうことができるんだ。
ガドラフさんは自分のアンクの秘密を教えてくれたんだって。それでバロウズさんはイステラ王の城に潜り込んで、偽物のアンクとすり替えたんだ。ガドラフさんが作ったアンクは不思議な力があって違う世界にワープすることができるんだ。
それでバロウズさん、ドレイクさん、マーガレットさんの三人はあちらに行き交ってるんだ。行った瞬間にみんな僕の顔が浮かんだって言ってたよ。
アンクの力で通れるのは一度に一人まで。三人はバラバラで一人ずつ。バロウズさんは空気が悪いって向こうが好きじゃないみたい。マーガレットさんは美容形成の看板を見つけてすぐに僕に相談してきた。僕は向こうのお金を持っていてね。僕は乗り物を買おうとしていたんだ」
天井裏に隠していた七百万円のことだ。
「マーガレットさんにゴールドと日本円を交換してあげて彼女はシワを伸ばしたよ。あの人は大喜びさ」
ここで全員が石橋を渡る。川では月の光が美しく反射していた。だいぶ北の方まで来た。
「それとドレイクさんが向こうの世界にずいぶんとお熱でね。水が合うのか楽しくてたまらないらしい。僕が持っていたほとんどの日本円をゴールドに換えてあげた。僕はそのお金であの家をハゲから買い取ったんだ。
ドレイクさんは子供の時からドラゴンの世話ばかりで遊びを全然知らなかったみたい。大人になってからそんなの知ったら抜け出せなくなるよ。今、彼は長期休暇を取って豪遊してる。…お金はそのうちなくなるから、もうすぐ戻って来ると思うよ」
「あんたはその、自分の本当の家には戻ってないのか? 帰らないのか?」
「帰れない。今の家族が大事だよ。自分の世界に帰る方法がわかったとリリカに言えば、彼女は悲しむから内緒にしてる…」
パディはこちらの世界に来てから十二年近く過ぎていた。日本では人が失踪して七年経過すると法律上、死亡とみなされる。そして彼の保険金は両親が受け取っているはずである。
パディはこちらの世界に飛ばされる前にたまたま二つの生命保険に入っていた。当時入っていた生命保険を他社に切り替えようとしていた矢先、失踪している。それで二つの保険会社から支払われた死亡保険金は合計で八千万円。両親はきっと悠々自適の生活を送っていることだろう。
パディが向こうの世界に戻って知人などに見つかりでもすれば、あっという間に生存の噂は広がり、保険会社の調査が始まる。下手したら保険金の返却を迫られるかもしれない。とんだ親不孝になる。パディは一瞬たりとも自分の世界に帰るわけにはいかなかった。
「それからね、ドレイクさんが長期に休む前にガドラフさんのアンクには、僕の方が興味があって、色々実験させてもらったんだ。ポータル…、アンクが作る次元の穴には同時に一人しか入れないけど、死んじゃった虫とかはカウントされない。ハル・フォビリアさんから人間のお骨のツボとか魂の器とかを無理に借りたけど、それも素通りできることがわかったんだ。非常に都合がいい。
前から考えていた。できることなら僕が治せない患者さんは死んでもらって向こうの病院で治療してもらえばいいって。それでギル君には死んでもらってサフランに持って行ってもらう」




