第三回 灯りの消えた場所
その夜、遼は机の上へ三つのものを並べた。
二通の封筒。
空き家の郵便受けから見つけた紙片。
そして図書館で書き留めた小さなメモ。
――灯守退職。
――灯台便。
――十年に一度、誰かが調べに来る。
どれも繋がりそうで繋がらない。
だが、不思議と途中で投げ出す気にはならなかった。
配達の仕事は、宛名があるから成立する。
しかし今回、自分は宛先ではなく、差出人を追っている。
それは郵便配達員として初めての経験だった。
◇
翌日の仕事帰り、遼は町役場へ立ち寄った。
灯台は市の管理になっている。
ならば鍵や管理記録くらいは残っているかもしれない。
受付の若い職員は少し驚いた顔をした。
「灯台ですか。」
「見学したいと思いまして。」
「現在は公開していません。」
「管理されている方は。」
職員は奥で調べて戻ってきた。
「定期点検は年に一度だけ業者へ委託しています。」
「人は住んでいませんよね。」
「もちろんです。」
即答だった。
「最後に人が常駐していたのは三十年以上前です。」
「灯守の名前は。」
職員は首を振る。
「そこまでは分かりません。」
遼は礼を言って役場を出た。
記録はある。
だが、生活の記憶は失われている。
町とはそういうものなのだろう。
◇
数日後。
休日の午後、遼はもう一度図書館を訪れた。
前回応対してくれた司書は、奥の資料庫から一冊のアルバムを運んできた。
「正式な資料ではありません。」
「これは。」
「町の写真を集めた寄贈品です。」
ページをめくる。
祭り。
漁港。
運動会。
古い商店街。
何十年も前の町が静かに残っていた。
その途中、一枚の写真で遼の手が止まる。
夕暮れの灯台。
入口には木製の郵便受けが写っている。
「これです。」
「よく気付きましたね。」
司書は嬉しそうに笑った。
「今の郵便受けとは違うでしょう。」
確かに違う。
今ある金属製ではなく、木箱だった。
しかも、その横には小さな黒板が立て掛けられている。
写真を目を凝らして見る。
文字はぼやけて読めない。
「拡大できますか。」
「残念ですが、これしかありません。」
遼はしばらく写真を眺めていた。
その時、司書がぽつりと漏らした。
「祖母が言っていました。」
「何をですか。」
「灯守さんは、手紙を読む人ではなかったそうです。」
遼は思わず聞き返した。
「読む人じゃない。」
「預かる人。」
「届けるんですか。」
「さあ。」
司書は微笑む。
「子どもの頃に聞いた話ですから。」
それ以上は分からないらしかった。
◇
図書館を出る頃には夕方になっていた。
遼は海沿いの道をゆっくり歩く。
正面には岬が見える。
その先に、白い灯台。
昼間なのに、なぜか今日は近く感じた。
これまで灯台は町の景色の一部でしかなかった。
見えていても、行く場所ではない。
だが今は違う。
封筒を受け取った日から、町のあちこちに灯台へ続く小さな道が現れているようだった。
空き家。
郵便局。
図書館。
誰も答えは知らない。
それでも皆、灯台を否定もしない。
そのことが遼には妙に印象に残っていた。
海岸へ降りる石段に腰を下ろし、封筒を取り出す。
青い蝋は相変わらず割れていない。
開ければ何か分かるのかもしれない。
だが、それは違う気がした。
手紙は読むためだけにあるものではない。
届けるためにある。
その考えだけは、まだ変わらない。
その時だった。
波音の向こうから、子どもの笑い声が聞こえた。
振り向く。
防波堤の向こうを、赤い傘が一瞬だけ横切った。
雨は降っていない。
晴れた空の下で、赤い傘だけが歩いている。
遼は立ち上がり、防波堤を回り込んだ。
しかし、そこには誰もいなかった。
潮風だけが吹いている。
足元へ視線を落とす。
白い貝殻が一枚転がっていた。
裏返すと、小さく青いインクで文字が書かれている。
――明日。
それだけだった。
◇
翌日。
仕事を終えた遼は、郵便局の制服のまま自宅へ戻った。
鞄の中には二通の封筒。
机の上には町の地図。
窓の外では夕日が海へ沈み始めている。
「明日。」
その一言が頭から離れない。
偶然かもしれない。
誰かのいたずらかもしれない。
そう思いながらも、遼は静かに岬の方向を見た。
灯台へ行こう。
初めて、その考えが迷いではなく、一つの予定として心に定まった。
灯りは消えている。
誰も住んでいない。
役場もそう言っていた。
それでも、自分の足で確かめなければならない気がした。
その夜、遼は目覚まし時計を一時間早く合わせた。
まだ夜明け前の灯台を訪ねるために。




