第四回 夜明け前の郵便受け
目覚まし時計が鳴るより少し早く、遼は目を覚ました。
まだ夜だった。
窓の外は群青色で、町は眠っている。
机の上には二通の封筒。
少女から預かったもの。
空き家の郵便受けから見つけたもの。
どちらも昨夜と何一つ変わっていない。
遼は制服ではなく、紺色の上着に着替えた。
今日は休日だった。
仕事ではない。
それでも肩から普段使っている鞄を提げた。
中へ二通の封筒を入れる。
それだけで少し落ち着いた。
◇
町を歩く。
新聞配達のバイクが一台、坂を下っていく。
パン屋からは焼き始めたばかりの匂いが流れてきた。
そのほかは何も聞こえない。
人のいない町は、自分が知らない町のようだった。
岬への道はゆるやかに登っている。
舗装された道が終わると、古い石畳になる。
その先に灯台が見えた。
白い壁は朝焼けを受け、青白く光っている。
近づくほど大きく見えるのに、不思議と威圧感はなかった。
長い間そこに立ち続けてきたものだけが持つ静けさだった。
遼は門をくぐる。
錆びた鉄柵は、押すと小さく軋んだ。
庭には誰もいない。
風だけが草を揺らしている。
入口の横。
古い郵便受けがあった。
昨日まで見ていたものと同じはずなのに、近くで見ると傷の付き方までよく分かる。
蓋へ手を掛ける。
ゆっくり開く。
中には一通だけ封筒が入っていた。
遼は思わず息を止めた。
昨日、この場所へ来た人はいないはずだ。
少なくとも、自分が知る限りでは。
封筒は新しかった。
白い紙。
青い蝋。
灯台の印章。
まるで今朝置かれたばかりのようにきれいだった。
表を見る。
宛名は、
「灯守さまへ」
それだけだった。
差出人はない。
住所もない。
遼は封筒を持ち上げた。
軽い。
何枚も紙が入っている重さではない。
一枚だけだろうか。
耳を澄ます。
風の音。
波の音。
その奥から、
――コツ。
小さな音が聞こえた。
灯台の中だった。
木の床を誰かが歩いたような音。
遼は扉へ近づいた。
厚い木製の扉で、真鍮の取っ手は海風でくすんでいる。
「失礼します。」
返事はない。
取っ手を回す。
動かなかった。
鍵が掛かっている。
もう一度。
やはり開かない。
中は静まり返っていた。
さっきの足音は気のせいだったのか。
遼は耳を当てる。
何も聞こえない。
ほんの少し潮の匂いがするだけだった。
諦めて振り返ろうとした、その時。
扉の向こうから、かすかな紙の擦れる音が聞こえた。
誰かが封筒を持ち上げた時のような。
あるいは本を一ページだけめくった時のような。
音は一度だけだった。
遼は思わず後ずさる。
その拍子に鞄の口が開き、中の二通の封筒が少しだけ見えた。
すると、風もないのに、郵便受けの蓋が静かに閉じた。
音はしなかった。
ただ、ゆっくりと。
誰かが内側から閉めたように。
◇
岬を下り始めた時だった。
ふと振り返る。
灯台は朝日に照らされている。
何も変わらない。
誰もいない。
そのはずなのに、入口の郵便受けだけが、ほんの少し開いているように見えた。
気になって見つめる。
すると、その向こうを赤いものが横切った。
赤い傘。
一瞬だった。
遼は目を凝らした。
もう誰もいない。
郵便受けも閉じている。
灯台の周囲には風だけが吹いていた。
帰り道、遼は鞄の中を確かめた。
二通の封筒はある。
間違いない。
だが、自分が灯台の郵便受けから取り出したはずの
「灯守さまへ」
と書かれた封筒だけが、どこにも入っていなかった。




